どくか少女の終始間
ゆのみのゆみ
第1話 乱読家と本棚
扉を開け、一つの古びた教室に入る。
扉と言っても、すんなりと開いてくれるわけではなく、かたついた木製の扉に大きく力をかけ開けることが必須ではある。正直、整備をしてほしいと思わない日はないけれど、そんなことは見込む余地もない。
なぜならここは旧校舎の一室で、今の学校側の意見としては、こんなところにお金をかけている場合ではなくて、今の新校舎を完成させることに躍起になっているらしい。もしも新校舎が完成したとしても、この旧校舎に金が回ってくることはないだろうけれど。今、この旧校舎で使われている教室はこの教室だけだし、それにこの教室も、放課後しか使われることはない。
「やぁ、ラトミちゃん」
「どうも」
そしてこの教室を使う人は2人。
私と、彼女。それだけ。
「いつも先にいますね」
「ラトミちゃんが遅いんだよ」
そんなことはないと思うけれど。それどころか、今日は割と急いでここまで来た。教室までの距離が違うという説もあるけれど、同じ学年である彼女と、そこまで距離が違うわけではないはずなのに。
いや、他の学校であれば、もっと学級の数が多い学校であれば、そういう差もあるのかもしれないけれど、私たちの学校はそこまで多くはない。少ない学級が、同じ階層に押し込められている。
「それで、今日は何を?」
「何って、決まってるでしょ?」
「そんなまるで分り切ったことでしょ、みたいな顔をされても困るんですけれど。私には何をするのかわかりませんよ。毎日ここにきていますけれど、私はそんなにまだここが長くないんですから」
私がここに来るようになったのは、ほんの数日前のこと。彼女に誘われたわけでも、誰かに勧められたわけでもなく、ふんわりとこの教室に入ったのが原因だった。放課後に、ふんわりと。なんとなくといった方が通じやすいかもしれない。なんとなくで、旧校舎なんかに来て、しかもその最奥の、きしんだ扉をあけるのか、と問われれば、そうじゃないのかもしれないけれど。
もっと別の理由があったのかもしれないけれど、私の主観ではなんとなくでしかない。勉強が嫌になっていたとか、将来への不安だとか、面白そうだったからとか、理由があったとしても、ふんわりで片づけられるような大した理由ではないということだろう。
ともかく、私はその時から、ここに来るようになった。
「ここは読書同好会だよ。本を読むに決まってるじゃないか」
「え、そうなんですか」
「そんなに驚いた顔をしないでくれ。まるで、今初めてここが読書同好会だと知ったような顔をするじゃないか。最初に言っただろう? ここがどういう場所なのかってことは」
言ったっけ。
初めてここにきた時だろうか。
「言ったよ。聞いているはずだけれど。だから知っているはずだけれど」
そういうのなら、まぁそうなのだろう。
「でも本持ってないですよ。私は」
「大丈夫。ここには本棚があるんだ。著名な作品は大概揃っているはずだよ」
こんな小さな教室のどこに本棚があるのかと思ったけれど、隣の教室だった。いや、教室ではなくて小部屋といった方が良いかもしれない。元々居た古びた教室にある奥の扉からしか行けない場所のようで、外からは入れないようになっている。
小部屋には見上げるほどの本棚にびっしりと本が詰まっている。もしも倒れてきたりすれば、埋もれてしまうことは間違いない。これだけ本を集めたのも、歴代の読書同好会の賜物なんだろうか。
「すごいでしょ。ここからなら好きに持って行っていいからね」
「そういうわけにはいかないですよ。もちろん好きに持って行っていいっていうのが、本を返す前提ってことはわかっていますけれど、それでも私が本を汚したり、破いたりしたら、今までこの本を集めてきた先輩たちに申し訳がないです」
「良いよ別に。だって私のだもん」
だから良い、とは流石にならない。それどころか、余計丁重に扱わないといけない気がしてくる。
丁重に、慎重に。そう思って、ゆっくりと本を取ろうとしたら、彼女に笑われた。
「本なんて、読めればいいんだから、適当でいいよ」
というのが彼女の弁だったけれど、ここにある本はすべて綺麗に整えられているように見える。しかもこれだけの量を揃えるのだから、彼女がどれだけ本が好きなのかわかるというものだ。そんなものをそう簡単に雑には扱えない。
「まぁ、好きなの選んでよ。私は先に戻っておくね」
古びた教室へと戻っていく彼女を横目に、本棚へと目を向ける。
雑には扱えないとはいっても、ここから何かしら本を選ばないことには、私が今日読む本はない。一応、本と呼べるか怪しいものに、教科書というものがあるけれど、流石にそれは読書同好会で読むには、似つかわしくないだろう。
本棚には、たくさんの作品があった。彼女が著名な作品はあるはずだと言っていた通りに、私でも知っているような作品がたくさんあった。あまり読書のしない私でも知っている作品が。
凝結と流血。貴方の隣の薔薇。少女物語。デンガー・エンガー・ダイガー。外縁の内側。モリアリメリ問題。流水の中で。
その中の一冊を手に取り、小部屋を後にする。
教室に戻れば、彼女は静かに本を読んでいた。机の上に座って。椅子があるというのに、そこには座ることはなく、机の上に座っていた。まるでそれが当然のように。
けれど、彼女がそうして机の上に座り、足を折り曲げている姿は、本当にそれが正しい座り方であるかのような感じがするぐらい優雅だった。こんな姿をしていたとは気づかなかったのが疑問なくらい、美しい姿で彼女はそこにいた。
