第8話 再会

 その週末、淳子じゅんこがまた来た。

 また、予告もなしに。

 蒸し暑い昼間だった。窓の外には日の光がおどり、大家さんの家の庭木が風に揺れて、緑色の葉が窓に近づいたり遠ざかったりを繰り返していた。

 「今日はここで失礼する」

と淳子は玄関に立ったまま言った。何日か前の悲惨な表情が想像できないほどの明るい顔だった。

 そのとき、あの日、駅で再会して以来初めて、こいつ、かわいいかも、と感じた。

 外のまぶしい明かりを斜めの逆光で浴びていたからかも知れない。

 「こないだはあたしあわっちゃって、失礼したわ」

と言う。

 ぼくは、人当たりがよさそうに見えるようにと思って笑いを浮かべただけで、何も言わなかった。

 けっきょく、どっちに決めたんだ、とも聞かなかった。

 淳子が言った。

 「彼とは結婚することにしたわ」

 「いや。それはよかったよ」

 ぼくはそう言った。

 よかったかどうか、なんて、ぼくにわかることではなかったけど。

 「それでさ」

 淳子はいつも持っているのよりも大きめのバッグを体の前に持って来て、まさぐった。

 「預かってたこれ、マッツに返すわ」

 そう言って取りだしたのが、にんじんを食べようとしているうさぎのぬいぐるみだった。

 そのときまで、ぼくはこのぬいぐるみを彼女に連れて帰らせたことをすっかり忘れていた。

 「うん」

 淳子は、両手でそのぬいぐるみを差し出し、ぼくも両手で受け取った。

 「いままでだいじにしててくれてありがとう」

とぼくは言ったけれど、淳子は取り合わずに

「じゃね、マッツ」

と言って帰って行った。

 見送りもしなかった。

 休みの日のことで、たぶん、これからその結婚式の段取りの話とか、そういうのがあるんだろうな、と思った。

 淳子の姿が消えたドアの向こうでは、ただ、向かいの家の白い壁が夏っぽい明かりを照り返しているだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る