シチュエーション彼の服・司書

 歯型のついた腕と、運転席横に放置された髑髏。それを前に尻尾をブンブン振りながら不敵な笑みを浮かべる犬娘。


「なぁ、あんだけ大暴れした癖に、なんでお前はまた戻ってきてんだ?」


「自分だけ痴態晒したんじゃ割に合わないじゃないッスか。皆も道連れッスよ」


 うへへ、とまるでオッサンのような嫌らしい笑い声を出すアポロニア。どうやら、戦闘服の匂いを嗅ぎながらゴロゴロしていたのを見られていたのは、相当恥ずかしかったらしい。それに僕が巻き込まれていることは完全に棚上げされていたが。


「最大の獲物は猫ッスよ。あれも鼻が利くッスからねぇ」


「あんな変態的なことするのはお前くらいじゃ――ア゜ー! 俺の目がぁッ!」


 骸骨のどこに目があるのかは知らないが、ピースサインを眼孔に突っ込まれてダマルの頭蓋骨がカタカタ震える。以前、温泉の湯が流れ込んだときは平気だったようだが、何か痛みを感じる条件でもあるのかもしれない。


「まだなんか言いたいことあるッスか?」


「……な、何にもありましぇん」


 暴力とは単純だからこそ効率的な場合がある。ダマルにどういうダメージがあったのかはわからないが、とにかく骨は下顎骨を小さく震わせながら沈黙した。


「――アラサー男の服なんて嗅いで楽しいかなぁ」


「もっかい噛むッスよご主人」


「すみません」


 小声で呟いたのだが、人間より相当鋭い耳を持つアステリオンにはハッキリ聞こえていたらしい。

 これ以上歯型だらけにされるのは辛いので、僕は骸骨にならって沈黙を貫くことを決めた。いや、そもそも玉匣から出て行けばいいだけのような気もしないでもないのだが、悪戯に執念を燃やす彼女を残して外へ出ようとすると、やっぱり歯型をつけられそうな気がするので下手なことはできない。

 そうこうしているうちに、アポロニアはへへっと口の端を釣り上げた。


「ターゲットが来たッスよ……ある意味反応が1番楽しみな相手ッス」


「……後で絶対怒られるんだろうなァ」


 モニターに映り込んだ金色の頭を眺め、僕は最悪の事態を想定して天を仰いだのだった。無論、武骨な玉匣の天井しか見えなかったが。



 ■



「やっぱりここにあった」


 低いテーブルの上に、ダマル曰くマンネンヒツなるペンが紙束と共に放置されているのを見て、私はやれやれとため息をついた。

 いくらアポロニアの変態行為を目撃したとはいえ、それでリビングに来た目的を完全に見失い、部屋に戻ってからペンを取りに行ったことを思い出すなど、我ながらとんだ失態である。


「さて――ん?」


 改めて部屋に戻り、古代物に関する本の誤った内容を、手記に書き記しておこうとして、私はふとソファの上に視線を落とした。

 それはついぞ先ほどまでアポロニアが戯れていたキョウイチの服。彼女が混乱のあまり持ち出し損ねたのか、完全に忘れ去られているようだった。


「……ふむ」


 まじまじとそれを見ていると、今まで古代物のことを考えていただけあって少し興味が湧いてきた。

 ダマルは鎧を着る都合上、現代の鎧下を着用していることも多いが、キョウイチは防寒着とぱいろっとすぅつ以外、このセントーフクなる古代軍隊の制服くらいしか、着ていないように思う。

 それほどまでに着心地がいいのか、あるいはただ気に入っているだけなのか。いや、謎多き神代の品である以上、何か特別な力があるのかもしれない。

 考えれば考えるほど興味をそそられ、私はソファに腰かけるとそれをじっくり検分してみることにした。裁縫が極端に苦手である事はこの際考えずに。


「繊維の目が細かい。それにこのボタンは、石、とも違うような?」


 ぐるぐる回しながら服のあちこちを確かめる。意匠が凝られているようにはあまり思えないが、縫製はアラネアが行うよりもなお精密で、人体の形に沿わせることを重視して作られているらしい。

