第2話 こんなはずじゃなかったけど
「次を左……」
生徒会室を出て、屋上を目指す。この高校はいくつかの校舎が連なってできており、そのそれぞれに屋上が存在する。しかし、電子ロック式なのは本校舎の屋上だけだ。1年の頃、どうにか静かな屋上で昼寝ができないものかと全ての屋上扉前へ足を運んだ時についた知識がここで役に立った。怠惰なことに使うつもりの知識が、こんなことに活かされるのは誠に遺憾だが。
しかし、運の悪いことに、生徒会室は東校舎2Fのかなり奥まったところにあり、5階建ての本校舎の屋上までは少し距離があった。ワックスがけ直後のツルツルと滑る廊下に苦戦しながら、足に力を入れて走る。卒業式のおかげで今日は午前のみで授業はなく、校舎にはほとんど人がいない。それだけは良かった。遠慮のない猛ダッシュで渡り廊下を渡り、本校舎の3Fに着いた。あとは階段を上るだけだ。
「さすがは次期生徒会長、と言ったところね」
「あ、もうそういうのいいです」
「えっ」
3Fと4Fの間の踊り場に足をかけたとき、前から長い髪をポニーテールにした女子生徒がゆっくりと階段を下りてくるのが見えた。こういうのどこかで見たことある。また学校漫画あるあるが始まってしまった。しかし今は王道展開にかまっている場合ではない。俺の荷物が!日本史Bのノートが!
「ちょ、ちょっと待ちなさい篠崎隼人!」
「待たない日本史Bとスマホがめちゃくちゃになる」
「生徒会のこれからだけではなく、日本史Bの行く末までその手に握っていると言うの……?」
もう否定することさえ面倒だが、息を切らしながら階段を駆け上がる俺に、女子生徒は涼しい顔で着いてくる。ん……?この顔……どこかで……。
「お気づきのようね。私は陸上部エース、
「いや俺は狙ってない」
そうか。同じ2年の北園さん。確か走るのめちゃくちゃ速い人だ。月曜の朝行われる全校朝会で、何度か表彰されているのをみたことがあるからなんとなく覚えていたんだ。確か、全国大会でも入賞していたような。スラッとしたクールな美人のイメージだったが、まさかこんな性格の人だとは思わなかった。走りながらすごい喋ってるし。
「あなたもやはりあのテディベアに興味があったのね」
「ないです」
「でもね、家政科の私としては、あれは絶対手に入れたいの!生徒会長という面倒な役職を与えられたとしてもね!」
全然人の話聞いてないけど、北園さんも家政科なんだ……なんかこの学校意外な人が家政科に入ってるな……。家政科所属の陸上部エースってあんまり聞かないような気がする。というか生徒会長人気ないな。
「そんなにすごいのかそのぬいぐるみ」
「知らないの!?さすがは普通科初の生徒会長と噂される男……そんなものに興味はないってことね」
俺そんな噂されてるの?嫌なんだが。普通科初ってことは歴代生徒会長は全員家政科なのか?あれ?この学校って家政科が有名なんだっけ?普通科ってそんな埼玉県みたいな扱いなの?俺ってもしかして、普通科の権利をかけて走ってるのか?今。こんなアホみたいなことで代表にされるの嫌なんだが。
「あのぬいぐるみはね、毎年家政科で一番優秀な生徒、つまり生徒会長が1年かけて作り上げる、縫製もデザインもそして素材も完璧なテディベアなの。家政科なら一度は触れてみたい完璧なぬいぐるみなのよ」
「へえ……」
「正直ぬいぐるみがほしいだけだから生徒会の秘宝とかいう宝石はいらないわ」
「正直に言いすぎだろ」
「生徒会テディちゃんは私のものよ!」
屋上へ続く扉が見えてきたところで、北園さんがぐっと俺を押しのけて前へ出る。相当な数の階段を駆け上がったせいか、もう足はガクガク息は切れ切れ。体育会系の部活と比べたら、所詮帰宅部の体力なんてこんなもんだ。というか、嵐山さんが言ってたぬいぐるみの名前、正式名称だったのか。疲れでくらくらする頭で、前を行く北園さんを見上げる。すぐ近くにいるはずなのに、やけに遠くに見えた。
北園さんの細い手で、ギィ、と電子ロック式のくせに錆びたドアが開く音がする。まだ雨は降っていない。
やっと扉の前に着き、膝に両手をついて息をしていると、北園さんが勝ち誇った顔でぬいぐるみと俺の鞄を抱えて扉の前に立っていた。
「情けないわね篠崎隼人。この勝負私の勝ちよ」
「だから、勝負はしてないって……」
上がった息を整えながら体勢を起こすと、北園さんが扉の枠に手をついたまま笑った。
「ちょっと物足りないけどまあいいわ。テディちゃんも手に入ったし、任命権も手に入れたしね」
「任命権?」
