第34話 四次元の住人

「これは珍しいお客さんですね」


 石井が訪れると不知火は読んでいた本を閉じて顔を上げた。椅子に座り牢屋の真ん中で優雅に佇む様は気品すら感じられる。


「なんの不満もないんか?」


「不満……? ですか」


「ずーっと、こんなけったいな場所に閉じ込められとったら嫌なるやろ」


 石井は辺りを見渡した。壁に立てかけてあるパイプ椅子を見つけると、開いて鉄格子の前に置き、不知火と向き合うように座った。


「不満なんてありませんよ、三食昼寝付き。好きな本も用位してくれる破格の厚待遇です。それよりその姿は?」


「お前に頼みがあんねん、本当の姿を見せるんは最低限の敬意を示しとる証や思てくれ」


「それは光栄です」


 白髪頭に口髭をたくわえた石井はポケットからタバコを取り出して火を付けた。


「どう思う?」


「察しがいい方だと自負していますが、流石にそれだけでは何のことか分かりませんね」


「未確認飛行物体や。自分もゼウスの警報聞いたんやろ」


「ああ……」


「ああやないで、それ聞いて木村にポセイドン発動させようとしたんと違うんかい!」


「どうなりましたか? なにせ情報がなくて。報告がないところを見ると失敗したようですが」


「ボケが! 未然に防いだったわ」


 石井が勢いよく立ち上がるとパイプ椅子が後ろに倒れた。その後、すぐに自然災害によりユピテルが崩壊した事を石井は伏せた。


「そうですか……」


「なにがしたかったんや?」


「いえ、ユピテルはもう必要ないかと思いまして」


 石井は倒れたパイプ椅子を元に戻して座り直した。


「自分の言うとる事はよう分からんわ、未確認飛行物体の正体は地球外の知的生命体や、攻撃してきよった」


「攻撃?」


 石井は未確認飛行物体の形状や、それがもたらす惑星シヴァーのダメージを詳しく説明した。不知火は興味深そうに「なるほど」と呟いた。


「わしは戦争に関しては素人や、敵が攻撃を防がれたら次はどんな行動に出る?」


「なぜ、わたしに?」


とぼけるなや、軍神とまで言われた参謀やろ」


「懐かしい呼び名ですね」


「ほいで、どうやねん」


 石井は二本目のタバコに火をつけた。不知火は顎に手を当てると口元を隠した、嘘をつく時に人間が良くする癖だったが石井は不知火の言葉を待った。


「暗黒森林論ですか」


「せやな、しかしほんまに人間以上に高度な文明を持っとる惑星があるとは思わなんだ」


「ほとんどの学者は地球外生命体の存在を肯定していましたが」


「わしもその一人や、しかし机上の理論と現実は解離しとんねん」


「なるほど、そのあたりは私たちの仕事とは違いますね、机上の作戦を完璧に遂行させなければこちらが全滅してしまいます」


 不知火は足を組み直して続けた。


「ワインをいただけませんか?」


「なんやて」


「久しぶりに会話をしたら飲みたくなりました」


 石井は「チッ」と舌打ちした後にゼウスに命じてワインを用意させた。不知火は人型ロボットからワインボトルとグラスを受け取ると赤い液体をワイングラスに注ぎ口に含んだ。


「必ずまた攻撃してきます、正確にはすでに発動されているでしょう。前回よりも規模を拡大させて」


「お前ならそうするか?」


「いや、私なら相手をもっと観察します。善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ。孫子の兵法ですね。あくまで人類同士の戦闘に限りますが」


「どうしたらええ?」


 不知火は立ち上がると椅子の周りをゆっくりと歩き出した。それが熟考する時の癖だと知っていた石井は黙って見守る。


「ゼウスの雷帝でも撃ち落とせないなら逃げるしかありませんね、幸いスピードはコチラが上回る、しかし」


「しかし、なんやねん」


「どこまでも追いかけて来るでしょうね、敵は相当臆病なようです。確実に駆除するまでは攻撃をやめないでしょう」


 つまり、惑星シヴァーから逃げ出して次の星に辿り着いても敵は再び銀色の玉を撃ち込んでくる。避けて逃げるたびに惑星が消滅していく。石井は自分の予感が不知火と一致した事に絶望した。


「相手の位置は分かりますか?」


「分からんねん、ブラックホールを利用したワープを使うとるから軌道から割り出すことは不可能や」


 石井は虚偽の回答をした。実はブラックホールでの瞬間移動には法則がある。闇雲にA地点からB地点に移動するわけじゃなく見えない航空路が存在するのだ。そしてその計算式を石井は既に解析していた。


「揃いすぎたのかも知れませんね……」


「なんて?」


 ボソリと呟いた不知火の言葉の意味が理解できずに石井は聞き返した。


「揃いすぎたのですよ――。神々はそれを恐れています」


「なんのことやねん」


「コペルニクス、ダ・ヴィンチ、ニュートン、アインシュタイン。時代時代であまりに都合よく天才が現れると思いませんか? 私は軍事指揮を取っていたので奇跡を信じません、まず疑ってかかります」


