青薔薇トレース

愛和 晴

第1話 青薔薇は鮮紅に染まる

昼間に燦々と地を照らしていた太陽も、遠い西の地平線に沈もうとしていた。丘の上に築かれた石造りの城からの眺望を満喫するため、お気に入りの高台に登り、腰をゆっくりと下ろした。赤い夕日と涼しい風が一日の終わりを告げてくれているようだった。でもなぜだろうか。こんな荘厳で立派な城に住んでいるのに、おとぎ話に出てくるような贅沢をしすぎる悪役も、綺麗な絹のドレスを身に纏った麗しいお姫様も、この城には見当たらない。王族でもなんでもないので、当然といえばそれまでだが...。こんな感じでしょうもない物思いに耽っていると、下の方から気だるげな声が聞こえた。


「姉上、夕食の準備が出来ました。」

「わかった。今行くよ。」


パッと高台から飛び降りて、柔らかく屈むように着地する。上手く決まったと思って顔を上げると、弟は呆れた表情で私を見下ろしてた。双子とはいえ弟のくせに、明らかに私を幼稚な目でみている。事実ではあるが。


中へ戻ろうとする弟の背中を軽やかな足取りで追いかけた。使用人が扉を開けて待っており、そのまま弟を追い抜いて入口まで急いだ。


腰にかけていた剣を近くの棚に置いて、そのまま奥に進んだ。食堂に足を踏み入れると、珍しいことに父母が揃って既に座って待っていた。


「父上、母上、お待たせしました。」


後ろからやってきた弟もお待たせしましたと軽い詫びを入れながら、さっと席に着いた。他にも兄弟がいるので全員揃ったわけではないが、食卓に4人も集まることですら久しぶりだ。働き者の両親は中々定刻に夕食に現れないし、他の兄弟に至っては家にいることの方が少ない。


「剣術と座学の勉強はちゃんと進んでいるかい?」

「ええ、日々研鑽を重ねております。」


父親の問いかけに弟が応じる。この父親は仕事三昧で顔を合わせる機会こそ少ないが、こういう場でコミュニケーションを取ろうとしてくれる。「リザはどうだい?」と続いて笑顔で私の方を向いて話しかけてきた。


「師匠によると、免許皆伝まであと少しだとのことです。座学の履修範囲は全て修了致しました。」


弟のように曖昧に返してもかまわなかったが、二人揃ってすげない返事では流石に可哀想だろう。


「将来の夢といったものはあるのかい?進路についてそろそろ考えなければいけないだろうし。」

「そうですね。歴史の教科書に名を残してみたいですね。ははは。」


冗談めかして言ってみると母親が目を見開いているし、父親も軽くだが驚いたような顔をしている。明らかに思ってた反応と違う。


確かにキャラじゃないし、慣れないことを言うものでもないな。しかもつまんなかったな。うん。ほんとに悪かったと思う。


「そうかい。うちの場合はそう非現実的ではないかもしれないね。例えば七選帝侯の我が家の家督を継いで皇帝に立候補すれば、皇帝になれる可能性だってあるからね。」


そう言って父親はまた笑みを浮かべた。真面目に返してくれるなんて、良い父親だなあ。


「父上は今の皇帝がご崩御あそばされたら立候補しなさるのですか?」

「もし機会があればするつもりだよ...。教皇様に直接会いに行って、認められた人だけが皇帝の称号を手に入れることができるのだけれど、前回は選ばれなかったからね...。」


なぜか先程までの朗らかな口調から一転、低い声で陰鬱としたトーンになった。そして何かを思い出すように上を向きながら白ワインが注がれたグラスを口に近づけ、一口だけ口に含んだ。何かを愁いているような、または案じているような目をしながら、淡々と食事を続け、結局それ以降口を開くことはなく、空気が急変した卓上には奇妙な沈黙が流れていた。


食べ終わると父親は真っ先に席を立ち、「お先に」と言ってすぐさま立ち去った。弟も母親も順繰りにその場を後にし、最後に残された私もそそくさと食べ終えた。


テーブルから食器が下げられても、私は一人で長いテーブルの端に座り、さっき迄の会話を思い返していた。さっき歴史に名を残したいとかふざけたことを言っていたが、あながち嘘ではなかったりする。けど家督を継ぐには父親と兄二人がお亡くなりにならんといけないからどうしたものか...。








長くなりそうな思索を諦めて、風呂を浴び、自分の部屋でゆっくりベッドの上で仰向けになってくつろぎながら、天井に描かれている青い薔薇の紋章を眺め、ただ呆然と睡魔の到来を待望していた。やけに目が冴えている。稽古もいつも通りこなしたし、この時間くらいには普段なら寝れるはずなのだが...。日頃会わない父親との会話の様子が気になるからだろうか...。