それを見れば、私は何かを言う気も失せ、素直に近くの椅子に座る。普通に座る。何のひねりもなく。彼女の真似をしても、私ではただ変なところに座っている人にしかならないだろうし、それに机にわざわざ座る意味がわからないというのもある。
ただ紙をめくる音が聞こえ、時間が過ぎていく。静かな世界だった。
時折、部活をしていると思われる声が聞こえきて、それがまだ現世にいるのだと実感できることだった。それがなくては、まるで現実じゃないかのように音が少ない。
ここに来てからもう5日目。
ここが読書同好会であると忘れていたのには、理由がある。それはなんとなくではない。それどころか、ここがそんな場所だとは思わなかった。聞いたはずなのに、おもっていなかった。部活でないことは人数から察していたけれど、まさか読書同好会とは。逆にどんな場所と思っていたのかと問われても、困るわけだけれど。
つまり私は昨日までの4日間、ここで集合する団体が、何をする団体なのか知らずに、考えずに、彼女を手伝っていた。団体と言っても今は私と彼女しかいないけれど。
もちろん、最初に読書同好会だと教えられて、それを覚えきれなかった私にその責任の一端がないとは言えないけれど、それにしても彼女の行動は読書同好会の行動とは言えない。
1日目は、花の魔力分析をした。
彼女は私を見て、少し驚いた後、外に出た。そして花壇にある花を、数輪とり、この部屋で魔力分析をした。許可を取っているのかと聞いたけれど、特に彼女が答えることはなく、ただ笑うだけだった。
多分、無許可だったのだろう。次の日には、花壇が元通りになったところ見れば、どうやってかはわからないが、元通りにしたのだろうけれど。
2日目は、私のことを調べられた。
調べられたと言っても、実態は彼女と喋るだけだったけれど、それでもあれは調べられたと言っていい。私のことを色々聞かれた。好きなものは、嫌いなものは、得意な教科は、苦手な教科は、魔法は、運動は、家族は、友人は、家は、どうなのか。
それぞれ、静かな場所、賑やかな場所、言語学、魔学、まともに使える魔法はなし、身体強化は苦手、良好、普通、近い、と答えた。あとから考えてみれば、色々と答えすぎな気もしたけれど、なんだか答えたくないとは思わなかったので、すべて答えた。
3日目は、屋上を歩いた。
恐らくだけれど、また無許可だろう。無許可で、学校の屋上に踏み込んだ。学校の屋上と言っても、旧校舎の屋上である。今は既に使われていない古びた校舎の上に、私達はいた。昔は、それこそ旧校舎が使われている時代は、屋上に入ることが許されていたという理論で、旧校舎の屋上へと入った。
そこで特に何かをしたというわけでも、いや、たしか彼女は屋上に設置された柵の本数を数えていたような気がする。
4日目は、校舎を歩いた。
これはもうそのままの意味である。今使っている、私たちが授業を受ける、新校舎を、彼女とともに歩いた。それこそ、特に何かをしたというわけではなく、単純に校舎を歩いた。まだこの学校に入りたての私としては、色々な場所が新鮮だったけれど、彼女はそういうわけではなかったようで、淡泊に流し見していた。彼女も私と同じ学年なのだから、入りたてであることに変わりはないはずだけれど。
そして今日が5日目である。
こうして並びたててみれば、本当に何をしているのかわからないけれど、それでも私は5日連続でここにきて、ついに今日、この場所の真相にたどり着いた。別にそれが目的で来ていたわけじゃないけれど、少しの達成感のようなものを感じずにはいられない。
じゃあ何が目的なのと言われると返事に困ってしまうけれど、その理由の一つに彼女に会いたかったからというのがなかったと言えば嘘になってしまうのだろう。彼女と話すのは楽しいし、それに動作が美しいのである。ほんの少しの動きが、身体の位置が、魔力の流れが、綺麗で見とれてしまう。だから私はここに何日も通っているのかもしれない。
「ラトミちゃん」
普段本など読まない私だけれど、気づけば日も暮れ、あたりは暗くなっていた。旧校舎にも何とか灯はつくようで、薄暗い灯がついていた。彼女が、そう声をかけてくれなければ、私はそれにすら気づかなかったかもしれない。それぐらい私はこの本に集中していた。
「あ、ごめんなさい」
「いいよ。楽しんでくれたみたいでよかった。どう? おもしろい? その本は」
「はい。えっと、ありがとうございます。貸してくれて」
それを聞いた彼女は首を少し捻る。何か、私はおかしなことを言っただろうか。
「あげるよ。それ」
それ。これ。
それとは、何か。この状況であれば、それはこの本でしかない。
「な、なんで……? 大切なものなんじゃ……」
「大切なものではあるね。大事なものでもある。けれど、言ったでしょう? 好きに持って行っていい、ってね」
好きに持って行っていいというのは、本当に好きに持って行っていいということだったらしい。そういわれても、そう簡単に本を取っていけるわけじゃないけれど、この本の続きが気になるというのも事実ではある。
結局、私は明日返すという約束をして、一方的に交わして、本を持って帰ることにした。彼女は最後まで、そんなことしなくていい言っていたけれど、流石に何もなしに本を取るというのは、気が引ける。
そういえば、彼女と出会ってからの4日間の行動は何の理由があったのだろう。それを聞くのを忘れていた。それを思い出したのは、校門で彼女と別れてから、随分と経った頃で、今更聞くことはできなかった。
明日聞いてみよう。そう思ったけれど、その機会は訪れなかった。
明日になってみても、明後日になってみても、彼女は教室に現れなかったから。
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