森の魔女は無愛想な彼のお嫁さんになりたいのです!

結月 花

第1話 出会いは突然に

 それは本当に突然の出来事だった。

 森の中で、行き倒れた彼女を拾ったのは。


 

「お帰りなさいジークヴァルト様! このリリアーネ、ジーク様が帰ってくるのを心よりお待ちしておりました!」


 帰宅した途端、黄色い声があがって部屋の奥からリーネが両手をあげて突撃してきた。特に気を止めることなくヒョイと体を反らして彼女の突進を交わすと、「ヘぶっ」という声がしてリーネが扉に激突する音が聞こえる。

 ちらりと視線を送ると、長い艷やかな黒茶の髪の中で柘榴色の瞳が潤みながらジークを見ていた。


「ジーク様酷い、折角お帰りなさいの抱擁をしようと思ったのに」

「いややめろ、頼んでいない」

「もう、遠慮しなくてもいいのに。あ、お着替え手伝いますね」

 

 結構だと返事をする前にリーネが持っていた長い杖を下から上にヒョイと振るう。途端に持っていたマスケット銃が手を離れてふわりと浮かび、壁の置き場に大人しく収まった。続いてグイと服が引っ張られる感覚がして、ひとりでにシャツのボタンがプチプチと外れる。


「オイ待てやめろ! さすがに着替えは一人でやる。ここで俺を素っ裸にする気か!」

「きゃ♡裸だなんてジーク様ったら大胆♡でも大丈夫、私は目を瞑っているので存分にお着替えしてくださいね」

「そういう問題じゃない! あと薄っすら目を開けてるのわかってるからな、この変態魔女め」

「変態だなんて心外です! 私は愛の魔女リリアーネ=ララベル。愛した男の体は隅々までよく見て置かなければなりません。そう、これは健康観察の一種! さぁ遠慮せず私に存分にその逞しい体を見せてくださいね!」

「断る!!」


 一人で勝手に体を離れようとする服を掴んで引き戻しながらジークが怒鳴ると、リーネが「遠慮しなくてもいいのに」と口を尖らせながら杖を下げる。途端に体を離れようと暴れる衣服がぴたりと収まった。


「風呂も飯も後にする。とりあえず帰宅後は飯でも風呂でもなくこのまま花壇の手入れが日課だ。残念だったな」

「花壇の手入れならもうやっておきました。魔法で」

「じゃあ薪割りだな。斧を持ってくるか」

「もうやっておきました。魔法で」

「あ、あー……じゃあ薬草のすり潰しでもするか」

「もうやっておきました。魔法で」

「昨日の衣服の洗濯を……」

「もうやっておきました。あっこれは魔法じゃなくて勿論手洗いですよ。羊毛の素材があったので」

「そこだけやけに家庭的だな」

「あとジーク様がやることはご飯とお風呂だけですよ。あ、ジーク様が望むならもちろん夜のお相手だってやぶさかではありません」


 両手を頬に当てて顔を赤らめるリーネを見てジークはため息をついた。悔しいが彼女の言う通りもう他にやることはないらしい。


「……じゃあ風呂で」

「はぁーい承りましたっ! ジーク様の好きなレモングラスの薬草も入れておきましたからね。あ、もう一回温め直さなきゃ」


 そう言ってリーネが指をパチンと鳴らす。途端に風呂場の方からボコボコと湯が湧く音がした。至れり尽くせりの対応に、ジークも何も言えなくなってしまう。ひとまず今日の疲れを癒そうと、彼はタオルを掴んで浴室へと向かった。




 森の奥深くに一軒だけ建っているこの家は、木造だということを差し引いても常に緑の香りに包まれている。浴室の扉を開け、ニレの木でできた浴槽に体を沈めると、熱い湯がジークの全身を満たした。

 ふうっと息を吐きながら、ぼんやりと木造の天井を見上げる。森の中で一人慎ましく暮らしていた日常が、急に騒々しくなったのは三日前のことだった。


 ジークヴァルトの一族は、代々シルフリーネの森の番人を務めている。希少な植物や動物、はたまた精霊が住むと言われているこの神聖な森の管理を任されているのだ。

 三日前、いつものように広大な森の見回りを済ませて帰宅をしようとしていた時のことだった。

 ちかりと光が瞬いて精霊が森の異変を告げ、彼らの導きに従ってついていってみると、太い樫の木の下に女が倒れていた。毛先だけふわりと巻いた長い真っ直ぐな黒茶の髪と、森の中に入るには無防備すぎるくらいに簡易な黒と緑の長衣。身につけているものはイチイを模した髪飾りと彼女の身長ほどある木製の杖くらいだ。不思議な格好だと思ったものの、見たところ怪我は足を擦りむいた程度くらいのもので呼吸も安定している。

