第2話 乱読家と書庫
彼女が古びた教室に来なくなって2日目。私はいつものように、ここにきたけれど、今日も彼女が来ることはなかった。一応、初日も2日目も日が暮れるまで待っては見たけれど、彼女の姿は見えなかった。
いつものようにとは言ってみたけれど、数日前まではこんなところに来ることは非常事態だった。それだけ私の中で、ここに来ることが当然のことになってしまったということなのだろう。たった5日のことだったけれど、たったそれだけのことが当然になってしまう。多分この学校に入りたてだから、染まりやすいだけなんだろうけれど。
彼女のいない古びた教室で、私は本の続きを読む。借りた本はとても面白くて、随分と夢中になって読んでしまった。問題は、その本がその一冊では完結しなかったということで、続きの本を読むために私は子の古びた教室に来ているという一面もある。持ち主である彼女の許可なしに本棚のある小部屋に入るのは良いのかとも思ったけれど、それぐらいなら彼女も許してくれるだろうという期待というか、願望の元に私はここにいる。
一応彼女の弁を借りれば、ここにある本は私の好きにしていいと言っていたし、最初に借りた本も、返す必要などないと言い張っていたけれど、流石にまだそこまで気楽にはとらえられない。
それに何もせず、この古びた教室で一人きりというのも、どうにも居心地が悪いように感じる。この教室にいれば、いつかふらりと彼女が現れるかもしれないと思って、ここにいるけれど、それでもそれだけの理由でいるというのは、気恥ずかしかった。そこまで私は、素直になりきれなかった。
でも、色々と理由をつけてまで、私はここにきて、彼女が現れることを待っていた。望んでいた。切望していた。切実に、望んでいたのである。
自ら彼女を探しに行こうと思ったほどである。別に私は友達が欠席していても、特に気にしたりはしない。気にしないというよりは、体調不良か何かなのかなと思って決着をつける。
けれど、彼女はもうここには来ないのではないか。そんな気持ちが拭えなかった。もしもそうだったとしても、彼女が私に何も言わずいなくなるとは考えにくい。たった5日だったけれど、そこまで彼女が私に薄情にできるとは思えない。思いたくないだけかもしれないけれど。
その恐れが私を突き動かした。
3日目に私は他の教室へと足を運んだ。
私達の学年はまだ始まったばかりの学校生活に慣れてはいない。まだ人間関係が構築しきれていない。私も多少の友人……と呼べるかはいささか疑問だけれど、知り合い程度の人はいるけれど、まだ完全に学級の人の全てと関わることができたわけではない。
そのせいか、他の学年に比べれば、廊下の喧騒は薄いように感じる。そんな廊下を歩いて、別の教室へと乗り込み、私は聞き込み調査を始めた。
別の教室に入って思ったのは、想定以上の疎外感だった。今の学級に疎外感を感じないわけじゃないけれど、なんというか別世界に来てしまったような感じがした。幸いだったのは、まだ別の学級の人だと気づかれていないという点にあるだろう。これは学校に入ったばかりで、みんなが同じ学級の人を覚えきれていないという所が救いになった形である。だから私の感じている疎外感なんて気にせずに、この学級に欠席者がいるのか、もしくは彼女がいるのかを見つければいい。
すべての教室に、正しくはすべての同学年の教室に入るのにそう時間はかからなかった。もとより学級の数はとても少なかったから、すぐ終わるのは明白だったけれど、それでもすぐに終わった。
結論から言えば、欠席者はいなかった。けれど、彼女もいなかった。
何度も同じ教室に入り、何度も確認した。
多分、その行動は相当不審なものに見えていただろう。誰も指摘はしてこなかったけれど。指摘をしたい人もいただろうが、未だ固まり切っていない人間関係を考えれば、おいそれと不審な同級生に触れるのを恐れた結果だろう。
私も別に不審な同級生になりたくて、そんな行動をしたわけではなくて、ただそんなことを気にする余裕もないぐらい、狼狽していた。動揺していた。
彼女がいない。
欠席者がいないのに、どの教室にも彼女はいない。それはつまり、彼女がいないことを示す。少なくとも同じ学年には。私はてっきり彼女は同じ学年だと思ったいたけれど、それは私の勘違いだったのだろうか。
