第6話 肌寒い梅雨の日
ぼくはいまの会社に就職してからもしばらく大学時代の家に住んでいた。
六月というのに肌寒い梅雨の日のことだった。
会社の研修から帰ってきて、ネクタイもはずさないまま畳の上に尻餅をついてぐったりしていると、どんどんどん、と何者かが乱暴にドアを叩いた。
また新聞の勧誘か、それとも大家さんが何かの用事で来たのか。
雨のなか、待たせるわけにはいかない。新聞なら、うちはいま取ってる新聞以外は取らないことにしてますんで、と追い返すことにして、ドアを開けた。
小さいおしゃれな傘をたたんで持っていた。
服装は、さすがに革ジャンは着ていないけど、大学一年のときに駅で再会したときと同じような服だった。
そして、いつもよりも小さく見えた。
ずぶ濡れではなかったけど、見映え優先で選んだらしいその傘は小さすぎたらしい。あちこちが雨で濡れていた。
とりあえず上がってもらって、何の飾り気もないタオルで体を
自分でそんな傘で来たのに濡れたのはいやだったらしい。濡れたところを服の上から何度もごしごしこすっていた。
そのあいだにぼくはネクタイを締め直して、お湯を沸かしてコーヒーを入れた。座敷テーブルを出して、コーヒーを出してやる。淳子はテーブルの前に斜め座りし、小さく笑って
「へえ。マッツがインスタントじゃないコーヒーを入れられるようになったんだ」
と言う。
おまえなあ、と思ったけど。
言える雰囲気ではなかった。
雨で冷えて、ようやく体温が戻った、と、淳子は感じているのだろう。
ぼくは、向かいに自分のコーヒーを置いて座り、
「で、どうしたんだ?」
と、わざとぶっきらぼうに言った。
淳子は泣き出した。
もしさっきのタオルで涙を拭きだしたりしたら困ったことになると思った。ここには女の子に涙を拭いてもらえるようなハンカチはない。
淳子は自分の小さいバッグからハンカチを出したので、ほっとした。
そして、涙声で言ったのが
「彼にさっさと態度を決めろって言われたー」
ということだった。
「態度を決めろ」だけではわからない。察しはついたけど、わからない。
「結婚するならする、しないならしないってさっさと決めろって言われたー」
やっぱりそうか。
「しかもさ、彼さ、親にそう言われたから、って言うんだぜ? 二十歳超えてそんなところまで親がかりかよ。情けないったらありゃしない!」
いま思えば、大学卒業して、いつまで女と中途半端な関係を続けてるんだ、さっさと身を固めろ、とか親に言われたんだろうな。
そのころのぼくはそういうところまではわからなかったが。
ぼくは、そのとき、淳子の目を正面から見て、恐ろしく冷たく言った。
「じゃあ、結婚しないほうに決める気、ある?」
淳子はすぐに反応した。
「そんなのないよー! あるわけないじゃーん!」
あのカフェじゅうに響き渡る大声でわめいた。
夜の十時にそんな声立てて苦情が来たらどうするんだ、という大声だった。
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