第9話 酒場

「で、なんでここが錬金術が学べる場所なのか言ってみろ」


 ライルベルトの襟首を掴みながらジークが低い声で詰め寄る。首を絞められたライルベルトがギブギブと言いながら両手をあげて降参のポーズをとるが、ジークは華麗に無視をした。


 石畳の道沿いに立ち並ぶ建物には軒並み看板がぶら下がっており、どの店からもきゃあきゃあと甲高い女の嬌声や男達の笑う声が響いている。まだだいぶ日が高いというのに、道端には陽気に歌いながら歩いている人や酔って大の字になって寝こけている人もいた。

 ここは街の中心地から外れた裏路地にある歓楽街だった。いくつもの酒場が立ち並び、歩いているのは大人ばかり。いわゆるここは「大人の遊び場」というやつだ。そんないかがわしい場所とは知らないリリアーネは、道端で豪快にキスをする男女をしげしげと眺めている。


「何が錬金術を学ぶのに最適な場所だ。どう見ても酒場じゃねぇか。てめぇが酒を飲みたいだけだろ。昼間からいかがわしいところへ連れてくるんじゃねえ」

「えー。枯れているジークにサービスだよ。君だって最近こういう場所に来ていないだろ。久しぶりに遊んでいきなよ」

「お前に心配される筋合いはねえよ。とっとと表の通りに戻るぞ」

「まあ待てって。せっかく来たんだから一杯飲んでいけよ。錬金術のことも話せるしな」


 そう言ってライルが顔の横で指を立てる。視線の先には樽の絵が描かれた木製の看板があった。いつの間にか馴染みの酒場に連れてこられていたことに気づき、ジークはため息をつく。

 だがリリアーネが興味深そうにしげしげと店の中を覗き込んでいるのを見て、大人しくつきあうことを決めたのだった。




 店に入るとカランコロンと軽やかなベルの音が響いた。店内は薄暗く、オレンジ色のランプが落ち着いた大人の空間を演出している。あちこちに美しい調度品が置いてあるので、まるで酒場ではなく貴族の通うサロンのような雰囲気だ。客層がいいのは店主の努力の賜物だろう。

 久方ぶりの空気を目の当たりにしてジークはぐるりと周囲を見回した。以前は気まぐれにフラッと寄ることはあったものの、リリアーネが来てからは毎日騒がしくて人恋しさを感じる暇もなかった。強い酒の匂いと活気に満ちた空気を肌で感じていると、カウンター席に腰を下ろしてワイングラスを片手にしたライルが手招きしているのが見えた。


「何が錬金術だ。やっぱりてめぇが飲みたいだけだろライル」

「何を言っているんだジーク。この酒の美味さが錬金術の限界を示しているじゃないか」


 ライルが右手で木製のテーブルの上にチョークで魔法陣を書きながら、もう片方の手でグラスを傾けて一気にワインを飲み干す。グラスを空にすると同時に円の中心にグラスを置き、中に葡萄の粒を入れた。


「この通り、錬金術でワインを作るなんていうのはひどく簡単なことだ。葡萄を発酵させる術式を書けばいいからな。だが出来上がった物はワインの形を成しているだけのただの液体だ。はら、これを飲んでごらん」


 そう言いながらライルが出来上がったばかりのワインを隣に座るリリアーネに渡す。おそるおそる飲んだリリアーネは怪訝そうな顔でライルを見やった。


「……普通のワインですね」

「無論そうだとも。何か別のものだと思ったのかい?」

「いえ、ライルのことだからワインに見せかけた変なものかと思いました」

「あれ、リーネちゃんって僕にだけ厳しくない? 僕のイメージ最底辺だよね」

「残りは俺が飲もう。ここは素行の悪い奴もたくさんいるからな。酒はほどほどにしておけよ」

「はい、ジーク様、ありがとうございます」

「すごい露骨なシカトしてくるねぇ〜」


 両手をあげておどけながらライルがテーブルの隅に置いてある瓶からグラスにワインを注ぐ。トプトプと小気味よい音と共に深い芳醇な香りがふわりと漂った。


「はい、じゃあ次はこれを飲んでみてよ」


 再びライルからグラスを受け取ったリリアーネが、グラスに口をつけたとたんパッと顔を輝かせた。


「わー! このワイン、すごく美味しいです。香りもいいですし、こんな美味しいもの、今まで飲んだことがありません!」

「だろ? こういう作り手の技量が直に影響する嗜好品は錬金術では作れない。だからこの街に錬金術が根付いていても、パンやワインや家具や衣服を作る職人の仕事はなくならないんだ。僕の知る限り、このワインが至高にして最高の一品だね」

