第39話 惑星シヴァーの最後

「こりゃ東京電力も真っ青だな」


 紺碧こんぺきの空が広がるユピテルでその一箇所、ゼウスの上空だけはバチバチと稲光を蓄えたドス黒い雷雲が覆っていた。その雷雲からジグザグの稲妻がゼウスに絶え間なく降り注いでいる。


「あれ、壊れないの? ゼウス」


 陽葵が数キロ先にあるゼウスを指差して神宮寺に聞いたが「知らん」とそっけない答えだけが返ってきた。石井は船内にいて大した説明も受けないまま現在に至る。結局、三日間ほど落雷は続くと、役割を終えた黒雲は散り散りに解散して真っ青な空だけがユピテルの上空に残された。


「やっと終わった」


 自宅の窓から空を見上げて陽葵が呟くと、次の瞬間には青空が遮られ薄暗い日影で辺り一面が覆われた。陽葵が視線を上げるとゼウスが自宅の真上でホバリングしている。中央部分が開かれると石井と優也がゆっくりと降りてきて地面に着地した。


「おわったでえ、ぎょーさん蓄電できたわ」


 右手を軽く上げて石井がリビングに入ってきた、どこか爽やかな。やり遂げたような表情に陽葵は微かな違和感を感じる。


「予備のバッテリーまで満タンや、いつでも銀玉でも金玉でも来いっちゅうねん」


「正確な数字を教えてくれ、次の惑星までの燃料を残してリミッター解除した雷帝は何発撃てる?」


 神宮寺は白衣のポケットからタバコを取り出して火を付けた。


「せやな、十五発ってとこやな」


 神宮寺は数秒何か考える仕草をした後に「十分だな」と呟いた。


「みんな、集合や。これからの作戦を説明したる」


 石井が声をかけると陽葵、春翔、神宮寺、美玲、優也の五人はリビング中央のテーブルに集まった。いつの間にか美玲は全員分のコーヒーを準備してテーブルに並べている。


「おおきに、まずは優也のおかげで大幅にエネルギーを確保する事ができたんや、褒めたってくれ」


 全員から拍手喝采が起こると優也は頬を染めて下を向いた。


「銀玉が現れる場所は分かっとる、先回りして待ち伏せや、なんも知らんと出てきた所を迎撃、瞬殺したる。銀玉が何発くるかは分からんが恐らく二発から三発と予測される。そのまま次の惑星に向かうとしようや、まったく効果なしと分かれば敵も諦めるやろ」


 石井が五人の顔を順番に確かめる、異論がない事を確認すると続けた。


「出発は三日後、それまでに各自準備をしとくんやで」


「はーい」


 緊張感のかけらも無い陽葵の返事に石井は目を細めて微笑んだ。その慈愛に満ちた表情はなぜか陽葵を不安にさせる。そして嫌な予感がした、もうこれで終わりのような。最後の別れのような――。


 出発前日、陽葵は石井の部屋に呼び出された。曖昧な憂慮が解消しないまま扉を開くと春翔と優也がソファに腰掛けていた。春翔がすぐに気がついて「陽葵ちゃん」と右手を上げた。


「おっそ! 陽葵おっそ!」


 トイレから出てきた石井の声が背後から聞こえて振り向いた。


「女子は何かと準備が必要なの」


「何いうとんねん、化粧っ気ない顔して」


「うっさい、いま美玲さんに習ってるんだから」


「ほうか、そりゃええ。セクシーにしてもらい」


 石井はミニ冷蔵庫からオレンジジュースを取り出して陽葵に手渡した。あいも変わらず子供扱い、まあ飲むけど。陽葵はキャップを開けて口を付けた。


「で、どうしたの急に」


「惑星シヴァーも最後やしな、若い衆と話したかってん、飲んでええか?」


「うん」


 石井は缶ビールのプルタブを引くと一口飲んだ。


「春翔」


「はい!」


「どや? 宇宙の果て、その研究は進んどるか?」


「はい、日々新しい発見はありますが、解明できない事が多いです」


「前に水槽の中におるメダカの話をしたな、覚えとるか?」


「はい! 水槽の中が宇宙で、その果てには別の世界が広がっている。無理に水槽から飛び出そうとすると排除される」


「せや、もしも宇宙の果てに別の世界、未知の住人がいるとする、どないしたい?」


「その世界に行ってみたいです!」


「向こうが拒否したら?」


「お願いしてみます」


「そりゃええ考えや!」


 石井はビールを一気に飲み干して陽葵を見つめた。


「陽葵と春翔は同じ時代に生まれたんやったな?」


「うん」


「どんな事があってもお互いを信頼して生きるんや、喧嘩したらあかんで」


 春翔と喧嘩? 陽葵はまるで想像できない未来を思いながら返事した。


「うん、もちろん」


「はい」


「この世界にはどうにもならん事もあるかも知れん、せやけどな……。自分ら三人が協力すればどんな困難にも立ち向かえるはずや。たとえそれが未知の、干渉できない場所だとしてもや」


