花、色とりどり



 しとやかな――しかし、きっぱりとした声が、剣呑な空気の二人の間に割って入ってくる。


 その声の主は、青紫色の着物を一分の隙も無く着込み、黒髪を一筋の乱れもないほどきっちりと髷を結った女性だった。

 彼女は、きっと吊り上げた厳しい瞳で紅衣という女性と、そして凜花を見つめて、こう言った。


「紅衣。他の御錠口おじょうぐち部屋子へやこに妙な真似はおよしなさい!」

「なぁんだ。雪緒ゆきおかよ。妙な真似とはなんだい。ワタシはね、こんなところに来ちまった哀れな小娘のためを思って、忠告をしてやろうとしてるだけだよぉ。それがそんなに咎められるようなことなのかい?」

「あなたはまたそのようなことを。それでも、ほうせんかの錠前を預かる御錠口なのですか。あなたの『お母様』が今のあなたを見てどんなに悲しむことでしょうね」


 その言葉を浴びせられて、飄々としていた紅衣がさっと顔色を変える。

 ……ゆらりと、殺気めいた怒気さえ放たれているのがわかった。きっと、彼女にとって、それは触れられたくないこと……なのだろう。


「……アンタが……アンタらが守れなかったんだろ。守れなかったくせに、よくもそんなことを――もういい。もういい。どうせ、いつかワタシも死ぬんだ。でもその時には、一匹でも多く道連れにしてやる。それだけだ。もう行く!」


 紅衣がそう言い捨ててふらりとどこかへ立ち去るその背中を、しっかりと見届けて、青紫の色を一分の隙無く纏った女性――雪緒という名前のようだが――が深く深くため息をつく。それから、ようやくこちらに向き直った。

「あぁ、あなた。今日から桜の――いえ、こずえの部屋子になるひと、ということで間違いないでしょうか?」

 しとやかな声でそう問いかけられて、凜花は慌てて懐から文を取り出して見せた。

 その文には、由良崎凜花を大奥おおおく御錠口おじょうぐち助役じょやく・朱保志こずえの部屋方として雇用するという旨が書かれ、末尾にはこずえともう一人、御錠口本役だというお方の名前がある。

 ――御錠口本役の名前は、巫剣みるつぎ雪緒ゆきお

「確かに。これは間違いなく私の字ですね」

 御錠口本役たる雪緒は微笑みかけながら畳んだ文を返してくれる。

「こちらをずっといって突き当たりを右。桜の描かれたふすまが、こずえの部屋です。今日からあなたが仕えることになる部屋ですね。けれど今、こずえは留守にしているようですし…………では、そうですね、私の部屋子や年齢の近い娘らを向かわせますので、彼女らにいろいろと聞くのがよいでしょう」

 凜花は雪緒に深々を頭を下げ、礼を言う。

 そして、言われたとおりにに廊下を進んでいった。


 だが、そこから見える異様とも言える光景に思わず足が止まる。


「刀に、槍に……あれはもしかして火縄……なんでこんなところに」


 廊下から見える庭で、女性達が各々武器の鍛錬をしている。

 穏やかならざる光景だが、それだけならまだ武家としては、当然のことなのだろう。しかし、彼女たちの背後に用意されている大量の武具。今が戦国の世だったなら、あれだけで城の三つや四つは陥落させられるだろうと思えるほどの量だった。

