トモちゃん
お盆が過ぎると、一気に秋っぽい気配が漂いはじめる。ひいじいちゃんたちも帰っちゃったし、夏休みももう終わりに近い。
おれが道端ですれ違うヒトたちもだんだん減っていったんだけど、ユウコさんはやっぱり旧校舎にいた。橋の子は夏祭りに連れてってもらって満足したのか、あのあと自分の家に帰ったとユウコさんは教えてくれた。これからは、毎年迎え火と一緒に親のところへ帰るんだろう。
でもユウコさん自身のことやトモちゃんの行方は、まだ分からないままだった。
「ユウコさん、トモちゃんと一緒に都会から疎開してきたんじゃないかって、ひいじいちゃんが言ってたよ」
といつもの集まりでおれはみんなに言った。
「そういう兄弟が大勢いたんだって……兄弟で疎開してきて、親がそばにいなかったから、ユウコさんがトモちゃんの親代わりになってたんじゃないかって。だから自分のことを忘れちゃってもトモちゃんのことは覚えてるんじゃないかな? 」
「疎開ねえ」
ユウコさんは腕を組んで考えた。
「そうねえ……そうかもしれない……」
「僕、もしかしたらって思うことがあるんだけど」
と大夢が手を上げた。
「あのさ、こないだそこの道路を見たとき、ユウコさんびっくりしてたでしょ? 」
「見たことあるのと違う景色だったからだろ? 」
と勝。大夢は頷いた。
「そう。でも、車がたくさん走ってること自体には別に驚いてなかったよね? チョコバナナを見たときみたいに、こんなの見たことない! みたいな感じじゃなかった。つまり……」
「……ユウコさんが、もともと車がたくさん走ってるところを見慣れてたかもってこと? 」
おれが言うと、大夢はビシッとおれを指差した。
「そう! 七十何年前に車がたくさん走ってるところなんて、都会くらいしかない。ユウコさんはもともと都会の人で、タッちゃんのひいじいちゃんが言うように、トモちゃんと疎開してきたんじゃないかな? ……で、旧校舎の辺りで、死んじゃった」
「この辺りって、空襲はなかったってモトチョーは言ってたよな」
勝が水筒の氷をカランカラン振りながら言った。
「食べるものだって都会に比べたらマシだった、みたいなこと言ってたし」
大夢は社会科の授業中みたいに言った。
「地方は農業が盛んだし、山に入れば食べられるものもあるからね。木の実や野草、きのこ、大昔の人はどんぐりだって食べてたし、あと、最悪木の根っことか」
「木の根っこぉ? 」
勝は浮かない顔をしたけど、大夢は涼しい顔で言った。
「にんじんもジャガイモもレンコンもごぼうも大根も、みんな根っこだよ。僕らが食べてるのは、葉っぱや実のとこだけじゃないんだ」
「それはいいけどよ……そんなだったのに、ユウコさんはどうして死んじゃったんだ? 車も大して通ってなかったんなら、交通事故ってわけでもないんだろ? 」
おれたちはユウコさんに注目した。ユウコさんは目をつぶって、何かを思い出そうとしているみたいだった。
「そう……わたし、大きな通りに面した、町なかの家に住んでいたの。でも近くの町が空襲されるようになったから、わたしたちも――みんなで、疎開、してきたんだわ」
ユウコさんはおれたちには見えない景色を目で追った。
「そうそう……この辺りに、親戚のおじさんが畑を持っていたの。だから家に置いてもらう代わりに、みんなで仕事を手伝っていたのよ」
「みんなって、ユウコさんとトモちゃん? 」
大夢が不思議そうに聞いた。
「みんなってことは、もっとたくさん人がいたの? 」
「そう。わたし、五人兄弟だったの」
ユウコさんはきらきらした目で頷いた。
「そうだわ。わたしが長女で……トモちゃんが、末っ子で……。トモちゃんが母さんから離れるのを嫌がったから、カブト虫がたくさんいるからって言って……」
えっ、カブト虫? ……
「あのさ……」