じっとしているのもうんざりしてきたので、水飲み場へ行って気を紛らわせようと、寝台から横にずり落ちるように降りた。履物を履いてドアを開けると、夜間特有の暗さとしっとりとした空気が背筋を少し冷やした。点々と残された灯火を頼りに、肌寒い廊下を足音を立てないようにひっそりと歩いた。


一階までそろそろと階段を降りると、来客用の応接間から明かりが零れているのが目に入った。変に気づかれて声を掛けられないように扉の前を通り過ぎようと、音を殺しながら歩みを進める。


「陛下の様態はどうなっている?」

「現在は小康状態にあるそうですが、回復の 目処は今のところ立ってないそうです。」


「選帝戦もそろそろかも知れないな。」

「はい。その方向で政策や外交を進めていま す。騎士団も最高状態に仕上げてあります。」


扉の前を通り過ぎようとした時、父親と誰かが話しているのが聞こえた。もしかしたら聞いてはいけなかったことかもしれない。そう思い、つま先で小走りになりながらその場から逃げおおせた。


やっとの思いで正面玄関の扉を開けて、半身を外に覗かせると、煌々と輝く満月を背に、柱にもたれかかってる屈強な男が視界に入った。


「師匠...。」


「リザか。こんな夜更けに何しに来た。明日も稽古あるんだぞ。」


「少し喉が渇いたので、水を飲みに...。」


「わかった。だが今は誰も中に入れるなとお前のお父さんから仰せつかっている。見つかってトラブルに巻き込まれたくなかったら早く戻っとけ。」


口髭を生やし、長い髪を後ろで結いているその男は、手でこちらを追い返すような仕草で私を追い払う。仕方ないので外に出していた顔と片足をうちに引っ込め、鈍重なドアをおもむろに閉めた。







次の日の朝は快晴だった。日の出とともに起きて、重たい眉をなんとか持ち上げながら朝食を済ませ、着替えて稽古場へ出向いた。


いつも通りの稽古内容だったが、師匠の言ってることは何も耳に入って来なかった。午前中の剣の稽古は気づいたら終わっており、いつの間にか昼食も終え、午後の座学に入っていた。座学の先生には愛想良く振る舞いながら他愛ないことを言い、問いかけにはもっともらしいことを返していたが、中身は何一つ記憶にない。隣で同じことを聞かれた弟が返答に窮していたことだけは覚えているが。


そんなこんなでもう夕食の時間だった。今日は隣に弟だけ。四六時中頭がボーッとしていた。


寝不足による疲れに加え、頭の中では昨日の父親のことが渦巻いていた。昨日の父親の意味の分からないテンションの急降下のことも確かに気になるが、生憎私は自己中心的な人間なので、そんな年に数えるほどしか会わない父親の心持ちなどは知ったこっちゃない。


一日中私の脳内に巣食って出ていかない解決すべき重大事項は、もちろん私自身の将来だ。そうただ昨日の思索が続いているだけとも言えるのだが、やはり深夜の応接間で耳に入った会話が追加要素として余りに大きすぎた。


皇帝の死期が迫っている。

間違いない。

そして父親が立候補するのか?

それで本当に良いのか?

選帝戦とはなんだ?

何をする気だ?

次の機会はいつになる?

3、40年後かもしれない。

その間私は何をしているんだ?

この機会を逃したらダメなのでは?


こんなことが輪になって頭の中を永遠と回っている。ぐるぐると回転を続けている。けど答えはその後ろで既にチラついてる。 なんとなく分かっている気がする。というか一つしかない。自分が一番後悔しない選択をするために。


夕食を終えたので自室に戻り、無駄に縁が派手な等身大の鏡の前に立って、身だしなみをバッチし整えた。自分の蒼い瞳をぐーっと覗き込み、綺麗な虹彩に自惚れながら自分の自信を確認し、瞬きをして、小気味よいステップで部屋を一息に飛び出した。


