母としての迷い



 こずえは障子戸を閉め、小さくため息をつく。

 部屋には、もう既に何人かの御錠口が集まっていた。まだ来ていないのはほうせんかの錠前、それに睡蓮とあじさいの錠前だ。


「桜の、どうかして?」

 椿の錠前である黒鉄陽代が、そのこずえの様子に声をかける。彼女はいつもと同じように、藤の錠前である紫島一羽と一緒だ。

「不安ごとがあると、体にも不調をきたしますよ。桜の錠前殿」

「そうですね……私自身の事ではないので、不安ごとといえるのかわかりませんが……初陣を控えている『娘』のことが、どうにも気がかりで」

 その言葉に、椿の錠前殿と藤の錠前殿は仲良く顔を見合わせる。

「桜の錠前殿の『娘』と言いますと、あの立派な体躯の。彼女は武具の扱いも素晴らしいものですよ」

「そうです。彼女は筋肉の付き方も、その使い方も、見事なものです。心配などいらないでしょう」

 そんな太鼓判にも、こずえは頭を軽く抱えて首を横に振る。

「だからこそです。あの娘は、あまりに恵まれた体や能力を持っています。……まるで、まるで、大奥でアヤカシと戦うために生まれたかのような娘です。だからこそ、私は不安になってしまうのです」

「というと」

「……あれが自らの力への慢心により、すぐに……『散る』のでは、と。私はそれが不安で仕方がないのです」

 錠前の中でも特に親しく、戦いにおいて背を預ける事も多い二人だからこそ、思い切ってこずえはその不安を口にした。

「そうなるぐらいでしたら、彼女が『散る』ぐらいなら、あれは市井に返してやった方が、あれにとっても幸せで、錠前の皆様の足を引っ張ることもないのかもしれない、と……」

 その時、がらりと障子戸が開く。入ってきたのは睡蓮の錠前、それにあじさいの錠前だ。

「それは無用の心配かと存じますよ」

「そうそ、それにさぁ、あんな娘が市井に戻って、まぁ命は無事かもしれないけどさぁ、人並みの幸せなんて得られるわけが無い。だからこそ拾ってあげたんでしょ、桜の錠前殿?」

 入ってきたばかりの睡蓮とあじさいが、口々に言う。

「はじめての『娘』を育てて、不安な気持ちもあるでしょう。ですが、その気持ちが、それこそが――」

「そうそ、私たち錠前がアヤカシどもを切れるのは、善きにつけ悪しきにつけ、そういう強い思いがあればこそ。いいことじゃない」


 強い思い。それこそが、錠前に必要なもの。アヤカシを屠ることができる唯一の手段。


 だからこそ、錠前達は大奥と言う場所で『娘』を持つことができる。親子ごっこができる。『娘』を守りたいと思う気持ち、『母』を助けたいと思う気持ち、そんな思いを強く持ち続けられるように、アヤカシを切ることができるように。


「……」

 こずえは、ぎゅっと着物の裾を握りしめる。

 そうしなければ気持ちのやり場が無いからだ。

 やはりあの娘は市井に返してやるべきなのだろう。恨まれるかもしれない、辛苦を極める生かもしれない。しかし、それでもあの娘のことを思うなら、それがきっと最上なのだろう。

 そして同時に、こずえは悲しくなった。

 彼女たちは、他の錠前達はもう何人も何人も『娘』を亡くしている。そうなってしまうと、慣れてしまうのだろうか。『娘』の死というものに。そうなると、もう『娘』のこともただのアヤカシを切るために必要なモノだとしか思えなくなるのだろうか。

 こずえは、そんなのは嫌だった。

 かつての桜の錠前――こずえの母が向けてくれた愛情は、そんな非情な、利用するためのものではなくて、もっとあたたかくてきらきらして、美しくて、優しくて、時に厳しいものだったから。


「私は、嫌です」

 震える声で、それでもこずえは宣言する。

「甘ちゃんだと言われても仕方が無いと思います。大奥を守るべき錠前にあるまじき行動であることもわかっています。ですが、私はあの娘を大切に思うからこそ、あの娘に暇を告げたいと――」

「こずえ」

 それまで会話に口を挟むことなく、部屋の奥で正座して目を伏せていた大奥御錠口本役・竜胆の錠前である巫剣雪緒が、ゆっくりとつぶやく。

「その言葉、懐かしいですね。かつてあなたの『お母様』も、同じこの部屋で同じ言葉をいっておりました」

「そんな……」

 そんなのは初耳だった。信じられないと一蹴することもできただろう。だけど、雪緒の目をみればわかる。まぎれもない真実だ。

「お母様が、私と同じ事を」

「えぇ。でも結局あなたを大奥から出せなかった。その時にはあなたへの思い入れが強すぎて、結局縁切りを言い出せなかったのよ。だからせめてあなたを守り通すことが、己に出来る唯一の愛情の示し方であり、贖罪でもあると」

 静かに雪緒が語るのは、こずえの知らない母の姿。こずえの知らない母の苦悩。こずえの知らない母の愛情。


「お母様……」


 目頭が熱い。涙がこぼれそうになるのを必死でこらえる。お弔いの時にあんなに泣いたのに、いつもあんなに泣いているのに、未だに涙は尽きてくれそうにない。

「こずえ。あなたの『娘』のことも、もう少し様子を見てもよいのではありませんか」

「……そんなこと」

「私の『娘』が、いつも嬉しそうに話をしてくれるのですよ。利発な子で、幼さに見合わないほど賢くてよく出来た子なのですが、最近は桜の部屋子のことを嬉しそうに話してくれるのです。……もう少しだけでも、様子を見てもよいのではありませんか」

 あの子が、他の部屋子と仲良くできている。

 考えたこともなかった。凜花が与える他の部屋子たちへの影響を。

 赤い髪、大男のような体躯、凄まじい膂力の若い娘。

 そんな娘だから、市井で暮らすのは冷ややかな目を向けられるだろう。だけどこの大奥でなら、彼女は誰かの役に立てる。誰かを癒やせる。誰かと仲良くなれる。不器用ながらもこずえを慕ってくれている。

 そんな凜花を手放すのは、こずえにとって本意ではないのだ。


「……そうですね、もう少し。もう少しだけ様子を見てみます」

 こずえは、涙を拭いながらそう言った。



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