ダンボール箱のぬいぐるみ

神崎閼果利

ダンボール箱のぬいぐるみ

 私はお世辞にも可愛いとは言えなかった。そんな私が、拾われるとしたら……? それは、どんなシンデレラストーリーだろう。



 メイクをしたとしても、凡人にようやくなれるくらいだ。恋人が出来たことも無いし、作ろうと思ったことも無い。可愛い洋服だって似合わないから、シンプルなのを選んでいる。そんな見た目で、女の子らしい、なんて言えたもんじゃない。

 クラスの平均顔。周りからはそんなふうに呼ばれてからかわれていた。虐めてくるわけではないし、友達だって普通にいたから、それに対して過剰に反応することは無く生きてきたし、これからもずっとそのつもりだった。

 私は普通に恋の喜びなど知らず、普通に生きていくのだろう。そう思っていたのに、ある日隣の席にやってきた転校生が、私の何もかもを壊していった。

「私、近藤ツキミ。よろしくね、遠野サン」

 そう言って笑う彼女から、ぱっ、花が舞う。見目形の良い顔が笑うとこうなるんだと、私は一瞬あてられてしまった。

 ツキミはすぐにクラスの中心になっていった。私のような遠くに漂っている存在には目も向けないはずだった。それなのに、ツキミは「私が隣の席に座っているから」という理由でよく絡んできた。

「アレだよね、遠野サンって可愛いよね」

 初めてそんなことを言われたとき、私は食べていた焼きそばパンを落としそうになった。ツキミがお弁当を食べながら、不意に呟いたことだった。

 人に可愛いなんて言われたことが無かったから、女の子相手でも顔が熱くなった。返し方に迷って、焼きそばパンを口に入れることしかできなかった。

「ふふ、そーゆートコも可愛い」

 追い討ちをかけられて、私は本当に何も言えなくなってしまった。相手は女の子で、友達だ。それでも私にとっては嬉しいことでどきどきしてしまった。

 そう言うツキミはというと、やっぱり可愛かった。もちろん、モデル顔といったわけではない。クラスに一人はいる綺麗な顔つき、といったところだろうか。ぱっちりとした二重、ぷっくりとした涙袋。白い素肌に合うように、唇にはバーガンディのリップが塗られている。前髪が少し薄いのも最近の流行りだ。



 この会話は一度きりではなかった。私とお弁当を食べていると、頻繁に「可愛い」と彼女は言った。最初のうちは耐性が無くて何も言い返せなかったけれど、次第に慣れてきて、はいはい、と言い返せるようになった。

 すると、ツキミはむっとした顔になる。そんな顔も可愛らしいのが狡かった。

「なにそれ、せっかく私が可愛いって言ってるのに」

「冗談でしょ、ソレ。私にも分かるよ」

「私は本気で可愛いと思ってるから言ってるんだよ。遠野サン、ちょっとした仕草にきゅんとさせられるんだよね」

「女子が女子に……って、おかしいでしょ」

「おかしくないよ」

 ツキミはそうはっきり言った。私はそんな言葉を聞いてはっとさせられる。今のは酷い偏見だ。ごめん、とすぐに謝ると、ツキミは小さく息を吐いてから、いいよ、と言った。感情の無い声だった。

「でも、遠野サンは可愛いよ。それだけは誇って良いんじゃない?」

 その言葉を最後に、予鈴が鳴った。それじゃあね、と言ってツキミが元の席に戻る。

 ツキミが戻ってから、私は甚く反省した。女子から女子へ可愛いと言うのが変なのだとしたら、私が毎回顔を真っ赤にしていたのもおかしいことになる。だって、女の子から言われたようなことを真に受けていたのだから。

 ちゃんと謝ろう――そう思って、私は放課後、ツキミを呼び出した。誰もいない空き教室で二人きりになりたい、と言った。そうするとツキミは、いいよ、と真剣な顔で言った。そんな顔見たことも無かったから、私はそれに緊張してしまった。

