第13話 彼女への気持ち
案内された部屋はベッドとテーブルがあるだけのシンプルな部屋だった。だが質の良い調度品が置かれ、掃除も行き届いていて居心地がいい。プライベートな部屋に案内してくれたというセレスの厚意に感謝しながらも、そこかしこにセレスの息がかかっているこの部屋でいかがわしいことをしたら確かにキレられるのは間違いないだろう。まぁどちらにしろする気もないが。
真っ白なリネンのシーツが敷かれたベッドにリリアーネを横たえる。魔力を使い尽くしたのか、リリアーネは目を閉じたまま動かなかった。無理もない。ただでさえいつもの杖と違ってイチイの髪飾りという媒体も制限された上にあれだけの力を使ったのだから。
ベッドの側に置いてあった椅子に座り、リリアーネの手を握る。この接触ならどれくらいの速さで魔力が回復するのかと思いながら、ジークは目の前で眠っているリリアーネに視線を落とした。
「魔女とは一体なんなんだ……お前たちはなぜ姿を消してしまった」
眠っているリリアーネに問いかけるが、もちろん返答はない。ピクリとも動かないリリアーネを見てジークの胸の内に微かな不安がよぎる。
(まさかこのまま目を覚まさないなんてことはないよな)
魔力が枯渇した魔女がどうなるかは知らない。数日間眠ったままになるのか、数ヶ月になるのか、はたまたこのまま永遠の眠りにつくのか。もう少し彼女のことを知っていれば良かったとジークは内心で後悔した。
もう片方のリリアーネの手も持ち上げ、両手でしっかり握る。力が流れていく感覚がないので、これで彼女に魔力が流れているのかはわからないが、自分にできることはこれだけしかなかった。だがその時、彼女が直肌が一番魔力を回復すると言っていた言葉を思い出し、ジークは内心で頭を抱えた。
(おい……まさかこれしか方法がないのか?)
だが背に腹は代えられない。ジークはそっと扉の方を見やり、人の気配がないことを確認するとベッドに腰掛けて自身の上着を脱いだ。シャツ一枚の姿になり、プチプチとボタンを外していく。白いシャツの下から素肌があらわになると同時にリリアーネの体を横抱きにして胸に抱いた。
(これはいかがわしいことではない……はずだ。というか俺はそのつもりはまったくないからな!)
誰に言うわけでもない言い訳を心の中で繰り返しながらギュッとリリアーネを抱く。完全にシャツを脱いで上裸にならないところはせめてもの彼の抵抗だった。
半裸になりながら女性を抱きしめるという、今ここで誰かに見られたら殺してくれと思わなくもないシチュエーションに冷や汗がダラダラと流れる。おそらく部屋にリリアーネと二人きりになったところでライルベルトとセレスがニヤニヤしながら扉の向こうを見守っているだろう。というか、アイツらはこの後何かとどうでもいい理由をつけて部屋に入ってくる気に違いない。長年の付き合いだからこそ手に取るようにわかる悪友たちの行動を想像して、ジークはグッと歯を食いしばった。
(もう誰かに見られる前に終わらせるしか)
肌と肌が触れ合うほど魔力の回復が早いのであればキスがもっとも効果的であるだろうというのはジークも理解していた。これはあくまで緊急事態にしか使いたくない手だったのだが、今こそ緊急事態なのだろう。
心の中でため息をつきながらジークはリリアーネを片手で抱いたままもう片方の手で顎を持ち上げる。あくまで一瞬、リリアーネがピクリとも動けばそこで終了だ。だが口先が触れ合う瞬間、柘榴色の瞳がぱっちりと開いた。
「…………」
「…………」
どう見ても言い逃れできない状況に束の間時間が停止する。傍目に見れば完全に眠っている女性にキスをしようとしている男の図だ。しかも半裸で。
リリアーネも一瞬状況が飲み込めなかったようだが、ベッドの上でジークに横抱きにされていることに気づきハッと両手を口に当てた。
「ジーク様が……私にキスを? 嬉しい、リリアーネ、感激です!」
「待て待て待て、未遂だ」
「しかもジーク様のその格好……私、今から美味しく頂かれてしまう予定だったのですか? もう一回気絶してもいいですか?」
「どちらかというと俺を気絶させて記憶を失わせてくれ」
目をキラキラさせながら見つめてくるリリアーネを見てジークは天を仰いだ。もうどうにでもなれという気持ちだ。だがジークの腕に身を任せながらリリアーネがふふっとおかしそうに笑った。
「私が倒れてしまったからジーク様が魔力を回復させようとしてくれたのですよね。ジーク様優しい! ありがとうございます」
「あ? ああ、まぁ……緊急事態だからな。今日ばかりは仕方ないと言うか」
「そうですよね! 緊急事態ですよね! せっかく魔力回復をさせてもらえるなら遠慮はしませんよ! えーい!」
