第10話 迷い

 ジークとて健康な成人男性だ。ふらっと寄った酒場で声をかけられ、そのまま肌を合わせる関係になることだってある。

 だが後腐れのない関係を徹底していた彼からすると、目の前の娘については本当に心当たりがなかった。


「申し訳ないが君は誰なんだ。告白する相手を間違えていないか」

「いえ、シルフリーネの森を守る森番の存在はこの街に住む者であれば全員知っていることです。私、森番のあなたの力になりたいんです!」


 そう言って娘がジークの胸に飛びこんでくる。初対面にしてはずいぶんと熱の入った告白だ。そして話が飛躍しすぎている。娘の腕を強引に振りほどきながらちらりとテーブルに視線を送ると、うさぎ姿のリリアーネはきょとんとした目で彼女を見ていた。その澄んだ赤い瞳を見たとたんになぜか罪悪感が湧いてくる。そしてとんと心当たりはないがこの女は自分のことを知っているらしい。ここで振り切っても後々面倒なことになることを察知したジークは渋々立ち上がった。


「悪い。よくわかんねぇが話をつけてくる」


 なるべくリリアーネの顔を見ないようにして女と共に店の隅へと移動していく。

 後に残された三人は呆気に取られながら二人の背中を見送った。背もたれに深く腰掛けながらライルベルトがグビリとワインを一飲みする。


「なんだあの嵐みたいな女は」

「常に暴風雨みたいなあんたがそれを言う? でも見ての通り、ジークは意外とモテるのよ。神秘の森でたったひとり森を守っている森番。それだけでも乙女の好奇心を刺激するものなのに、当の本人がまあまあ色男じゃ女の子は放っておかないわよね」


 面白そうに口角をあげながらセレスがリリアーネ(うさぎ)を一瞥する。いまだテーブルの上にぴょこんと立ったままのリーネはぷるぷると震えながら両手で長い耳を掴んで目を覆っていた。そんな彼女を見てセレスがニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。


「なになに、あんたみたいな芋女もいっちょ前に嫉妬したりするわけ? ちょっと面白くなってきたじゃない」

「いえ、あの周囲を気にせずに突撃する強引すぎる押しかけ。ジーク様の家に押しかけた時の自分を思い出して恥ずかしいです……!」

「はぁ? そっちの話?」


 騒がしい酒場の喧騒に、セレスの呆けた声が響いた。




 酒がずらりと並んだ飾り棚の物陰に隠れてジークは娘と向かい合わせになる。色白で、美しい金髪をおさげにした町娘は、美しいが見たこともない人物だった。やたらと襟ぐりの深い服を着ているので豊満な胸が丸見えだ。露骨なアピールをしてくる女に辟易しながら、ジークはため息をついた。


「先ほども言ったが俺は君のことを知らない。恋人探しなら他をあたってくれないか」

「いえ、私は誰でもいいわけではありません。ジーク様だからお付き合いをしたいのです」

「初対面の女にそんなことを言われてもな……そもそも君はなぜ俺のことを知っているんだ」

「それはもちろんあなたのことを見に行ったからですわ。私たちの暮らしと密接に結びついているシルフリーネの森。その森を管理する森番はどんな方なのだろうと以前に一度森へ行った時にあなたの姿を見ました」

「勝手に森に入ったのか? 森に許可なく立ち入ることは禁じられているはずだが」

「ええ。もちろん森の中へは入っていません。少し森の外から中の様子を覗いただけです。でもその時にちょうどたまたま森を巡回しているあなたをお見掛けして、なんて素敵な殿方なのだろうと」


 要は好奇心から勝手に押しかけて勝手に一目ぼれをしたということらしい。一方的な言い分にジークは内心で頭を抱えるが、娘はうっとりとした顔で目を伏せる。


「その日からあなたの姿が忘れられなくて……いつかあなたが街へ来る際にはぜひ一目お会いしたいと思ってずっと探していましたのよ。そうしたらさっきそこで、あなたがこの店にはいっていくのを見たという人がいて」