彼女がそう語ったのか、それとも私がそう思い込んでいただけかはわからないけれど、ともかく同学年だと思って
いた彼女は、少なくとも同じ学年ではなかったということが判明した。
明日は1つ上の学年を探してみるか、そう思っていたけれど、その予定は無用のものとなった。放課後に、旧校舎の古びた教室の扉を開けると、彼女がいたからである。
「やぁ、ラトミちゃん」
絶句した。当然のように、彼女はそこにいた。
ここ2日間、顔を見せなかったことが当たり前で、何もなかったかのように、古びた教室の窓辺によりかかって、私を迎えていた。
「なんで、来なかったんですか?」
そう聞いてから、我ながらなんて質問だと思った。
まるで彼女が来ることが当然のような質問である。まるで、来なかったことを責めるような。私にそれを責める権利などない。彼女の語った通り、ここは読書同好会で、来ることに強制なんてないはずだし、それを連絡しないといけないなんて決まりはない。いや、もしもそのような決まりがあったとしても、まだ私は読書同好会の一員というわけではないのだから、連絡など来るはずがないのだけれど。
私の質問に、彼女はよくわからないという風な顔をする。
質問の意味が分からないといったような。質問の意図が、意味が分からないといった風に首をかしげる。その動作すらも美しく、少し見とれてしまった。
「いつ、どこに来なかったって?」
「昨日です。一昨日もですけれど。ここに来ると思っていました」
すると彼女はくすりと笑う。
「だって、休日でしょ? 休日に学校に来ることはないよ。それに、授業がなければ、放課後もないからね。放課後がないんじゃ、ここには来ないよ。こういう活動は、放課後にするものでしょ?」
休日? 昨日と、一昨日は休日だったのか。
そうだったっけ。そんなことはないはずだけれど。だって、昨日も一昨日も、私は学校に来ていたし、授業も受けた……受けたっけ。昨日と一昨日は、何をしていたっけ。
「あれ……? でも、そんなことはないはずです。だって」
「いいや、休日だよ。休日だったよ。間違いなく。昨日も、もちろん一昨日も、この学校は休みで、ほとんどの人はこの学校の敷地に足を踏み入れてすらいないはずだけれど。だって、そうじゃないと休みの日が少ないでしょう? そんなに何日も連続で学校に来てたんじゃ、疲れてしまうよ」
彼女にそう力説されれば、そんな気もしてくる。そうだったかもしれない。昨日も、一昨日も休日だったかもしれない。新しい学校で、感覚が掴めていなかったのかもしれない。そのせいで勘違いしてしまったのかもしれない。
「けれど、嬉しいよ。そんなにここを気に入ってくれたんだね。正直、特段楽しいことをしているわけじゃないし、所属している人も私だけだから、どうかと思ったんだけれど。ほら、もっと賑やかな場所のほうが好きな人が多いでしょう?
ラトミちゃんが静かな場所が好きだって言っても、流石に静かすぎるんじゃないかなと思ったんだよね。私しかいないし、私はかなりおしゃべりな方だけれど、それでも、なんというか活気がないように感じるかなと思って」
「そんなことはありませんよ」
これはお世辞でもなく、欺瞞でもなく、この場所に活気がないなどと感じたことなどない。彼女が自ら語った通り、彼女はかなりのおしゃべりであることがその一因なのは間違いない。本を読んでいる時だって、なんてことのない話をぺらぺらと話しながら、紙をめくっていたぐらいだし。
それをうるさいとか、うっとおしいとか、面倒くさいとは思わなかった。いや、これが他の人であれば、彼女以外の人であれば、そう思ったのかもしれないけれど、彼女は言い方というか、間の取り方というか、そういうものが綺麗だから、そんな風に感じることはなかった。
むしろ、静かであるように感じた。
そこに音はあるのに。
「それなら良かった。ともかく、私は休日には来ないから、来るなら授業のある日が良いと思うよ」
そう言われると、まるで私が彼女と会うためにここにきているような言い方である。まぁ、それは事実なんだけれど。あまりまだ自分の中では認められてない。
いくら本が面白いからと言っても、この旧校舎の古びた教室で読む必要はないと言えばない。というか、完全にない。本がそろっていて、それを自由に持って行っていいと言われているとしても、図書館にでも行けばいい話なのだろうし。
