第28話 暗黒森林論

 宇宙が誕生してからおよそ138億年。今もなお拡張し続ける宇宙空間は果てしなく広大で星は無限とも言える数が存在した。銀河の数は数千億、恒星の数はさらにその二乗。惑星はさらにその数倍という膨大な星の一つが地球だった。その中で知的生命体が存在するのは地球だけ、と考えるのは確率的にも非現実的であり多くの学者は宇宙人の存在に異論を唱えなかった。ではどうして人類は宇宙人と出会わないのかは様々な議論がなされた。

 

 その中でもっとも有力だったのが恒星間を移動するにはあまりにも距離が遠すぎる、という仮説だった。地球からもっとも近い地球型の惑星との距離は4.24光年。仮にこの星に知的生命体が存在したとしても辿り着くには果てしない時間を有する。行きたくても物理的に到達できない。結果これから先も宇宙人と遭遇する事は絶対にありえない。西暦2700年初頭まではそれが定説だった。


 しかしこの仮説は宇宙船ゼウスの登場で呆気なく破綻する事になる。光速を超えたスピードとブラックホールを利用した前代未聞の移動手段が開発された事により恒星間の移動は現実になった。それはアインシュタインという超天才科学者がいた事による偶然の産物であったが、同じような天才的頭脳を持った生命体は確率的に見ても百パーセントこの広大な宇宙空間の中に多数存在すると多くの学者たちが表明した。


 それはつまり移動自体は可能だががあって出会うことを意図的に避けている。という新たな定説が議論された。そこで注目されたのが遥か昔、中国の作家が小説の中で考案した『暗黒森林論』だった。


 もしも他の星に知的生命体がいるとする、しかしその見た目はもちろん、生きる目的や考え方。科学技術においても人類とはかけ離れていると予想する事は想像に難くない。相手が善意を持っているのか悪意があるのか汲みとる手段は皆無。例えば猛獣が放たれた森林を人間がライフル一丁で潜んでいると仮定する。人間はすぐ近くを横切る虎を目の前にして「こんにちは、あなたは敵ですか? 味方ですか?」なんて話しかけるのは正気の沙汰ではない。ひっそりと虎がいなくなるのを見送るか、持っているライフルで撃ち殺すのが自身の生命を守るための最善策であろう。とりわけ後者の方が二度とこの虎に遭遇する危険を回避できるという点で良案と言えた。


 つまりこの広大な宇宙空間は猛獣ひしめく『暗黒の森』同様、さまざまな知的生命体がひっそりと息を潜めて潜伏している危険な空間であると著者は作中で仮説を立てた。


 これを受けて、他の星に自分たちの存在、居場所を知らせる事はこの宇宙空間では自殺行為に等しく、見つかった瞬間に攻撃対象となるのは自明の理だと多くの学者は発表した。にも関わらず人類は宇宙からの防衛を疎かに考え何の対策も講じてこなかった。所詮は対岸の火事、自分たちに火の粉が降りかかる事などは微塵も想像していなかった。もっともゼウスが誕生する前の地球が他の惑星に発見されていたとしても、特段相手にされなかったと考えられる。

 

 己に害のないウサギに銃口を向けるハンターがいないように――。




「あと一年ですかぁ……。寂しくなりますねぇ」


 元ゴリラの幻影だった塚田は人間の姿でも大男で毛深く、あまり変化のない男だった。不器用で一人ではとても生きていけない塚田は拡張した陽葵たちの家で世話になっていた。


「乗せてもろたらええやんけ、他の惑星に行くチャンスなんて滅多にあらへんで」


「でもぉ、怖いなぁ」


 不知火が投獄されて十四年、僅かな不知火派も表面上は誰一人としていなくなっていた。


「お前みたいなグズが同行したら迷惑だろうが」


 塚田の肩にとまった木村が耳元で囁いた。ほとんどの人間が肉体を復元させて生活する中、ごく少数の人間は幻影の方が安心するといった理由からそのまま生活をしていた。木村もまた蝿の幻影のまま日々を過ごしていたがその理由は別にあった。


 神の代弁者を取り戻したい――。


 木村はその機動力と隠密性で不知火がゼウスに投獄された事をいち早く掴んでいた。しかし、助けに行くことはおろかゼウスの場所さえ分からずに悪戯に時間だけが過ぎて行った。ところがエネルギーの充電完了まで残り一年を切った所で木村にチャンスが訪れる。


 惑星シヴァーでしか獲れない作物の数々、その一部を陽葵たちは土産にしようとしていた。ゼウスの真空保管機能があれば半永久的に保存がきく為、大量に詰め込む予定だったが飛空挺で運ぶには何往復もしなくてはならない。ならば既に飛行するには十分なエネルギーがチャージされているゼウスをユピテル上空まで一旦移動させて、反重力装置で一気に取り込んでしまおうと考えたのだった。特段秘密にするわけでもないその会話を聞いた木村はそのチャンスにゼウスに乗り込む決意をした。

 

