第2章 街へ

第8話 街へ

 リリアーネがジークの元に押しかけて早ひと月。朝の見回りが終わった後に彼女と並んで朝食の仕度をするのがすっかり日常になってしまったある日のことだった。

 まな板の上でハーブを刻み、調味料を取り出そうと棚を開けたジークが「あ」と小さな声をあげた。


「あれ、ジーク様、どうかしましたか?」


 刻まれたハーブを右手で皿の上のお肉にかけながら──ついでに左手でジークの手もスリスリと撫でながら、リリアーネがキョトンとした顔で問う。さすられていない方の手でリーネの手をつまんでポイと捨てながらジークが顎に手をあてた。


「いや、そろそろ小麦と香辛料が切れる頃だな。街に買い出しに行かなければ」

「街へ行くのですか?」

「ああ、お前も行くか? 街は森の中とはまた違ったものがたくさんあるからな。行けば面白いだろう」


 負けじとジークの腰にぎゅむぎゅむと抱きついてくるリーネをベリッと引き剥がしながらジークが優しく問う。彼の言葉にリーネはパッと顔を輝かせた。


「はい! ジーク様が良ければ一緒に連れて行ってください!」

「よし、じゃあ朝飯あさめしを食ったら行くか。ちょうど寄りたい所もあるしな。その杖は目立つから置いていけよ」

「はーい! わかりましたっ! ジーク様とデートなんて嬉しいです。あ、オシャレして行かなきゃ」

「デートじゃねぇ。買い出しだっつってんだろ。あとどさくさに紛れて服の中に手を入れようとするな」


 そろそろと背後から手を伸ばしてシャツの隙間に手を入れようとしているリーネの腕をガッと掴むと、リーネがぷぅと口を尖らせる。だけどすぐに気を取り直して杖を掴むと、自分に向かってトントンと二回杖を降った。

 するとポンと小気味よい音と共にたちまちのうちにリーネの姿が変わった。長い黒茶の髪は三つ編みに編まれ、所々に花を散らしている。いつも着ている魔女の服は白と緑のカントリードレスに早変わりした。


「えへへ、ジーク様とお出かけなのでちょっとおしゃれしてみました。どうですか?」

「あ……まぁ悪くないんじゃないか」

 

 両手をあげて抱きついてこようとするリーネの頭を正面から掴んでそれ以上前に進めないようにしながらジークが答えると、リーネの顔がパッと輝く。もう結婚ですか? 結婚ですよね? と騒ぐリリアーネの言葉を聞き流しつつも、嬉しそうな彼女の顔にジークも仕方ないなと呆れ笑いをするのだった。





「わーー! すごいです! 背の高い建物がいっぱい!」


 街へ出たリーネがはしゃいだ声をあげる。キラキラとした目で街を眺めるリーネの横をガタガタと辻馬車が通り過ぎていった。

 石畳の道沿いに色とりどりの三角屋根の家々が立ち並び、窓枠に飾られた花々が鮮やかに街の景色を彩っている。広場には大きな噴水が大輪の水の花を咲かせており、緑の街灯が行儀よく並んでいた。

 その中を大勢の人々が行き交い、出店の店主が大声で客寄せをしている。初めて見る街並みは人々の活気に溢れていた。


「ジーク様、あの高い建物はなんですか? 二本の針があって、数字がたくさん書いてあります」

「あれは時計塔だ。定刻になると鐘を鳴らして人々に時間を知らせてくれる」

「あの道にいっぱい並んでいるものはなんですか? てっぺんに四角いものがついていますが」

「街灯のことか? 夜になると街灯夫があれに火を灯す。そうすることで夜も街は暗くならないんだ」

「夜でも明るいのですか? 魔法もないのにすごいですね」

「魔女達がいなくなって、魔法の代わりに生み出されたのが錬金術だからな。錬金術は街の発展に大きく関わってきた。まぁここに関してはライルベルトの方が詳しいな」

「そうなんですか。人間は逞しいんですねぇ」


 ジークの説明にリーネが感心したように辺りをグルリと見回す。だけどそのクリクリとした柘榴色の瞳に一瞬だけ切ない色が宿ったような気がしてジークはドキリとした。

 遥か昔、魔女は当たり前のように人間と共に暮らしていたという。それは文献にも残っている事実だ。だがある日を境にして彼らは突然姿を消してしまった。もしかすると、彼女はその失われた歴史を知っているのではないか。


