第18話出所

 再教育施設内に設けられている教育機関は、一般の学校の縮図と言える。生徒総数が歴然と違うだけで、制度自体に殆ど変わりは無い。しかし、どの科も共通して少人数な事もあって、全体での行事は通常行わない。入学式を挙行するほどめでたい入学ではないし、始業式や終業式に長話をすると言われる校長もいない。そんなわけで、始業日は文書で通知され、就業日は担任教師によって宣告される。

「私はね、昔からずーっと、『卒業式だけは高等科だけでもやりましょう』って、言い続けて来ているの。だって、成人したら施設を出て行く生徒達が大半なのですもの。そんな彼らの成人を祝し、旅立ちを見送る意味を込めて、最後くらい華やかな式で送り出してあげるのが、私達施設職員に出来る精一杯の愛情表現だと思うのよ」

熱弁を振るう園田先生の表情は、いつになく不満げだった。生徒思いな彼女の胸の内に触れる度に、この人が担任であってくれて本当に良かったと心の底から実感する。

「だから今年も高等科だけやります!!この教室で」

熱血教師はそう宣言すると、戸惑いを見せている生徒達を鎮めた。この細やかな伝統行事に招待されていた私は、この場所で学んでいた時と同じ最後列の窓際の席に座って、開式を待っていた。主役の卒業生は慧奴だけだったけれど、園田先生は厳かに形式を守って卒業式をしてくれた。その途中、「通常ならここで校長からの祝辞が述べられますが、校長は不在の為、担任である私園田が代わりに祝辞を述べさせていただきます」とか、「本来ならここで校歌斉唱となりますが、割愛させていただきます」と言う慇懃な言葉で式全体が補正された。唯一の卒業生は、代表としての言葉を求められると、「短い間でしたが、ありがとうございました」と担任教師に一言礼を述べるに留めた。園田先生の心意気に敬意を表し、棒読みにならないように苦心したと見える。表情も声音も、彼らしくないくらいに極めて自然な一言だった。それを目にした園田先生は感極まって泣き出してしまい、式の進行は一時停滞したが、無事予定通りに全てを終える事が出来た。

「卒業おめでとうございます」

解散して自由が与えられると、律儀な少年が私と慧奴の元へやって来た。

「卒業後は施設を出るんですよね?」

「ああ」

「何処に住むんですか?」

「寿杜芽市内」

「それじゃあ、遠方に引っ越したりはしないんですね」

クノマ君はそこで言葉を切ると、私の方に向き直った。

「カスミさん、妊娠していたんですね」

膨らんで来ているお腹に気付き、クノマ君は言った。彼の隣で手を繋いで立っている少女が、物珍しそうに見つめて来るので何だか恥ずかしくなる。

「婚姻届けは、これから出すの?」

園田先生がこちらに向かって歩いて来た。

「その前に出生証明書を元居た施設から取り寄せないといけないので、まだ出せないです」

「あら、面倒なのねぇ」

慧奴の説明を聞き、園田先生は渋い顔をした。何の前触れも無く急展開した話の内容に、事情を知らない少年少女二人だけが取り残されて目を白黒させている。

「結婚するの?」

カナミさんが小首を傾げる。

「思い切った決断ですね」

恒常的な笑顔のせいで、クノマ君の感情は読めない。

「あなた達も、後に続いたらどうかしら?」

園田先生が唆すと、二人は顔を見合わせて首を傾げた。彼らの在り方から考えると、結婚と言う法的拘束は似合わない気がする。恐らく、本人達もそう思っているのだろう。

「霞さんは、またいつでも遊びに来て頂戴。靄繕君は、四月からまたよろしくね」

園田先生は笑顔でそう言うと、私達の顔を交互に見ながら肩を叩いた。

「アイゼン君は、施設を出るんじゃないんですか?」

「四月からは生徒じゃなくて職員だ」

「慧奴って本当に社会に出る気無いよね」

雑談が終わり、一人、また二人と教室を去って行く。

「ねぇ、帰る前に少しだけ付き合って」

キョトンとする彼の左手を握ると、私は彼を連れて無人となった部屋に別れを告げた。


 階段を駆け上がって最初にやって来たのは、私がよくお世話になった本の家。一応平日だからか鍵は掛かっていなかったので、遠慮なくお邪魔させていただくことにした。

「あれ?なんか本増えてる!」

「あぁ、それ。園田先生がもう読まないからって寄贈したらしい」

「このシリーズ結構好きなんだよね。そんな事なら私が貰えば良かった」

「本人に聞いたら、記念に持って行けって言うんじゃないか?」

「いいよ。ここに置いておいた方が、いろんな人に読んでもらえるもの」

私は手に取っていた本を戻すと、また別の書架に目を向けた。ここの蔵書はそんなに多くないけれど、それでも四年間では全てを読破する事は無かった。お陰で良い時間潰しが出来た事に感謝している。

