第8話 精読家と窓
人ではなくなったと言っても、学校生活が終わるわけではなく、当然のように学校行事には参加しなくてはいけない。大掃除という学校行事に嫌々ながら参加しなくてはいけない。まぁ、この大掃除という行事に好き好んで参加している人のほうが少ないだろうけれど。でも、どちらかといえばこの行事は好きな方になる。比較的に見れば、他の行事と比較すれば、好きな方になる。絶対評価で言えば、嫌いな方なだけで、この学校生活においては良い方なのかもしれない。良い方の思い出になるのかもしれない。
そう自分を慰めたところで、大掃除から逃げることができるわけではなく、私はおとなしく指示通りの場所へと向かう。でもたぶん、おとなしくしなければ、逃げることはできる。今の私の身体能力で逃げようとして、止めることのできる人はここにはいないだろう。ただそこまでのことをする意味はないし、それに少しはこういった行事を楽しもうという意思もあるからかもしれない。
「あ、セグシアさん」
指示通りに西校舎一階に向かうと、そこにはセグシアさんがいた。彼女も読書同好会の一員である。そして、読書同好会で唯一の上級生でもある。上級生と言っても、元からいたわけではなく、新規の、というか私よりは後に入ってきた人である。なぜ上級生である彼女が急に読書同好会に入ろうと思ったのかとか、どんな本が好きなのかなどはまだわからない。
というのも、確かに読書同好会の一員ではあるのだけれど、あまり出席率が高いわけではなく、私もまだあまり話したことはないからである。もちろん、読書同好会に出席しなければならないみたいな制限というか、約束はないわけだし、別に来なくてもいいのだけれど。
でも、彼女に1つ言うとすれば、それは精読家であるということである。
精読。熟読ともいうけれど、彼女は1つの本を細かく読む。
細かくというのは、本当に細かくである。割と適当に読む私には信じられないことだけれど、彼女は一冊の本を読むのに短くて一カ月、長くて一年はかけるらしい。毎日読書しているのにである。読書同好会に来るときも、毎回同じ本を持ってくるが、頁をめくっているのを見たことがない。
「あら。ラトミさんですの。よかったですわ。知り合いが同じところで。緊張していたんですのよ。ここの代表というか、指揮を任されたのですが、誰も知っている人がいなくて。だから心強いですわね」
なんと。セグシアさんは、任されたらしい。何を、というのは難しいけれど、指揮というか代表というか、責任者、というほど強い存在じゃないだろうけれど、ともかくまとめ役を任されているらしい。多分、任されたというか押し付けられたのだろうけれど。
押し付けられたかもしれない。セグシアさんを見たときにはそう思ったけれど、実際にはそうではないのかもしれない。本当に任されてたのかもしれない。掃除が進むにつれそう思った。彼女の指示は早く、的確である。いや、的確であるかどうかはわからないけれど、ともかく掃除を早く進め、集団の統率をとるという点においては、十分どころか、完璧なやり方をしていた。
そのおかげで私達の担当する場所である西校舎一階の掃除は、昼休みの地点でどこよりも早く終わりそうだった。終わりそうだっただけだったけれど。
結局私達の班は早くもなく遅くもなく、普通の時間に終わった。けれど、昼休みの段階から見れば、大分遅くなったほうだろう。後半、昼休みの前を前半とするならだが、の失速がすごかった。
原因はいろいろあったけれど、私はセグシアさんであると思う。
私の目が節穴で、采配がうまいと思ったけれど、実は適当にやってたのがたまたまうまくいってただけでしたとか、彼女のやるきがなくなったとかではない。いや、そうであれば、どれだけよかったか。
原因は人間関係の悪化である。
事の発端は、昼休みの終わりに友達同士で話していた女子生徒の集団から始まる。彼女達はおそらく気づかなかったのだろう。昼休みはすでに終わっていて、掃除が再開していることに。
掃除をしていない彼女達にセグシアさんはすぐに気づいた。気づいて注意した。
多分、それだけならここまでもめることはなかったのだろうけれど、セグシアさんはさらに責め立てた。ちょうど私は近くにいたから、その内容も聞こえてしまったけれど、読書同好会の同士であるという色眼鏡で見ても、補正することは難しいぐらいの言葉で責めていた。
たしかに彼女達は、前半もおしゃべりが多く、他の人に比べれば手際が良いとは言えなかったのは事実だけれど、何もあそこまで言わなくてもよかった。と、私は思う。けれど、セグシアさんはそうは思わなかったようで、強い言葉を使った。
その結果、おしゃべりをしていた彼女達とセグシアさんの間で対立が起き、彼女達が掃除をしなくなった。そうなれば、人手を失った私達の効率は下がる。そして、指揮も下がる。失敗することをみんなが恐れた結果である。
「少し言い過ぎたんじゃないですか?」
「そうかもしれないわね。けれど、私は間違っていないわ」
帰り道というか、旧校舎へと行く道でセグシアさんはそう言った。
確かに間違ってはいない。掃除をするときに話すことは、あまり褒められたことではないのだし、それを注意することになにも間違いなどはない。そう言われれば、そう納得するしかないのだけれど。
