第12話 魔女

 リリアーネの白く細い喉元に鈍く光るナイフの切っ先があてられているのを見たとたん、ジークは弾けるように男の前へ出た。


「おい、ソイツは関係ないだろ! 今すぐその手を離せ!」

「はぁぁ!? そう答えて大人しく従う馬鹿がいるわけねぇだろ! ここで俺達に働いた無礼について詫びてもらおうかぁ!」

「膝をつくのはてめぇの方だろうが!」

  

 ジークが拳を振り上げながら男に掴みかかる。手下の男がかしらを守ろうと背後からジークを羽交い締めにしてきたが、腹に肘を食らわせて顎に拳をお見舞いしてやった。卑怯にもナイフを向けて来る男には手首を掴んで思い切り背中側にひねり上げ、首に手刀を叩き込んで床に沈めた。体格は圧倒的に盗賊たちに分があるが、それでもジークとて森番なのだ。森に侵入する密猟者と対峙するからにはそこそこの戦闘経験はある。

 ジークの無双ぶりが意外だったのか、ハゲ頭の男がリリアーネを捕まえたままヒュウと口笛を吹く。


「おめぇ細いくせに意外とやるな。だが俺達はちいと行儀が悪いんでね。こうさせてもらうぜ」


 そう言ってハゲ頭の男がパチンと指を鳴らす。とたんに仲間の男達がジークに群がるようにして羽交い締めにし、床に引き倒した。


「くそ、なんだお前ら、離せ!」

「おっとじっとしとけよ。お頭を怒らせちまったのはおめぇの方なんだからよ」

「へへ、コイツの目の前でその女を頂くっていう手もありますよお頭」

「ほう、それは面白ぇ余興になるな」


 ハゲ頭の男が舌なめずりをしながらリリアーネの腰に手を回す。強張った表情のリリアーネの肩がピクリと震えるのを見てジークも必死に抵抗するが、そこは多勢に無勢。武装した屈強な男達に腕も身体も封じられてはなすすべがない。


「あちゃあ~あたし対複数の戦闘は苦手なのよね。だってほら、私か弱いしい」

「うーん人質を取られちゃこの薬をぶちまけるわけにはいけないからねぇ。これは天才の僕にも解けない難題だな」


 男達との間合いを図りながらセレスとライルベルトが口々に言う。軽口をたたきながらも、二人の表情には焦りの色があった。状況が変わったのを察したハゲ頭の男がニヤニヤ笑いながら足元のジークを睥睨する。

 

「そんなに必死になってるってことはコイツ、おめえの女か? これは食いがいがあるな」

「頼む! そいつには手を出すな!」

「おいおい、人に物をお願いするにはちゃんと作法ってもんがあるだろうよ。こうやってな!」


 ひときわ大きな声をあげながら別の男がジークの前に立ちはだかり、ダァンと彼の頭を思い切り踏みつけた。床に叩きつけられたジークがギリっと歯を食いしばる。


「くそっ……てめえら絶対に許さねえからな」

「ヒャハハハハハァ! 虫けらが何か言ってやがる! これは見ものだぜ! せっかくだからこの後お前らにもおこぼれをくれてやるぜ!」

「マジっすか! お頭今日は気前がいいっすねぇ!」


 お頭の声に、男達が下卑た笑い声をあげる。だがリリアーネはそんなことなど目に入らないかのように呆然とした表情で床に引き倒されたジークを見ていた。怒りと悔しさで歯を食いしばるジークの顔が目に映る。その瞬間に柘榴色の瞳が見開かれ、まるで鮮血のようにひときわ赤く鮮明に輝いた。瞳の輝きが増していくと同時にゆらりと空気が大きく揺らぐ。


「あなた達……ジーク様に何をするんですか」

「ああ!? なんだおめえ、いっちょ前に反抗する気かあ!? 女は黙って命乞いでもしていればいいんだよ!」


 リリアーネの体を拘束している男が頬を殴りつけようと拳を振りかざす。だがその瞬間にまるで何かに弾き飛ばされたかのようにハゲ頭の男が大きく後方に吹っ飛んだ。熊のように大きな巨体が勢いよく酒場のカウンターに叩きつけられ、落ちたワインの瓶が盛大な音を立てて中の液体と破片を床に撒き散らす。何が起こったのかわからない手下達が一斉にどよめいた。


「お、お頭! 大丈夫ですか!?」

「目を開けてくだせぇ!!」

「その足をどかすのです、下郎」


 怒りを孕んだ声が響く。瞳を赤く燃え上がらせたリリアーネが、ジークの頭を踏みつける男の前にゆっくりと進み出でた。リリアーネが動くと同時に空気が揺らぎ、酒場の窓ガラスがギシギシと音を立てる。小さく灯るランプの炎が立松のように燃え上がり、まるで生き物のようにゆらゆらと大きく揺れた。

 場の空気が変わったのを感じたのだろう。辺りからざわざわとどよめきがあがる。だが精霊の存在を感知できるジークにはわかった。精霊たちがリリアーネの怒りに呼応しているのだ。

 いまだジークの頭をグリグリと踏みつけている男が冷や汗をかきながらリリアーネを正面から睨め付ける。

 

