第5話 ドレスを着るか、否か。それが問題だ

ドレスコード。もしくは服装規定という。簡単に言えばその場にふさわしい服装をすることなのだが、ふさわしいというのは場に限らず、その性別に準ずるというのは書くまでもない当たり前の事実であることは皆の周知であろう。男性ならば紳士服、女性ならば婦人服。これが常識である。


「まさか、まさかとは思いましたが本当にそれで行く気ですか」

ドレスを着せるのを手伝っていたナオがなにかに気づいたのかゆっくりと崩れ落ちていった。


「あらあら、ORZのような、床に手をつくのははしたないわよ、ナオ」

「あ、すみませんってそうじゃないんですよ。いや、本物のお嬢様がたが霞むほどお似合いですけどね」

どうやら、いつものノリで無意識にやってしまったようだ。

ナオは自分の手を凝視しては首を傾げていた。


なぜ、先程あのような常識を羅列したのか。ナオとイーリャ、二人のやり取りを見ればわかると思うがこういうことである。忘れたかもしれないので説明すると、イーリャは生物学上男である。これは生まれたときの診断により絶対的な事実であり、不変のものである。が、イーリャが着ているのはドレス、上下が繋がったワンピースである。ワンピース、言うまでもなく婦人服である。

柔らかい素材のサテン生地の上に薄緑の透けたオーガンジーが何枚も重ねられ、エンパイアラインのスッキリしつつも流れるように広がるスカートはまるでイーリャのために作られたものだった。


「ナオ、そう気にすることはないよ。なんせ招待状のドレスコードにそんな指定はなかった」

「アレク様、大変お似合い、いえ完璧に用意できました」

「ありがとう。イーリャ今回は可愛い路線で行くのかい?」


アレクは黒のレースで胸元を飾られたシャツに濃紺の刺繍を施された燕尾服を上に身を包みながら平然とアンと会話をする。二度手間だが、アレクは女性、しかし着ているのは男性用の紳士服。性別と意志のミスマッチ感が否めないがあまりにも様になりすぎているので正直言わなければバレなそうであるほどだ。


「アンもなんでノリノリなんスか。普通はたしなめる側でしょ!あと、裏を書かないでください」


普通は招待状に女性は婦人服、男性は紳士服なんて当たり前なこと書かない。

なんせ常識を確認されているので逆に書いたら非常識を疑われるレベルである。


「それにしても珍しいね。ナオがそんな事言うなんて」


アレクが疑問に思ったのもそのとおり、ナオはめんどくさがりだ。効率化のためなら多少のルール違反はやってのけるし、多少のあれこれも黙認する。そもそもイーリャを着飾るのは彼の趣味でもあるのだ。今回だけ止める理由が思いつかなかった。


「え、そりゃ結果は変わらないんスから一言も止めないよりは言っといたほうが俺が叱られることはないんで」


ま、保身ッスね。と平然と口にしているがそれは執事、いや従者として色々おかしいがまあいいだろう。

その言葉の通り、口では反対していたはずなのに、ナオはイーリャの髪に編み込みを施し、美しく繊細な銀細工や豪華すぎない華奢な宝石などを飾りつけていた。


「イーリャ様〜、動かないでくださいね〜」


最初は嫌々やっていたはずなのに気づけばナオの趣味と化し、最近では凝りに凝って匠の技とかしていた。


「じゃ、アン私の髪も頼める?」

「ええ、本日は横に流されますか?」

「うん。それでお願い」


イーリャとナオのじゃれ合いを楽しむと、アレクも自身の最後の仕上げに髪を整える。長く癖一つ無い髪を左下でゆうとそのまま前に垂らす。簡単に見えるがストレート過ぎて結うのすら難しいのである。そして、シンプルだからこそ本来の美しさが引き出されるというもの。いわゆる持つものだけが許されるアレである。