「慧奴も結構本を読んだ?」

「あんまり」

「じゃあ暇な時は何してたの?」

「誰かさんのせいで暇なんか殆ど無かったんでね」

一瞬嫌味かなと思ったが、表情から察するにそんなつもりではないらしい。ということは、事実を言っただけか。そんなに頻繁に彼の部屋を訪ねていただろうか?自覚症状が無いとは何とも恐ろしい。

「じゃあ次に行こう」

懐かしい風景をこの目に焼き付けて、私は図書室を後にした。


 専任教師不在の為に遂に入る事が無かった化学室を名残惜しそうに横目に見ながら素通りし、しばしば授業でも使用されていた楽器の部屋を訪問する。我らが担任教師は音楽が好きだった事もあり、座学の気分転換を兼ねて時折この場所で音楽を聴き、作曲者や制作年代などについての簡単な講義が行われた。実は、園田女史の独断による非公式授業ではないかと噂されているが、十分有意義だと思うので誰も密告していない。

――やっぱり落ち着くなぁ。

窓際に鎮座している黒いグランドピアノを見ると、旧友にでも会ったような懐かしい気持ちになる。私はピアノの側へ近付いて行って、黒い肌をくすませていた埃を払い、鍵盤蓋を開けた。高音域の白い鍵盤を指で一つ沈めてみると、透き通った音色が室内に反響した。

「慧奴、『夕暮れの詩』を弾いてくれない?」

「お前が自分で弾くんじゃないのか?」

「だって下手だもの。どうせなら完璧なのを聴きたい」

私がそう頼み込むと、慧奴は黙ってピアノの前に座り、あの物悲しい旋律の曲を歌うように弾いてくれた。無心で演奏に専念する彼の横顔が、ほんの一瞬だけ小さなピアニストの姿と重なって見えた。

「ありがとう」

演奏を終えた彼の前に、私は左手を差し出した。

再び口を閉ざした動かぬ友人に別れを告げ、私は四年分の日常が詰まった学舎棟を出た。


 居住棟南棟一階の角部屋。この部屋に最初にやって来た日の事は、今でもよく覚えている。華やかな色彩に囲まれていた高山家の自室と思い比べて、何て惨めで陰鬱な眺めだろうと溜め息を吐いて項垂れた。あの時ちゃんとやり遂げていたら、こんな所へ来なくて済んだのにと、自分の失敗を呪ったものだ。しかし、所在なく平穏な贖罪の日々を過ごす内に、余分な装飾の無い簡素なその部屋を、徐々に居心地良く感じるようになって行った。少なくとも今の自分には、この灰色の狭い空間が似つかわしいのだと思った。