 自分の胸に手を当てる。ただの謝罪なのに、胸がどきどきして痛かった。

 空き教室、二人、放課後。傾き始めた日差しが入ってきて、ほんの少し白飛びしている。開いた窓から風が入り込んできて、カーテンが膨れていた。

「……さっきはごめん。ちゃんと謝ろうと思って」

 私が先に口を開いた。ツキミは真剣な顔のまま、うん、と言った。

「私も本気にしてたのにね。冗談扱いしてごめん。あと、可愛いって言ってくれてありがとう」

「うん。私も言いたいことがあるんだけど、良い?」

「え?」

 ずきっ、胸が痛んだ。まるで矢を刺されたみたいだ。その先を聞くのが怖い、けど、聞きたい。心臓は正直に早く脈打つ、血を流してでも。

 ツキミは私に近づいてくると、私の手をとった。白くて細い指が、私の手を掬い上げた。

「遠藤サン。私と付き合ってください」

 私は目をぱちくりさせてツキミを見つめた。

 突然のことで頭が真っ白だった。霧が晴れていけば、私と? 付き合う? 女の子同士で? だから可愛いって言ってたの? と疑問符に埋め尽くされる。

 ツキミは、手を離し、少し憂いげに笑った。そんな姿に胸がきゅっと詰まった。ツキミのその顔は、眉を下げて笑う顔は、今まで見た誰よりも美しかった。

「遠藤サンのいろんなところが、可愛くて。だから私、好きになっちゃったの」

「好きに……」

「女の子同士なんてヤだよ、って言うなら忘れて。私も忘れるから」

「──い、いや、そんなこと無いよ!」

 私は言ってしまってから、とんでもない否定の仕方をしてしまったのだと分かった。ツキミが目を煌めかせていたからだ。

 ツキミのことが好きなわけじゃない。確かに友達としては好きだけど、それが付き合いたいとかそういう感情になったことは無い。だとしても、可愛いって言われたのは事実で──

 頭がぐるぐるする。次第にバグってきて、あれ、もしかして私も好きなんじゃないか、なんて思い始めた。それは行きすぎだとしても、別に断る理由も無いな、というのが私の結論だった。

「……いいよ」

 私はそう答えた。ツキミは、ホント? と声をうわずらせた。私が静かに頷けば、彼女は、ばっ、と私のことを抱きしめた。

 人と抱きしめ合ったことなんて無かったから、意外と人の体って固いんだな、とか、それにしたって胸が触れ合ってるな、とか、自分でも気持ち悪いことを考えてしまった。でも、不思議と嫌な気はしなかった。

 誰かに好きと言ってもらえたのは初めてだ。それがこんな形でも、嬉しい。こんな私が誰かに拾われるなんて……

 ツキミは私から離れると、マリ、と私のことを呼んだ。ツキミから下の名前で呼ばれるのは初めてだった。

「マリ。これからよろしくね」

 手を繋ぎ、見つめ合う。さすれば、魔法にかかったようで、私も嫌な気にはならなかったのだった。



 それからというもの、私は毎日ツキミと待ち合わせをして、二人で手を繋いで登校するようになった。手を繋ぐと、相手の熱が伝わってくるようで胸がざわざわする。

 ツキミはしきりに私のことを可愛いと言った。何をしても可愛い、可愛い。

 だから、私も可愛くなりたくて、必死にメイクを勉強したり、ファッションを勉強したりした。それでもツキミには叶わなくて、いつもコスメや服を選んでもらっていた。

「うん、絶対これが似合うよ!」

 ツキミがそう言うと、鏡に映っている自分が少しでもマシに見えて嬉しくなった。「自分は可愛い」──そう思い込むことで、もっと可愛くなっていく。

 毎日夜は電話を繋いで二人で話して、休日はデートをして。いつでも手を繋いで、周りに変な目で見られても気にしない。互いの熱を確かめるたび、ツキミに対して愛情のような感情が湧くようになった。

 下手な男子より紳士的で、清潔で、それでいてそこら辺の女子よりも可愛くて乙女らしい。いつでもイマドキな格好をしていて、メイクもばっちり決まっていて、爪がつやつやで、肌が真っ白で……良いところなんて挙げたらキリが無い。

 ツキミが求めることは何でもした。手を繋ぐこともしたし、ハグも求められたら抱きしめた。恋愛漫画を読んでいて、主人公がするようなことはしたつもりだ。

 それでもやはり、キスしようと言われたときは戸惑った。二人だけのお泊まり会、パジャマ姿で布団に寝転がる。ツキミは少し頬を赤らめて、それをねだってきた。

「キスとか……してみたいなって」

「え、えっと、キス……?」

「うん。嫌だったら良いんだけどさ……」

 私はとてもじゃないけど嫌なんて言えなかった。好きになったからには嫌われたくない。彼女の望みなら、何でも叶えてあげたい。

 だからキスだってした。彼女と触れ合う唇は、ふにっとしていて、そこから混ぜ合わす舌もぶにぶにしていた。よく言う「甘酸っぱさ」なんてものは無くて、ただあるのは「何かいけないことをしている」という背徳感だった。