「知らないの?この学校の生徒会役員の任命は、生徒会長に一任されてるのよ。任命された方は基本的に拒否権はないから、仲の良い人を任命することが多いみたいだけど」
ああ、だから選挙とかやった記憶がないのか。生徒会長が誰なのか知らないのも、それならば納得がいく。おそらく、家政科の中では有名なのだろうが、普通科で生徒会長を知る者はいないだろう。というより、毎回生徒会長が次の生徒会長を決めているのだから、そりゃ全員家政科になるだろ。くまのぬいぐるみ作らなきゃいけないらしいし。
なるどな、と納得していると、顔の前に紫色のくまのぬいぐるみがどアップであらわれた。近くで見ると、趣味悪いなこのぬいぐるみ。そのぬいぐるみにアテレコするように、後ろから北園さんが得意げに話し出す。
「私が生徒会長になったら、あなたは絶対に任命しないわ」
邪魔者は排除するのみよ、と満面の笑みを向け、俺の横を通り抜けようとするその手が完全に下におりきる前に、細い手首を掴む。北園さんは、突然の出来事に目を丸くしていた。
「ちょっと、なに……」
「それは困る」
腕を軽く握ったまま、扉と階段の踊り場の境目に立つ北園さんの肩をトン、と押す。完全に油断していた彼女は、バランスを崩して片足を屋上へと踏み入れた。そのまま俺は前へ進み、彼女を自分の体で柔らかく押すようにして屋上へと体を滑り込ませた。後ろで静かに扉が閉まる。腕に着けた時計を見る。時刻は11時59分。3、2、1……
ガチャン!
「え?」
驚く北園さんの目の前、つまり俺の背後で、電子ロックが閉まる音がした。試しに後ろ手でドアノブを回してみたが、ガチャガチャ音を立てるだけで開く気配はない。屋上から出る術は基本的にこの扉しかないので、飛び降りでもしなければここから出ることはできないだろう。
「なんで……」
空は曇天。さっき見たときより更に分厚い雲がかかり、今にも雨が降りそうだ。北園さんは、心底驚いた顔をしたまま俺を見上げている。掴んだままの手首はそのまま、反対の手にぶら下がった趣味の悪いくまのぬいぐるみを奪う。思ったより簡単に手に入ったそれを、強く握った。
「ちょっと!返して!生徒会長もぬいぐるみも興味ないんでしょ?」
「ああ、ないね」
「じゃあどうして……」
「任命権が欲しい」
「は?」
「生徒会長になったら、生徒会役員を任命できるんだろ?そして拒否権はない」
「まあ、そうね」
「俺は北園さんを副会長に任命する」
「はあ!?」
ぽつぽつと、雨が降ってきた。灰色のコンクリートにまだらに跡ができる。北園さんの紺色のブレザーにも雨が落ちて、次第に色を変えていった。
「どうして私なの?意味がわからない」
「あ、このぬいぐるみは北園さんにあげるよ。俺いらないし。生徒会長権限」
「それはいるけど……そうじゃなくて!」
「好きになったから」
「……え?」
「北園さんのこと好きになったから、一緒に生徒会やってほしい」
雨はどんどん強くなる。この屋上に屋根はないので、俺の鞄もくまのぬいぐるみも、容赦なく濡れた。もちろん、呆然とする北園さんと、おそらく自分史上一番大胆でわがままでめちゃくちゃなことを言い放った俺も、頭からずぶ濡れだ。
少しの沈黙があった後、北園さんが顔を上げて俺の目を見る。前髪が雨で額に張り付いているが、それを払うことはしない。何か言いたそうにしているが、恥ずかしいのか目を合わせてはそらし、合わせてはそらして口をパクパクと動かしている。そんなところも可愛くて、笑ってしまう。
「ちょっと違うかもしれないけど、これが一目ぼれか」
「なに言ってんの!?」
卒業式の日、こんなわけのわからない事態に巻き込まれて、無理やり生徒会長にされそうになって、階段駆け上がってずぶ濡れになって。最後はいらないぬいぐるみを自分の意志で手に入れて告白するという本当にわけのわからないオチだが、なんだか笑えた。
何度か朝礼で見た憧れのポニーテール美人を性格含めてまるごと好きになり、生徒会長就任。学校新聞の見出しにするにしてもなんともアホな理由だが、まあせっかくの高校生活。怠惰以外のことをしてもばちは当たらないだろう。
鞄の中でぐしゃぐしゃになっているであろう日本史Bのノートを頭の片隅に追いやりながら、よく見ると雨をはじく素材でできたくまのぬいぐるみを真っ赤な顔の好きな女の子に押し付けた。
決してぬいぐるみの為じゃない 蔵 @kura_18
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