「そんなことが言いたくてこんなところにつれてきたのか」

「無論その通りだよ」

「帰る」

「ああんジークゥ! ひとり酒しろなんて寂しいことを言うなよぉ! いいから僕が飲み終わるまで付きあえって」

「やっぱり俺達を都合よくてめぇに付き合わせてるだけじゃねーか。オイ、くそ離せ!」


 嘘泣きをしながらジークの腕にしがみついてくるライルベルトを引き離していると、「あら、ジークじゃないの!」とハスキーな声が降ってきた。顔をあげると、顔なじみの店主がカウンターの向こう側からにこやかな顔でこちらを見ている。ワインレッドの髪をうなじでひとつに結んだ恐ろしいほどの美人だ。はしばみ色の瞳が面白そうにジークを見て、その次に隣のリリアーネに向けられる。


「へえ、しかも女の子連れなんて珍しいじゃない。行きずりの女と気まぐれに寝ることはあっても今まで特定の恋人は作らなかったのに。最近はもう枯れすぎて畑のカカシとでも添い遂げるのかと心配しちゃってたわぁ」

「相変わらず口が悪いなセレス。お前に心配されるほどじゃねぇよ」

「そうね、そこにいる変態よりはよっぽどまともだと思ってたけど。で、その子はあんたの恋人なわけ?」


 はらりと頬に落ちるおくれ毛を耳にかけながら麗人がニヤリと笑う。否定しようと口を開くが、ライルが手を伸ばしてムグッとジークの口を塞いだ。


「聞いて驚くなよセレス。この子はコイツの未来の嫁であり、既にひとつ屋根の下で暮らしている相手であり、僕の目の前で押し倒すところを見せてきた相手でもある。しかも裸で」

「おい誤解を招く言い方をするなライル。あれは間の悪いタイミングでお前が入ってきただけだろうが」

「で、こっちはセレス。この酒場の店主だ。ちっと口は悪いが、随一のワインと料理の作り手でもある。ジークと僕の顔なじみさ。普段は女みたいな口調だがこう見えてもれっきとした男という変わり者だよ」

「アンタにだけは言われたくないわよ変態」


 ライルの言葉をバッサリ切り捨てたセレスが値踏みするかのようにリリアーネを見やる。


「ふーん、でもやっぱり森に引きこもっていると誰でも良くなってくるのねぇ。顔は可愛いけど、なんかその子ちょっと芋くさくない? 枯れているとはいえジークだっていい男なんだから、せめてあたしくらい美しくないと釣り合わないわよ」


 そう言いながら酒場の店主――セレスがカウンターから手を伸ばしてジークの顎を長い指で艶めかしくなぞる。「お、おいやめろ」とかすれ声で呻くジークをよそに、セレスは色気たっぷりに挑発的な視線をリリアーネに送った。

 顎を引き寄せ、今にも口づけそうな距離の二人にリリアーネが「ひょ!」と鳴き声をあげて顔を両手で覆う。だがバッチリ指の隙間から二人を覗き見ているリリアーネの隣でライルが飲んでいたワインのグラスをテーブルの上に置き、ズイとカウンターに身を乗り出した。


