第15話 森番の仕事
「ワシの名はゼノク。先々代の森番を務めておった男じゃ」
そう言ってソファの上で腕を組む老人は、背後が汚部屋ということを差し引いても風格のある男だった。真っ白な髪と同じく白くて長いあごひげからは年齢を感じさせるが、老人にしてはガッチリとしている体格から見るに若い頃はムキムキだったという情報は事実なのだろう。見事なまでのぽっこりしたお腹がその面影をなくしていたが。
「森番の仕事は森の動植物を管理し、環境を維持すること。じゃが街に住む者達はこの本来の仕事を知らぬ者が多い。森番の本来の仕事は、森を彷徨う死霊共を排除することなのじゃ」
「死霊……? おばけということですか?」
「なんとも緊張感のない答えじゃのう。ただの幽霊ではないぞ。あの森に出る死霊はな、人間どもを喰らうのじゃ」
「おばけが人間を食べるのですか!? そんなこと聞いたことがありません!」
「正確には物理的に食らうのではない。人間の生気を吸い取って人間を死に至らしめその人間を悪霊に変えてしまうのじゃ。そして一度悪霊になってしまった人間は二度と元には戻らぬ。だから悪霊化してしまった人間は心の臓に杭を突き立てて殺すしかないのじゃ」
「そんな……! そんなのあんまりです」
あまりにも残酷な事実にリリアーネが小さく悲鳴をあげる。あの美しい森の中でそんな残酷な現実が起きていることはにわかには信じがたかった。
悲鳴をこらえるかのように両手を口元にあてるリリアーネを見てゼノクが険しい顔をしながら足を組み替える。弾みで足元に転がっていたリンゴの芯が踏みつけられ、パキョッと気の抜けた音を立てた。
「奴らがいつからこの森にいるのかはわからぬ。じゃがこの森にしかいないことは確かじゃ。ゆえに我々森番は死霊を見つけ次第滅し、森の外へと奴らを出さぬようにしておる。そしてこれが森番の本来の仕事じゃ。ジークが森の見回りに出る際にいつも銃を持っておるじゃろう? あれは森の動物たちを撃つわけでも森を荒らす人間を撃つものではない。あの弾は銀でできておって、死霊の魂に永遠にトドメをさすためのものなのじゃ」
「死霊を討つことが森番の仕事……」
「その通りじゃ。どうだ、森番の嫁になることかどういうことなのかわかったじゃろう。それでもお主はこやつの嫁になるというのかの」
ゼノクが腕組みをしながら鋭い視線を向ける。リリアーネが自分の体を抱きかかえるかのようにして震えているのを見てジークがそっとリリアーネの肩に手を置いた。
「お前の気持ちはありがたいと思っている。だが事情はわかっただろう。悪いが結婚相手は他の」
「ジーク様、も、もしかしてあそこにいるのは黒虫じゃないでしょうか」
「は?」
急にナナメウエの発言が飛んできてジークは毒気を抜かれた。見るとリリアーネがぷるぷると震えながら部屋の隅を指さしている。
床の上には空の酒瓶が転がり、かじられたリンゴの芯や使い終わった正体不明のゴミが山と積まれていた。その山の隙間から二本の長い触角がニョキッと出ている。
「あー……」
「ジーク様、私黒虫が本当に苦手なんですーー! あれは違いますよね。おじい様の家に来ていたマリーさんの髪の毛ですよね」
「コラおなご、話を遮るでない。せっかくの威厳のあるワシが台無しじゃ」
「この汚いお部屋からしてそもそも威厳なんてありませんでしたけど!?」
だがその長い触角がぴょこぴょこ動いているのを見るに確実にマリーさんの髪の毛ではないだろう。
汚部屋を好む黒虫はその見た目の不気味さから苦手とする者は多い。そしてもちろん彼女もその一人だ。リリアーネの儚い願望をよそに、マリーさんの髪の毛(婉曲的な表現)がゴミの山から這い出てカサカサカサと壁をのぼってきたと思うと、あろうことかブブブと羽を震わせて空中へ飛び出した。
「いやああーーーーーー!!!!!!! 無理無理無理ですーーーーー!!! おばけなんかより黒虫の方が怖いですーー!!」
ジークに抱き着きながらリリアーネが絶叫する。だが艶やかな黒い羽根を震わせながら黒虫が目の前の床にすいと華麗に着陸すると、リリアーネの動きがぴたりととまった。同時に周囲の空気がゆらりと蠢く。
「よくも私をこんな恐ろしい目に遭わせましたね……この償いはしっかりしてもらいますよ」
恨みがましい声と共にリリアーネの髪が風をはらんだかのようにぶわりと広がる。同時にカタカタと窓が音を立てて激しく振動し、椅子や本、床に散らかる紙屑や黒く変色した謎のゴミがふわりと空中に浮いた。
「物がひとりでに浮いただと? な、なんじゃお前は……! この光景は一体どういうことなんじゃ」
「リリアーネ、気持ちはわかるがこんな狭い場所で暴れるのはやめろ! 黒虫は俺が退治してやるから、今すぐ力を鎮めるんだ! ……て、なんだこれは。俺の目の前にあるこの黒い物体から酷い臭いがするんだが」
「おおそれは三カ月前から行方不明になっていたワシのおまんじゅうちゃんじゃ。なるほどそこにあったのかのう、助かったぞ」
「…………」
「威厳ある森番なら少しは家を綺麗にしてくださいーーーーーー!!!!」
リリアーネの絶叫と共に宙に浮いた家具やゴミたちがいっせいに空中を飛び回り、元にあったであろう場所へ帰っていく。ついでに汚れた衣服は洗濯カゴの中に、床に散らばった紙くずや生ごみはひとりでにゴミ箱の中にダイブしてパタンと蓋をしめた。