施設を出るまでの四年間、毎朝「行って来ます」と言って、毎夕「ただいま」を告げた部屋。

今日、もう入れもしない扉の前で、私が目を瞑って呼び掛けた言葉は、「さようなら」だった。

この部屋を出た朝に言えなかった別れの挨拶を、私はやっとする事が出来た。

「感傷的な儀式に付き合わせちゃってごめんね」

居住棟を出て迎えが待つ駐車場へと向かう道中に、私は慧奴にそう言った。

「別に良いんじゃないか?」

他人事みたいに彼は言って、ぼんやりと空を見上げていた。門を潜って駐車場へ出ると、私は徐に立ち止まって振り返り、

「お世話になりました」

と深々と一礼した。

未練なんてもう微塵も無い。

来られないほど遠くに離れるわけでもない。

だけど、私はもう二度と、この場所へは来ないと思った。

「絵夢」

先にお父さん達の待つ車に到着していた慧奴が、振り返って私を呼ぶ声が聞こえる。

「今行く」

返事と同時に、私は家族の元へと歩き出した。


 共に施設で暮らしていた私達に、金銭的な余裕など存在するはずもないので、当面は私達の生活を高山家が支援してくれることになった。いざ夢物語が現実になってみると、高山家の娘に戻っておいて正解だったとしみじみ思う。養子縁組をする際には結婚する事になるとは想定していなかったから、施設出所と同時に私は高山絵夢に戻っている。夫婦別姓も認められてはいるが、未だにこの国では夫婦同姓が主流だし、私もそのつもりでいるから数か月後には靄繕絵夢になる。苗字が変わる度に逐一あらゆる名義を変更する阿呆らしさを考えたら別姓でも構わないのだが、子供の事を考えるとややこしくなりそうなので同姓にしようと二人で決めた。何より、私はこの苗字が好きだから、彼と同じ名で新しい人生の一歩を踏み出せる事を大いに誇らしく感じている。これから新婚生活を送る事になる私達が、高山家に同居するのもどうかと両親が言うので、彼らの勧めもあって、私と慧奴は高山家からそう遠くないアパートの一室で二人暮らしをする事に決めた。私達の私生活に気を遣ったのは言うまでもないが、まだ小学生の絵真に配慮した部分も大きい。

「問題は出生証明書かな」

煩雑な手続きに必要となる膨大な書類を机上に広げ、私は呟いた。

私達特別出生児には、養育義務を課せられた血縁の両親は存在していない。つまり、通常のように家庭と言う単位では数えられないので、戸籍も存在しない。生物学上の両親に該当する男女の情報は、私達にさえ公開されていないから、《特別出生児わたしたち》が自分の起源について知る必要がある場合には、それぞれが幼少期を過ごした《教育・育成施設》に問い合わせなければならない。婚姻関係を結ぶ場合には、《教育・育成施設》が発行する出生証明書の提出が必須となっている。この出生証明書と呼ばれる書類が、いわば《特別出生児わたしたち》にとっての戸籍なのである。

「慧奴の施設って何処?」

伊手野いでの

伊手乃島いでのしまの?」

「そう。初代の《特別出生児》を生み出した、人造人間製造工場がある忌まわしき人工島のど真ん中」

「由緒正しいお家柄で」

「人間を物に変える教育技術では世界一の実力を誇っているからな」

私は聞き流しながら動かしていた手を止めると、慧奴の方に怪訝な目線を向けた。

「あれ?でも少し前までは海を見た事が無かったんじゃないの?」

「《第一教育・育成施設》があるのは島の中央に広がる窪んだ平野の中だし、意図的としか思えない施設の構造上、どう足掻いても外の景色なんて見えない。剰え伊手乃島と本土は海底トンネルで繋がっているから、こっちへ来る時にも海なんて見えなかった」

「それは残念だったわね」

つい会話に気を取られて集中力を失した私は、書類に記入するのを諦めてペンを置き、彼の隣に移動した。慧奴は、私が散らかした紙きれの文面を読むのを止めると、手に持っていた束を綺麗に揃えてテーブルの上に置いた。

