シチュエーション彼の服・犬
「玉匣に呼び出すなんて珍しいが、一体何だい?」
「おう。ちょっとした悪戯をな? 暇つぶしって奴さ」
我が家に居ながらガレージの玉匣へと呼び出された僕は、運転席でカタカタと笑う骸骨の横でため息をついた。しかし、ダマルはそんな自分の様子を気にもせず、見て見ろと運転席のモニターを指し示す。
「これ、うちのリビングだよね? カメラなんていつの間に」
「タブレットのカメラを置いてきただけだぜ。こんなのでも連中にゃ気づかれねぇだろうからな」
「身内をのぞき見して何の意味があるんだか……」
「言ってるだろ、悪戯だって。あれを見ろ」
白い手が指さしたのは、無人のリビング中央にデンと置かれたソファの上。何か布らしきものが無造作に放置されているのが見て取れた。それもやけに見覚えのあるものが。
「……あれ、僕の戦闘服かい?」
「御明察だ。着回し用の奴を拝借させてもらった」
「そこにもいろいろ言いたいことはあるが、悪戯と言ったがあんなものどうするんだい?」
「まぁ見てろって。俺の予想だとそろそろ――お、来た来た」
■
水仕事を終えた自分は、エプロンで手を拭いつつリビングの扉を押し開く。
「およ? 誰も居ないなんて珍しいッスね」
全員の共有空間である上に唯一暖房が設置されていることから、大概誰かしらこの場所には居るものだが、それぞれにやる事でもあったのか広いリビングは無人だった。
少し考える。それこそ普段は誰かしら居るので、今のうちに掃除してしまうべきかもしれない。
「んー……けどま、ちょっと休憩してからにするッス」
いくら家事が好きと言っても疲れはするのだ。無論、これで皆が喜んでくれるのだから、自分にとっては非常に大事な役目なのだが。
ふぃーと息を吐き、コキコキと肩を鳴らす。自慢の大きな胸は、こういう欠点もあるので意外と油断ならない。
魅力とはそれなりに代償を伴うものだと苦笑しつつ、ソファに腰を下ろそうとして、ふとそれが目についた。
「――これってご主人の? 自分、畳むの忘れてたッスか?」
まさか、生活スタイルはきっちりしているご主人が、こんなところに脱ぎ捨てていくとは考えにくい。となると、あとは洗濯を担当する自分以外に、彼の服に触れる者は居ないだろう。
それも乾かした後の衣類は大体籠ごとリビングに運び込んで、そこで畳むようにしているため、忘れている可能性は十分考えられた。
「早めに届けとかないと、明日着るものなくて困るッスね。ただでさえご主人、これくらいしか着ないのに――これくらいしか……」
たまには違う恰好もすればいいのに、という呟きは虚空へ消えていく。
そして両手で掴んだ彼の服は、いつも洗濯した時と違ってそれしかなく、しかも部屋には誰も居ない。
咄嗟に首を左右に振り、耳をそばだてて誰も居ないことを確認する。少なくとも視界の中に人は居らず、廊下を歩く足音もしない。別に悪いことをしようという訳ではないが、これで少なくとも誰かにバレることはない。
「ふぇへぇぁぁぁぁぁ……ごっしゅじんの匂いぃ……うへへへ」
土のようと言えばいいだろうか。スキンシップと称してよくくっついてはいるが、就寝時でもなければご主人はあまり長い間べったりさせてくれない。きっと恥ずかしいのだろう。
けれどこうして服を鼻でこすれば、まるで彼に包まれているかのような感覚になり、自分は謎の多幸感に体が浮くようだった。おかげで自然と尻尾をブンブン振ってしまう。
「たまにはご主人から求めて欲しいッスよぉ、これでも結構寂しがり屋なんッスからねぇ、うふへへへ」
ご主人から抱きしめられる自分を妄想し、ソファの上でゴロゴロと転がる。あぁこんなことが現実になればいいのに。否、抱き締めるだけではなく、他にもこう、色々としてほしいとさえ思ってしまう。それは自分がやはり女だからだろう。
「こうしてみると、自分と比べてご主人は本当に大きいッスね。すっぽり包まれちゃうッス……あぁ、包んでほしいッス。すんごく包んでほしいッス!」