「悪いが俺は妻帯する気がないんだ。だからこのまま帰ってくれ」

「どうして? だって森番は世襲制なんでしょう? 次の後継ぎは必要じゃない。私なら喜んであなたの子供を産んであげられるわ。あなたはご存じないかもしれないけど、私、これでもこの街ではなかなかの美人だとちょっとした噂になるくらいなんですよ」

「そうかい。ならきっともっといい男が見初めてくれるだろうよ」


 上目遣いで媚びてくる娘の言葉を一蹴する。ここまで受け入れられないとは予想していなかったのだろう。娘がキュッと唇をひき結び、みるみるうちに大きな瞳が潤んでいく。


「そんな……どうして私の気持ちをわかってくれないの? 私はこんなにあなたのことが好きなのに!」


 ワッと泣きながら娘がジークの胸に飛び込んでくる。どさくさに紛れてジークの胸板に自身の豊満な胸をグイグイと押し付けてくるのは気のせいではないだろう。

 久しく感じていない乙女の柔らかな肉体。だがそれはジークの心を欠片も動かしはしなかった。呆れたようにため息をつき、彼女の肩に手を置いてゆっくりと引き離す。


「もう一度言うが俺は誰が相手でも結婚する気がないんだ。悪いがこの話はなしだ。帰ってくれ」

「あなたは本当に誰とも結婚しないおつもりなの? あなた自身が好いた相手でも?」

「ああ、誰に対しても同じ……」


 娘の言葉を否定をしようとしてジークはとっさに口をつぐんだ。そういえばつい最近同じように嫁になりたいと言って押しかけてきた人物がいた。言っていることもやっていることもこの娘と変わりないはずなのだが、彼女に関してはなんだかんだと一緒にいることを許してしまっているのはなぜだろうか。

 自分の本心がわからず、娘を突き離す両手から力が抜ける。チャンスだと思ったのか娘が目を光らせながら再度ジークに抱きつこうと手を伸ばした途端、バタバタとうるさい足音が聞こえた。


「あーーんジーク様ーー! 魔力切れですーー! 早く回復させてくださいーー!」

「うわああああ!?」


 いつの間にかうさぎから人に戻ったリリアーネが――ついでに朝のカントリードレスも綺麗さっぱりなくなっていた――が、飛びつくようにジークに抱きついてきた。その気はないのにとっさに抱きとめてしまい、傍から見れば抱き合っているようにも見えなくない。リリアーネの姿を見て呆然としていた娘の目がみるみるうちに釣り上がる。


「ちょ、なんなんですかあなたは! ジーク様にくっつきすぎではなくて!?」

「す、すみません緊急事態なのです! このままでは魔力切れで倒れてしまうのですー!」

「はぁぁ!? 何わけのわからないことを言っているのよ! いいから彼から離れなさい!」

 

 しおらしい態度をかなぐり捨てて娘がジークとリリアーネを引き離そうとグイグイ体を押す。だが意外と力の強いリリアーネがジークの腰にガッツリ抱きついて離れない。おまけにちゃっかりシャツの下に手を入れて直肌まで触っていた。


「あ〜みるみる回復していきます〜! やっぱりジーク様の体が一番相性がいいですね」

「バッ……お前、もう少し言い方を考えろ」

「ちょっとお待ちくださいませ! あなた先程妻帯しないと仰っていませんでしたか? この女は誰なんですの!」


 娘が食って掛かるようにジークに詰め寄る。そのまま事実を伝えれば、お嫁さんになると言って勝手に押しかけてきて居候をしている女ということになるはずだが、それを彼女に伝えるのは得策ではないだろう。