 特にその中で分からないのは、上腕部にあるふわふわした部分である。


「なぜ、ここだけに起毛が? 防寒のためにしては範囲が狭すぎるし、飾りにしてはあまりにも目立たない……」


 思った通り、古代物は触れる度に謎が出てくる。キョウイチやダマルに聞けばすぐにわかるかもしれないが、これを想像することもまた楽しみだった。

 そして一度湧きはじめた興味は抑えようがない。であれば、一層多くのことを確かめるために、その道具らしい扱い方をしてみたくなるのは当然だろう。


 ――着て、みる。


 恥ずかしさがないとは言わないが、時に好奇心はそれに勝る。

 私は上半身を覆うポンチョを脱ぎ捨て、短い袖を持つ肌着の上からセントーフクを羽織ってみた。


「ぶかぶか」


 当り前である。

 キョウイチは外見から細身に見えるが、背丈は男性としてそれなりに高い上、キムンを素手で倒せるほどの力を持っているのだ。運動が苦手で背も低く、言いたくはないが薄っぺらい身体をした自分が彼の服を纏えば、肩が落ちて大いに袖が余り、太ももまで覆ってしまうのは当然であろう。これでは正直、実際の着心地など分かったものではない。

 ただ、服の大きさから想像できることもあった。


「キョウイチはこれくらい。袖の長さからすれば、すっぽり私を覆えてしまう――」


 軽く心臓が高鳴る。

 彼の腕に包まれたことがないわけではないのに、改めてその大きさを感じると、なんだか妙に気恥ずかしい。

 自分の背丈は、アポロニアやポラリスより高いとはいえ、正直一般的な人間の成人女性としてはかなり小柄な方である。更に胸の大きさとなれば、アポロニアと並べられると泣きたくなるほどだ。

 だが、こうして大きな服で包まれている自分を思えば、薄っぺらな身体もなんだか悪くない気がしてきた。


「――もう少しだけ、勇気と自信が欲しい」


 ソファに腰かけ、だらりと垂れた袖を揺すりながら小さく零す。

 私がファティマやアポロニアのように、思ったまま望みを口にすることができれば、キョウイチは彼女らにするのと同じように抱っこしてくれるだろうか。撫でてくれるだろうか。

 これは妄想に過ぎない。だが、彼の中にすっぽりと覆われている自分を想像して、私はセントーフクに包まれた自分を小さく抱きしめる。

 キョウイチたちと出会うまで自分には関係ないことと考えていたが、今までに読んだ貴重な本の中に、恋愛に関する物語もあった。それが今は凄く身に染みてわかる。

 自分と本の内容を重ねれば、まだまだ物語は序章だろう。彼は今のところ、自分を家族として抱き締め、髪を優しく撫でてくれるだけなのだから。

 だから想像は余計に膨らむ。手を繋いで歩こうものなら、彼の大きな手に私の小さな手はやはりすっぽり包まれてしまうだろう。一緒に草原を、街道を、町を歩き、雰囲気がいい場所で休んだ時には愛を囁いてくれるだろうか。口づけとはどんな味がするのだろう。その先に待って居るのは、今の私に想像もつかない夜の営みで。


