第3話 魔力のルール

「いいか、風呂はここ、貯蔵庫はここ、寝室は絶対に別だ、わかったか」

「はーい、わかりましたっ」

「あといいか、お前は中身は変態でも嫁入り前の娘だ。むやみやたらと男に抱きつかないこと。間違っても寝込みを襲ったりするんじゃねぇぞ」

「へ、変態とは失敬な! 大丈夫です、襲うなら堂々と正面から襲いますから。こんな風に!」


 一秒前の忠告をフルシカトしたリーネが両手を広げて飛びついて来る。正面からジークが腕を伸ばしてその頭をガッと掴むと、前に進めなくなったリーネがジタバタともがいた。なんとか彼に抱きつこうと両手をうんと伸ばすがそこは腐っても男と女。ジークの腕の長さにリーネはひれ伏すしかない。


「うう、酷い。私はジーク様の体を狙ってるわけじゃなくて、ただ魔力を回復したいだけなのに」

「おいコラ。さっき森の中で俺にめちゃくちゃ抱きついてから三十分も経ってねぇぞ」

「あれれ〜なんだか魔力が全然足りないなぁ〜これは補給させてもらわないと死んじゃうかもしれません〜」

「見え透いた嘘はやめろ。そんな設定じゃなかっただろ」

「と見せかけて隙ありっ!」


 目をキラリと光らせたリーネが突撃してくるのを、ジークがヒラリと無表情でかわす。またもや家の床と抱擁を果たしたリーネに、ジークはビッと二本の指を突きつけた。

 

「いいか、魔力の補給の為の抱擁は一日二回まで。それなら許可をしてやる」

「ええったったの二回だなんてそんな殺生な!」

「時間は朝食の後と夕食の後だ。わかったな」

「おやつの扱い!?」 


 もはやペットと同じである。がっくりと項垂れて床に手をつくリーネが柘榴色の目をうるうるさせると、ジークがそれを見て大きくため息をついた。


「別に触られるのが不快なわけではない。それ以外でも必要とあれば協力するから言ってくれ。ただ、不用意に抱きつくのはやめろ。そんなに所構わず抱きつかれると俺の身が持たない」


 そこまで言ってジークがふつりと言葉を切る。きょとんとしたリーネが見上げると、ジークが右手で頭を抱えていた。その顔は心なしかほんのり赤い。


「あれ、ジーク様顔が赤いですよ? お熱ですか? お熱なら私が今すぐ私が看病して」

「あーーーーうるせぇ!! 飯を食ったらすぐにまた森へ行くぞ! お前も来い!」

「今からお夕飯の準備ですね! 任せてください。このリリアーネ、必ずしやジーク様のお役に立ってみせます!」

「待てコラお前、自分の飯の味を忘れたのか?」


 張り切って腕まくりを始めたリーネをジークが慌てて止める。この三日間で出されたリーネのご飯は、お世辞にも上手とは言えなかった。魔法を使っているはずなのにこの出来の悪さはなんなのか。

 だがリーネはキョトンとして首を傾げていた。


「あれーおかしいなぁ。やっぱり魔法を使わないと美味しくできないんですね。魔法薬の調合と同じ感じかなって思ってたんですけど」

「は? まさか今までずっと魔法を使わずに作っていたのか?」

「はい! やっぱり旦那様に食べていただくのは『手料理』が一番ですから!」


 元気よく答えるリーネに、ジークは二の句が継げなかった。もちろん彼女の誠意は買ってやりたいが、苦手なものを無理やりやらせるのも彼女の為にはならないだろう。あと単純にこの腕では未来の「お婿さん」とやらが可哀想だ。


「あー、飯は俺が作り方を教えてやるから当分は俺が作る。手料理とやらが作りたいならまずは基本を覚えろ」

「本当ですか? ジーク様優しい! 大好き」

 

 ウキウキしながらリーネが杖を一振りしてエプロンを出す。貯蔵室から干し肉や香辛料を持ってきたジークはキッチンに移動するとまな板の上にそれを並べた。

 机の上に並べられた様々な食材を見てリーネが目を輝かせる。


「この森は色んな物が採れるんですね〜はちみつもあるなんて思いませんでした」

「食材は自給自足する場合もあるが、街に買い出しに行くこともある。調味料や香辛料はそこで調達することが多いな」

「森の外に街があるのですか!?」

「今度行ってみるか? そうだな、変人も多いがイイ奴もたくさんいる。一人くらいはお婿さんとやらに相応しい男がいるかもしれん」


 ハーブを刻みながらジークが言うと、隣に立つリーネがプッと頬を膨らませる。


「私はジーク様が良いのに〜」

「だから、決めるのが早ぇって言ってんだよ。ところでなんでさっきからお前はお玉を持って立ってるんだ」

「ジーク様が味見をするでしょ。そのお皿で私も味見をして間接キッスをしてもらおうと思って」

「絶対ぇやらねぇ」

 