リリアーネが右手でイチイの髪飾りに手を触れながら左手を黒虫の方にかざすと、まるで誰かに投げられたかのように黒虫が目にもとまらぬ速さでビューーンと窓の外へと消えていった。
リリアーネの魔力で瞬時のうちに見違えるほど綺麗になった部屋を見て、ゼノクが感心したように白いあごひげを撫でる。
「なんとお主……本当に本物の魔女じゃったのか。ジーク、お前が連れてきたのはとんでもないおなごじゃな。文献でしか語られない魔女の力がこれほど便r……素晴らしいものだったとは」
「今私のことを便利屋だと思いましたよね」
「うほん、それより話を戻そう。お主にも聞きたいことはたくさんあるが……どうじゃ。我々の本当の敵を知ってお主も怖くなったじゃろう。それでもまだコヤツの嫁になりたいというのか……て、おお、ワシ今カッコよくなかったか? やはり部屋は綺麗な方が様になるんじゃのう」
「当たり前です! ジーク様を一生幸せにしてあげるのが私の仕事です! それにお化けよりも黒虫の方がよっぽど怖いです。汚部屋反対」
「う、うるさいわい! 昔はもうちっと綺麗にしておったんじゃが、最近はどうも面倒くささが勝ってしまってのう。だってほら、洗濯物は畳まんでもどうせまたすぐ着るもんじゃし」
「それに、そんなことを言ったら森に一人で住むジーク様だって危険じゃありませんか。そんな悪いお化けは私が全部倒して差し上げます! ね、だから私と結婚してくださいジーク様」
えへんと得意気に胸を張りながらリリアーネが嬉しそうにジークの腕に抱きつく。だがジークは一つため息をつくと、静かにリリアーネの手を離した。
「何度も言うが俺は誰とも所帯を持つ気はない。いい加減諦めろ」
「ど、どうしてですか? だって森番は世襲制なんですよね。ジーク様の跡継ぎが必要なのでは?」
「死霊の数は年々減っている。俺の代で奴らをすべて討てば森番の仕事は必要なくなるだろ。万が一妻帯することになっても、家族は森の外に住んでもらう。お前も長い婚姻生活を別居で過ごすのは嫌だろう。だから俺は結婚相手には相応しくないんだよ」
静かに、だがハッキリと告げるジークにリリアーネが口をつぐむ。二人のやり取りを見てゼノクが困った顔で白いあごひげを撫でた。
「なるほど、これは肝っ玉の座ったお嬢さんに見初められたものじゃの。じゃがそう言っていられるのは死霊の本当の怖さを知らないからじゃ。おお、そうじゃジーク、ここに来たついでに、久しぶりに二人に顔を見せてやってくれんか? お前が行けばあやつらも喜ぶじゃろう。そして魔女のお嬢さんよ、お主がこやつの嫁になりたいかどうかはその者達に会ってからもう一度よく考えるといい」
「お二人? ここにはおじい様以外にもどなたかが住んでいるのですか?」
「行ってみればわかる。そしてそれがジークがここに帰りたがらない理由でもある」
ゼノクの意味深な言葉にリリアーネは首を傾げる。だが隣に立つジークはギュッと拳を握り、唇を硬く結んでいた。
「……わかった。リリアーネ、外に出よう。ついてきてくれるか?」
「はわわわわかりました! あ、でも人に会うならおめかししていかなくちゃ。あ〜でもさっきのお片付けでまた魔力が……! ジーク様すみませんがちょっとだけ私にキスしてもらえませんか? 唇の先っちょだけでいいので」
「大丈夫だ。その必要はない」
んーと唇を尖らせるリリアーネに静かに告げてジークが家を出ていく。後に残されたゼノクが険しい顔をしているのが気になったが、リリアーネも慌ててジークの後を追って家の外へと出ていった。
※
外に出ると爽やかな青空が二人を出迎えてくれた。小高い丘からは眼下に広がる街の様子がよく見える。街の向こうには、一本の巨大な樹と取り巻く広大なシルフリーネの森が広がっていた。
「こっちだ」と一言告げて、ジークが森を背にしてどんどんと丘を登っていく。
「ジーク様、今から会う人は誰なんですか? 私手土産も持たずに来てしまいましたが……」
「手土産なんかいらねぇよ。上にいるのは俺の両親だからな」
「なーーー! なんとご両親でしたか! それは大変! もうそんなことなら早く言ってください。可愛くしとかなきゃ」
ジークの後を追いながらリリアーネがイソイソと長い髪を三つ編みに編んだりスカートのシワを伸ばす。そんな彼女を見てジークが軽い笑みをこぼした。
「それも不要だ。……まぁ見ればわかる」
直上についたジークが立ち止まる。一歩遅れて丘の上に立ったリリアーネは目の前の光景に言葉を失った。はらりと手からこぼれ落ちた三つ編みが風に揺られながらほどけていく。
丘の一画は野花に囲まれていた。白や黄色の小さな花がポツポツと咲き、その上をふわりふわりと蝶が飛んでいる。その中に建っていたのは二つの小さな石碑だった。眼下の街を見下ろすようにして石碑が並んで鎮座している。
「俺の父と母の墓だ。そしてこれが森番と結婚することの意味でもある」
リリアーネがギュッと両手を握りながらジークを見ると、彼は遠くの森を眺めながら微かに目を細めた。
「森の中に住む人間は格好の餌食だ。俺の母は死霊に食われた。父は悪霊になった母を守ろうとして死んだ。俺達が迎える伴侶は必ず非業の死を遂げる……俺達は呪われた一族なんだ」
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