そう言いながらリリアーネが両手を伸ばしてちゃっかり首に抱きついてくる。よろけてベッドの上に手をつくジークに構わず、リリアーネが心底嬉しそうな顔をしてジークの胸に頬を埋めた。
「ああやっぱりジーク様に触れている時が一番安心します〜! 魔力も心もみるみるうちに回復していきます!」
「おまっ……! せめて服はちゃんと着させてくれ。あいつらに見られたらどうするんだ」
「大丈夫です! その時はジーク様が責任を取ってくれるので」
「それは大丈夫とは言わん」
それでも幸せそうに頬をぎゅむとくっつけるリリアーネを見て、ジークは呆れ笑いをした。なんだかんだと言いながらこうやって面と向かって好意を向けられることに悪い気はしないのだ。絆されつつある自分を自覚しながらそっと彼女の背中に手を回してやると、腕の中のリリアーネが目をぱちくりさせる。
「あれ? 気のせいですかね。なんだかジーク様の腕にギュッと抱きしめられているような?」
「いいからじっとしてろ。お前をそんな風にさせたのは俺のせいだから、その分の責任くらいは取ってやる」
「はわわわわジーク様ったらどういう風の吹き回し……へぶっ」
照れ隠しにリリアーネの後頭部に手を当てて胸元に押し付けるように引き寄せると、手の下で潰れたカエルのような鳴き声が聞こえた。押し付けられたほっぺたが思ったよりも柔らかいことに落ち着かない気持ちになるが、今日ばかりは見逃してやろう。
「お前がそんな状態になったのは俺が原因だからな。俺がもっと上手く立ち回っていればお前もそんなことにならなかったはずだ……助けてやれなくて悪かった」
「そんな、悪いのはお店を襲った人たちですよ。ジーク様は何にも悪くありません。それにこうやって『ご褒美』まであるんですから、倒れるのもたまには悪くはありませんよ、うひひ」
「だがなぜあそこまで力を使ったんだ。媒体で力が制限されている中で力を使えば魔力が枯渇することはわかっただろうに」
「だってジーク様が痛い思いをするのは嫌だったんです。ジーク様の辛い顔は見たくありませんから」
ぽつり、とこぼれた声がやけに耳に響いた。いつもと違ってしおらしいリリアーネの様子に驚いて視線を落とすと、ジークの胸に顔を埋めながらリリアーネがギュッと腕に力を入れる。
「ジーク様は優しい人です。だからうんと幸せにならなければいけません。ジーク様を傷つける人は私が全部やっつけてさしあげます」
「幸せとはまた大げさだな。お前がここに来た目的は婿探しなんだろ。最近出会ったばかりの男の幸せを願ったってしょうがねぇじゃないか。なんだってそんなに俺のことを気にかけるんだ」
「それは……放っておくと、ジーク様は自分を蔑ろにしてしまうから……」
か細い声と共にリリアーネが身を起こしてジークの顔を正面から見つめる。その顔が泣きそうになっているように見えてジークはドキリとした。なんだかそれは、ジークの身を心から案じているようにも見えて――。
――もしかしてお前は、前から俺のことを知っていたのか?
ふと湧いた疑問が口をつきそうになる。だがタイミングのいいことに――彼にとっては一番最悪のタイミングでバンと部屋のドアが開いた。
「おっつージークぅ! リーネちゃんの魔力は回復したかい……っておっとすまない、これはお取り込み中のようだったね」
「あらあらやっぱりの展開だったわね〜そのベッド、後で買い替えてくれるなら一回使わせてやってもいいわよ。金はもらうけど」
遠慮という言葉をどこかに捨ててきたライルベルトとセレスが意気揚々と部屋に入り、ジークを見て鬼の首を獲ったかのようにニヤニヤと笑う。
無理もない。事情はどうあれ、今二人に見えているのはシャツの前をはだけたままリリアーネを抱きしめているジークの姿だ。どう言い逃れしたって信じてもらえないだろう。勝ち誇ったかのような二人の顔がうざい。
それでも一応魔力回復の原理を説明すると、ライルベルトが興味深そうにモノクルを片手であげた。
「なるほど君は馬鹿なのかな? 身体接触が魔力回復に必要というならば、お互いに裸で抱きあいながらキスをするのが最も効率的で高い効果が望めると思うんだが、なぜそれをしない」
「んなことできるわけねぇだろ。恋人同士ですらねぇのに」
「はぁ? 何いまさら小僧みたいなことを言ってんのよ。あんたが今まで抱いてきた女だって特に恋愛感情なんてなかったくせに」
「同意があるのとないのじゃ全然違うだろ」
「でもリーネちゃんはお前のお嫁さんになりたいんだろう。なら遅かれ早かれの話じゃないのか」
「そうよそうよ。人工呼吸だと思ってとっととキスしちゃいなさい」
うんうんと頷きながら、「キース! キース!」と囃してくる男二人をジークは蹴り飛ばすようにして部屋の外へ追い出した。
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