第14話 先々代の森番
無事に目が覚めたリリアーネを連れて、今度こそジークは酒場を出た。ライルベルトが濡れた子犬のような目をしてついていきたそうな顔をしていたが、特に可愛くはなかったので黙殺した。「荒くれ者のせいで客入りがなくなってしまったけど、ちょうどいいわ。今日は店のイメチェンに充てるから」と言いながらニヤリと笑ったセレスの笑顔と狩人に捕まったウサギのような顔をしたライルベルトを見るに、この後何が起こったかは後々聞かなくても分かるだろう。
歓楽街を出て表の通りに出ると、健全な街の明るさが戻ってきた。子供がはしゃぎなぎらレンガの道を駆けていき、高齢の夫婦がベンチに座って日向ぼっこをしている。道の端では作業着を着た男達が地面にチョークで文字を書いていた。先程ライルベルトに教えられた通り、あれが街を支える錬金術なのだろう。作業員の男が手元の紙を見ながら地面に魔法陣を描くと、たちまちのうちに中央に大量のレンガの塊が出現する。そのレンガの形を整えながら、職工たちがせっせと花壇を作っていた。
歩道のベンチを直したり、食材で簡単な軽食を作って売っていたり。街を歩いていると、錬金術が人の生活の中で息づいているのがよくわかる。沢山の家や店が立ち並ぶ大通りを歩いていると、通りすがりの人々が声をかけてくれた。
「おー、ジークが街に来ているなんて珍しいな。たまには俺のところにも顔を出してくれよ」
「森番の仕事はどうだ? くれぐれもあぶねえことには首を突っ込むなよ」
「おいおい隣にいるかわいこちゃんは誰だ? いつの間に恋人なんて作ったんだよ。秘密にしてるなんて水クセェなあ」
通りすがりに笑顔で声をかけてくる顔なじみ達に、ジークが片手をあげながら挨拶をしていく。そんなジークを、リリアーネが目をキラキラさせてながら見ていた。
「すごいすごい、ジーク様は人気者なんですねえ。私惚れなおしました!」
「そんな大したもんじゃねえよ。単に森がなければこの街の生活が成り立たない。だから皆俺達の一族に敬意を払ってくれるだけだ」
「森番のお仕事は街のみんなが知っていることなんですね。あの森がこの街にこんなに密接に関わっているなんて知りませんでした」
「錬金術を発動させる魔法陣を書く為のチョークは森で採れるセルメタル石からできているからな。その他にもあの森でしか採れない物も多い。森が枯れればここでの生活も立ち行かなくなってくるからな」
「森はこの街を支える大切なものなのですね。そしてそんな大事な森を一人で支えているなんて、さすがは私の旦那様です!」
「褒めてくれるのは嬉しいが、さりげなく関係を進展させるな」
キャッキャと一人はしゃぐリリアーネに冷静なツッコミを入れていると、クルルルと声がして一羽の白い鳩がジークの肩にとまった。肩に載った白いふわふわの体を撫でながら耳を傾けていたジークがかすかに眉をひそめる。
「あれ、ジーク様どうかしましたか?」
「小鳩が伝言を届けに来た。悪い、少し寄り道をすることになるが構わないか」
「はい! ジーク様のいくところはどこへでもついて行きますよ! でもどこへ行くんですか?」
片手をあげて元気よく返事をしたリリアーネが小首をかしげる。この後の面倒事を予感しながらジークは軽いため息をついた。
「先々代の森番……俺のじいさんのところだ」
※※
小鳩を肩にのせ、勝手知ったる顔で歩いていくジークの後をついていくと、中心から外れるにあたって景色もどんどんと自然豊かになっていく。道沿いにぎっしりと立ち並んでいた家々は畑や牧草地に変わり、りんごの樹はなったばかりの艷やかな赤い果実をたわわに実らせている。森ほどではないが、そこには緑が多くて自然豊かな場所が広がっていた。
小高い丘を登りながらふと遠くに視線をやると、木々が生い茂ったシルフリーネの森が見える。ここは森から対極にある場所なのだ。
