夕焼けの空、そして夜③

 そう言った後の上雷の行動は至ってシンプルだった。予め用意してあった入部届を月宮に書かせると、店じまい直前の居酒屋の店長みたいに「さぁ帰った帰った」と職員室から二人を追い出した。


 「あっ、」


 何かを思い出して、


「お互い明日までに挨拶くらいはしとけよ」


 閉まりかけた職員室の扉からほんの少し顔を覗かして言った。しなかったら呪われるくらいの圧を感じた。


 完全に閉まり切った職員室の扉を見て、月宮は扉の向こうに漏れないくらいの声で言った。


 「じゃあもう少しくらい、中にいてよかっただろ」


 ただ、ずいぶん長い時間職員室にいた気もする。


 制服の尻ポケットに突っ込んであった携帯電話を取り出し、時刻を確認する。液晶の画面に映し出された数字は『17:28』。つまり一時間半近くここに囚われていたことになる。普段なら学校から電車に乗って、最寄り駅に着いているくらいの時間だ。


 意味もなく辺りを見回す。


 職員室から普段の廊下に出されたのにもかかわらず、まるで隔離施設に送り出されたみたいに辺りは静寂としていた。


 もう既に放課後なので、確かに校内にいる人の数は限りなく減っている。けれど、それこそ部活動や委員会活動で校内に残っている生徒の声が聞こえたっていいはずだ。自主的に勉強をする生徒が残っていることもある。


 ただのたまたまかもしれない。けれど間違いなく今、周囲に人の気配はなかった。


 沈黙した時間が重たい。


 「なぁ」


 自己紹介をする気はない。


 「生徒会の活動っていつからだ?」


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、天宮はこちらを見た。そのまま、思った以上に熟考をして、


 「……終礼が終わってからです」


 「違う。そういう意味じゃない。いつからってのは明日からなのか。それとも来週からなのかって意味だ。あと――」


 敬語をやめてくれ――という旨を伝える


 天宮は動じて、「はっ、はい」と応答の意を見せ、暫しの黙祷。一度大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせてから、


 「明日からで……明日から……よ」


 一度言おうとした言葉を喉奥にしまって、言いにくそうに話す。


 月宮は少しため息をついて、


 「もういい。明日の終礼が終わって、何時から始まるんだ?」


 「一応校内の時程として、終礼は16時25分までとなっていて、その五分後の16時30分からがスタートとなっています」


 知っていると思うけれど、それくらいの声色で言われた。


 七時間目が終わる時間は16時10分。そこから終礼を16時25分まで長々と行う教室は少ない。平均で五分強。長くて十分と言ったところだろう。


 「で、そこから何時まで活動するんだ」


 「一応、18時までとなっています。けれどそれよりも早く終わることもあれば、遅く終わることもあります」


 「大体どれくらい変わるんだ?」


 五分前後くらい変わることあって当然だ。プロである学校の先生だってチャイムと同時に授業を終われないのだから。


 質問された天宮の顔は、苦虫をつぶした顔という言葉がぴったりであった。硬い表情をよりきつく結び直し、絞り出すかのように答える。


 「ごめんなさい。終わる時間はまちまちで、決まっていないという言い方の方が適切かもしれません」


 「そうか」


 つまりは17時に終わる日もあれば、19時まで帰れない日もあるという認識であろう。もしくはそれ以上に曖昧なのかもしれない。月宮は分かりやすく頭を抱える。

それに対し、天宮は思い出した、とでも言いたげな顔をする。そして少し明るい声色で、


 「ですが校内に生徒がいていい時間は19時までとなっています。なので、その時間よりも前に終わるのは間違いありません」


 その時、再度職員室の扉が開いた。中から上雷を含め、数名の教職員が出てくる。脇に挟まれた筆記用具と電子機器、おまけ程度の紙の束。それだけで、今から会議が始まるというのがわかる。


 「なんだまだいたのか」


 「自己紹介をしろって言ったのはあんただろ」


 あぁそう言えば――というような上雷の顔を見て、月宮は拳を固く握った。


 「真面目だねぇ。それで、積もる話はあったのかい」


 それに答えたのは天宮であった。


 「はい。月宮君から話始めてくれて。一年十組、出席番号十八番の月宮咲夜君。話をしていてすごく誠実そうだなって。明日から一緒に仕事ができるの、すごくワクワクします」


 笑顔振りまく天宮の勢いに上雷は呆気にとられ、


 「せいじつ……さはわからないが、仲良くなったみたいで安心したよ」


 明日から頑張ろうな――そう言って上雷は待たせていた仲間たちと共に階段へと向かった。上雷らの姿が見えなくなった。


 「とりあえず、今日は帰るか」


 上雷らは第一陣に過ぎない。これからたくさんの人の往来があるだろう。そう予感した月宮は、足早にこの場から立ち去りたかった。天宮の方を見向きもせず、校舎入り口にある下駄箱に向かう。


 「あの、」


 早足で下駄箱に向かったにもかかわらず、天宮は遅れることなく真後ろについてきていた。一瞥することなく、上靴と下靴を履き替える。


 「私は、」


 無意識にため息が出た。履き替えた下靴の踵を立ったまま整える。


 「とりあえず、今日は帰る。お前もだ」


 グラウンドから運動部の声が聞こえた。休憩の時間を迎えたのだろうか様々な色の低く野太い掛け声が響き渡り、各々が思う校庭の休憩スペースへ移動する。校舎に近い所にあるウォーターサーバーへも数名が集まる。


 「そういえば、今日○○(聞き取れず)先生来ねぇな」


 「あぁさっき上の先輩が言ってたけど、毎週この日は職員会議があるから顧問は来ないんだって」


 「そうか。じゃあ今日は居残り練習とかも特になしってことか。ラッキー! あと十五分もしたら今日の練習は終わりって感じだな」


 あと十五分もすれば部活が終わる。それは何も今聞こえた運動部だけではないだろう。意識の低い部活ともなると、もうすでに活動は終わっているのかもしれない。


 つまり、校門に人が集まる。


 「先に出る。お前は五分後に車に迎え」


 そう言って天宮の方を見る。しかし後方にある窓から西日が差して、思うようにその影を終えない。


 首を縦に振った。ように見える。声はなく、表情はうかがえない。


 水平線に沈む太陽がその姿を隠すように、天宮はその場を去った。

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