 そして当日、木村が目にした巨大な宇宙船は想像をはるかに超える代物だった。頭上に浮かぶゼウスは恒星の光を遮り昼間にも関わらず辺りを暗く染めた。ブルーメタリックのボディは鏡のように光を乱反射させてキラキラと輝いている。あらかじめ幻影から肉体を復元させておいた木村はその神々しい姿に思わず息を呑んだ。


「ゼウス! 引き上げてくれ」


 神宮寺の指令でハッと我に帰る。陽葵たちが住む家の庭には所狭しと大きな木箱が並んでいた。果物や野菜が大量に詰め込まれた大型冷蔵庫ほどもあるそれは少なく見積もっても百箱以上あった。そのうちの一つ、パイナップルのような果実が詰められていた木箱の中身を外に出して木村は中に入った。蓋を閉めると甘いフルーツの香りが鼻腔を刺激する。と、次の瞬間フワリと無重力になり箱ごと宙に浮く感覚がした。ゆっくりと上昇していくのが感覚で分かる。音はしない、まるで無音のエレベーターに乗っているように木村の体はゼウスに吸い込まれていった。


 重力を取り戻し浮遊感覚がなくなった所で船内に到着したと確信した木村は上蓋を開いて顔を出した。キョロキョロと辺りを見渡すが薄暗い船内には大量の木箱が並ぶだけで人影は見当たらなかった。


 箱から這い出すとさっそく不知火を探しに船内を駆け巡った。しかし長い廊下に並ぶどの扉も鍵が掛かっていて開けることが出来ない。一番奥にある大きな扉も同様に固く閉ざされていた。木村はガックリとその場でうなだれた、とても打ち破れるような安っぽい扉ではない。万事休す、むしろ勝手に宇宙船に忍び込んだ理由をどうやって説明すれば良いのか。そんな事を考えていると不意に目の前の扉がスーッと開いた。背の低い木村よりも更に小柄な真っ白い物体が人型のロボットであることに気がつくまで数秒かかった。ロボットは両手でお盆を持っていて、その上には湯気の立ったカレーライスとスープが乗っていた。


 無言で木村の横を通り過ぎるロボットをぼうっと眺めていたがすぐに覚醒する。ロボットが食事を摂ることはない、つまりあのカレーは人間が食べる用に作られた物だ。この宇宙船にはおそらく不知火しかいない。ならばこれについて行けば会える。一転して好機が訪れた木村は足音を消してロボットの後をついていった。


 途中、エレベーターにロボットが乗り込んだ時にはどうしようか迷った木村だったが、何事もないように同乗すると、他人同士が乗り合わせたらそうするようにお互い無言のまま密室の箱は下降していった。


 さらに二つの扉を経由するとコンクリートの壁が現れた、いかにも牢屋といった風情の空間は冷んやりと冷たい空気が支配していた。ロボットは一番奥の鉄格子の前で止まると盆を床に置いて引き返してくる。木村に一瞥することもなくそれは横を通り過ぎていった。


「神の代弁者!」


 木村が駆け寄ると、黒い鉄格子の中にいる不知火がパイプ椅子に座って本を読んでいた。その視線が上がり木村を注視する。


「あなたは……」


「木村です! 助けに参りました!」


 不知火は読んでいた本を閉じた。


「えっと……。蝿です! 偵察隊を任命されていました木村です!」


「ああ……」


 興味なさそうに返事をする不知火に木村は困惑した。我らが神の代弁者がこのような密室に閉じ込められている事に腹が立ったが、牢屋の中で優雅に読書をたしなむ不知火に悲壮感はまるでなかった。


「せっかくですが私はここに残ります」


 不知火はそれだけ言うと再び本に視線を落とした。木村は鉄格子を両手で掴みながら訴えた。神の代弁者の指示がないと自分は生きていけない、いや来世、次のステージで不幸が訪れる。現世は永久に続く来世に行く前の準備期間。この時間を如何に過ごすかによって未来は決まる。自己欲求に従事して徳を積まない人間たちは未来永劫不遇の扱いを受けることとなる。すべて神の代弁者である不知火からの教えだった。


 

『緊急事態! 緊急事態! 未確認飛行物体が接近中、飛行スピード及び角度換算により目的地は惑星シヴァーの確率が九十九パーセント。緊急事態! 緊急事態!』


 突如頭上から鳴り響く警報とアナウンスに木村は思わずその場にしゃがみ込んだ。不知火は軽く天井を仰ぎ見ただけで微動だにしない。


「未確認飛行物体……」木村はボソリと呟くがそれが何のことか理解するには至らなかった。しかし、ただ事じゃない警報音に底知れぬ不安が立ち上ってくると助けを乞うように不知火を見つめた。不知火は本を閉じて立ち上がるとカツカツと音を立てて木村に近づいた。その場にしゃがむと耳元で小さく、しかしハッキリと囁いた。

 

「――――――なさい」

 

 木村は「はい、仰せのままに」と返事をすると勢いよく立ち上がり、来た道を走って引き返した。神の代弁者からのお告げ。久しぶりの神示に高揚して木村は興奮した。

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