クマのジョージ
山野エル
クマのジョージ
通りに面した家の窓からクマのぬいぐるみが見つめていた。
中央都市がペットの所持を禁じてから久しい。あのぬいぐるみはその当時に爆発的に子どもの間で流行したジョージという名のクマだ。
この辺りは比較的妨害電波が隙間なく敷き詰められているものの、本屋はここに来る時には必ず一冊の本だけを持つと決めていた。
家の前で浮動車を降り中に入る。家の奥から主がやって来た。
「ようこそいらっしゃいました」
「申し訳ないが、今回も長居はできない」
「分かっております。さ、久瑠乃が待っておりますので、どうぞ」
見慣れた階段を案内されて、本屋はひとりとある部屋のドアを開ける。
広い部屋の中央にベッドがあり、そこに寝そべる少女がいる。彼女が久瑠乃だ。その顔には、目を覆うように包帯が巻かれている。
「ほんやさん、待ってたよ」
窓際には外を見つめるクマの背中が見える。「ほんやさんを一緒に待っているの」と久瑠乃は言っていた。
本屋は寝台のそばの椅子に腰を下ろし、小脇に抱えていた本を膝の上に置いた。
「今回は遅かったね。忘れられちゃったかと思った」
「忘れるわけないだろ。中央都市の監視が厳しくなりつつあるんだ」
包帯で表情は判然としないが、久瑠乃は少しだけざらついたような声を漏らした。
「無理をしないでね……」
「無理はしていない。それに、まだこの本を読み終えていないだろう」
本屋はそう言って本を開いた。
『ジョージとぼく』という本だった。
「『──……ジョージもぼくもビショビショだったけれど、この嵐の冒険がぼくを男にしたのは言うまでもない。そのあと、ジョージもぼくもかぜを引いちゃったのは内緒だけれどね』……。今回はここまでだな」
話に聞き入っていた久瑠乃の口から長く太い息がホーッと吐き出される。
「もう終わりかぁ」
「すまないな。さっきも言ったが、中央都市が……」
「うん、分かってる。楽しみが待ってるってことだから、気にしてないよ」
その言葉は本屋にとっては聞きたくないものだった。
彼女が選んだ本を目の見えない彼女に読み聞かせてやるといって、本のタイトルをつらつらと声に出す中で、久瑠乃は『ジョージとぼく』を選んだのだ。「ジョージが好きなんです」と彼女の父は言っていた。
ちょうどその頃、唯一の同業者が郊外で射殺された報せを受けていた本屋は、この本をリストから除外するまで頭が回っていなかった。
『ジョージとぼく』は子どもの純粋さが戦争に利用される悲劇を描いた本だ。最後には爆弾を詰めたジョージと共にぼくは死んでしまう。そんな結末を、目の前の子どもに聞かせられるだろうか。
「ねえ、本屋さん、ジョージとぼくはいつも一緒だね」
本屋の思考の間を縫うように久瑠乃の声がする。
「そうだな」
「私もね、きっと、こんなんじゃなかったら、ジョージと一緒にいっぱい冒険するんだ」
本屋は言葉を返すことができなかった。
本の内容を捻じ曲げて嘘を読み聞かせることも考えた。だが、それはこの本への冒涜だ。
黙ったまま本を閉じる本屋に、久瑠乃がこわごわと尋ねる。
「また来てくれるよね?」
心の内を勘繰るかのような彼女の問い掛けに、本屋は思わず、
「もちろんだ」
と返してしまった。
家を後にする本屋が振り返るように窓を見上げると、ジョージと目が合う。
──夢を見られるなら、それが良い。
本屋は決意と共に浮動車を走らせた。
クマのジョージ 山野エル @shunt13
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