「リリアーネ、お前……」


 だが、ジークの言葉を遮るかのように背後からカツカツと靴音が聞こえ、リーネとジークの間を割って見知った顔がぬっと現れた。


「あれー? お二人さん、珍しいね。街まで来てデートかい? よかったら僕も混ぜてよ」

「なっ! ライルベルト! お前なんでここに!」

「あはは! こんな所で会うなんて奇遇だね。もしかしてリーネちゃんの運命の伴侶は僕かもしれないなあ。いやジークの相手が僕という説もあるぞ。ってあれ? リーネちゃんもすごい顔してるね!? それはジークとのデートを邪魔するなっていう顔かい?」

「いえ、あなたの存在そのものに関する顔ですねー」

「あれ? 前回が初対面なのにもう僕の存在を否定しちゃうの!? 僕何かしたっけ!?」


 初対面のリーネに対して体を研究させろと言い放ったあげくに錬金術でジークに媚薬効果を付与したことなどとうに忘れたかのようにライルベルトが大げさにのけぞる。

 ジト目で警戒心をあらわにするリリアーネを守るかのようにジークが立ちはだかり、ライルに呆れた視線を送った。


「で、正直なところお前は何しに来たんだ、言え」

「えー、だから、道を歩いていたらたまたま君達を見つけたから絡みに来たんだよ」

「んな偶然あるわけないだろ。言え」

「アハハハ〜もう、ジークってば疑り深いんだからぁ」


 明らかに嘘くさい笑みを貼り付けているライルに、ジークが疑り深い視線を送る。二人のやり取りを眺めていたリーネが目をしばたかせながらライルの胸元に視線を落とした。


「ライルのローブのポケットが膨らんでいますね。何か入っていますよジーク様」

「なんだと? おい片眼鏡それを見せろ」

「ああンもうジークのエッチ♡」


 わざとらしく体をくねらせるライルを無視してポケットに手を突っ込むと、硬質な物が指を掠める。躊躇なく引っ張り出してみると、それは手のひらに乗るほどの小さな紫色の石だった。

 

「これはなんだ? 何かの金属に見えるが、見たことのない色をしているな」

「あ、これ? これは錬金術で作った位置発見機さ。ちなみに君の上着のポケットにも同じものが入ってるよ。この前ジークの家に行った時に仕込んでおいたんだ」


 さも世間話をするかのように述べられたライルの言葉にジークは無言で上着のポケットから出した石を地面に捨てる。「ああん勿体ない」というライルの泣き言を黙殺して、ジークはライルの胸ぐらをつかんだ。


「ンな物騒な物を勝手につけやがって、普通にストーカーじゃねぇか。お前、リリアーネにも変なものをつけてんじゃないだろうな」

「へぇ僕がリーネちゃんのプライベートな姿を見ていないか心配してるのかい? もうすっかり旦那気取りじゃないか」

「ふざけんな、一般的な話をしてんだよ。ストーカー石なんてつけやがって、お前リーネのことを狙ってやがるな」

「石が入っていたのはジーク様の服なので、どちらかというとジーク様の体が目当てかもしれませんよ」


 シレッととんでもないことを言うリーネの発言を聞かなかったことにして詰め寄ると、ライルが両手をあげて降参のポーズをしながらハハッと笑った。


「安心したまえよ、僕は人間の雌に興味なんてないからさ。もっとも魔女の生態には大いに興味があるからね、君達を観察していれば僕の研究に大いに役立つと思ったんだ。まあさすがの僕にも常識というものは備わっているから、リーネちゃんの服に石を忍ばせるのは控えたけど」