自室を出た勢いのまま廊下を駆け、筆記体で「クラウス・ライセル」と書かれたプレートがかけられた、荘厳な扉の前にたどり着いた。


コンコン、と高らかな音が響く。


「リザです。入ってもよろしいでしょうか。」

「どうぞ。」


例の柔らかい声が扉越しに聞こえた。取手を回しながら扉を身体で押す。


「要件は何だい?」


目線を合わせ、にこやかに話しかけてきた。


「皇帝は七人の選帝侯の中からどのように選ばれるのかを伺いたくて参りました。」


はっきりと淀みない声で、目線を逸らさずに、語気を少し強めて言ってみた。


「それはまた急だな。」


そう一呼吸置いて話を続けた。


「敢えて話してこなかったけど別に隠すようなことでは無いから話しておこうか。たぶん時が経てばどこかで耳にすると思うけどね。」


もはや気味悪いその笑みを絶やすことなく、持っていた筆を置き、椅子から立ち上がり、満月の浮かぶ窓を向いて立ち止まった。


「重要なことをかいつまんで言うね。まず皇帝陛下がお亡くなりになられたら、七選帝侯と呼ばれる七人はそれぞれ軍を連れて教皇領へ向かう。そこで教皇様から奇跡を授かり、試練へと挑む。その中で生き残れれば教皇様から皇帝の称号が与えられる。まあ途中で精神的にやられてしまう人も出てくることもあったね。ざっとこんな感じさ。」


長々と言葉が連ねられたが、正味意識はもうそこにはなかった。ほぼ全ての神経が、窓の前から動かない父親の一挙手一投足に注がれていたからだ。


「よく父上は無事でいられましたね。」


適当な言葉を口に出しながら足を前へ進める。不自然さが拭えないが、父親の背中に回ることができた。


「ああそれは本....」


かん高い金属音が響き、父親の声は打ち消された。私の抜いた剣の突きがうなじに届く前に、なぜか隠し持っていた短刀で、剣先を見事に捉えられた。


剣先を抑えながら、窓に向いていた身体を悠々とこちらに翻してきた。明朗な雰囲気は雲散霧消しており、細めていた目を見開いて、いかにも怒っていますと言わんばかりのしかめっ面をしていた。


「残念だったな。サシの勝負で負ける気は毛頭ない。謝るなら今のうちだ。謹慎で済ませてやる。」


人が変わったかのような物々しい口調だったが、内容からは隠しきれない寛大さが滲み出ていたような気がしなくもない。


しかし当の私は完全に手詰まっていて、相手の話をそのまま聞き入れていいのかを判断する余裕は微塵もなかった。


まさか背面で受け流されるとは思っていなかったし、二の手、三の手も用意していたが、初手が微動だにせず受け止められるともはや意味が無い。


私が無言を貫いたことによって、剣呑とした空気が漂っていた。


「何とか言ったらどうだ。こちらだって剣は抜きたくない。」


空いてる左手で腰の剣に手をかける素振りをする。余裕綽々としながらも、隙を見せることは一切しない。舐めていたかもしれない。不意打ちの二手、三手で封じ込めるような相手ではなかった。けどこちらだって引く気は毛頭ない。


「そうか、なら仕方がないな。」


私の敵意に満ちた眼を見て剣を抜く準備を始めた。これまでかと思いながらも最後の隙を懸命に探す。じわじわと間合いを詰め、急所へ届く距離に少しでも近づこうと足掻いていた。


父親が左手を鞘に添えたその瞬間だった。


窓の奥で一閃が見え、気づいた頃には窓はけたたましい音を立てて割れており、父親の横腹には長槍が突き刺さっていた。


「うっ...」


汚い嗚咽が零れた。僅かに反応はしていたが、真後ろからの稲妻の如き狙撃を避けることは出来なかったみたいだ。


そんな降って湧いた好機を逃すことはなく、持っていた長剣を手放し、背中に隠し持っていたナイフで首を横から串刺しにした。何度も何度も抜いては刺しを繰り返し、完全に息の根が止まるまで首元を引っ掻き回した。


割れた窓から涼しい夜風が吹き込み、浮かんでいた満月は事の一部始終を見届けていたようだった。頸からただれ落ちた鮮血が、家紋の青い薔薇を真っ赤に染めあげていた。汚れてしまった家長を示す紋章を、服から剥ぎ取ってポケットに仕舞って立ち上がると、部屋の入口に弟がいるのが見えた。


「お前がやったのか。」

「はい、姉上の力になれればと思って。」


もう私が言うことは何も無かった。


「こちらに入れてください。」と小声で言いながら、大きめの布袋を何枚か床に並べて、私に死体を入れるように促してくる。


なぜ協力してくれるのかとは思ったが、黙って淡々と死体の解体を進め、部位ごとに弟が袋に詰めていった。


頭、胴体、腕、脚と六つに分けて入れた袋を三つずつ持って、城内の森の奥に、捨てに行った。夜闇の帳が降りた森の中は、凍えるほど寒く、ところどころで狼の遠吠えも聞こえたが、黙々と二人でただ何時間も穴を掘り続け、死体をバラバラの場所に埋めた。







全てが片付いて城の中に戻った頃には、朝日の上部分が地平線から覗いており、領内を今にも明るく照らそうとしていた。


見とれるほど輝かしい夜明けは、まるで自分の時代の黎明を告げているかのようだった。





















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