第38話 優也の使命

「あれ? ここは……」

 不安そうに辺りをキョロキョロと確認する優也を美玲は抱きしめた。


「美玲さん?」


「うん、うん。ゆっくりで良いから、無理に思い出さなくて良いいよ」


 優也が自らの正体を思い出した時、再び絶望して自殺を試みるかも知れない。そんな石井の心配も美玲は「私がずっと側にいるから」と言って優也を200年の眠りから目覚めさせた。石井もまた美玲がいれば、という期待があった。


 まだ幼い年齢のせいか優也の記憶は安定しなかった。それでも美玲と石井の事を直ぐに思い出せるのは、それだけ二人から深い愛情を注がれたからに他ならない。


 三人は再びユピテルに住居を構え生活を始めた、比較的年齢の近い陽葵と春翔は優也の良き理解者となりすぐに打ち解けた。あまりに強いストレスとなる過去の出来事を、人間は記憶に蓋をして思い出せなくなる事がある。『解離性健忘症』と呼ばれる症状は優也にも現れ、眠りから目覚めて数年経っても辛い過去を思い出す事は無かった。


 それはつまりポセイドンとしての能力も失われた事を意味し、純粋無垢な普通の少年として穏やかな日々を過ごせた。陽葵たちは引き続きユピテルで亡くなった人たちの細胞を探したが、美玲に続く奇跡がおきることは無かった。


 そうして銀色の悪魔が襲来してから十四年が過ぎた。それぞれの想いが錯綜する中でユピテルは未曾有の危機を再び迎えようとしていた。



「お前たちに話しとかなあかん事がある」


 石井にゼウスの司令室に集められた陽葵、春翔、神宮寺、美玲、優也の五人は円卓に座り真剣な表情で話し出した石井に注目していた。


「どーしたのいっくん?」


「十四年前に襲撃してきた銀の玉が、またこの星に向かってきとる」


 石井の言葉に息を呑んだ陽葵と美玲だったが、神宮寺と春翔は驚いた様子もなく優也はただ混乱していた。


「だろうな、失敗して直ぐに諦めるなら最初から攻撃なんてしてこないだろう」


「せやねん、ほいでその攻撃が来るのはもうボチボチやと思う」


「え、またあの銀玉が向かってきてるの?」


「そんな事はある程度予想していた、何か問題があるのか?」


 陽葵を遮って神宮寺は石井に問いかけた。


「問題だらけやねん……」


「この星には悪いが脱出するしか手はないだろう、また軌道をずらしても同じ事を繰り返すだけだ」


「この星から逃げても次の惑星に到着したら、また撃ってくるで、そしたらまた逃げるんか?」


 石井の言葉には、また見ず知らずの惑星を消滅に追い込むのか、と言う無言のメッセージが込められていた。神宮寺も何も反論することが出来ない。


「まあ、そんな深刻な顔しなくても平気や、わしを誰や思とんねん」


 石井は円卓に並ぶ面々の顔を眺めながら自信満々に続けた。


「十四年間ぼっとしてたわけちゃうねん! 前回の銀玉を解析してどれくらいの強度、スピード、出力。丸裸にしたった。さらに雷帝の改良、これで撃破できるはずや」


「雷帝の改良だと?」


「リミッターの解除と省エネや。今のフルパワーの雷帝なら計算上、銀玉を一撃で破壊できるはずや。さらに一発のエネルギー量も今までの半分以下に抑えられる、おそらく敵は前回一発で仕留められんかったから同時に数発撃ってくるやろ。そいつら撃ち落としても次の惑星にはギリギリ辿り着ける」


「ほう」


「どのみち惑星シヴァーに滞在するのもあと少しや、旅立つ前にしっかりと目に焼きつけとき」


「次はどこに向かうの?」


 陽葵の問いに神宮寺が答えた。


「次は惑星カルコスだ」





 皆が寝静まったころ、石井はゼウス最深部にある牢屋に向かっていた。目的は当然あの男に会うためだが、出来れば最悪の事態を迎える前に対策を講じたかったと考えながら石井は長い廊下を歩いた。


 牢屋の中では相変わらず同じ姿勢で読者をする不知火が座っていた。この男はいつ寝ているのだろうか、そんな疑問が石井の頭によぎるが雑談をしにきたわけじゃない、すぐ本題に入った。


「そろそろ来る頃かと思っていました」


「ふんっ、来たくて来たんとちゃうわ」


 軽口を叩いた後に石井は続けた。

「どうしてもエネルギーが足らんねん、銀玉はおそらく破壊できる、しかし三発も撃てば燃料はすっからかんや」


 石井は先ほど陽葵たちに嘘を付いていた、雷帝の出力アップには確かに成功した、計算上は破壊もできる。しかし、その使用エネルギーは膨大で満タン燃料のおよそ三分の一を使わなければならない。つまり一発放てば次の星に向かう事は不可能だった。