 その後小声で「というか捕まったら僕の研究内容が全部自警団に回収されちゃうからね」というある意味では倫理観がぶっ壊れている言葉が聞こえてきたが、それでも一応人としての矜持は守られたわけだ。男をストーカーすることが果たして矜持を守ったかというと疑問が残るが。

 呆れ顔の二人を目にしてライルが人差し指を立ててチッチッと横に振る。


「やれやれ、今のままだと僕はすっかり変態ストーカーだね。では僕のイメージを払拭する為に錬金術師らしいところを見せてあげよう。そういえばリーネちゃんは錬金術に興味があるんだっけ? よかったら僕が教えてあげようか。天才錬金術師による高額な授業だよ。特別に初回無料だ」


 バチンとキザにウインクをしてライルがローブのポケットに手を入れる。中から取り出したのは銀色の金属だった。同時に懐から小袋を取り出し、地面に向けてサラサラと中身を出す。中から出てきた黒い砂のようなものの隣に金属を置くと、ライルはその周りにチョークで魔法陣を描き始めた。


「この黒い砂は火薬だ。この金属は薬莢の原料。ここまではいいかい」

「火薬だと? お前はいつもそんな物騒なものを持ち歩いているのか」

「有事の際はその場を爆破させて逃げることができるからね」


 何やら物騒な言葉が聞こえた気がするが、ジークは聞かなかったことにした。


「で、この魔方陣の中に、魔法文字ルーンで指示を書き込む。金属を溶かして薬莢の形にし、中に火薬を詰めろとね。色や形、硬度など詳しく条件を書けば書くほど精度が良くなるが、逆に書きすぎると錬成に時間がかかって失敗しやすくなる。ここが錬金術師の腕の見せ所だな。で、こうやって最後にチョークを突き立てれば発動する」


 魔方陣の中に細かく文字を書き込んでいたライルが、トンと中心にチョークを置く。すると魔方陣の周りが強い光に包まれ、発光が収まると同時に魔方陣の中に弾薬が出現していた。


「わー! 何度見てもすごいです! 魔法みたい!」

「だろ? この通り、錬金術があれば、汗水垂らしながら人力でひとつひとつ弾薬を作らなくて済む。錬金術はね、この町を支える重要な技術なんだ。街灯、イス、パン、洋服に靴のような一般的に使われるものから、僕みたいな天才にかかるとこういう位置発見機を作ることもできる」

「ストーカー製造機の間違いだろ」

「あの大きな時計塔や家も錬金術で作られているのですか?」

「おっリーネちゃん良いところに気づくね」


 そう言ってライルが街灯の下にリリアーネを連れて行く。鉄製のポールの上にガラスでできた籠がついているごく一般的な街灯だ。


「見ての通りこれは大きくて構造も複雑だ。錬金術で作ることも不可能ではないんだけど、ものすごく複雑な術式が必要になってくる上に失敗する確率も高い。鉄製のポールを立ててガラスで籠を作れと指示をしても、少しのミスでガラスのポールにレンガ造りの籠という奇妙な物体ができてしまうこともある。失敗すれば材料も全部無駄になるからね。こういう大きな建造物や複雑な構造のものについては人力でやる方がむしろ早いんだ」

「錬金術も万能というわけではないんですね。でも、魔法を使わずにこんなことができてしまうなんて人間はすごいです」


 目をキラキラさせて街灯を見上げるリリアーネの横でライルが得意気に頷く。だが腕を組みながらリリアーネの背後を守るかのようにぴったり側にいるジークを見て、ニヤリと口角をあげた。


「そんな勉強家の君達に錬金術のすごさを知れるもっとすごいところに連れて行ってあげるよ。こっちにおいで」


 そう言って手招きをしながらライルベルトがスタスタと前を歩く。ジークとリーネも一瞬顔を見合わせるが、大人しく彼の後を追うことにした。

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