花の錠前たち



 障子を細く開けると、少し向こうに御錠口達の使う鍛錬場を眺められる。

 こずえは、ほんのわずかな間だけ自分の部屋子の姿を探したが、視界には見当たらなかったので、障子を閉めることにした。


「あれぇ。見守らなくていいんだ。こずえは随分と薄情な『母』だなぁ」

 その様子を見ていたらしいほうせんかの錠前――織人おりと紅衣くれないは、まだ幼さを残す可愛らしいかんばせに皮肉げな笑みを浮かべた。


「……別に、私が見ていたところで、部屋子達の鍛錬の効率が変わるわけでもありませんので閉めただけですよ」

「はん。……すましやがって。アンタたちはほんと、度しがたいったらないよねぇ」

 それだけ言って、紅衣はとても不満げに赤い唇を歪ませる。

 そんな剣呑な二人に、雪緒が声をかけてきた。

「紅衣、こずえも。早くこちらへいらっしゃい。もう始めますよ」

 板張りの床の広間には、色とりどりの華やかな着物を着た数人の女が既に座っている。

 正面には、大奥御錠口本役である雪緒。

 それと向かい合う位置に、御錠口助役が七名。


「桜、椿、藤、つつじ、ほうせんか、睡蓮、あじさい。それに竜胆。ちゃんと八名、いつもどおりに揃っておりますね」


 雪緒がそれぞれの錠前一人一人の顔を確認し、小さく頷いた。

「では、まずはこの十日間のことを報告お願いします」

 つつじや睡蓮、あじさいの錠前が、特に変わったことはない旨を述べる。

 このときばかりは、ほうせんかの錠前である紅衣も、いかにも面倒くさそうな声音ではあるが「特に何もない」と形ばかりの報告はした。

 藤の錠前である紫島しじま一羽かずはが、『娘』の一人が不寝番の時に怪我をしたので少し休養させていると言い、椿の錠前である黒鉄くろがね陽代ひよは『娘』に新しい大刀をあつらえたいと申し出た。

 そして、最後に残ったのは……桜の錠前であるこずえだ。


「……先日、部屋子を一人雇い入れました。名は、由良崎凜花。私の……桜の錠前の『娘』として育てていく所存です」


 そう言って座ったまま周囲を見回し、それから小さく頭を下げた。

「あぁ、あの見事な体躯の女子おなごは、こずえ殿の『娘』でありましたか」

 つつじの錠前である、白地に赤い花の着物を着た女が頷きながら言う。彼女は凜花ほどではないが長身でしっかりとした体つきだ。

「うむうむ。あの女子であれば、きっと立派な桜の錠前に育ち、皆を、そして大奥を守ってくれることでしょう」

「おやおやまぁ。つつじの錠前殿はこーんなこと言っちゃあいるけど、さっきその子を見て、自分とこに引き抜きたいとかのたまってたからねぇ。母として油断してちゃダメだよぅ。ねー、桜の錠前殿」

 あじさいの錠前がくすくす笑いながらそんな忠告をくれたが、つつじの錠前は真っ直ぐに夢を見るような瞳のままだった。

「そりゃあそうだ。引き抜きたいに決まっているだろう。あれほどの長身と筋肉ならば、きっと素晴らしい騎馬武者姿になるであろうからな……」

 御錠口は錠前ごとに扱う武器は様々だ。だが、つつじの錠前は少しばかり変わっている。

 大奥にて飼育している馬に騎乗し、長槍を振るうのだ。――馬の飼育に関してだが、大奥では上級女中達は愛玩動物の飼育を認められているので、つつじの錠前が部屋子の分も含めて馬を管理している。

 確かに、そこらの武家の男よりも長身の凜花が馬にのったなら、まるで戦国のもののふのごとき勇姿となることだろう。

「どうであろうか、こずえ殿。今度試しにその女子をうちの馬たちと引き合わせてみては。今は乗り手がおらぬ馬が何頭かいるのでな」


「……そのへんにしときなよ、つつじの錠前殿」


 楽しげに語る声を遮ったのは、紅衣の冷たい声だった。

 いかにも不快そうに組んだ腕を小刻みに揺らしながら、彼女は部屋にいる錠前の一同をにらみつける。

「アンタら、新米の『母』をあまりからかうのは止めときな。こずえもこずえだよ。言わせっぱなしってどういうことだ。この甘ちゃんが。あの子はアンタがちゃんと『母』として守ってやんなきゃいけないんだよ。それをわかってないね」

 そう吐き捨てて、そして、どすんどすんとわざと行儀悪く音をさせて立ち上がり、彼女はさっさと部屋から立ち去ろうとする。


「紅衣、お待ちなさい!」

「誰が待つものか。もう報告も終わったんだよ。アンタらの茶飲み話に付き合えっていうのかよ。冗談じゃない。アタシは仲良しごっこまでするつもりはないんだよ」

 雪緒が引き留めようとするも、紅衣は障子戸に手をかける。


「どんなに体が大きくたってねぇ、所詮は小娘なんだ。アレもどうせすぐに死ぬ。ワタシの母様がそうだったみたいに――ッ……こずえの母様もそうだったみたいにッ、どうぜすぐ死んでいくんだ。ここはそういうトコなんだよ!」


 今にも泣きだしそうな顔をした紅衣の言葉に続いて、まるで雷鳴を思わせるような障子戸を閉める音が響いた。


「紅衣……」

 雪緒は、普段は厳しいのに、紅衣にだけは強く出られない。だから、彼女を止めもしないし表面上しか咎めることはしない。


 それに……紅衣の言うことは、ここではまぎれもない真実であるから。

 だから、こずえも含めてこの部屋にいる誰も、彼女を止めることはしなかった。




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