改めて、彼女と会いたくて、ここにきていると自覚すると、なんだか気恥ずかしい。でも、人間関係というのはそういうものなんじゃないだろうか。別に特別な意味でもなんでもなく、友人である彼女のことが好きなのだろう。わざわざこの部屋に毎日来る程度には。
その気持ちに素直にならないことも可能だけれど、それが存在することは認めなくちゃいけない。そして否定してはいけない。自分の気持ちに嘘をつけば、きっと後悔することになるだろうから。いや、どちらにせよ後悔はするのはするのかもしれないけれど、嘘をつかなければ、仕方ないと納得することはできるはずである。
「少し、外に出ない?」
彼女がそう言ったのは、本を読み始めてから、当分の時間が経ち、日も沈みかけている頃合いだった。日が出ているのか出てないのかよくわからない薄明かりが、私達を照らしているときに、私達は軋んだ扉を開き、旧校舎を脱出した。
もう日は落ちようというのに、まだ校舎にはそれなりの人の数が残っているようで、まばらに人の姿が見える。その大抵は、何かしらの課外活動、部活だの同好会だの参加している人であることは想像に難くない。まばらに人が見えると言っても、まばらにしか見えないのだから、別にこの学校の課外活動は熱心ではないのかもしれない。もちろん熱心なところもあるのだろうけれど、大抵は緩くやっているような雰囲気を感じる。
いや、別にこの時間まで残っているからと言って熱心かどうかはわからないか。逆に、この時間まで残っていないからと言って、不熱心であるかもわからない。一応、課外活動をする人数は多いはずだから、熱心な人だって中にはいるはずである。私と同じ学級の人にも、部活を頑張ると言っている人もいたし。
あの時は、それをきいて私にはとても無理なことだと思ったけれど、今の私がやってることはそれと近いのかもしれない。別に何か頑張っている気はしないけれど、遅くまで課外活動をしているという点に関しては同じではある。
まさか私がこんな風に遅くまで学校にいる日が来るとは思わなかった。前の学校、前の段階の学校では、すぐに帰宅路についていた。特にやることもなかったし、やりたいこともなかったから。
あの時に勉強でもしていれば、もう少し別の未来もあったかもしれないと、この学校に行くと決まったときは思ったものだったけれど、今はそうは思わない。そうなれば、旧校舎の古い教室に行くことも、彼女と出会うことも、さっき読んだ本を読むこともないのだから。
「どこに行くんですか?」
「屋上。この前行ったでしょう? また行きたいなと思って。まぁ、あの時とは少し様子が変わっているんだけれど……あまり気にしないでね」
気にしないで、そう言われたけれど、それはなかなか難しい話だということを、屋上にたどり着いてから思い知ることになる。屋上には、よくわからない模様が描かれていた。多分あれは絵具か何かだろう。そしてその模様の中心には一輪の花が空中に浮いていた。
「なんですか……これ」
恐らくこれは彼女がやったことなんだろう。けれど、なぜだろう。あまり不思議な感じはしない。最初に来た時からずっと、彼女は変なことをしていたからだろうか。
「本当はもう少し待つつもりだったんだけれどね。少し予定を早めることにしたの。持ちきれなくてね」
「何をですか」
「私はあまりそんな風に焦って動くことは少ないんだけれどね。これで失敗したら、とても悲しいよ。でもラトミちゃんが焦らせたようなものでもあるんだけれどね」
あまり私の質問に答える気はないらしい。
彼女は言葉を紡ぎながら、浮いている花に触れ、私と向き合う。
こうして向かい合ってよく見れば、私と同じ学年であることを示す赤色の線が入った靴を履いているし、同学年であることは疑いようのない事実なはずなんだけれど、昼間に調べたときはどこにも彼女はいなかった。あれはどうしてだったのだろう。
けれど、それを聞くよりも先に彼女のほうが早く声を発した。その後に質問すればよいだけの話と思うかもしれないけれど、その言葉とても衝撃的で、考えていることなんてすべて飛んで行ってしまった。
彼女はこう言った。
「ラトミちゃん。あなたを食べるね」
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