おれは、前にも似たような話を誰かに聞いたような気がした――カブト虫がたくさん採れる山の方へ。その人も、確かにそう言っていた。東京の生まれだけど、兄弟みんなで、親戚の家に疎開してきた。戦争が終わったとき、まだ学校にも上がってなくて……。
「トモちゃんって、もしかして――」
「やあ、君たち……」
おれが全部言い終える前に、声をかけてきた人がいた。
モトチョーだ。でも、なんだか様子がおかしい。顔が真っ赤になって、足元がふらふらしている。
「……モトチョー? 」
大夢が心配そうに声をかけた。
「大丈夫ですか? 」
モトチョーは「ああ」とか「うう」とか返事みたいなものをしていたけど、よく聞こえなかった――そして次の瞬間、突然その場に倒れてしまったんだ。
びっくりしたなんてもんじゃない、目の前で人が倒れるなんて、おれたちはみんな見たことがなかった。おれなんか、一瞬何が起きてるのか分からなかった――モトチョーが冗談で倒れたフリをしてるんだろうか、なんて、ちょっと思ったくらいだ。
だけど、いつまで経ってもモトチョーは動かなかった。おれたちが固まってたのは、多分ほんの数秒のことだったんだと思う。でもそのときは、それだけの時間がものすごく長く感じた。
「……おれ、先生呼んでくる! 」
こういうとき、勝ほど頼りになるやつはいない。勝の声におれたちがようやくはっと我に返ったときには、弾丸みたいに飛び出していったアイツの背中が校舎の影に消えるところだった。
「多分、熱中症だ」
冷静になった大夢ほど、心強いやつもいない。大夢は自分が持ってたペットボトル(中身を凍らせたやつ)をモトチョーの首のところへ当てた。
「太い血管を冷やすと、体温が下がるんだ」
大夢は辺りを見回して、木陰ができている場所を指差した。
「日陰に移動した方がいい……向こうの、木のところまで」
そのとき校庭にはおれたちの他にサッカーをしに来てるやつらがいて、おれが呼ぶと、みんな来てくれた。おれたちはみんなでぐったりしてるモトチョーを木陰に動かして、水道で冷やしてきたタオルをおでこに乗っけたり、何とか風を送ろうとシャツを振り回したりして頑張った。
どのくらいそうしてたんだろう――モトチョーは唸りながら、薄く目を開いた。そして、その目がまっすぐにユウコさんを……みんなの後ろからモトチョーを覗き込む、ユウコさんを見たんだ。
モトチョーは目をまん丸く開いて、どこにそんな力が残ってたのか、突然ガバッと起き上がった――驚いて動きを止めたおれたちには目もくれず、ユウコさんを見つめて、ボロボロ泣きはじめたんだ。そして、まるで小さい子どもみたいな口調で、叫んだ。
「……
ユウコさんは、はっとモトチョーを見た。モトチョーは泣きながらユウコさんに言った。
「姉ちゃん……姉ちゃん、ごめんなあ! 」
「……トモちゃんなの? 」
ユウコさんは何かを探し出そうとするかのように、モトチョーの顔を穴が開くほど見つめた。そして、モトチョーの左目の近くに目を留めた。おれも初めて気づいたんだけど、ユウコさんが見ていたところにはホクロがあったんだ。
「あんた、トモちゃんなの? 」
モトチョーは首をブンブン振って頷いた。大夢たちは何が起きてるのか分からなくて、黙ってモトチョーを見てる――おれは説明したかったけど、何も言えなかった。
ユウコさんはモトチョーに近づいて、目線を合わせた。橋の子に話しかけたときみたいな、優しい仕草だった。
「トモちゃん。……もう、お腹空いてないの」
モトチョーは頷いた。おれと同じで、言葉は何も出てこないみたいだった。
「もう、怖いことないの」
モトチョーはまた何度も頷いた。
ユウコさんは、にっこり笑った。おれは、人がこんなにも、本当に心からほっとしたような笑顔を浮かべるのを見たのは初めてだった。
「そう、よかった」
ユウコさんはモトチョーの頭をなでた。ちょうどそのとき、勝が先生たちを連れて大急ぎで戻ってくるのが見えた。遠くから、救急車のサイレンも近づいてくる。
モトチョーは結局また倒れてしまって、救急車で運ばれていった。救急隊員の人は、大丈夫だよと言ってくれた。よかった、間に合ったんだ。