 ひとまず家に連れ帰って元気になるまで面倒を見てやろうと思ったのだが。

 なんとリーネははるか昔に姿を消した魔女の一族の末裔だった。行き倒れていた原因は魔力切れだったらしく、その日は元気になると大人しく帰っていった。これで一件落着と思いきや、その日以来リーネは毎日ジークの世話を焼きに来るようになったのだ。頼んでもいないのに。

 結婚もしていない男女が一つ屋根の下に住むなど外聞が悪すぎる。なんとかして彼女に来るのをやめさせようと奮闘しているのだが、なんだかんだと丸め込まれてしまっていた。現に今だってリーネの沸かした湯に浸かっているのだから情けない。


(くそっこのままでは埒が明かない。今日こそもう来るなとしっかり言っておかねば)


 そんなことをぼんやりと考えていると、ガタガタと扉が揺れてジークの眉がピクリと動く。まさかあの女が入ってくるのかと警戒していると、扉の隙間から入ってきたのは一匹のリスだった。


「ジーク様! お背中お流しいたします!」

「うわぁぁぁぁぁ!?」

 

 なんだリスかと安心したのも束の間、なんとリスが人語を喋った。言わずもがな彼女だろう。ジークは無意識のうちに腰に巻いた布をギュッと結びなおした。


「お、お前こんな所にまで入って来るな! 仮にも男の風呂場だぞ!」

「ええ。だからこうやってリスの姿になっているのです。ここにいるのは一匹のリスと人間の男だけ。これなら問題ないでしょう?」

「お前の倫理観はバグっているのか? どう見ても問題しかないだろうが」

「大事な所を見なければそれは一緒に入っていないのと同じこと。さあ私にお任せください!」


 わけの分からない持論をつきつけてリスがぴょんとジークの肩に乗る。そしてそのまま短い腕を伸ばしてシャカシャカと髪をかきはじめた。


「どうですか? 気持ちいいですか?」

「うっ……ああ、まぁ悪くない……気がする」

「えっへん。ほら見なさい。私はちゃんとジーク様のお世話に来ただけです。そんな破廉恥な理由じゃありません!」


 そう言いながらリスが得意げに小さな胸を張る。


「肩もちょっと凝ってますね。ふむ、ここもほぐしてあげましょう。もみもみ」

「…………む」

「あら、意外と肩周りがガッチリしてるんですね。むふふ。胸板も厚くて素敵。一緒に寝る時にドキドキしちゃいそう。きゃ♡」

「細部まで見てるじゃねぇか」


 肩を揉んでいたと思っていたリスがいつの間にか肩からへそまで滑り降りてお腹を洗っている。嬉々として体を洗っているリスをジークは無表情でベリッと引きはがすと、ポイと浴室から追い出した。


「ちょっとジーク様! 酷いですよ! まだ途中なのに」

「お前は二度とここに入ってくるんじゃねぇ!」

「そんな、まだ下半身を見て……洗ってないのに!」

「裸を見る気満々じゃねぇか! いいか、今後は俺の許可なく勝手に入ってくるんじゃねぇぞ。わかったか」

「そんな、あんまりですジーク様〜〜」


 部屋の前でキュイキュイ抗議するリスの声は、ガチャリと閉まる鍵の音で遮られた。



 だが、ジークの受難はこれで終わらなかった。


 昼食を済ませて――魔法で作ったくせに壊滅的な味だったが――午後の見回りの為に着替えをしようと私室に入ると、リーネがベッドにちょこんと座っていた。

 ジークと目が合うと、にこりと笑って嬉しそうにポンポンと隣のスペースを叩く。


「ジーク様、ご飯もお風呂も終わったのでお昼寝はいかがですか? 寂しかったら私が添い寝してあげますよ。もちろんあなた様が望むならこのリリアーネ、女になって差し上げます」