もしも彼が部屋に居るのなら、これを届けに行くついででベッタベタに甘えてやろうか、なんて思ってしまう。実際にご主人を前にしたら、少し恥ずかしさもあって中々できないのだが、妄想の世界だけなら自分は自由に飛び回れた。
ただ、脳内劇場に浸っていれば警戒などできるはずもないのだが。
「……アポロニア、何してるの」
「どひゃわぁあッ!? しゅ、シューニャっ!? ななななな、何にもしてないッスよ!?」
いつの間にか扉を開けて立っていた彼女は、美しい翠色の瞳で訝し気な視線を送ってくる。
これでも一応、女性陣最年長の威厳はあるため、身体は小さくとも、多少は大人であるところを見せねばならないと、慌てて姿勢を取り繕う。ただ、咄嗟にご主人の服など隠せるはずもなく、彼女は大きく息を吐いた。
「嗅覚が優れているから、匂いを好むのは分かる気がする。けれど、流石にちょっと変態的」
「うぐぉ……どうか、どうか皆には黙っていてほしいッス。ご主人に知られてドン引きされるのだけは嫌ッスからぁ」
「――今日の夕食、期待している」
「承知したッス!」
料理1つでご主人に醜態を知られず済むなら、これほど安い物はない。手持ちの食材を考えて、シューニャの気に入りそうなメニューをチョイスしていく。
そんな自分を肩越しに見ながら、彼女は踵を返して部屋を出て行った。その小さなシューニャの背を、自分は平伏したまま見送るしかできなかったが。
■
「カーッカッカッカッカッカ!! あいつアホだ! 本気でアホだぜオイ!」
ガンガンとハンドルを叩きながら、ダマルは存在しない腹を抱えて爆笑する。
ある意味で直接関係のない骸骨からすれば、なるほど確かにバラエティ番組を見ている程度の感覚になれるかもしれない。だが、一種の当事者である自分は、熱くなる頬を手で必死で仰いでいた。
「こりゃなんの羞恥プレイだい……」
「いいじゃねぇか! たまにはお前から抱きしめてやれって、アイツ鼻血出して喜ぶぜ!? カッカッカ!!」
「ひ、人の気も知らないで……」
完全に他人事である骸骨を睨む。無論、その程度でこのアンデッドが静かになるはずもないのだが。
とはいえ、確かに彼女らからスキンシップをしてくることはあっても、自分から率先してというのはほとんどないようにも思う。
――望まれているなら、叶えてあげるべきなのだろうか。
頭を撫でるくらいのことは時々するにせよ、密着するような行為には異性相手という部分で流石に抵抗があるため、僕は腕を組んで唸っていた。
しかし、自分の考えが纏まるより先に、まさか運転席の上にあるハッチが開かれるとは思いもよらなかったが。
「ごっしゅじーん? ここッスか――ありゃ、ホントに居た。こんなところで2人して何してるッスか」
天地逆さまに現れた彼女の姿に、骸骨と僕は揃って硬直する。
その手には先程アポロニアがひたすら匂いを嗅いでいた自分の戦闘服。部屋に僕が居なかったからか、わざわざ探し回ってくれたらしい。
無論、真上が開かれたのだから、モニターもバッチリ見えている位置関係だ。
「……ダマルさん、なんでタマクシゲのモニタァにリビングが映ってるか、聞いてもいいッスかね?」
「お、おぅ、それぁ、その、なんだ? 出来心って奴だ――ア゜ッ」
「全部見てやがったッスか!? 今すぐ忘れるッス!!」
頭上から降りてきた手によって、ゴキョポン、という音と共にダマルの頭蓋骨がサヨナラし、運転席では頭部の欠けた骨格標本が暫くわたわたと混乱した後、だらりと弛緩して動かなくなった。
悪戯の値段は高くついたものだと思う。僕はアポロニアがダマル頭部を締め上げている間に、そっと後部ハッチから脱出することを決めた。
「どーこ行くッスか、ご、しゅ、じん?」
狭い車内のため、こうなることは大体予想もついていたが。
にんまりと笑いながら震える真っ赤な顔。あぁ、成程これは逃げられない。
「いやぁ、意外な一面だと――あだーッ!?」
直後に飛びついてきた彼女の犬歯が、自分の額へ突き刺さった事は言うまでもない。
僕はそれ以後、しばらくポカポカと頭部を殴り続けられたのだった。
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