「わしが生まれたんは偶然ちゃう言いたいんか?」


「ただの推論ですよ。しかし彼ら天才がもたらす天啓は人類を大きく前進させてきたことは揺るぎない事実です」


「誰が、なんの目的でそない面倒なことしとんねん!」


 石井が声を荒げると不知火はゆっくりと天井を指差した。


「目的は分かりませんがね、しかしその存在はもう疑いようがないでしょう。もっともこちらから介入する事は不可能だと思いますが」


「次元か?」


「ええ、三次元の我々が四次元に干渉する事はできません。逆はやりたい放題ですが」


 石井は不知火が言う高次元の存在を兼ねてから認めていた。では『次元』とは一体何なんなのか。一次元は直線の世界。二次元は平面で縦と横の世界、つまりイラストやアニメ。三次元はそれに高さを加えた立体的な世界。人類が存在する空間は三次元だった。


 例えば二次元の世界に命を吹き込むとする。画用紙に描かれた人間が二人で会話をしている、その二人の間に鉛筆で線をひいてみる。三次元から見れば二人のイラストの間に棒が加わっただけだが二次元の住人、つまり画用紙の中にいる人間は突然目の前に巨大な壁が現れて相手が見えなくなってしまったと認識するだろう。


 しかし二次元の人間は三次元に介入する事は出来ない。何が起きたのか理解する事もなく画用紙の中の二人は混乱するだけだ。線を消しゴムで消してみる、二人は再び出会えた奇跡に感動して涙を流しながら抱き合った。


 高次元には介入できない。この定説に疑う余地はなく石井もまたその存在に好奇心を刺激されつつも諦めていた。


「何のために陽葵たちを狙うんや?」


「先程も言いましたが、突然変異で現れる天才の役割は文明の進展、つまり彼らは三次元の世界が高度な文明になる事を望んでいると考えられます」


「なんでやねん」


「分かりません、しかしこの説には少し矛盾があります。あなたの誕生です」


「わしの?」


「その昔、あなたが確立した相対性理論は飛躍的に文明を発展させる手助けとなりました、が」


 不知火は喉を潤すようにワイングラスを傾けた。


「結果的にその理論は文明を一定の場所までは導きましたが、その先には絶対にたどり着けない、言わばミスリードであったと解明されました。もっともそれを解明したのもあなた自身でしたが……」


「派閥でもあるっちゅうんかい、政治家じゃあるまいし」


「ええ、三次元の文明を発展させたくない、もしくはされたら困る四次元の住人が稀代の天才アルベルト・アインシュタインを送り込んだと仮定すると矛盾は無くなります」


「冗談やないで、そんな知らん奴らの派閥争いに巻き込まれてたまるかっちゅうねん、それと揃いすぎたってのはなんのこっちゃ」


「基本的に一時代に一人の使者を彼らは送り込んでいるように感じます、あまりに使者が増えると不都合があるのでしょう。それなのに、今この惑星には四次元の介入。ギフトを受け取った人間が五人もいる」


「はぁ! その与太話を信用するとして一人はわしやな、後はだれやねん」


 不知火はグラスのワインを空にしてから答えた。


「ポセイドン、陽葵、春翔、私の四人です」


 天才的な頭脳を持つ自分や春翔、特殊な能力で自然すら操る優也。妙な力で人心掌握をする不知火はともかくアホの陽葵まで高次元の影響を受けているのは不思議だった。もちろん不知火の予見全てを鵜呑みにした訳じゃないが、現時点でかなりの信憑性があると言わざるを得ない。


「陽葵はただのアホとちゃうんか……」


「頭脳だけがギフトとは限りませんよ。しかし、本来であれば同じ時代を生きる事は無かった我々が一堂に介してしまった、それで四次元の住人に何か不都合が生じるのかは知りませんが、急いで消しにきたってとこじゃありませんかね。もちろんその敵の惑星に存在する知的生命体も四次元の介入を受けての行動と推察できます」


「なんやねん、ほなそいつらの自由にわしらは操作されとるだけやんけ」


「全てとは言いませんか導かれてるのは確かでしょう」



 



 石井はユピテルの自宅に戻り不知火の言葉を反芻はんすうした。銀色の玉で攻撃してきた惑星の次なる行動に対する不知火の仮説は石井の考えと殆ど変わらなかったが、四次元の住人に対する解釈は驚くべき答えだった。


 自分自身が高次元の影響を受けた創られた存在という俄かに信じられない憶測は、驚くほど天才の胸にストンと収まった。それが事実であれば全ての矛盾は解決される。不条理な地球の運命、天文学的な確立で生み出された宇宙空間、それに対する知的生命体の少なさ。全ての事象に高次元の介入が存在していたとすれば納得がいく。


 それにしても――。

 

「陽葵はただのアホとちゃうんかい……」


「だーれがただのアホよ!」


 いつの間にかリビングに入ってきていた陽葵に気がつかずに石井は独り言を口走っていた。続いて入室してきた春翔が台車を押していて、その上には木の枝やバケツに入った土が乗せられていた。

 

「なんやねんそれ?」


「美玲さんが亡くなった集落から持って来たの、もしかしたら細胞が混じってるかもしれないでしょ」


 陽葵はそう言いながらリビングに持ち込んだ細胞分別機にバケツや木の枝を入れた。『人体の細胞は検出されませんでした』とすぐに結果が出ると「次行ってみよう」と元気に部屋を出て行った。


 石井はシン、と静まり返ったリビングの窓際に掛けられた鳥籠に触れた。

 

 何っていっくんの部屋よ――。


「四次元だかなんか知らんがな、絶対に陽葵たちは護ったるで、覚悟しとけや。お前たちの誤算はこの天才を創ったことや……」

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