 ここが天下の中枢たる江戸のお城だとしても、なぜ女たちの住んでいる大奥にこんなにも武器が――


「それはもちろん、大奥ここは将軍様やそのご世継ぎを守る場所ですもの」


 しばし足を止めて考え込んでいると、不意に声をかけられる。振り向けば、凜花と同じぐらいの年の頃だろう少女が三人いた。


 一人は、南蛮渡来の眼鏡と呼ばれる珍しい器具をつけた、穏やかそうな少女。

 一人は、濡れたような黒髪が美しく、つんと鼻筋通った少女。

 一人は、小柄で、生真面目さと利発さを感じる輝きを瞳に宿した少女。


「御錠口本役様に呼ばれたのですが、お部屋にまだ見えなかったものですから。喜多きたの言う通り、ここに来て正解でしたね。私は水無瀬みなせ千恵ちえ。藤の錠前の娘です」

 眼鏡をかけた少女がふんわりとした声でそう名乗る。

帯刀たてわき久深くみ。椿の錠前の娘でしてよ」

 見上げるように凜花を見つめながらそう言ったのは、つんとした鼻筋の整った顔立ちの少女。

「私は喜多きた大原おおはら喜多きたと言います。竜胆の錠前の娘です」

 他の少女よりもさらに二つか三つは年若いだろう小柄な少女が、ぺこりと頭を下げながら丁寧な挨拶をしてくれる。


「その、えっと、由良崎凜花……です。今日から、朱保志こずえ様の部屋子としておつとめをさせていただくことになりました」

 凜花もあわてて頭を下げながら、慣れぬ自己紹介というものをする。


「あ、あの、藤とか椿とか……それに……あの……『娘』というのは」

「大奥御錠口は本役が一名、助役が七名いらっしゃいまして、皆様は花の名前を役職名としておられるのです。藤、椿、ほうせんか、つつじ、睡蓮、あじさい、桜、それと竜胆」

 すらすらとよどみなく、喜多がそんな説明をする。

「それに加えて、私たちのような御錠口の部屋子が『娘』として、お母様方を支えておりまして――」

「あのぅ……。その、部屋子のことは『娘』と呼んでいるのですか?」

「はい。そうですね。ですが『母』と『娘』の関係が成り立つのは大奥の数多い役職の中でも御錠口だけなのです。見ての通りで、御錠口のお母様方は文字通り身命を捧げ大奥をお守りしているががゆえの特権なのです」


 喜多がずらりと並んだ武具を眺めながら、よどみなく述べる。年の割に落ち着いている彼女とは対照的に、凜花の心は平静ではいられなかった。


「守るって一体何から?」

「もちろん、アヤカシから、です」


 三人娘が賑やかに教えてくれるところによると――江戸はもともと悪しき気が集まりやすい土地で、そういった所に人の欲望や強い思いがあると、アヤカシという人ならざるモノが生まれるのだという。悪しき気から生まれたアヤカシは夜の闇に紛れて人に害なし、ときに死に至らしめることもある。そして、大奥は将軍様や御台所様、お世継ぎ様方の眠りを守るため、かの賢女『春日局』により作られた場であり、御錠口は大奥の警備をするのがつとめなのだと。


「己を鍛え、大奥と仲間を、大切なものを守り閉ざす。それが私達というわけなのよ」

「もう。それって、久深ちゃんの『お母様』がよく言ってる言葉じゃないですか」

 いかにも得意げに久深が言うと、千恵がおおらかに笑う。

 命をかけてアヤカシから大奥を守るという話を恐れず、むしろ誇りとしているような様子だった。


「あの、アヤカシと戦うって、そんなものと一体どうやって……」

「アヤカシは強い思いから生まれるモノです。そんなアヤカシを斬るには、強い思いを研ぎ澄ませて武具にのせて叩きつける必要がある。人の思いから生まれたモノを、人の思いによって殺すのです」


 次第にぐらぐらしてきたのは、普段はあまり耳にしない年若い少女たちの甲高い声が間近にあるからなのか、それとも淡々とこんな説明をする喜多や、大奥という場所への恐ろしさからなのか。それとも、もっともっと他の要因からだろうか。


「あぁ、桜のふすまの部屋ですよ。ここですね」

 いつの間にか、こずえの部屋だという桜が描かれたふすまの前まで来ていた。ここが今日から凜花が住まい、仕える部屋だ。

「それでは結構話し込んでしまいましたし、私達はこれで。……今日からよろしくお願いします、凜花さん」


 小さくお辞儀する喜多に、少しだけ迷いつつも凜花はかぶりっぱなしだった古い頭巾を外し、三人娘に軽く頭を下げる。


 彼女らは少しだけ驚いた様子だったが、誰も凛花の赤い髪や奇妙な瞳のことなど言わず、賑やかに挨拶をして、着物の袖をひるがえしながら去って行く。


 その様子は、まるで色とりどりの花が舞い飛んでいくかのようだった。



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