丘の上には一件の小さなカントリーハウスが建っていた。茶色の三角屋根には煙突がついており、細く白い煙が立ち上っている。だが白い壁はひび割れて一面に緑のツタが伸びており、家の前の花壇は雑草が伸び放題であまり手入れは行き届いていなかった。カサカサと音がしたかと思えば、屋根の下に蜘蛛がせっせと巣を作っている。言い方は悪いがまるでお化け屋敷のような見た目に、リリアーネがごくりとつばをのんだ。
「ジ、ジーク様、ここに本当に人が住んでいるのですか。なんだか荒れ放題でお化けがいそうなのですが……」
「ああ、じいさんはかなりのズボラだからな。まぁでもここに住んでいるのは引退した老人だけだ。怖がることはない」
「そ、そうですよね。ジーク様のおじいさまですもんね。怖い人じゃないですもんね」
なかば自分に言い聞かせるように呟くリリアーネに、ジークの肩の上にいる小鳩がクルルルルと呑気な鳴き声で答える。だがジークが扉を開けるとギギギっとまるで何年も使っていないような不気味な音がしてリリアーネはビクリと肩を震わせた。魔女とはいえリリアーネとてか弱い女子。お化けや魔物の類は苦手なのだ。
扉を開けた先は木製のテーブルが一つと椅子が一脚あるだけの簡素な部屋だった。だがこちらも外観と同じく雑多に物が置かれており、埃にまみれた床は決して綺麗な部屋とは言いがたかった。空の酒瓶が床に何本も転がっており、着たものなのか洗ったものなのかわからない衣服がソファに山積みになっている。暖炉の火がパチッとはぜているところを見るに誰かがいるのだろうが人の気配は感じなかった。
「おいじいさん、いないのか?」
ジークが声を上げながら薄暗い室内を歩いていく。リリアーネもその後をついていくが、不気味な室内の様子に、嫌な想像が頭の中を駆け巡っていく。
「うう、この部屋の中に魔物が住んでいたらどうしましょう。もしかしてジーク様のおじい様はもうとっくに食べられていて、ここには人食いの魔物が住んでいるんです。魔物は上半身は人間の姿をしているのですが、下半身は蜘蛛のように黒く八本に分かれていて、そして騙されて近づいたジーク様を頭からむしゃむしゃと食べてしまうなんてことになったら……!」
ブツブツと小声で言うリリアーネの想像は思いのほか物騒だった。そして時折何かが這いずり回るカサカサという音がリリアーネの不安を増幅させていく。
「いやもしかして食べられるというのはあっちの意味かもしれません。人食いの魔物は実は上半身は美女、下半身はタコの姿をしていて、ジーク様を自慢の触手で捕まえてあんなことやそんなことを……きゃぁぁぁ! そんなことになったら私がジーク様を守らなければ! いやちょっと見てみたいかもしれませんんん!!」
顔を真っ赤にしながらリリアーネがイチイの髪飾りに手を添える。背後で彼女がいかがわしい妄想をしているなど知らないジークが部屋の奥の扉を開けようと取っ手に手をかけた。そのとたん、足元からガサガサと音がしたかと思うと何かがリリアーネの足首をガシッと掴んだ。
「きゃぁぁぁぁぁ!! ななななんですかーー!!!」
とっさのことにリリアーネが悲鳴をあげながらもう片方の足でゲシゲシと足首を掴んできた物体を踏みつける。足が離れると同時にリリアーネがジークに飛びついた。
「ジジジジーク様下がっていてください! ここには人食いの変態触手美女タコの魔物がおります! このままではジーク様が食べられてしまう(いかがしい意味で)ので早く逃げてくださーーーい!!」
「いや、何を想像しているのかは知らんがそれは人だぞ」
リリアーネに両腕でガッチリと抱きつかれながらジークが呆れ顔で床を指さす。見ると床に積まれた空の木箱の下から人間の手が伸びていた。ガラガラと木箱が崩れ落ちる音と共に立ち上がった人影は大柄でふくよかな老人だった。
「なんじゃあうるさいのう、人の家に勝手に入って騒ぎ立てるとは何事じゃ」
「勝手なことを言っているのはどっちだ。じいさんが俺を呼びつけたんだろうが」
「おおその声はワシの孫ではないか! んん?今しがたつかんだのは柔らかいおなごのような肉感だったが、お前いつの間にそんなセクシーボディになったんじゃ?」
自分の手をワキワキと動かしながら怪訝そうな顔をする老人の目が、ジークの背後から異物を見るような目でこちらを見ているリリアーネを捉える。
