ぬいぐるみの湯
歩弥丸
山野温泉 ぬいぐるみの湯
昼間この温泉地の外れをぶらぶらしてから戻ってきて、予約していた『山野温泉もやい湯』という宿にチェックインした。
――床の間にぬいぐるみがいた。白くてふわふわしてそうな毛につつまれた、熊のようなそうでもないような、どこかのショッピングセンターで売っていたようなぬいぐるみだった。
「ごゆっくりお過ごしください」
と言って下がろうとする女将を呼び止めた。
「いや、ぬいぐるみですよね?」
普通床の間には掛け軸とか花瓶とかそういうのを置くものじゃ無かったのか。
「ええ、息子の思いつきでねえ。かわいい物でも置いておけば若い方のウケがいいんじゃないか、って言ってたんですよ」
しみじみと女将は言う。
それにしては、僕が見た範囲では、予約サイトでもクチコミサイトでもそんなことは書かれていなかった。
「ウリにしたいのなら、写真とかネットに上げた方がいいんじゃないですか?」
「あら――考えもしなかったわ。何しろ言い出した息子は事故でもう――」
つらそうな女将の顔を見ているとこちらもつらくなるので。
「……それは失礼しました」
頭を下げた。
「いいんですよ、ごめんなさいね。良かったらお客様がぬいぐるみの写真を撮って……いんすた?……とかに載せてくださってもいいのよ」
「考えておきます」
さすがにインスタ映えを狙うのならぬいぐるみのチョイスから考え直した方がいい気はするが、息子さんの思い出でもあるのだろうから、そこは言わないことにした。
まずは汗を流そうと、浴場に向かった。大きなホテルではないので大浴場という規模ではないのだけど、予約サイトではなかなか雰囲気のよい露天風呂の写真が載っていたので、そこそこワクワクしながら行ったのだった。
――更衣室の棚の上に、ぬいぐるみがいた。先ほどのものとは違う、ベージュ色の短い毛に包まれた、猫のようなそうでもないような丸いぬいぐるみだ。
「いや、黴びるだろ、それ」
とは思うものの、別にそこにぬいぐるみが居たからといってどうというほどのことでもないので、普通に露天風呂を使う。
ぬるめの炭酸泉だ。気持ちはいいし、山の景色も色づいていい感じなのだけど、晩秋に入るには少しぬるかったかも知れない。
湯からあがって夕食をいただく。そうはいっても女将の持ってきた膳をいただくだけで、一人旅なので誰と一緒に食べるわけでもない。ああいや、――熊のぬいぐるみと目が合うと言えば合う。
「寂しさが紛れる、ってわけでもないよなあ」
食事自体は、鱒や山菜、きのこ、猪肉など『山の幸!』という感じの素材で揃えた和の逸品。お値段を考えると充分だった。
古い温泉地なので、ということか分からないけど、飲み屋があるというので、女将に断りを入れて外出した。石畳を鳴らしながら歩く。
それにしても、古びて雰囲気がいい、と言えば聞こえはいいが、在来線とコミュニティバスを都合4~5時間乗り継がないと着かない温泉だ。何か派手な遊び場があるわけでもない。よく飲み屋が続いてるな、とは思う。
小さな飲み屋の暖簾をくぐる。
「いらっしゃい。初めてかい?」
初老の主人が素早く反応する。他の客はいない。まあ、平日だしな、と自分を納得させる。
「ええまあ。ちょっと旅行に」
「どちらから?」
「F県から」
「それはまあはるばる。折角だからこの土地の酒はどうだい」
「いただきましょう。何があります?」
「そうだねえ、日本酒だと『東の関』『蛇殺し』、焼酎だと『三階屋根』『ぬるぽ』……」
酒瓶の棚を振り返って数える主人の頭の上を見ると――そこにぬいぐるみが鎮座していた。また別の、山椒魚だかとかげだかの、青いぬいぐるみだ。
「ご主人、あのぬいぐるみは? ひょっとして『もやい湯』の?」
「お客さん『もやい湯』にお泊まりで? ――ええ、あそこの若旦那が持ち込んだんですよ。『山野温泉全体でぬいぐるみを置いておけば、若い人にアピールできる』って熱心に言うし、金はもやい湯で持つっていうから」
「あ、酒は『東の関』熱燗で。取りあえずねぎま串3本」
「あいよ。――ただね、こうやってぬいぐるみを置いたのはいいけど、若旦那が事故で亡くなっちゃって。このぬいぐるみをどうアピールに『使って』いくのか、なんてことは多分若旦那しか考えて無かったからね、あそこの女将も私らも困ってるんだわ。まあ、そうは言っても若旦那の思い出でもあるから、どうにも片付ける気にもならなくてねえ」
夜が進み少し肌寒い。ほろ酔い気分で宿に戻る。
――よく見たら、玄関にもぬいぐるみが居た。こげ茶色の……なんだこれ? とにかくふわふわした丸いぬいぐるみだ。
「そういや若旦那が亡くなったっていうけど、いつごろの話なんだ?」
布団に入る前にふと思い立って、スマホで検索してみた(さすが温泉地、山でも携帯の電波は届く)。『山野温泉 もやい湯 若旦那 事故』。若旦那は当時30歳。一年ほど前のローカル紙の見出しが引っかかった。車で駅に向かってる途中、前日からの雨で濡れていた路肩から誤って崖下に転落した、とかなんとか。有料記事で全文は見られなかったけど、それだけ知れれば充分だろう。
『事故』を検索語から抜くと、若旦那が時々ローカル紙や地方局の取材を受けているらしいことが分かってきた。トレッキングの企画とか、写真撮影会の企画とか、とにかく田舎の山あいの温泉をどう盛り上げようかもがいている、という感じの印象だ。
「――で、アイデアと行動力はあった若者を、この温泉は突然失った、と」
だったらこのぬいぐるみは一体何のアイデアだったんだろうか? インスタ映え・ツイッター映えというには市販のありふれたぬいぐるみではパンチが足りない気がする。
ふと、画像検索に切り替えてみた。若旦那の人なつっこそうな笑顔、もやい湯の室内、露天風呂、山野温泉の石畳、売店、公衆温泉、…………ぬいぐるみ。
ぬいぐるみ?
おそらくは取材写真の一枚。若旦那の肩からかけたバッグに、小さなぬいぐるみがぶら下げてあった。緑色の丸いぬいぐるみだ。河童だろうか。
その写真のリンク元には特にぬいぐるみの話など載っていなかったから、別に宣伝のつもりで付けていたわけではないのだろう。だとしたら結局。
「若旦那がぬいぐるみ好きなだけかよ!!」
呆れて布団に潜った僕を、熊のぬいぐるみがずっと見ていた。
ぬいぐるみの湯 歩弥丸 @hmmr03
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