「いらん」

「なっ……もしや色気が足りなかったのかしら。それならこれはどうですか!」


 そう言ってリーネが杖を振る。ポンッと音がして目の前には肉感的な美女が現れた。


「ジーク様は美人はお好き? お好きですよね? ね?」

「いいからそこを出ていけ」

「ええっ美女はお好きでない! はっもしやこっちの方がお好き?」

  

 ポンッ。目の前には十歳くらいの幼女。


「も、もしかしてこっち!?」


 ポンッ。目の前には白皙の美少年。


「あ、これだわこれ! きっとこっちよ!」


 ポンッと音がして、ジークの目の前に黒茶の髪をした筋骨隆々の美青年が現れる。リーネの面影を残した青年が色気たっぷりにウインクするのを見てジークは目の前が真っ暗になった。


「おい、一体お前は何がしたいんだ。目的は何だ」

「目的だなんてそんな、私はただジーク様の力になりたいだけです」

「そっちじゃない。お前がここに来た目的だ。三日前、ここで行き倒れてただろう。何をしにこの森に来た。返答によっちゃこの森の管理者として見過ごすわけにはいかない」


 少し声を低めてジークがすごむと、リーネが元の姿に戻ってきょとんとする。


「ああ、そっちでしたか。あの日はお婿さん探しの途中だったんです」

「は? 婿?」

「ええ、私達一族は年々数を減らしていて、一族内で婚姻関係を結ぶのも一苦労で。これは外部の血を入れなければなるまいということでこっちの世界でお婿さんを探しに来たんですよ」

「じゃあもう行け。魔力はすっかり戻ったんだろ」

「その必要はありません」


 きっぱりと言い切ると、リーネはニコニコと笑いながらジークの腕に自分の腕を絡める。


「私のお婿さんはジーク様ですから。ジーク様が私と結婚してくれれば万事解決ですもの。ね、だから私をお嫁さんにしてください」

「何勝手に決めてやがる! おい! くそっ離れろ!」

「んん? あれ? なんだか顔赤い気が? 特に変身していないのにおかしいなぁ。ま、いっか」

「つか力が強いなお前! ひっつきすぎだ馬鹿!」


 両腕でぎゅうぎゅうとしがみついてくるリーネをベリッと引きはがすと、ジークは大きなため息をついた。

 

「いいか、森の外まで送ってやるからもう帰れ。二度と来るんじゃねぇぞ。それこそ結婚相手を探している女は男が一人で住んでいる所に来るもんじゃない。何もなくても、貞操を疑われる」

「そんなぁ。私が好きなのはジーク様なのに」

「俺なんかに惚れたってしょうがねぇだろ。いいか、お前のは卵から孵ったばかりの雛と同じだ。最初に出会って、助けてもらった男だからよく見えているだけ。一瞬の恩の為に生涯の伴侶を決めるなんざ馬鹿のすることだ、わかったな」

「ジーク様は私がいると迷惑ですか?」

「は?」


 急にしょげた声にジークも毒気を抜かれる。彼を見る緑の瞳が心なしか揺れていた。


「私、ジーク様のご迷惑になっていたでしょうか。それでしたらごめんなさい、もう二度と来ません」

「いや、迷惑……というわけではなかったが……実際助かったことも多かったわけだし」

「じゃあ恋人がいるとか?」

「あいにくそっちもご無沙汰だ。だがそれはそれ、これはこれだ。いいか、大人の女性は」

「迷惑じゃないし恋人がいないなら私がいても大丈夫ですよね! 嬉しい。ジーク様だーい好き!」

 

 言いながらリーネがジークの首にすがりつく。抱きついた弾みに、そこそこ存在感のある弾力――特に変身していないはずなのだが――が固い胸板に押し付けられて、ジークがあからさまに動揺した。だがそれに気づかないリーネはジークの首に腕を回してぎゅむぎゅむと抱きつく。


「こうやって近くで見るとますます好きになっちゃいそう。ああ心なしかこうやってくっついていると元気になれる気がします。ちょっと長めの黒髪も、鋭い三白眼も素敵。あれ? ジーク様やっぱり顔が赤い。お熱があるのでしたら僭越ながらこのリリアーネが看病を」

「くっ……いいからとっとと家に帰れーー!」


 静謐な緑の森に、今日一番の怒声が響き渡った。

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