第2話 私とあなたの素敵な関係

 怒鳴りつけて家から追い出したジークは、リーネの腕を引いて森の中をずんずんと歩いていた。

 口で言っても帰らないのであれば強制送還するまでだ。リーネの言うことによれば、行き倒れていた彼女を見つけたあの樫の木が魔女の世界と行き来する為の入口になっているらしい。


「いーやーでーすー! だって帰ってもお婿さんにしたい人がいないんですもんーー!! 絶対に帰りませんーーー!!」

「だぁぁぁうるせぇ!! ちょっとは大人しくしてろ!!」

「じゃあ大人しくしたら何くれますか? キス? キスしてくれますか?」

「死んでもやらん」


 つっけんどんに返すと、リーネがむすーっと頬を膨らます。だがすぐにあっ! と声をあげると腕をするりと動かしてジークの手を握った。


「じゃあこうやって手を繋いでくれるなら大人しくしてます。減るもんじゃないし、いいでしょ? ね? ね?」

「……好きにしろ」

「ジーク様優しい! 大好き」


 嬉しそうに手をギュッと握りしめるリーネを見て、ジークはつと目をそらした。急に大人しくなったリーネを前にして、ざわざわと胸の中が落ち着かない。


(くそっ……なんなんだよ一体)


 リーネは黙っていればなかなかの美人だった。大袈裟な振る舞いと騒がしい言動で子供のように思っていたが、よく見ると体つきも女性特有のラインを描いている。魔女の年齢が人間と同じかはわからないが、人間で言うなら十八、十九くらいの年頃だろうか。意外と自分と年齢差はないのかもしれない。だが、それであればますます男の家に押しかけてくるのはまずい。


 黙々と歩いていると、見覚えのある樫の木が見えてきた。大人が数人で囲えるくらいに太い立派な大木だ。

 木の根本まで来ると、ジークは仁王立ちで圧をかける。隙を見て逃げ出そうとソワソワしている彼女を目で牽制すると、リーネは観念したように長い杖を掲げた。

 リーネが杖でコンコンと幹を叩くと、木の幹に大きな入り口が現れる。大人も悠々通れるくらいに大きな空間だ。だが、すぐには入ろうとせずに入り口の前で何かを言いたそうにもじもじしている。そんなリーネの様子を見てジークは大きなため息をついた。


「お前がもっと他の男を見て、それでも俺が良いって言うならまた来ればいい」

「え……良いんですか?」

「別に、来ること自体は否定しない。だからといって結婚する保証はないけどな」

「わぁぁ嬉しい! やっぱりジーク様だーい好き!」


 パッと破顔すると、リーネはウキウキしながらアッサリと空間の中に入っていった。

 黒茶の髪の毛先が穴の中に完全に消えるの見届けたジークは、やっと肩の荷が降りたかのようにため息をついた。そして持っていた銃を担ぎ直すと静かにその場を後にした。


 そのまま森の奥へと足を踏み入れ、森の様子を見て回る。

 シルフリーネの森はジーク以外に誰も住んでいない。高い木々が鬱蒼と生い茂る森は静かで、神秘のベールに包まれているように厳かな空気が漂っている。精霊の導きに従って、植物の手入れや怪我をした獣達の手当をするのが森番の仕事だ。 

 一通り雑事を済ませたジークは、獣道を進みながら家路についていた。あと少しで到着するという所で、目の端で小さな光がチカリと瞬く。森に住む精霊達がジークに何かを知らせているのだ。


「わかった、今行く。どっちの方角だ」


 鋭く問うと、光が横に流れてスッと消える。ジークは銃をしっかりと握り直すと、彼らの導きに従って足早に駆けていった。

 

※※※


 精霊達が案内したのは、先程の樫の木の辺りだった。微かに人の話し声が聞こえる。それは近づくにつれて男の怒声に変わっていった。


「おい早くしろ! さっさとその草を摘め!」

「やっているんですが光の壁が張られていて触れません!」

「なんだと!? ちっ結界が張られているのか」


 息を殺しながら様子を伺うと、リダリアの銀花が咲き誇る一帯で数人の男達が言い争っていた。武器と装備を見る限り、彼らは密猟者だろう。希少な動植物が生息するこの森では、時たまこういった不届き者が足を踏み入れる。

 だがリダリアの銀花の周りを金色の光が覆い、手を出しても花を掴めないようだった。誰の仕業かはわからないが、結界が張られているらしい。今が好機と銃を構えて踏み出そうとしたジークの前に、既視感のある黒茶の髪が映った。


「きゃぁぁぁこの変態! えっち! 触らないで!!」

「おい! この女の仕業だぞ! こいつ魔女みてぇだ。こいつが銀花の結界を張っている!」

「ちょっと! さっきから何馴れ馴れしく触ってるのよ! 私に触っていいのはジーク様だけなんだから!」

「ジークって誰だコラァ!!」

「はぁぁぁぁぁ!? あいつ、帰ったんじゃなかったのか!?」


 男に連れられてぎゃあぎゃあと文句を言いながら姿を現した彼女は見覚えしかない女だった。

 なぜまだここにいるんだとかよりにもよって捕まるなだとか言いたいことは色々あったが、今は悠長なことを言っている場合ではない。ギリッと歯噛みして銃を構えるとジークは男達の前に躍り出た。