 石井は冷蔵庫から二本目のビールを取り出した。


「優也」


「ん?」


「お前の力は人の為に使うもんやで。沢山の人を助けたってくれや」


「うん、頑張る」


「ああ、そしたら陽葵も振り向いてくれるかも知れへんで」


「ちょっ! 父さん!」


「え? 優也くん、私のこと……」


 陽葵は両手で顔を覆うと上目遣いで優也を見つめた。


「いやっ! 違うんです! 陽葵さんには春翔さんがいるし!」


「三角関係やん! やるな陽葵! 春翔もぼっとしとると取られてまうで」


「え、いや、僕はその……」


「やだー。どっちにしようかなぁ」


「そんな、陽葵ちゃん」


「バァーバッハ! 若いってええなあ」


 豪快に笑う石井を見て陽葵は少し安堵した。自分の嫌な予感がただの気のせいだと確信したわけじゃなかったが、これからもずっとこうやって笑い合いながらみんなで旅を続けていきたいな、そんな風に願った。切に。




 惑星シヴァー最後の日、陽葵は目が覚めるといつものように洗面所で顔を洗い歯を磨いた。カーテンを開けて陽光を浴びると、この星での思い出が走馬灯のように思い出された。出会いと別れ、きっとまたこの星に帰ってこよう。陽葵は一人決意した。


 リビングにはすでにみんな集まり出発の準備をしていた。準備と言ってもゼウスにはすでに必要なものを積み込んであるのであとは乗り込むだけだ。陽葵は十四年に渡りお世話になった家の壁に触れて「またね」と呟いた。


「ほな行くで!」


 ゼウスはすでに自宅上空で待機していた。庭に六人が集合するとフッと体が軽くなりゼウス船内に吸い込まれた。


「わし二日酔いやねん、銀玉が出てくる場所に着くまで寝とるから、それまで起こさんといてな」


船内に入るとすぐに石井は部屋にこもってしまった、昨日は遅くまで飲んでいたので陽葵はなんの疑いもなくその後ろ姿を見送った。


「私もちょっと具合が……」


 美玲もその後に続いたのをみて陽葵は察した、邪魔したら悪いわね。一人で妄想してニヤけると司令室に向かう神宮寺たちを追いかけた。


 司令室に到着するとさっそく神宮寺が目的地を指示する。


『かしこまりました。到着までおよそ380時間を予定しております』


 約二週間の旅、久しぶりのゼウスは思いのほか快適であっという間に時間は過ぎた。その間、一度も司令室に顔を見せない石井と美玲を「ずいぶんお盛んだな」と神宮寺が揶揄していたが、特にみな気にすることも無かった。


 永遠に近い時間を生きる陽葵たちにとって二週間という時間はほんの一瞬に感じられた。そして目的地到着寸前でゼウスの警報が鳴り響いた。十四年前に聞いた時には恐ろしくて陽葵たちを震え上がらせたその警報も、来ると分かっているメンバーには目覚まし時計程度の不快感でしかなかった。


 その瞬間までは――。


『緊急事態! 緊急事態! 飛行物体が出現、飛行スピード及び角度換算により惑星シヴァーに衝突します 緊急事態! 緊急事態!』


 ちょうど就寝中の時間帯もあって陽葵はあくびをかみ殺しながらノロノロと司令室に入った、すでに神宮寺と春翔、優也の姿がある。


「ゼウス、飛行物体の解析は?」


『こちらはすでに解析済みです、以前惑星シヴァーに向けられて発射された物と同型です』


「じゃあ雷帝で破壊可能だな?」


『可能です、破壊しますか?』


「ああ、チャチャっとやってくれ」


『かしこまりました、いくつ破壊しますか?』


 ゼウスの問いに神宮寺は顔をしかめた。


「いくつって、全部だ。銀玉は何個ある?」


『現在確認できる数は868個ですが、次々に増えています、1000を超えました』


「1000……だと」


 神宮寺が咥えようとしていたタバコが口元から落ちた、陽葵ですらその数が絶望的な数字だと理解できて司令室は無音になった。


「いっくん呼んでくる!」


 すぐに覚醒した陽葵は石井の部屋に走った、嫌な予感が背後から追いかけてくる。それを振り払うかのように陽葵は全力で走り部屋にたどり着くと勢いよく扉を開けた。が、そこには誰もいなかった。それどころか、誰かがいた形跡すらない。メイキングされたベッド、テーブルの上の灰皿には吸い殻一本残されていない。陽葵はバクバクと心音が大きくなるのを感じながら石井の部屋を飛び出して、すぐ隣にある美玲の部屋に入った。しかし、部屋の中は先ほどと同様に人がいた形跡はまるで無かった。

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