 一刀両断されたリーネが悲しみの声をあげる中、部屋には少しずつ美味しい匂いが満たされていった。



※※※


 ジークは一日に三回ほど森に出る。時間帯によって活動する動植物も異なるし、密猟者はむしろ夜にやってくる場合が多いからだ。

 漆黒で包まれたように暗い森の中をジークとリーネは手を繋いで――さすがにはぐれるとまずいので夜の森は特別だ――歩いていた。ジークは手にランプを持ち、リーネは杖の先に光を出現させて明かりをとる。


「本当はこんな所に連れて行きたくはないんだが、夜の森は意外と家にいる方も危ない。精霊に護られている俺といる方がむしろ安全だからな。暫くはお前も付き合え」

「きゃっ♡ジーク様ったら心配してくれてるんですか? 大丈夫です、私いざとなったら魔法で撃退できますから」

「俺がいない時に魔力切れになったらお仕舞だろうが」


 明るい声のリーネに対してジークが静かに諭す。


「常に魔法が使える魔女の世界と違って魔力切れはお前も初めての経験だろう。消費する魔力の量は使った時間なのか魔法の規模によるのか、自分の力の底をしっかりと把握できるようになるまでは一人になるな」

「あ……確かにそうですね。私、そんな所まで全然考えていませんでした」

「能天気にも程があるな。この森に足を踏み入れるやつは大抵信用ならないやつらばかりだ。まぁ夜の見回りに行く時は、小鳥にでもなって俺の肩に止まっていればいい」

「ジーク様……そこまで私のことを考えてくださってるんですね。リリアーネ、感激です」

「あのなぁ、お前はもう少し男に対して警戒をするべきだ。出会ったばかりの男に抱きつくなんて、俺じゃなかったら襲われてもおかしくないぞ」

「ふふ。私、知ってるんですよ。ジーク様がそんなことする人じゃないって」

 

 リーネが口元に手を当ててクスクスと笑う。意味ありげな笑みにジークがどういう意味なのか問おうと口を開いた時だった。

 ガサガサッと音がして前方の葉が大きく動く。リーネがわかりやすくきゃあ! と声をあげて抱きついてきたが、今は気にしている場合ではない。どさくさに紛れてシャツの中にまで手を突っ込もうとしている点もとりあえず不問にする。

 だが、草を掻き分けて現れたのは一匹のたぬきだった。


「わっ、たぬきでしたか。びっくりした〜」

「みたいだな。だが怪我をしている」


 ジークの言う通り、たぬきの左足が赤く濡れていた。大きな傷ではないが、何かで切ったような傷がついており、そこから血が一筋流れている。

 ジークは地面に跪くとたぬきに手を差し出した。野生動物のはずなのに、まるで飼い主に甘えるかのようにたぬきがするりとジークの腕に収まる。逞しい腕に抱かれたたぬきは心細そうにキュウウと鳴いた。


「……森の中に不審な人間がいたんだな。数は一人。だけど他にも仲間がいるかもしれない。足は逃げる時に落ちていた刃物で切った……か。なるほど、わかった。今手当てしてやるからな」

「キュウウ……キュイッ」

「もしかしてジーク様は動物の言葉がわかるのですか?」   


 リーネが驚いて柘榴色の瞳を丸くすると、ジークが不思議そうに眉をあげる。


「むしろお前は魔女なのに動物と会話ができないのか?」

「はい。物や植物など意志を持たないものに魔法は容易く干渉しますが、生き物のように自分の意思を持っている者への魔法は扱いが難しいんです。相当な魔力を消費すればできなくはないかと思いますが、使役魔法になってしまうので無理矢理従わせることになってしますし……あ、手当は私が」


 そう言ってリーネが杖でたぬきの前足をトントンと叩く。すると指で血を拭い去ったかのように傷がスッと消えていった。

 ジークがたぬきを地面に下ろしてやると、ありがとうというようにキュイっと鳴いた後、たぬきは元気よく暗闇に姿を消した。


「相変わらず魔力があればなんでもできるんだな」

「いえ、動物とお話ができるジーク様の方がもっとすごいですよ! 私、惚れ直しました!」

「話が飛躍しすぎているが、今回は助かった、ありがとう。帰ったら治癒魔法に使った魔力分くらいは回復させてやってもいい」

「きゃあ♡抱きついてもいいなんてジーク様ったら大胆! ご褒美に結婚してくださっても良いのですよ? 私、いつでも準備はできてます」 

「調子にのんな」


 そんなことを言いながらも、腕に絡みついてきたリーネの手をジークが振り払うことはなかった。

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