しばらくはアンがなんのリボンをつけるかで迷っていたようであるが金の刺繍の入った黒のサテン生地のレースで落ち着いた。


にしても昨日は邸だけで盛り上がりすぎてしまった。買い物やら散策をする予定だったのに今は慌てて舞踏会の準備をしている。計画は立てただけで終わらせてしまった気がする。いや、今回を乗り切れば散策する機会はまだあるはず。なんのために来たのか忘れているであろうアレクは今後の自由行動のための計画を練るのであった。


「馬車で向かうのがマナーらしいから早めに出ないとね」


マナーじゃなかったらどうしていたかなんて聞くまでも無いだろう。

無事にたどり着ければどう考えていたって些細な問題である。それにしても侯爵家でありながら従者が二人だけとかいいのだろうか。いや、多く連れて行っても無駄であるし他の従者は買い出しで大忙しだから仕方ないことだろう。


それにしても、王都に来ているのに王城まで数時間かかるのは遠いのかひたすらに馬車が遅いのかどちらだろうか。長時間座るのはいささかしんどいのでアレクは魔術を使用して振動を極限にまで減らすことにした。無駄な才能な上に無駄な使い方であった。


「それにしてもアレク様はドレスとか着ないんですか?」

さっそく暇になったナオは雑談に講じることにしたのだろうが質問な時点で話題はなかったのだろう。


「いや、着ることもあるよ。でも動きづらいし、重いし、私はかっこいいほうが好きだからね」

「アレクは変なところでドジですものね」

「うっ、そこまでは言わないで」


アレク、背も高くスラッとしているが魔術が得意なあたり、あまり運動は好きではないのである。故に運動神経はあまりよろしくない。こうおいところは普通の令嬢らしいのだがそこからの行動が桁違いな時点でやはり令嬢らしくはなかった。


「それをいうならイーリャは結構動くのにドレスとか邪魔にならないかい」

このままではまずいと思ったアレクは話題をイーリャにずらすことにした。


「ドレスってものを隠すには丁度いいし、ハイヒールとかも武器になるし、改造してるから重くないし、なによりこの格好で暴れるのがすごく楽しいんだよね。逆にズボンは足が上がらなくて苦手」


天使のような極上の微笑を浮かべながらの過激な発言は聞く人によっては卒倒ものだろう。


「そういえばコルセットとかもしてないんだね」

「さすがにコルセットがあると動きづらいもの。なくても問題ないしね」

アレクが疑問を口に出せば世の女性が聞いたら恨みそうな回答である。さっきから爆弾発言ばっかりで黙っていたほうがいいのではないだろうか。

「アレクも軽く運動したほうがいいんじゃないかしら」

「えっ」

「ほら、最近は研究やら取引やらで運動できてないじゃない」

それは言外に太ってきているということだろうか。アレクは考えた。そして客観的に見て自分の体型はまだ平気であると決断を下した。いや、まだと言っている時点で危ないのかもしれない。とりあえずは食事量を減らすことにした。


「それをいうならイーリャは課題、終わらせたかい?」

「え、それってなんの?」

肩を一瞬ビクつかせたかと思うと、ごまかせないくらいに震えた声で聞き返してきた。どうやら仕返しどころではなくオーバーキルだったようだ。

「父様や母様がいなくなったからって提出期限がなくなったわけじゃないよ」

「や、やってるけど、うぅー」

進まなくて泥沼に嵌っているのだろう。イーリャは計算も得意だから頭が悪いわけでは無いはずなのにどうしてこんなに進まないのだろうか。

「貿易は無理。相手の動きを考えるほうがまだできる」

口調が崩れるほどの動揺。これは演技ではないので思ったことを口に出しているだけだろう。

「きっかけとかは手伝ってあげるさ」

下手だけど、突飛な考えが面白くてこんな課題にしたんだろうな、と両親の顔を思い浮かべながら、イーリャのご機嫌取りにアレクは集中することにした。




その頃の従者たちは同じ馬車内で静かにしていたわけではなく、アンの操る馬にナオと一緒に乗って護衛をしていたのであった。

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