「おまえら、よくやったな! お手柄だぞ! 」
って、先生たちはおれたちを褒めてくれた。
「ねえタッちゃん、あのさ……」
大夢だけが、何か聞きたそうにしている。おれは勝も混ぜて、モトチョーとユウコさんのことを話そうとした。
おれたちが探していた〈トモちゃん〉は、モトチョーだった。ユウコさんは、多分本当は〈豊子さん〉で、モトチョーたち五人兄弟の長女だったんだ。
でも、どうしてモトチョーはユウコさんに「姉ちゃん、ごめん」なんて謝ったりしたんだろう。おれはユウコさんにも詳しく話してもらおうと思って振り向いたけど、ユウコさんはもうそこにはいなかった。
※
それから、何日かが経った。モトチョーは大夢の言ったとおり熱中症だったらしく、歳が歳だからちょっと入院したけど、無事に退院したらしい。
おれたちは、近所中でちょっとした英雄みたいに扱われた。子どもだけだったのに、倒れた大人を介抱して命を助けたって、そこそこ大きな話題になったんだ。先生を呼びに行ったのは勝だし、熱中症だと気づいたのは大夢だし、他のやつらもいたおかげでモトチョーは助かったんだけど、ばあちゃんなんか感動して泣いちゃって、
「辰彦は立派だ! 立派な子たちだ! 」
って言うもんだから恥ずかしかった。
そこでみんなと一緒になってめでたしめでたしで終わればよかったんだけど、おれたち三人はそういうわけにもいかなかった。あれ以来、旧校舎に集まってもユウコさんとは一度も会えなかったんだ。
〈トモちゃん〉が無事だったって分かって、安心してそのまま成仏しちゃったんだろうか? まあ、ユウコさんが浮かばれたんだったらそれはそれでいいことなんだけど、というか、もともとユウコさんを助けるのがおれたちの目的だったんだから目標達成したわけなんだけど、おれたちとしてはまだ全部が解決した気分にはなれなくて、やっぱり三人で集まってはあーだこーだ話し合っていた。
「まさか、モトチョーがトモちゃんだったとはなあ」
勝はもう何度めか分からない言葉を呟いた。勝はモトチョーが泣いたところをひとりだけ見ていない。だから、おれが説明してもちょっと信じられないみたいだった。
「だってよ、なんかすげえ小っちゃい子どものことみたいに話してたじゃんか……モトチョーのイメージと、違うよなあ」
「すげえ小っちゃいって、七十年も前の話だからね」
と大夢。
「ユウコさんだって、僕らよりちょっと年上くらいだってタッちゃんは言ってたけど、本当は九十歳くらいのはずなんだから」
「分かってるんだけどさあ」
勝はがりがり頭をかいた。おれも、気持ちは分かる……おれはユウコさんの姿を見てたから、正直言うと、橋でおれを引っ張ろうとしたあの子がトモちゃんなんじゃないかって、ちょっとだけ思ってたんだ。親が供養を続けてるみたいだったし、ありえないんだけどね。
「モトチョー謝ってたね。あれ、ユウコさんに言ってたんでしょ? 」
大夢がぽつりと言った。おれは頷いた。モトチョーは、確かにユウコさんと話をしていた――ユウコさんのことが見えてたんだ。イヤな言い方だけど、あのときのモトチョーはかなりヤバい状態で、ほとんど死にかけてたんだと思う。でもそのおかげで姉さんと会えたってことになるから、よかったのかな? でも、だったらどうしてあんなに、泣きながら謝ったりしたんだろう? でも、でも……。
ここから先は、おれたちだけじゃどうにも真相に辿り着けそうになかった。結局、モトチョーに会えたらそのときに聞いてみよう、ってところで話が終わってしまう。ただ、あんなにボロ泣きするくらいだ。モトチョーにとっては話したくないことかもしれなかった。
チャンスは、向こうからやって来た。毎日飽きもせず同じことをぐるぐる話し合い、頭を悩ませていたおれたちのところに、モトチョーが来てくれたんだ。
「やあ、君たち」