「いつの時代もエネルギー不足には悩まされますねえ、困ったものです。無限に湧いてくれば良いのですが……」


「なにか、ええ案ないか?」


 苦肉の策だった、しかし陽葵たちに心配をかけずに問題を解決するには、もはや贅沢は言えない。石井は追い込まれていた。


「落雷による電気エネルギーはおよそ200億kWです。はるか昔からその膨大なエネルギーを利用しようと世界各国が研究してきました」


 不知火はチラッと石井を見た、なにも発言しないのを確認すると不敵な笑みを浮かべて続けた。


「しかしいつ、どこで落ちるか分からない落雷を安定して享受する事は不可能。ほとんどの国は諦めました、ほとんどの国は……」


 石井はまっすぐに不知火を睨みつける、不知火はその視線を受け流してさらに続けた。


「わたしの国がかつてエネルギー大国だったのはご存知ですね?」


「ああ」


「その理由は?」


「予測はついとる」


「だったら、何を躊躇っているのですか? いや、あなたはとっくに気がついていた。なのにわざわざ私に意見を求めにくる、その意味は……」


 黙り込む石井に不知火はつまらなそうにため息を吐いた。


「ポセイドンを使えば良いんですよ」


 それだけ言うと不知火は手元の本に視線を落とした、これ以上の会話を拒否するように。投げやりに。


 石井は静かに牢屋を後にした。




 ――なぜわざわざ私に意見を?


 図星だった、石井はとうにポセイドンが持つ能力、天変地異の落雷があればエネルギー問題が一気に解決すると理解していた。しかし、それには再び優也がつらい過去の記憶を呼び戻さなければならない、自殺をはかるほどの辛く悲しい過去を。


 普通の人間として歩み出した優也に、神の名を持つ兵器『ポセイドン』に戻れなどと石井は言えなかった、考えたくもなかった。だから不知火を利用した、あの男ならばすぐに答えにたどり着く、自分は考えもしなかった恐ろしい案、そう想いたかった。責任転嫁、偽善者、結局自分はポセイドンを復活させるのだ。もうそれしか方法はない。だったら優也と向き合おう。そう決意するとその足で優也の部屋に向かった。


 優也はまだ眠りについていなかった、部屋を訪れた石井に「珍しいね」と、はにかんだ笑顔を向けると立ち上がりミニキッチンで珈琲を入れ始めた。その後ろ姿は様になっている。見た目は確かに幼いが生きた年数はかなり長いのだろう。子供扱いしてきた事を石井は申し訳なく感じた。


「眠れないの?」


 そう言った優也に石井は頭を下げた。


「優也の力を貸してくれへんか?」


「いいよ、僕にできることなら何でもするよ」


 石井は顔を上げて優也の顔を見た。あどけない顔にアンバランスな、真剣な瞳がこちらを見つめていた。そこで石井は悩んだ、果たしてそんな簡単に記憶が戻るのだろうか。昔の話をすれば思い出すのだろうか。天才科学者の石井も専門外の分野にはお手上げだった。そんな事を思案していると優也が呟いた。


「ポセイドンの力が必要なんでしょ?」


 石井はハッとして顔を上げる。優也は変わらず穏やかな表情のままだった。


「優也……。記憶が」


「最近なんだ、すべてを思い出したのは」


「大丈夫なんか?」


「すごく落ち込んだ、なんで僕にはこんな力があるのか。たくさんの人が犠牲になった。僕は生きていていい人間じゃない……」


「そんなことないで!」


「うん、この星でいろんな人に出会えた。陽葵さんや春翔さんと細胞の採掘したり、神宮寺さんの研究を見せてもらったり。僕のせいで亡くなった人たちを復活させるためにみんな頑張ってる、だから」


 少しだけ溜めて優也は続けた。

「僕もいつまでもいじけてないで、自分にできる事をしたいんだ」


 石井は優也の頭をポンポンと優しく撫でた、本当は抱きしめたかったが迷惑だと思われたくない、中学生の息子を持つ父親のような事を考えて目頭が熱くなった。


「父さん……」


「え?」


「父さんて呼んでもいいかな?」


 今度は優也の華奢な体を引き寄せて思い切り抱きしめた。


「当たり前やんか」


 もう少しだけ――。あともう少しだけ。頬を伝う涙が乾くまで、もう少し。

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