第4話 乱読家と保管室

 私は人ではない何かへと変貌した。

 けれど、特段それからも変わることはなく、普通の日々を過ごす。いつものように、旧校舎の古びた教室へと向かい、本を読む。彼女もそこにはいて、それがとても穏やかで、心地良い。


 変わったことと言えば、時折彼女は血を飲むことぐらい。

 私の首筋に嚙みついて、血を、魔力を飲む。今まで気づいていなかったけれど、彼女の歯はとても鋭く、私の首に深く刺さる。数本程度しか鋭くないから気づかなかったというか、彼女が隠していたのかもしれないけれど。


 首に異物が刺さっているというのに、特に痛みは感じない。それどころか、目を閉じて、恍惚そうに血を飲む彼女はとても艶めかしく感じる。今までも、綺麗だとは思っていたけれど、こうも近づかれたことはなかった。手の届くところに彼女がいる。思わず、髪をさすってしまったけれど、彼女はちらりと私を見ただけで、意に返すことはない。


 それがまるで、私に触れられることを許してくれてるみたいで、なんだか変な気分になってくる。変なことをしても許してくれるんじゃないかって。いや、変なことをしたいとは思っていない……はずだけれど。


「花、使わないんですね」


「最初だけだよ。あれは儀式だったから。いちいち花を挿していたら、痛いし面倒くさいでしょう?」


 たしかに花が手に刺さったときは、とても痛かった。深々と刺さって、少し手の奥が見えていたような気もしたし、血も出ていた。毎度、あんなことになるぐらいなら、首に噛みつかれる方が断然ましではある。吸血されるのがましなのかはわからないけれど。


 首に空いた傷は、すぐにふさがる。これも私が彼女の眷属というか、そういった類のものへと変わったかららしい。彼女は人ではなく、私も人ではなくなった。そういうことらしい。本当に、そうなのかはまだよくわからないけれど。

 彼女も人ではないと言っても、何と呼ばれているかは知らないらしい。何人ぐらい同じような存在がいるのかも知らない。けれど、どういう存在かはわかっているようだった。


「生まれたときに説明されたからね。いけ好かない研究者どもに。研究の成果だの。魔力による肉体の自己保管だの。ついでに魔力を自己生成できないことも教えられたよ。失敗作と捨てられた私だったけれど、そこから逃げ出してこうなっているんだから、意外と見る目ないよね。あいつらもさ」


「じゃあ、私は何になったんですか?」


「さぁね。ラトミちゃんは人ではないと言ったし、確かにそれはそうなんだけれど、私とも違うよ。だってラトミちゃんは別に魔力の自己生成ができるし。同時に、私ほどの能力もないけれど。でも、人でもない。その間ってとこかもね」


 その間。中間。中途半端な存在になったらしい。

 人ではない。そう思えば、悲しいけれど、今までと特に何も変わらないから、今のところ何も思う所はない。今思えば、彼女にあそこまで怯えていたのかもわからない。それどころか、彼女と長く一緒にいることができるのは楽しみでもある。

 

「私が言うのもなんだけれど、結構楽しいと思うよ。人ではないものの生活って言うのもさ。ラトミちゃんは気づいてないみたいだけれど、魔力量も増えているし、魔力精度も上がっているはずだからね。増えた魔力量に関しては、私が少し食べちゃったけれど、いろいろできるよ。ほら、勉強だってしなくて良くなるよ。勉強あんまり好きじゃないでしょう? でも、勉強なんてしなくても、たくさんの魔法使えるし、お金なんてなくても生きていけるよ。術式は、覚えないといけないし、適正とかもあるけれどね。好きにできるよ。止めることのできる人なんてほとんどいない」


「でも、魔力を使いすぎたら、約束を守れませんよ?」


「覚えていてくれたんだね。でも、大丈夫。別に補充すればいいでしょう? 近くの人から。ラトミちゃんは魔力の自己生成ができるけれど、それは別に人から魔力を奪えないということではないんだから。私の眷属、というかまがい物といった方が正確なのかもしれないけれど、人ではないのだから、私の能力を受け継いでいるのだから、できるでしょう? 誰かの魔力を奪うことが」


 それは誰かの血を飲めばいいということだろうか。彼女が私の血を飲むように。私も誰かの血を飲めば、減った魔力を補填できるということだろう。けれど、私はそこまでして、能力を使う気にはならない。まだ抵抗がある。まだ私は人であるということなのだろう。

 いくら私の能力が人である時よりも上がったと言っても、特にしたいことなんて見つからない。私はただ、彼女とこの部屋で会えればそれでいい。そのために人ではない力なんて使わなくてもいい。