「あら珍しい、シューニャ1人?」


 突然に聞こえてきた現実の声に、私は跳ねるようにして立ち上がり、低い机に膝をぶつけて危うく転びかけた。


「ちょっと気をつけなさいよ――って、それ、キョウイチの服?」


 相当派手な音が鳴り響いたため、部屋へ入ってきたマオリィネは琥珀色の目を見開いて仰け反っていたが、それでも私の妙な恰好に気付けないほどではなかったらしい。


「こ、これは違う! その、そう! 古代物に関して書物の間違いを手記に纏めていた時に、これがソファに置いてあったから、特別な機能があるのかが気になって!」


「そ、そう。何が違うのかはわからないけれど、貴女が色々焦っていることだけはわかったわ……ここまで早口に喋るなんて思いもしなかったもの」


「うっぐ……」


 アポロニアを変態呼ばわりしたのが、こうも真っ直ぐ自分へ戻ってくるとは思いもよらない。いや、断じて彼の匂いを求めたという訳ではないが。

 それ以上マオリィネは突っ込んだ話をしようとはしなかった。あるいは、敢えて見なかった振りをしてくれていると言ってもいいかもしれない。

 とはいえ、流石にそんな微妙な空気感の漂う部屋に長居したいと思うはずもなく、私は早着替えのようにセントーフクを脱ぎ、ポンチョを着る事すら忘れて部屋を飛び出したのだった。

 お酒を飲んで何かを忘れたいと思ったのは、これが初めてかもしれない。



 ■



「へぇー……シューニャも人の事言えないッスねぇ?」


「カッカッカ! あいつぁ知識ばっかりあるタイプのムッツリだからな、ある意味で想像通りだぜ!」


 ニマニマニンマリ、口を横に伸ばして嫌らしく笑う犬娘。

 途中から悪戯ペースに戻ったのか、彼女に合わせて髑髏もカタカタうるさく笑う。

 ただ、僕だけは何故ここに居るのかわからなくなるほど、ひたすら恥ずかしい思いをさせられていた。いや、勿論彼女らが向けてくれる好意は嬉しいのだが。


「すまん、穴があったら入りたい……」


「そーんなーに照れないでほしいッスぅ。自分の妄想も聞いてたんスから、ほら、ここでギュってしてくれてもいいんスよぉ?」


「調子戻ってるなぁ……スキンシップが好きなのはわかるが、あんまり安売りするんじゃないよ」


 元来悪戯好きなところがあるからか、水を得た魚のように笑うアポロニアを、僕は照れ隠しついでにぐしゃぐしゃと撫でる。すると彼女は一層嬉しそうに、にへーとだらしない表情を浮かべていた。

 ただ、事態は先ほどと同じパターンなのだから、最後がどうなるかは想定しておくべきだったかもしれない。


「キョウイチ、忙しい?」


 ガコンと後部ハッチが開かれ、何故か額に汗をかいているシューニャが顔を出す。逃げるように走り回ったはいいが、服の逃がし場所に困って自分を探していたのだろう。

 だが、ハッチを開けた途端、足元に分解された骸骨が転がっているのだから、彼女が訝し気に首を捻るのは当然だろう。


「……何、してたの? それに、なんでアポロニアがウンテンセキに?」


「な、なーんにもしてないッスよ。ダマルさんバラして遊んでただけッス」


 モニターを隠すようにアポロニアは立ち上がる。というのも、彼女には画面を消す方法が分からなかったからだろう。残念ながらダマルは髑髏状態なので何もできず、代わりに僕が証拠隠滅を図ろうと腰を浮かしたところで、勘のいいシューニャはそれを言葉で制した。


「キョウイチ、そこから動かないで。何を隠しているの」


 彼女は大股に歩み寄る。小柄な少女とはいえ、無表情と理論武装が生み出すその圧力は怪物級だ。

 それでもアポロニアは後ずさりつつモニターの前に立ち塞がっていたものの、小さなアステリオンだけでどうこうできる物ではなく、それを翠玉の瞳が捉えるのは時間の問題だった。


「なるほど。だからあの服が放置されたままだったということ……いい度胸」


「あ、あは、アハハハハ」


 響く乾いた笑いに車内の空気が凍り付いていく。

 その後、僕らは纏めて正座――ダマルは髑髏をロープで逆さ吊り――させられ、影を落とす瞳に睨まれながらの説教が始まった。

 途中、アポロニアは視線が逸れたタイミングでそっと脱走を試みたものの、直後にケイヤキクの実を投げつけられて悶え、更には鼻に直接実を押し込まれて失神させられている。

 この悪戯カメラ、僕はもう二度と使いたくないと、心の底からそう思った。できれば、逆さづりにされたままケイヤキクアレルギーで涙を流す骸骨も、同じ気持ちであってほしいものである。

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