「まぁ待てセレス。森の中で偶然出くわした芋女と判断するのはまだ早い。僕達と装いが異なるのは彼女が魔女だからさ。リリアーネは魔女の末裔らしい」

「はぁ? 魔女ぉ? まさかライル、その子あんたの患者っていうオチじゃないでしょうね。だって魔女なんて文献の中だけの存在じゃない」

「ところがどっこい彼女は本物だ。なぜならこの目で実際に魔法を見たからね。あれは錬金術師ではなく本物の魔法だった」

「今さらっと流しましたけど、芋女ってちゃんと聞こえてますからねライル」


 盛り上がる二人にリリアーネがジト目で冷静にツッコミを入れる。そしてコホンと一つ咳払いをするとセレスに向かってビシッと指を突きつけた。


「あなたがジーク様の昔からのご友人なのはわかりました。ですがこのリリアーネ、ジーク様の未来のお嫁さんになるからにはあなたにも私のことを認めていただきますよっ」

「へぇ面白いじゃない。今日は客入りが少ないからとことん付き合ってあげるわよ。いくらでもかかってきなさい」


 セレスがジークの顎から手を離し、形の良い唇に指をつけてふーんと口角をあげる。リリアーネもグッと拳を握って気合をいれると、右頭についているイチイの髪飾りに手を当てた。と同時にポンッという小気味よい音と共にテーブルの上に真っ赤な薔薇の花束が現れた。みずみずしい花弁を震わせた薔薇たちが甘い香りを周囲に振りまいている。その花束を手に取ると、リリアーネはズイとセレスに差し出した。

 

「お近づきになった印にこれを差し上げます」

「あらすごい、あんた本当に魔女だったのねぇ。あたしに薔薇の花束なんて、よくわかってるじゃない」

「今日は杖を持ってきてないんだろ。魔法は使えないんじゃなかったのか」

「杖はあくまで精霊と繋がる為の媒体なので。あまり大きなことはできませんが、このイチイの髪飾りをつけていても少しなら魔法が使えるのです」

「それでもこんな大勢の人がいるところでいきなり使うのはまずいだろ。誰かに見られたらどうするんだ」

「心配してくれるなんてジーク様ったら優しい! でも大丈夫。今私の周りに視認性の落ちる魔法もかけましたから、他の人に私の姿は見えていませんよ」

「へぇあんたやるじゃない! 確かにこれは錬金術ではできない芸当ね。ちょっと見直したわ」

「ふふふん。ほら見たことですか。そして魔法ならなんとこんなこともできてしまうのですよ」


 そう言ってまたもやポンと音がして、リリアーネの姿が真っ白いうさぎに変わった。首下にもふもふの襟巻きをつけたようなふわふわした子ウサギが、テーブルの上で拍手喝采を待つように両手を挙げている。

    

「きゃぁぁ! やだこのモフモフはちょっと可愛いじゃない。ホラ、あたしに触らせなさいよ」

「どうぞどうぞ。フリーハグなのですよ」

「へぇ、これは上等なうさぎの毛じゃないか。これは襟巻きにちょうど良さそうだ。真冬で寒くなった時はぜひ君を呼ばせてもらうよ」

「あ、ライルはお触り禁止です」

「リーネちゃん僕のこと虫けらか何かだと思ってる!?」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ三人を横目で見ながらジークがため息をつく。


「まったく、ライルのせいでとんだ道草を食っちまった。今日は別の用事があるんだ。それを飲んだらとっととここを出るぞ」

「でもジーク様、ここのお店はとても雰囲気がいいですよ。表の通りには変な人や暴れている人がたくさんいたのに、ここは静かで落ち着いていてとても居心地が良いです」

「あらやだ! アンタ見る目あるじゃない! そりゃもうあたしみたいな美人がいる酒屋はオシャレな空間がいいでしょう? 店内の雰囲気にはどこの店よりも気を使っているのよ」


 セレスが得意気におくれ毛を払いながら形の良い唇をあげる。すっかり上機嫌だ。


「思ったよりもアナタ良い子じゃない。うん、よし、じゃあもうコイツと結婚しちゃいなさい。あたしが許すわ。でもジークは手強いわよぉ。この人、昔から全然特定の恋人を作らないのよ。それなりに言い寄ってくる女はいるのにね」

「ばっ……余計なことを言うな」

「あ、ほら噂をすれば、よ」


 カウンターから身を乗り出していたセレスがニヤニヤと笑いながらリリアーネに囁く。同時にカツカツとヒールの音がして、一人の若い娘がジーク達のテーブルにやってきた。娘はジークを見ると頬を赤く染めながら、両手をギュッと握りしめる。


「あ、あの、もしかしてジークヴァルト様ですか? 私あなたに結婚を申し込みに来ましたの!」


 ジークのことを真っ直ぐに見ながら、彼女はとんでもないことを口にするのだった。




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