「でもさ、慧奴。私も慧奴も、本当の両親の事は何一つ知らないでしょ?」

「そうだな」

「もしかしたら私達、兄妹かも知れないのよ?」

「もしそうだったら、結婚は出来ないな。この国の法律では近親婚は認められていないから」

「そしたら、どうするの?」

「さぁ?どうしようか?」

「子供を堕胎おろして他人に戻る?」

「もうそうするには手遅れだろ」

「じゃあどうするの?」

「逃げようか」

「何処へ?」

「この世界に逃げ込める場所なんて、一つしか無いだろ?」

「慧奴はそれで良いの?」

「どうかな。本当はそうならない事を祈ってる」

どうしてこんな悲しい話になってしまったのだろう?沈む気持ちを振り払うように目を閉じて一つ深呼吸をすると、私は話題を切り替えた。

「ねぇ、慧奴。私、伊手乃島に行ってみたい」

「無茶言うな。あそこは関係者以外立ち入り禁止だ」

「慧奴は出身者でしょ?」

「だがもう無関係だ」

「出生証明書取得申請用紙を持って直談判」

「郵送した方が早くて確実だ」

すげなく一蹴された私は、不満そうにむくれて俯いた。慧奴は、子供みたいにふてくされている私を見て微かに溜め息のような息を漏らすと、ぼそりと囁いた。

「近くまで行って、眺めて来るだけで良いか?」

「うん」

近頃の慧奴は、随分と私に甘くなった。


 慧奴が《第十一再教育施設》にやって来るまで十七年間暮らしていた《第一教育・育成施設》がある伊手乃島は、政府が《国民再生計画》の為だけに建造した人工島である。諸々の関連施設を併設する為にも十分な敷地が本土内では確保出来なかった為だと説明されて来ているが、実際には、不都合が発生した場合に丸ごと証拠隠滅するつもりだったのではないかとの流言が実しやかに囁かれている。この不安定で批判の根強い政策が破綻した暁には、この島全体を娯楽施設に建て替える計画が持ち上がっているそうだから、近い将来に、陰鬱で排他的なこの島は喜びと笑顔に溢れた夢の島になっているかも知れない。きっとその方が国民にとっては有益だろう。現在私達が暮らしている寿杜芽市から伊手乃島へは、車で行けば五時間は掛かる。一般人にとっては用事の無い施設だから、公共交通機関だけでは辿り着けない。慧奴の話によれば、島内にはヘリコプターや航空機が離着陸出来る設備が整っているそうだが、もちろん旅客機など飛んではいない。従って、車以外の足は無いと言うわけだ。だがそうなると、日帰りで家に帰るのは困難になるので、私達は浜辺から伊手乃島を望む事が出来る海沿いの宿に部屋を借りた。この旅を新婚旅行とするのには抵抗しかないが、私と慧奴にとっての記念すべき初外泊であるのは事実なので、ちょっと嬉しくなってしまう。

 私達と同じく人造人間の運転手が、長時間走行にも全く疲労を感じないと頼もしい事を仰るので、目的地までは休憩を挟まずに飛ばした。朝八時に家を出て、目的地周辺に着いたのは午後二時前。私が幼少期を過ごした青海ヶ浦に似た静かな港町の風景に、初めて来たとは思えない安心感を覚えた。

「あれが伊手乃島?」

「そう」

砂浜に立って海上を見遣ると、陽光を反射する人工物が立ち並んでいる異様な全貌が遠くに見えた。海底トンネルだけで本土と繋ぎ止められている幽霊島は、さながら波間を漂う巨大な浮きのようだった。

――あれが、慧奴の生まれた場所。

彼の原点であり、《特別出生児わたしたち》全員の起源はじまりの地。

《イデノ》と言う名前には、【出づる野】の意味が込められていると聞いた事がある。如何にも創造性を感じさせる神秘的な名称だが、現在の正式な綴りが示す意図は、聖地として崇めようなどと言う崇高で信心深い精神などではない。

これは、【の手の中にある島】。

と言う】から生まれ出るのが、《特別出生児わたしたち》なのだ。

それ故にこの島は始原の揺籠なのであり、今でもその権威を保っている。外界を完全に遮断した異界の中で、秘密裏に神の子を生み出そうとする試行錯誤が続けられている。靄繕慧奴は、そんな禁忌を犯した人間達の手によって造られた、至高の芸術品の一つに過ぎない。

「見ての通り、異常な島だ。あそこで生み出された同朋は救われない」

冷めた目で故郷を見据えながら、彼は吐き捨てるように低い声で言った。

「だから、逃げ出したの?」

私は彼に尋ねた。

「あの島から逃げ出したんじゃない」

彼は言う。

「押し付けられていた期待を悉く裏切る為に、俺はあの島を出たんだ」

それが、非力で聡明な彼に出来た唯一の反抗だったのだ。

――だから慧奴は、社会に出る事を拒むのか。

ただの面倒臭がりだと侮っていた自分を、私は恥じた。

「もう気が済んだか?」

「うん」

私達は海の彼方に揺らぐ聖なる島に背を向けると、車の中へと戻った。運転手はその名の通りの働きにしか興味が無いらしく、車からは下りずに中でじっと待機していた。

「遠い所まで付き合ってくれて、ありがとうございます。翡葉さん」

「もう施設とは無関係の一般人の我儘を聞いてくれて、助かりました」

「慧奴は施設職員だから翡葉さんの同僚でしょ?」

「今月末までは無職の卒業生だろ」

後部座席の会話には不干渉を決め込み、翡葉さんは本日の宿泊先へ向かう為にエンジンを掛けて車を発進させる。

「そう言えば、施設まではどうやって通うの?」

「今運転している親切な先輩が送迎してくれる」

「翡葉さん……。大変ありがたいですけど、嫌な事があるなら、ちゃんと断った方が身の為ですよ?」

私は純粋に彼の身を案じて忠告したつもりだったが、この状況では説得力がまるで無い。私の進言通りに翡葉さんが今ここで私達を車から降ろしたら、途方に暮れるのはこちらの方だ。口を滑らせたかなと思って少し不安になり、運転手の横顔を覗き込んでみる。相変わらず表情に変化が無いので、何を思っているのかは分からない。だが、車を停止する素振りも見られないので、この未開の地に放り出される事はまずなさそうだ。

「靄繕」

唐突に開かれた彼の口が、低く厳めしい声で慧奴を呼んだ。

「早く自動車運転免許を取得しろ」

「善処します」

やっぱり、ちょっと迷惑だったらしい。

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