第31話 ユピテル崩壊

 不知火はポセイドンこと海上優也から『悪魔の解』を二つ聞き出していた。一つは収容施設中庭に降り注ぐ雷山いかずち。もう一つはユピテル全土を崩壊させるほどの大地震による津波。そしてその悪魔の解を不知火から託された木村は忠実にそれを実行に移そうとしていた。


 ――ゼウス帰還二十日前。


「自分たちだけ逃げたんじゃねえのか」


「ふざけんな! 陽葵ちゃんがそんな人間なわけないだろ!」


「じょ、冗談だよ、俺だってそんな事……」

 

 敵船討伐に向かう知らせを石井から聞いたユピテルの住民たちは不安な夜を過ごしていた。はじめて訪れる惑星シヴァーの危機。それは半永久的に生命を維持できる事が可能な三千世界に生きる住民にはこの上ない恐怖だった。不安から漏れる疑惑と不満、見捨てられたかも知れないという絶望感は精神を圧迫し、いつ暴動が起きても分からないほどに緊迫していた。


「陽葵たちがやったぞー!」


宴会うたげの準備だー! 英雄たちの帰還を歓迎しろー!」


 敵船を退けたという吉報は瞬く間にユピテル全土に駆け巡った。前夜祭と称して陽葵たちが帰ってくる前の宴は連日連夜取り行われ、平坦な生活では味わえない安堵は人々を熱烈峻厳ねつれつしゅんげんさせた。


 ユピテルの住民たちが狂喜乱舞する中で石井だけは冷静に一人の男を監視していた。木村は酒も飲まずにただじっと住民の輪に、付かず離れずの位置で何かの機会を伺っていた。


 陽葵たちが帰還する五日前、住民の熱気も一段落した夜だった。木村が静かに動き出した後を石井は透明になる帽子を被り付けていった。木村は森を抜けて過去に鬼子と呼ばれて迫害されていた人々が収容されていた施設内へと入っていった。


 羽根を納め息を潜めながら石井はその背中を追った、やがて以前は不知火が使用していたと思われる奥の部屋へと木村は足を踏み入れた。木村は壁際に置かれた机の抽出しを漁ると、目当ての物が見つかったのか唇の端を醜く上げた。


 瞬間、石井は羽根を広げて滑空した。はずみで帽子が脱げてその姿があらわになる。バサバサバサッっという羽音に木村が振り向くが、その前に持っていたメモ紙をクチバシで奪い取った。そのまま天井に吊された埃だらけのシャンデリアに着地する。くちばしに咥えたメモ紙の内容を確認して石井は確信した。唖然としながら石井を見つめる木村。


「われが不知火におうとるのは知っとんねん! こいつは悪魔の解やな。お前らの好きにさせるかいな」

 

「石井さん……。どうして?」


「顔や! いっちゃん嫌いな顔やねん。お前は信用できん」


 木村がゼウスに紛れ込んだ話を陽葵たちは笑っていた、食い意地がはった木村らしい。それよりも蝿の幻影から復元した木村を皆歓迎していた。しかし石井は初めて見た木村の素顔に嫌悪感を感じた。長年生きてきた感なのか、単に嫌いな顔なのかは分からなかったが念のためゼウスに木村の行動を報告させた。


 石井は両脚を器用に使ってメモ紙をくしゃくしゃに丸めると口に含んで飲み込んだ。これでユピテル全土を崩壊させる大地震と津波は起きないはずだった。木村は不知火の命令を守れない事に取り乱し、絶叫した。罵詈雑言を尽くして罵倒する様を石井は冷めた思いで眺めていた。


 洗脳ではなく依存――。


 自分で未来を切り開く事を諦め、神と信じた幻の言いつけを何よりも優先する。行き過ぎた信仰は己の行動に何の責任も持たずにすべてを神に信託する。未知の世界に挑戦し新しい未来を開拓する陽葵たちとは正反対の人種。石井は下様で叫ぶ下衆な男に唾を吐きかけたくなるほど嫌忌けんきした。


 すると突然、「ガターン!」と下から突き上げるような強い衝撃を受けた。石井はシャンデリアの支柱から伸びる腕木を両足でしっかりと掴みなおす。次の瞬間、激しい揺れが室内を襲った。左右に揺さぶられるシャンデリア、机の抽出しは全て飛び出して中身が部屋中に散乱、重そうな天蓋ベッドまでもが壁に勢いよく叩きつけられた。通常では考えられないほどの地震、石井はたまらず空中に避難する。ホバリングしながら下を見下ろすと飛んできたデスクに頭をぶつけたのか木村は顔中血だらけだった。

 

「ハッハッハッー! やはり神の代弁者の言葉は絶対なのだ。避けることのできない神示! ありがとうございます! ありがとうございます!」


 次の瞬間、天井が崩れ落ちてきて石井と木村はあっという間に生き埋めとなった。木村は即死、幻影である石井は意識を失い、それは脳へと戻っていった。


 いかに文明が栄えようと、強大な自然災害に人類は無力だった。単なる地質プレートのズレ。それだけの事象が巻き起こす膨大なエネルギーは強固な建物を破壊し、硬い地面を割った。パックリと開かれた地割れにすべてを飲み込むと、腹を空かせた猛獣のようにその口を閉じた。さらに巨大な地震は津波を引き起こす。その高さは400メートルに達し、人間が避けるのは不可能。元々、陸地面積の少ない惑星シヴァーの限りある大地ユピテルはその姿を海底深くに追いやられた。


 一方で脳が保管されている地下施設は浸水にも対応した防水仕様となっていた。たとえ海の底に沈もうともその機能は失われる事はない。地割れによって真っ二つに切り裂かれてしまえば一貫の終わりだったが不幸中の幸いにもその難は逃れた。


 しかし付いてない事にこの時、幻影でいたのは石井だけだった。いつもは幻影で行動する僅かな住人も英雄の凱旋に備えて肉体に戻っていた。つまり惑星シヴァーの生き残りはゼウスに投獄された不知火を除けば、冬眠状態の優也と石井だけとなってしまった。


 石井は脳内に意識が戻ると絶望の後に考えた。今やるべき事、自らの使命。その姿をイルカの幻影と変えた石井は海底深く沈んだ施設から泳いで海面に到達した。すると目の前には惑星の住民を皆殺しにしたとは思えないほど爽やかな青空が広がっていた。


 鼻先を海面から出して辺りを見渡す。360度水平線が広がった景色にゼウスの姿はなかった。帰還していてもおかしくない日数がすでに経過していたが、海底に沈んだユピテルを見て陽葵たちがどんな行動にでるかは未知数だった。まずは陽葵たちに合流しなければならない。石井は闇雲に無限とも言える広大な海を泳ぎ回った。幻影なので体力を消耗する事は無かったが慣れないイルカの姿は精神を削っていった。

 

 陽葵たちに何かあったのでは――。


 一抹の不安が石井の脳裏をよぎる。ゼウスに全ての優先事項は三人の存命が最優先とするように命じておいたがエネルギーが不足していては次の惑星にすら到達できない。石井は頭をフル回転させて推察する。あの連中ならばどんな行動をするか。沈んだユピテルを見て何を思ったか。


 答えは一つしかなかった。必ず石井を助けに向かう、そんなお人好しの連中だからこそ住民に愛され、受け入れられたのだろう。頑なに幻影をやめなかった連中も、多くが陽葵たちと出会いその身体を取り戻して行った。石井はユピテルが沈む方角へと泳ぎだした。

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