「手を挙げろ。この森の管理者だ。撃たれたくなかったらさっさとここから立ち去れ」

「管理者!? くそっ森番か! 面倒くせぇやつに見つかっちまったな」

「そんなことはどうでもいい! 早くあれを殺せ!」


 一人が叫び、もう一人が持っていた銃でジークに向かって発砲した。だが、まるで見えない力に護られているかのように弾は明後日の方向に飛んでいく。

 

「なんだ!? なんであたらねぇ! なんなんだあいつは!」

「馬鹿野郎! もっとよく狙って撃て!」

「無駄だ。俺には精霊の加護がついてるからな。足をぶち抜かれたくなければとっととここを出ていけ」

「ぐっ……くそっ覚えてやがれ!! おい、お前らずらかるぞ!」


 わかりやすいほどにテンプレな捨て台詞を残し、男達は慌てて森の外へと逃げていく。

 ぺたりと地面に座り込んだリーネを助け起こそうと手を差し伸べると、なぜかリーネがはっとしてジークの手を掴んだ。そのまま振り返って後方の男達に向かって杖を振る。


「なっ……おい何やって……」

「やっぱり……魔力が回復してる」

「は?」

「今彼らに忘却の魔法をかけました。彼らはここに魔女がいた記憶だけすっぽり無くなっているはずです」

「あ、ああそういうことか。確かに魔女の一族は滅びたと言われているからな。そうしてもらえると、俺としても助かる。だが、なぜもっと早く使わなかったんだ? それこそどでかい魔法一発で追い払えば良かったのに」

「使えなかったんです。魔力が足りなくて。あの時の私は銀花を守る為の結界を作ることくらいしかできませんでした」

「は? だがお前は今しがた魔法を使ったばかりじゃないか。どういうことだ」

「そうですね。思い当たることとしたら……」


 ぶつぶつと呟きながらリーネがジークを見上げる。そして嬉しそうににんまりと笑うとガバッとジークに抱きついた。


「うわっ! おい、待て。離れろこの変態女!」

「あーやっぱり! すごい、魔力がどんどん回復していきます! ジーク様は精霊の加護がついていますから、こうやって触れていると精霊の力が私の方にも流れてくるみたいですね。そう、まさに人間魔力回復機! さすがジーク様です!」

「はぁぁぁぁぁ!? なんだそれは! くそ、おい引っ付くな離れろ、暑苦しい」

「あーん、もうちょっとだけ回復させてください」

 

 引き離そうと襟首を引っ張るも、リーネが更にぎゅむっとしがみついてくる。とりあえずこちらが抱きしめなければセーフだろうとジークはしぶしぶ両手を挙げて彼女のさせるがままにしていた。なんだこれ、これじゃまるで俺が降参してるみたいじゃないか。

 だがリーネが男達に見つかったのは、彼女が銀花を守ってくれたからなのだ。そう思うと少しだけこのままにしておいてやろうとジークは思うのだった。そう、ほんの少しだけだけど。


「おい、魔力は十分に戻っただろう。もう一度木まで送っていく。今度はお前がしっかり帰ったのを見届けるからな。行くぞ」

「あーそのことなんですけど、実は私、帰れないんです」

「は?」


 本日何度目かわからない「は?」である。ジークが目を丸くしていると、リーネがへへへと笑ってぺろりと舌を出した。


「こちらの世界からあっちに帰るには、『鍵』が必要なんです。それがないと、木の中に入ってもあっちの世界への扉が開かなくて。私の場合、魔女の三角帽子がそれなんですけど、実は帽子を家に置いてきたままこっちの世界に来ちゃいまして」

「待て待て。ということは、この三日間お前はどうしていたんだ。帰っていなかったのか? まさかここで野宿を……」

「あ、そうですそうです。だから私、ずっとこの木の上で寝ていたんです。意外と快適ですよ」

「飯は?」

「そこらへんの野草を頂戴しました」

「風呂は?」

「あっちの泉で浴びましたよ。あ、もちろん水浴びの時は野うさぎに変身してたので大丈夫です」


 あっけらかんと言うリーネの言葉を聞いてジークは唖然とした。いくら動物の姿になっているとはいえ、途中で魔力が切れたらどうするのだ。泉の中で突然真っ裸になったリーネを想像し、ジークは目眩で倒れそうだった。


「とりあえず魔力を枯渇させなければ良いわけか。お前らは普段どうやって魔力を回復させるんだ。飯か?」

「魔女の世界では空気に魔力の因子が含まれているので、そこにいるだけで勝手に魔力を取り込んで体内に蓄積します。でもこっちはだめみたいですね、そもそも魔女がいないので」

「じゃあ最初に出会った魔力切れがうちに来て回復したのは……」

「あの時ジーク様が私を横抱きにして連れ帰ってくれたじゃないですか。多分それで回復したんでしょうね」

「あー状況を整理する。このままではお前は帰れない。自然に魔力は回復しない。回復するのは俺の体に触れた時だけ。そういうことか」

「そういうことになりますね」

「俺がこのままお前を放置していればお前はずっとここで野宿するしかないということか」

「そういうことになりますね」

「ああああああもう俺の家に来い! くそっ、お前を帰す方法はまた考える!」

「きゃっ! ジーク様とひとつ屋根の下で生活だなんて素敵。もうこれは結婚ということで良いですか? 良いですよね? 良いですよね?」 

「絶っっっっっっ対に認めん!」


 静謐な森の中に、本日二度目の怒声が轟く。

 こうして森の魔女と森の番人の騒々しい共同生活が幕をあげたのだった。

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