残暑の錠前たち
まだまだ残暑の季節だが、御錠口の集まっている部屋はどこかひんやりと落ち着いた心地いい空気だった。
そのためだろうか。普段はこの部屋に来たがらない紅衣も含め、御錠口の本役・助役が勢揃いしている。
「桜のとこの。初陣じゃあどうなることかと思っていたが……ま、最近はちゃんとやれてるみたいじゃないか」
こずえがいつものように、椿の錠前や藤の錠前と他愛もない話や娘どうしのことなどを話していると、ひょいとほうせんかの錠前である紅衣がやってきて声をかける。
常に荒んだような空気と歪んだ表情の彼女にしては珍しいことだった。今日は部屋が涼しいので、機嫌がいいのかもしれない。
「えぇ、おかげさまで。皆様にもよくしていただいているようですし」
紅衣にも座るよう促しながら、こずえもにこやかに彼女に応じる。
最初――初陣こそつまづくことになったが、その失敗が教訓になったのだろう。あれから凜花は他の錠前や娘たちともよく協力し、助け合いながら着実に成果を出せている。
散り時が早く、入れ替わりが激しいとされる程度には難しい桜の錠前――の娘として、凜花は立派なものだった。
「皆様、ねぇ……」
「そうそう。凜花は、よく『ほうせんかの錠前様』の話もしてくれますよ。私が居ないときでもよく気にかけてくれていると」
「はんっ、貴重な桜の錠前の人手をむやみに減らしたかないだけだよ。あんなでっかい図体で前に陣取られていると、こっちで味方撃ちしちまいそうだしさ」
口は悪いが、紅衣が凜花を気にかけてくれているのは確かなのだろう。
椿の陽代と藤の一羽も穏やかに微笑みながら、彼女の話を聞いている。
「あいつ、外出許可の日も近いんだろ。なんかこのそんなこと嬉しそうに話してたしさ」
「えぇ」
「ちゃんと小遣い、はずんでやりなね」
「えぇ、はいはい。わかっておりますよ」
娘の話ができるのは嬉しいことだ。ましてやそれが、他の人に気にかけてもらっていたり褒めてもらっていたりすると、さらに嬉しいものだ。
凜花のことを思うだけで、こずえの胸はふわりと柔らかく心地いい感情で満たされる
けれどその一方、やはりその胸の隅っこには鋭い針のような痛みがあるのだ。
本当にこれで良かったのかと。
彼女を市井に帰してやらなくてよかったのかと。
大奥で――こんな場所で剣の鍛錬をし、親子ごっこをし、アヤカシを屠るだけの人生を送らせてしまっていいのかと。
皮肉なことに、凜花への思いが深まれば深まるほどに、こずえの剣は冴え渡る。
強い思いから生まれたアヤカシを斬るためには、同じように強い思いこそ武器になるからだ。
あの子を、大切な凜花をこんな大奥の無慈悲な機構に組み込んでしまっていいのかと、迷い続けている。
――お母様。あなたもこんな思いをしていたんですか。
こずえは他愛ない話に興じながらも、先代桜の錠前――自分の『母』に問いかける。
――あなたも、こんなに苦しかったのですか。
答えは返ってこない。当たり前だ。死人は……もう何も言わないのだ。
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