でも、これは学校行事でしかないはずだ。大掃除と言っても、本気で掃除をする人なんて一部だろう。一部すらいないかもしれない。大抵、大掃除と言っても、その実態は友達と集まって適当に話しながら、時間が過ぎるのを待つ程度のものでしかない。掃除をしないわけじゃないが、真面目に一日中掃除をする人はいないだろう。まぁ効率だけを考えるのなら、あまりよくないのかもしれないが、所詮は学校行事。そこまで本気になるものでもないはずなのだけれど。
そう思っていたのだけれど。彼女の中ではそうではない。ただそれだけの話と言えば、そうなのだけれど。
大掃除は残念ながら一日で終わる行事ではない。数日に一回の頻度で一カ月ほどかけて行われる。つまりあの冷え切った、というか煮え滾る人間関係の場所にまた行かなくてはならないということである。班変更があればよかったのだけれど、残念ながらそんなものはない。
全部で4回の大掃除のうち、一回目はそんな感じで終わった。そして、二回目もその関係が修復されることはなかったというより、悪化した。セグシアさんはさらに別の人たちに注意し、責めたて、敵を作った。
私としては、数日たったのだし、なし崩し的に仲直り的な感じになっていて欲しいと思ったのだけれど、流石にそんなに甘いわけもなく、冷え切った関係は続くようで、かなり居心地の悪い空間になっていると言わざる負えない。
そんな場所に長く居たくはないのだけれど、残念ながらすべての掃除が終わるまでは、ここにいなくてはならない。そしてそれは人手を失い続けている私達にとってはとても難しいというか、無理な事だった。幸いなことに、一定時間が過ぎれば掃除は強制終了となるので、2回目の掃除は中途半端なところで終わった。
あと2回もある。この様子ではセグシアさんの矛先が収まることはないのだろうし、これからも悪化するだろう。そして、改善することはない。つまりはあと2回は、あの苦しい場所に行かなくてはいけないということである。
まさかセグシアさんがここまで恐ろしい人だとは思っていなかった。読書同好会では、静かで穏やかな人であるという印象だったのだけれど。その印象が固まるほど、たくさん話したわけではないが、こんなにも違うとは思わなかった。
「私、気になるんですの。みんな掃除を真面目にこなしているのに、一部の人が真面目にやっていないのって、とても不公平だと思いませんかしら? いえ、不公平です」
その不公平が気になり、その不公平を何とかしたいと彼女は言っていた。
彼女の肩を持てば、本当に彼女は別に悪いわけではない。自分が悪いと思えば、謝ることもするし、感謝も伝えるし、人を褒めることもある。ただ、悪いことをした人に厳しいだけなのだ。そして、それを肯定する人もいるだろう。
それこそ、自分たちは掃除を頑張っているのに、頑張っていないように見える人達がいることにいらつきを覚えていた人はいるずだし。そういう人たちにとっては、彼女のようにはっきりと怒ってくれる人はありがたいというか、気持ちのいい存在なのだろう。
「だから、明日の大掃除は憂鬱なんです」
彼女、人ではない彼女に、大掃除の出来事を語る。
首筋に顔を、牙をうずめている彼女に、私はそう語る。
私の血は、魔力はそんなに美味しいのかと思うほど、いつも夢中で私の血を吸うけれど、今日もそれは変わらない。私のくだらない話も、おそらく聞いてはいないのだろう。いや、耳には入っているのだろうけれど、真面目に聞いていることのほうが少ない。
別にそれに怒っているわけではない。私としてはこうして彼女と話しているだけで、とても楽しいから。話しているというより、話しかけているだけだけれど。
これは独占欲なんだろうけれど、こうして血を吸われている間だけは、彼女は私しか見ていないだろうから、とても気分が良い。それだけじゃない気もするけれど、その要素はとても大きい。最近は読書同好会の人も増えてきて、2人きりになれる時間というものは減っているから、余計にそう思う。
「ごちそうさま。ラトミちゃん、嫌なことがあるなら、状況を変えるために動いてみるのはどうだろう。ラトミちゃんにはその力があるよ。私の眷属というか、そういうものになったことを忘れているわけじゃないよね? 毎回、魔力が十全に残っているのは嬉しいけれど、別に魔力を全く消費するなと言っているわけではないのだから、自らの、人ならざる力を使って状況を好転させるのはどうかな」
彼女は口元についた血を手で拭いながら、簡単そうにどうにかできるでしょ? と言ってくる。簡単に言うけれど、簡単ではない。いや、おそらく彼女であれば簡単なのだろうけれど、私は人を辞めたてで、いうなれば初心者なのだから、そんなことを言われてもどうすればいいのかはわからない。
「まぁ、どうにでもなるよ。本当に。ラトミちゃんの力なんだからね。あ、そうそう。私は少しここを離れるから。そんな寂しそうな顔しないで? すぐに、具体的には数日以内には戻ってくるから。別に大したようでもないのだし。それじゃ」
そう言って、彼女はどこかへと消えた。
結局、彼女と話しても、大掃除が憂鬱であることに変わりはない。彼女も大掃除が嫌だったから、どこかに行ってしまったのではないかと邪推しながら、次の日を迎えた。
けれど、その日大掃除はなかった。
大掃除がなかったどころか、学校がなかった。
学校付近の店の前で血まみれの男が数人見つかったからである。
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