 だがジークが口を開く前に、金切り声をあげる娘の口は長く白い指によって塞がれた。


「へえ、君は見た目は麗しいのに性格はなかなか強情なんだね。そういう独りよがりな女性は、あまりモテないんじゃないかな」


 ハスキーな声が響いて、ジークと娘の間にするりとワインレッドの影が入り込んでくる。一つに結んだ髪をなびかせて、セレスが妖艶に微笑みながら娘を見下ろしていた。


「な……! 店主さん邪魔しないでくださる? 今取り込み中なのですけど」

「むしろ酒を飲みに来る場所でこんな痴話げんかをされる方が迷惑だと思うんだけど」


 普段の柔らかい口調をやめ、セレスがフンと鼻を鳴らす。長い指で髪をかきあげる手つきは男らしくも艶めく色気があり、娘が驚いたように見惚れる。

 同時にセレスが娘を追い詰めるように壁に手をつき、もう片方の手でそっと彼女の顎を持ち上げた。

 

「今後そういう口を聞くお嬢ちゃんは、来店禁止だよ」

「あ、あの、私……! そんなつもりじゃ」


 今にも口づけをされるかと思ったのが、娘が頬を赤らめながらも期待の眼差しをセレスに向ける。先程までジークに迫っていたのはどこへやら、彼女の目はすっかり美貌の店主に釘付けになっていた。結局のところ、彼女は見目のいい男なら誰でもいいのだろう。

 打って変わったセレスの態度にジークは呆れた目を向けた。普段彼が女口調で喋るのは、ここぞという時に男の色気を武器にする為だということをジークはよく知っている。もちろん男性客を相手にする時は美人であることを全面に出す。この性悪な店主は、そうやって客の心をガッチリ掴んで常連にさせるのだ。


「……ごめんなさい。初めての店で失礼なことをしてしまったわ。でも、あの、もし良ければこの後少し私とお話してくださる?」

「もちろん大歓迎さ。美味しいワインを出してこようじゃないか。ああその前に、彼は返してもらってもいいかい。ちょっと取り込み中なんだ」

「え?」


 戸惑いの声をあげる娘をよそに、セレスがくるりと娘に背を向けてジークに向き直る。リリアーネを腰にぶら下げたままの彼は嫌な予感に後ずさりをするも、そんなことはお構いなしと言わんばかりにセレスがジークの襟元をガッと乱暴に掴み、引き寄せるようにして唇を重ねた。

 突如唇に感じる熱にゾワゾワと全身に鳥肌が立つが、どうやら娘には効果てきめんだったらしい。きゃ! と小さく悲鳴をあげた娘が慌てて両手で顔を覆った。


「あ、あの! 私あなた達がそういう関係だと知らなくて……ごめんなさい! でも私……私……ぜひまた来ますわ!!」


 バタバタと足音を立てながら娘が慌てて店の外へ出ていく。顔を覆いながらも指の隙間から二人の様子をガン見していたところを見るに、どうやら彼女の新しい扉を開いたらしい。

 ジークの腰に張り付いたままのリリアーネも口を三角の形に開けたまま今の光景を固まって見ていた。


「ジ、ジーク様の唇が……ファーストキスが……!」

「だあああ今のはカウントするな! つーかセレス、あんなことまでする必要があったのか? いくらなんでもやりすぎだろ」

「アッハハ、あたしったら役得〜! でもああでもしておかないと、今度はあたしがターゲットにされるでしょ。ああいう押しの強い子はタイプじゃないのよ〜でも客としては来てもらいたいしぃ」

「相変わらず、その綺麗な顔の下にある素顔はとんだ性悪だな」

「あら性悪はどっちよ。誰とも結婚する気がないなんて言っておいて、リーネちゃんとはひとつ屋根の下なんじゃない」


 涙目になりながらジークの腰に抱きついるリリアーネをベリッと剥がすジークを見ながらセレスが勝ち誇った笑みを向ける。


「あんたがなんでこの子の存在を受け入れているのか、もう一度よく考えてみるといいわ」


 ジークの胸を軽く小突くと、いつもの態度に戻った妖艶な店主はまたカウンターの奥へ消えていった。

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