「な、なんだオメェ、俺たちに向かって命令するとはいい度胸だな! そんな生意気なことを言ってると後で痛い目に遭」

「いいから早くジーク様から離れろと言っているのです!!」


 リリアーネの声と共にジークを抑えていた男達が四方に吹っ飛んだ。おのおの壁やテーブルに叩きつけられて呻き声をあげる。何か目に見えぬ大きな力を身にまとったリリアーネがカツカツとカウンターまで歩いていき、手下達に支えられて床に座り込むハゲ頭の男の前で立ち止まった。


「ジーク様を傷つける者は私が許しません」

「ま、待て!! 一体何が起きている!? お前は何者なんだ!」


 だが男の声など届いていないかのようにリリアーネがゆっくりと目を瞑り、両手を天井に向かって大きく広げる。


「森羅万象に宿る精霊よ。命育む大地よ。我が名のもとに集え。我が名は魔女リリアーネ。精霊たちよ、我が問いかけに応えよ」


 詠唱と共に風が吹いたかのように窓ガラスがミシミシと音を立て、シャンデリアやランプの炎が天井に届きそうなほどに高く燃え上がる。店のいたるところに置いてあった観葉植物がまるで蔦のように枝葉を伸ばしてみるみるうちに床に転がる男達を拘束した。


「うわぁぁぁぁぁなんだこれ!! 植物が!!」

「くそっ硬ぇ! 引きちぎれねぇ!」

「ぐ、ぐるじい……!!」


 枝葉に四肢を拘束され、首を絞められた男達が苦痛にのたうち回る。だが植物たちは一向に手を緩めず、むしろ彼らが暴れまわる度に容赦なく体に食い込んでいく。

 ジークは床に膝をついたまま様変わりした彼女の様子を呆然と眺めていた。いつものくりくりした大きな目は赤く鮮明に輝き、床に倒れている男たちを冷たく見下ろしている。精霊たちの力を全身にまとったリリアーネの姿は畏敬の念すら呼び起こした。


(これが……魔女)


 魔女という存在は未知だ。彼らの存在は文献に残っているものの、その文化も生態も記録に残っていない彼らのことはもはやおとぎ話の中の存在にすぎない。

 だが今目の当たりにしているのは本物の魔女なのだ。精霊の力を支配下におき、圧倒的な力を持つ存在。偉大なる自然の力を操る存在を前にしては、人間はこうべを垂れるしかない。

 男たちを見下ろしながらリリアーネがスッと右腕を上げる。男たちを拘束した植物が、リリアーネの呼びかけに答えるように彼らの体を持ち上げる。拘束されたまま差し出された男たちは、まるで神に捧げられた贄のようだった。


「お、お前、何をする気だ!?」

「悪かった! 俺達が悪かったから許してくれぇぇぇぇ!」

「命だけは助けてくれ! お願いだ、頼む!」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら男達がわめく。まるで何かに取り憑かれたかのように恍惚とした表情を浮かべながら右手の拳を握りしめるリリアーネを見て、ジークは衝動的に立ち上がった。


「リリアーネ、やめろ!」


 ジークの呼びかけに答えるように、赤い瞳の輝きがフッと消える。拳を握ったままリリアーネは酒場の扉の方に向かって大きく手を開いた。


「お店で暴れる悪いやつは、もう二度と来ないでください!!」


 リリアーネの腕の動きに合わせるように酒場の扉が大きく開き、植物たちが次々に男たちを外へ放り出す。大きく枝葉をしならせてべチャリと地面に叩きつけられた男たちは、立ち上がると同時にうわぁぁぁぁぁと悲鳴をあげながら逃げていった。

 店内が静かになると同時に鉢植えの植物たちがシュルシュルと元に戻って行く。同時に床に散らばった食器やガラスの破片、ところどころ黒焦げになった床もまるで時が戻ったかのように綺麗になった。理論を越えた現象を目の当たりにしてライルベルトがゴクリとツバをのむ。


「ブラボー! これが魔女……! 素晴らしい、ますます彼らの生態が気になってきたよ」

「あたしはちょっとゾッとしたけどね……。能天気そうな顔をしてあの子があんな化け物じみた力を持っているなんてにわかには信じがたかったわ」


 セレスが自分の両腕で体を抱きながらリリアーネを見やる。植物たちが何事もなかったかのようにお行儀よく鉢植えに戻った瞬間、リリアーネの体がゆらりと大きく揺れてドサリと床に倒れ込んだ。


「お、おい、大丈夫か!?」


 ジークが弾けるように立ち上がり、慌ててリリアーネの元に駆け寄る。華奢な体を抱き起こすと、力を使い果たしたのかリリアーネはぐったりとしながら床に伸びていた。その胸が小さく上げ下げしているのを見てジークは内心でホッと安堵のため息を吐く。


「ちょっとその子どうしたのよ。具合でも悪くなったの?」

「いや、魔力が切れただけだろう。セレス、悪いが少し休める場所を貸してくれないか」

「裏に仮眠室があるから私のベットを使ってもいいわよ。でもそこでおっぱじめたらぶち殺すから」

「余計なお世話だ」

 

 呆れた視線を向けながらリリアーネを横抱きに抱き上げる。何事もなかったかのようにスッカリ元通りになった店内を通り、ジークは店の裏へと向かった。

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