 そして、その先も──彼女がしてみたいと言ったから、そのようにした。「可愛い」と言いながら目をぎらつかせて迫ってくる彼女が怖くなかったわけじゃない。でも、次第に私も気持ちが昂ってきて、その気になってしまった。

「ツキミ、大好き」

 私からそう言い出せば、ツキミは少し複雑そうな顔をしたあと、また元の笑みに戻った。

「うん、私も大好きだよ」

 一瞬顔が曇ったように見えたのは、私の気のせいだろうか──そう思っていたのに、その日から彼女からの連絡は少なくなっていった。テスト前だから、とか、親との予定があるから、とか、何かと理由をつけられて電話することも減っていった。

 毎日話していたはずの時間に空虚が生まれて、私は漠然とした不安に駆られていた。私が何か悪いことをしてしまったのだろうか。謝ったほうが良いのだろうか。

 そう考える日々が繰り返されてしばらくして、一緒にご飯を食べることも無くなっていった。



 別の友達の元に戻って、一緒にご飯を食べる。友達は最初こそ、えー、嫌われたの、とからかってきたが、私の反応が微妙なことに気がついたのか、もうその話題でいじってくることは無くなった。

「そもそもツキミちゃん、良い噂無いもんね……」

 友達の中の一人がそんなことを言った。私は少し身を乗り出して彼女にその話題を掘り下げるようお願いした。すると彼女は小声で、内緒だよ、と言って教えてくれた。

「マリと付き合ってる間、他のグループにいろいろ愚痴ってたんだって。あ、あのグループにバレたら怖いから言わないでね」

「え……なんで……?」

「付き合ってたなら本人に聞けば良いじゃーん」

 別の友達がそう茶化すように言った。確かにそのとおりだ、身を戻して着席する。

 でも、愚痴だなんて。私が何か悪いことをしたのだろうか? そうだとしたら謝らなくてはいけない。

「今、ツキミってどこにいるんだっけ」

「あー、二の十の教室だと思うよ」

 二の十の教室といえば端の教室だ。私はご飯を食べるのも程々に、隣の教室へと向かった。

 教室からは女子たちの下卑た笑い声が聞こえてきた。何も言われていないのに、なんだか嫌な気分になる。教室に入ってツキミを探そうとしたところで、こんな声が聞こえてきた。

「そんなわけでさー、別れようと思うんだよね、私」

 足を止める。ツキミの声に違い無かった。入るのを躊躇っているうちに、話は次々と広がっていった。

「なんかさ、こう、不細工で気持ち悪くて。いろいろ服とかメイクとか勧めてみたんだけど、まず顔が駄目だよね」

「えー、あんだけ可愛いって言ってたのにー」

「この間いろいろしたら冷めちゃって。うっわ、全然可愛くなっ、みたいな」

「いろいろってヤバっ。あの子可愛くないじゃん、地獄かよ」

「ね。アレかな、ブサカワ、みたいな? 全然可愛くないけど、可愛く見えるときあるじゃん。で、現実見た感じ? グロいわー」

「あー、分かるー。マジウケる」

 私の手がだらんと下がった。ひやりとした感覚が広がっていって、私はそっと扉から離れた。

 廊下をふらふらと歩きながら、私は考えた。私はお世辞にも可愛いとは言えなかった。そんな私が、拾われるとしたら……? それは、どんなシンデレラストーリーだろう。

 実際は違った。シンデレラになれるのは、可愛い子だけ。

 私は喩えるなら、ブサカワなぬいぐるみだ。最初だけ可愛いと言われて拾われて、いろいろ着せ替えられて、スキンシップまでとられて、それでいてぬいぐるみであることを求められる。グロテスクな人間性なんて最初から求められていない。飽きたらこうやって捨てられる。

 恋の感情を持つなんて、最初から間違いだった。全てはツキミの愛玩に過ぎず、そこに愛情は無かった。だって最初好きだって言ってくれたのは、ツキミのほうなのに。

 涙がぼろぼろ流れて止まらない。ブレザーの袖で目元を押さえていると、どこかからクスクスと笑われる声が聞こえてきた。

「あの子なんで泣いてんの? かわいそー」

 そんな声が聞こえてきた気がした。泣きっ面に蜂。恋破れたぬいぐるみはただ一つ、ダンボールへと戻って、涙の雨で濡れていくのだった。

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