モトチョーはにこにこして、倒れたのなんて嘘みたいに元気そうだった。おれたちに向かってきちんと帽子を取って、モトチョーは言った。
「この間は、本当にどうもありがとう……君たちのおかげで、早く退院できたんだ。急にあんなことになって、驚いただろう」
モトチョーは、おれたち三人を自分の家に招待してくれた。本当はサッカーの連中もいればよかったんだけど、あいにく今日校庭に居合わせたのはおれたちだけだった。モトチョーは残念そうにしながらスイカを切ってくれたんだけど、話を聞きたかったおれたちとしては好都合だった。
「あの、モトチョー。聞きたいことがあるんです」
勝と大夢につっつかれて、おれはおずおず切り出した。モトチョーはおれにスイカを渡してくれながら、おっ、という顔をした。
「どんなことかな? 」
「この間、姉ちゃんごめんな、って言ってましたよね……おれ、あれがどうしても気になって……」
我ながら、変な質問だと思う。熱中症で倒れた人のうわ言を気にして本人に確認するなんて、普通そんなことしないだろ。モトチョーはおれたちがユウコさんと一緒になって〈トモちゃん〉を探してたなんて知らないから、おかしなことを聞く子だな、くらいに思われても仕方なかった。
でも、モトチョーは不思議そうな顔をするでもなく、ちょっと照れたみたいにはにかんだだけだった。
「ああ……大の大人が泣いたんで、びっくりしただろう。いや、わたしには姉がいたんだがね……わたしは五人兄弟の末っ子なんだが、その一番上の姉が――もうずっと前に亡くなってしまったんだが。あのとき、目の前に立っていたんだ。……熱中症でぼんやりして、幻でも見たんだろうがね」
ウッソだあ、なんておれたちに言われるかもしれないとモトチョーが思っているのが、おれには分かった。自分の目で見たものが現実離れしすぎて、自分自身では信じられるけど他人には信じてもらえないなんて、おれにもよくあることだったから。死んだ人間は目に見えないし、話なんかできるわけない。そう思ってるやつが大半だから。
もしかしたら、モトチョー自身も姉さんに会ったことをうまく信じられないのかもしれなかった――モトチョーはおれと違ってもともとユウコさんが見えてたわけじゃないし、「会いたいと思っていたから幻覚でそう見えたんだ」とかなんとか、大人ってすぐそういうヘリクツを思いつくからな。
だから、おれは言ってやった。
「幻じゃないです。モトチョー、お姉さんと会ったんです」
「……えっ? 」
「トモちゃんもうお腹空いてないの、って言ってましたよね」
モトチョーは、何にも言えずにおれをじっと見た。そして、信じたいけどどうしたらいいのか分からない、みたいな顔をした。
「モトチョー。タッちゃんは、霊感があるんだ」
「そうです。本当なんです」
勝たちが、すかさず援護射撃を入れる。大夢が説明してくれた。
「僕ら、旧校舎でモトチョーのお姉さんと知り合ったんです……〈旧校舎のユーレイ〉って、僕らの間で有名な話で。そしたら、弟の〈トモちゃん〉がどうしたか分からなくて、心配だって――だけど自分のことを全部忘れちゃって、何も分からないって言うから、僕らでずっと〈トモちゃん〉を探してたんです」
「そうか。………そんなことが、あったのか」
モトチョーはおれたちが知ってるはずのない〈トモちゃん〉のことを話し出したことで、もう信じるしかないと思ってくれたらしい。モトチョーだって、本当は信じたかったんだ。あのとき、二度と会えないと思っていた姉さんと話ができたんだって。自分の言葉で、謝れたんだって。
「トモちゃんって、モトチョーの名前なのか? 」
勝がスイカをかじりながら聞いた。モトチョーは静かに笑った。
「そう……今じゃめったにそうは呼ばれないが、わたしの名前は〈
そして、モトチョーは話してくれた。おれたちが知りたかった、七十年前に何があったのかを。
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