 彼女が求める分ぐらいなら、誰の血を吸わなくても、自然回復してくれる。魔力の自然回復量もだいぶん上昇しているみたいだし。そのせいか、空腹になることも少なくなった。そういう所は便利だと言えるかもしれない。怪我が早く治るのだって、とてもありがたい。回復魔法があるとはいえ、回復魔動機がある場所は限られているし。

 人ではなくなって、良い所もあったということだろう。というか、今のところ良い所しかない。彼女に血を吸われるのも、とても心地いい。あの瞬間があるということが、人ではなくなって一番嬉しいことかもしれない。


「じゃあ、ラトミちゃんは特に何もしないんだ」


「そうですね。使いたい魔法なんてないですし、特に気に入らない人なんていません。多少、苦手な人はいますけれど、わざわざ喧嘩なんて。これからもここに来れればそれで」


「ここには来てくれるんだね。正直、もう来てくれないかと思っていたよ。私が人ではないと知って随分と怯えていたようだったし、それに人ではない何かに変えられてしまったんだからね。もちろん、呼んだら来てくれるというか、来ないといけないわけだけれど、そういうことじゃないでしょ?」


 それはもちろん。私は好きで、明日もその次も、来れるならいつまでもここに来たい。来たいというよりも、会いたい。彼女と会いたい。会いたいだなんて、こんな風に思う日が来るなんて思ってもいなかった。誰かをこんな風に思うことが初めて、どうにも変な感じ。

 もうこんな風になってしまったから、認めてしまうけれど、私は彼女のことが好きなんだ。今までの友達も、別に嫌いだったわけじゃないのだけれど、ここまで密接な関わりを持ったことはなかった。友達をこんなに好きになったのは初めてで、どうしたらいいかよくわからない。いや特に何かをする必要はないのだろうけれど、何かをするべきな気もする。


「そうだ。本は好きでしょう? 一つ、面白い魔法を教えてあげる。私が初めから使えて、初めて使った魔法。心のままに使える魔法。私達が一番自由に使える魔法。役に立つはずだよ。色々な事に」


「どんな魔法ですか?」


「魔力を読む魔法。こっちに来て」


 そう言って、彼女が私を連れてきたのは、本の置かれた小部屋。私がいつも本を借りている小部屋。


「よく見ててね」


 彼女の右手に小さな魔力が集まる。

 それは小規模で、静かな魔法だったけれど、同時に確かな精密さで編まれた高度な術式による魔法だった。そして、それは私にも使えると、素直に、完全に、確信していた。まだ、どんな魔法かも知らないのに。


「ラトミちゃんもやってみて」


 私の感覚通りに、魔法は手の中で生み出される。いとも簡単に。私は魔法なんて使ったことないのに。まるで、ずっとこの魔法が使えるようだった。


「まだ言ってなかったけれど、ここに置いてある本は全部魔導書になってるんだ。すべてに私の作った魔法や、誰かの生み出した魔法が刻まれている。色々なものがあるよ。普通に触っただけじゃわからないよね。わからないようにしているからなんだけれど。ともかく、この魔法でかざしてみてよ」


 言われるままに、近くの本に手をかざす。

 その瞬間に、未知の術式を知る。私の知らない魔法術式が、どこからともなく私の中へと入ってくる。何の魔法かもわからないけれど、それがとても高度な魔法であることはわかった。そして、今の私なら使えるかもしれない魔法であることも。


「すごい……」


「すごいでしょ。ここにあるものを持って行っていいっていうのはこういうことでもあるよ。好きにしていいよ。ここにある本、術式は。まぁ、一気に読み取ると疲れちゃうだろうから、ゆっくり少しずつの方が良いと思うけれど」


「いいんですか。これ、すごい重要なんじゃ。ううん。重要どころか、どこかの賞とか取れるぐらいすごいと思いますけれど……しかも、こんなにたくさん……」


「いいのいいの。全部覚えているわけじゃないけれど、私は一通り見たし。もちろん、ラトミちゃんがそんなことしたいなら止めないけれど……しないでしょう? そんなこと」


 しない。別に興味ないし、それに誰かの作った魔法を、自分の物のように発表するなんて気が引ける。それに加えて、どうやって作ったのかみたいな話になって、私が人ではないとばれたら、面倒くさそうでもあるし。


 その日はそれで解散した。

 そして次の日も彼女と読書同好会で過ごす生活がある。そう思っていたけれど、そうはならなかった。また彼女がいなくなったわけじゃない。むしろその逆で、人が増えた。

 読書同好会の古びた教室はもう私と彼女の2人きりではなくなって、幾人かが席に座っていた。その新たな人を素直に喜べるほど、私は私の心に嘘はつけなかった。

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