振袖はらりと
肩にかけられた絹は、どこかひんやりとしていて、しっとりとした心地よい重み。
凜花は、ためしに少し腕を振ってみる。
長さ三尺にも届こうかという豪華な袖が、ふうわりと可憐に揺れた。
「凜花は背が高いですし、二尺九寸の振袖でよさそうですね」
「では、袖はこのまま。あとは裾丈をなるべく出しましょう」
こずえが縫い物を専門とする大奥女中と、凜花が試着している振袖をどう仕立て直すか相談をしていた。
凜花が初陣を迎えるにあたっての準備だ。
桜の錠前が代々、戦装束としているのは袖が長く大きな豪華な振袖。刀とともに、長い袂を派手に振ることで、アヤカシたちの目を惹きつける。また、最前線で戦うお役目なので、派手で華やかな見目のほうが味方の戦意も奮い立つというもの、らしい。
こずえのお下がりだという濃紅色の振袖を着せられたとき、ほぅっ……と凜花は甘やかなためいきをついた。
布地をたっぷりと使う振袖は、高価で贅沢なものだ。そして、このように袖が長く豪華な着物を着るというのは、家事をする必要が無いという、親の財力と……娘に対する愛情のあらわれでもあった。
家の財力はともかくとして、親の愛情をうけずに育った凜花には、振袖は縁の無いもの。そう思っていたのに、大奥に来たことでこんな振袖が着られるのだから、人生はどうなるかわからないものだ。
「凜花、その着物はどうです。重たくはないですか。この色は好きですか」
「とても軽くて羽のようです、こずえ様。それに色も素敵です」
「きっと凜花には綺麗で濃い色が似合うのね。こちらも羽織ってみてくださいな」
こずえがあまりにもとっかえひっかえ着物や反物を取り出してくるので、縫い物をする大奥女中たちも黄色い悲鳴をあげながら、どのように仕立てるか嬉しそうに、しかし真剣に話し合っている。
「帯はどういたしましょうか」
「そうですね……どんな結び方でもできるように、とりあえず長いものを見繕っておきましょう。凜花、何か好みはありますか」
「えっと。な、なんでもいいです。こずえ様が選んでくださるのなら」
その返事にこずえは少しだけ不満げではあったが、気を取り直して長尺の帯や、帯結びの補助に使うらしい紐の類を見繕いはじめた。
凜花は帯の結び方などいつも同じようなやりかただし、あんなに大きくて長いきらきらした帯なんて使ったこともない。
だけど、こずえが選んでくれるなら大丈夫だ。
――振袖は親の財力と、愛情のあらわれ。
ということは、もしかすると凜花にとって大奥での『親』であるこずえも、そのつもりで振袖や帯を選んでくれているのだろうか――凜花への愛情の深さをあらわすために。
そこまで夢想してしまい、凜花はぶんぶんと首を振る。縫い物女中がいぶかしんでいたようなので、すぐにちゃんと正面を向いた。
そんなことはない。
そんなことがあったとしても、こずえに甘えてはいけない。甘えられない。
凜花のような『赤鬼の娘』に愛情をかけてくれる人など、いないのだから。
だから、甘えてはいけない。
彼女のさしのべてくれる愛情にすがってしまっては、いけないのだ。
「凜花、今日はなんだかそわそわしているな」
宵との他愛も無いおしゃべりの最中、突然そんなことをいわれておもわずびくりとする。
夕暮れ時。彼女はいつもと同じように庭の見える廊下にぴしりと綺麗な正座をしていたが、その表情は不安そうだった。
「……もしお役目が忙しいのであれば、宵のことは構わずにそちらを優先してほしい。大奥女中のきまりごとは厳しいゆえ」
遠慮がちに、しかしはっきりとそう述べる彼女に、凜花は慌ててぶんぶんと首を振る。
「違うよ、大丈夫」
「違う、のか」
頷きを返しながら、凜花は宵を見つめる。
「実はね、私ももうすぐお役目に出させて貰えそうなの」
「凜花のお役目というと、御錠口の」
「そう。でも、まだまだ一人前ってわけじゃなくて、こずえ様……部屋親について回っていろいろ勉強しないといけないのだけど。でも自分にもできることがあるんだって、他の人に認めて貰えているような気がして。この大奥になら居場所があるような気がして嬉しくて」
思わず一気にそこまで喋ってしまってから、はっとなって口を閉じた。
急に黙りこくってしまったので、宵はつぶらな瞳をまんまるくしたり愛らしく小首を傾げたりしている。
口に出してみてわかったことがあった。
自分は――大奥のために何か役に立ちたいのだと。そうして、ここに居たいのだと。
「凜花?」
「あ……ごめんね、こっちばっかり喋っちゃって。なんだか私、ちょっと浮かれているみたいで」
「構わない。宵は凜花が話してくれるのが好きだ。……凜花の声が好きだ」
人形のように整った顔をほのかに赤らめて、宵はそう好意を伝えてくれる。
「あはは、ありがとうね」
それをなんでもない風を装いながら、彼女に頷きを返す。
あぁ。もしも。
自分も彼女のように白く華奢な体と、真っ直ぐに流れるつやつやの黒髪と、それに吸い込まれそうなほど暗く深い夜空のような黒い瞳であったなら。
そうあったのなら、こずえ様から寄せられる愛情も、喜多らから感じられる友情も、それに宵から向けられている親愛も――決して同情から来ているそれだと疑うことなく、すべてすべて真っ直ぐに受け止められるのだろうか。
「だから凜花」
だから私は。
「居場所が欲しければ宵がなる。だから、誰かの役に立つためにと焦らないで欲しい」
居場所が欲しい。自分が居いてもいいのだと認められたい。誰かの役に立ちたい。
「…………凜花?」
また、不安げな表情で覗き込まれる。
「ごめんごめん、ちょっとだけぼんやりしていたよ」
「そうか。凜花、今日はもう休んだ方がいい、疲れているのだ……きっと」
「うん、そうするよ」
立ち上がってみると、体に急に重みを感じる。今日一日の鍛錬の疲労が、ずしりとのしかかってきていた。宵の言うとおりで、気づかないうちに疲れがたまっていたのかもしれない。
「おやすみなさい、宵」
「あぁ。おやすみ、凜花……また今度」
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