「ぬぁ! おなごーーー!! 若いおなごではないか! このピチピチの肌、久しぶりに見たぞ!」
「きゃぁーーー! ジーク様誰ですかこの変態はーー!!」
「なっ変態とはなんじゃ。今はこんなに愛らしいゆるふわボディになってしまったが、若い頃は筋骨隆々の逞しい森番でおなごにモテまくっておったぞ。おまえさんもワシの若い頃を見れば一目ぼれ間違いなしじゃ」
「ジーク様、失礼ですがジーク様は橋の下で拾われたとかそういう生い立ちですか?」
「残念ながら正真正銘俺の血縁者だ。じいさんは無類の女好きなんだよ」
警戒心をあらわにするリリアーネを背後に庇いながらジークがため息をつく。
「まったく人のことを呼びつけておいてこの家の有り様はなんだ。前はこんなことなかっただろ。呼びつけた理由がろくでもない内容じゃなかったら帰るからな」
「ろくでもないとは失礼なやつじゃな。実は最近飲み屋のマリーちゃんと別れてしまってのぉ。それまではマリーちゃんが家のことをやってくれたんじゃが、わしがちっと他の飲み屋の女の子と遊んでしもうたら愛想を尽かして出ていってしまったのじゃ。じゃがちょうどそこにお前が街に出とると小鳩たちが教えてくれたからの、ついでにうちに来て片付けてもらおうと思ったのじゃ」
「思ったよりも最低な理由じゃねぇか」
「何を言うておる! 滅多に帰ってこないお前の里帰りの理由を作ってやったんじゃ。逆に感謝してもいいくらいじゃよ」
衣類が乱雑に積まれたソファの上に横柄に座りながら老人がふんぞり返る。白髪と白く伸びたひげに顔が埋もれているが、確かにジークと似た面差しがそこにはあった。その白い髪の間から覗く緑の瞳がリリアーネを捉える。
「ところでジーク、そのおなごは誰なんじゃ。もしやお前もやっと恋人の一人や二人を作る気になったのかの」
「はい! ジーク様の未来のお嫁さんになる者、リリアーネと申します! 先ほどはジーク様のおじい様とは知らず失礼しました。以後お世話になります、おじい様!」
「ななななんじゃと!? 嫁!? いつの間にそんなことになっとるんじゃ。あのひとけのない辺鄙な森の中でこんな妙齢のおなごと出会いがあるとはけしからんぞジーク! ワシの時代と話が違うじゃないか羨ましい! してどうしてそんなことになったんじゃ」
「実は私、魔女の一族なんです。森の中で行き倒れていたところをジーク様に助けてもらって、今はジーク様のお嫁さんになるべくひとつ屋根の下で一緒に暮らしているんです!」
「なんと一緒に暮らしていると!! くぅ〜! 未婚のくせに若いおなごと蜜月の生活とはやるな孫よ! お前のことを見直したぞジーク!」
「この情報量の多さなのに受け入れるのが早ぇんだよ。いや、たまたま森で拾ったから家に帰すか預け先が見つかるまでうちで面倒をみているだけだ」
「捨て猫扱い!? ジーク様酷い!」
目をうるうるさせながらぎゃんぎゃんと抗議をしてくるリリアーネの頭を片手で押し返していると、向かいの老人が呆れたようにため息をつく。
「ジーク、お前もそろそろ妻帯するべき年齢じゃろう? ちょうどいいではないか。今は恋仲になくとも、もう彼女に決めてしまえばいい」
「何度も言うが俺は妻を迎える気はない。森番の仕事は俺で終いにするつもりだ」
「お前は本当に頑固じゃのうジーク。何もお前がすべてを抱え込む必要はないというのに」
「おしまい……? 森番の仕事を終わりにするとはどういうことですか? だってシルフリーネの森がなくなることはないじゃないですか」
「ふん、どうせお前のことじゃからこの子に何も伝えておらんと思うとったわ。そうじゃな……おぬしがこやつの嫁になりたいというのであれば知っておかなければならぬ話じゃ」
先ほどとは打って変わって真剣な顔をした老人が目を伏せる。開かれた新緑の瞳は真っすぐにリリアーネを見ていた。
「ちょうどいい機会じゃ。おぬしに森番の本来の仕事を教えてあげよう」
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