ロマンなんだよ

 ある日の昼下がり。俺はガレージの中で1人、玉匣の整備をしていた。

 どこが壊れているとか、何か調子が悪いとかがあるわけではないが、どうにも整備兵をしていたときの癖が抜けず、ガーレジにあるものは定期的に点検していないと落ち着かないのだ。

 そう大がかりな作業をするわけでもないため、ある意味リラックスタイムと言ってもいいだろう。

 そんな時、ひょっこり顔を出す奴も居たりする。


「おりょ、ここでもない……ダマルさん、ご主人見なかったッスか?」


「あん? スケコマシがどうかしたか?」


「いや別に、何か大事な用があるって訳でも、ないんスけどね?」


 別にかくれんぼをしている訳でもないだろうに、小さくてデカいお犬様はキョロキョロとガレージの中を見回している。

 これが暇な時だったなら、適当に盛った話を聞かせて状況を面白くしてみてもよさそうだったが、何せ今は点検作業の最中なのだ。わざわざ手間を増やそうとは思わず、俺は知っている情報を歯の隙間から漏らした。


「あっそぉ。アイツならさっきトレーニングしてくるっつってたから、多分裏庭に居るんじゃねぇの?」


「なぁんだ、通りで家の中どこ探しても見つからない訳ッス。情報提供感謝ッスよダマルさん! ごっしゅじーん!」


 ポンと手を打ったアポロニアは、妙にテンションを上げてスキップでもするようにガレージから消えていった。

 尻尾を扇風機の如く振り回すその姿は、ただ飼い主に会いたいと思っているワンコそのもので、大して珍しい物でもなくため息の1つも出てこない。

 ただ、彼女が置いて行った何気ない言葉の終わりは、どうしてか頭蓋骨の中をソナーの如く反響していた。


「ご主人、ねぇ。思えばアイツずっとそう呼んでるけど、なんかこだわりでもあんのか?」


「なんのこだわりですか?」


「……いきなり気配なく人の後ろに立つんじゃねぇよ」


 猫とはそういう生物かも知れないが、驚きのあまり乾いているはずの骨身から冷や汗が吹き出すかと本気で思った。いや、今までも時々冷や汗をかいていた気はするが。


「ボクの前には骨しか居ませんけど?」


「いやそりゃそうなんだけども! 言葉の綾くらい理解しやがれ!」


 額面通り受け取りすぎだろうがと骨を鳴らしてみても、ファティマは特段面白くもなさそうに尻尾をゆーらゆーらと揺するのみ。なんなら盛大な欠伸までオマケにつけてくれる始末である。


「あの、言葉とかアヤとかどうでもいいので。それより、おにーさん知りませんか?」


「そんなこと――って、なんだぁ? お前もスケコマシ探してんのかよ」


「も? もってどういうことですか?」


 今日はどういう日だよ、と俺は肩を竦めただけなのだが、ファティマにとっては重要な問題だったのだろう。今までの干物のような反応とは打って変わって、グイと身を乗り出してくる。

 俺は骸骨だが男であることは言わずもがな。ならば女が身体を近づけてくれることに対しては喜ぶべきなのだろうが、早く教えろ、さもなくば、という意思が圧と共に放出されている怪力ニャンコが相手である場合、そう呑気なことも言っていられない。

 とりあえず下手に刺激しないよう、俺は平静を保ってつい先ほどの状況を伝えた。


「いや、ついさっきアポロも同じ事聞きに来やがってよ。スケコマシなら裏で訓練してくるっつってた、ってぇ話をしたところで、だな――あ?」


 それはただ、工具を置いた一瞬の隙である。

 視線を戻した先にファティマの姿はなく、床に尻尾から落ちたであろうオレンジ色の毛が残されているだけだった。


「……人の話くらい最後まで聞けよ、っつうのも野暮か。おにーさん、だもんなぁ」


 くるりとスパナを回して考える。

 ファティマは年上の男性、という意味で初っ端の呼び名を、おにーさん、で固定した可能性が高い。アポロニアは己が身に舞い降りた緊急事態に際し、スケコマシを雇い主として定めることで危機を回避しようとしたからだろう。

 それが癖づいたことで至る現在、であれば別に不思議でもなんでもない。

 しかし、だからこそ浮かんでくる素朴な疑問もまたあった。


「思えば、俺って連中と一緒に居る期間は恭一と変わらねぇのに、そういう変わった呼び名ってねぇよなぁ。なんでだ?」



 ■



「ってことで、なんかねぇか?」


 なんとなく手が空いたタイミングで、俺は女性陣を前にそう切り出してみた。

 何せこの骸骨。一旦気になりだすと、とりあえず解決してみたくなる質なのである。

 無論、リビングのソファを前に並ばされた彼女らの反応は、これ以上ないほど困惑に満ちたものだったが。


「いきなり集まれっていうから何事かと思ったら……」


「求められていることが、よく理解できない」


「だから呼び名だよ呼び名! 俺って大概誰からでも、ダマルさん、だろ?」


 頭の回転が鈍いぞ、酒でも飲んでんのか? とは流石に言わなかった。何せ今は協力してもらっている身だ。未だに外で筋トレに励む憎きハーレムマスターはともかく、わざわざ彼女らを敵に回す必要はない。


「私はダマルと呼んでる」


「わたしはダマル兄ちゃんだけど」


「いやそうなんだけど、そうじゃねぇんだって! なんて言えばいいのかなぁ、こう、もうちょい男心をときめかせてくれるロマン的な呼び名をだな!」


 ダマル兄ちゃん、というのは悪くないと思う。だが足りない、足りないのだ。

 求めるべきは名前的要素を排してなお、俺のスケルトンハートにグッとくる呼び名である。それを相棒が貰っていて、この身にないという不公平は早いうちに解消しておかねばなるまい。


「骸骨じゃダメなんですか?」


 と、身も蓋もないことを言うのはファティマである。まぁ、絶対1回は言われると思っていたのだが。


「気持ちはわかるが、誰も見たまんまのあだ名付けてくれ、って言ってんじゃねぇんだって」


 ならばと挙手するのはシューニャである。


色欲骸骨エロトマニアンデッド?」


「そりゃ半ば悪口だろが」


 期待はしていなかったが、予想よりひどい。

 そんなだから全身絶壁なんだ、とクソがつく程失礼なことを考えていると、続いてマオリィネがおずおずと手を上げる。


「え、えぇと、魔物、というのではいけないのかしら?」


「だから悪口だろがよ! 清々しいほどドストレートの奴を追加すんじゃねぇ!」


 貴族は想像力が貧相であるらしい。虫歯の被せが取れ続ける呪いにでもかかればいいんだ。

 とはいえ、ここまで連続で注文をつけ続けていると、アポロニアは呆れたようにため息を吐いた。俺のつけた注文の内、3分の2は回答者側の問題によるものだと思うが。


「はぁ……そうは言うッスけどダマルさん? ご主人だって、自分がご主人って呼ぶのと、猫がおにーさんって呼ぶ以外、そんな変わった呼ばれ方してないッスよ? ポーちゃんだってキョーイチ、でしょ?」


「うん」


「わかんねぇかなぁ、数じゃねぇんだよ! そういう呼ばれ方してるってこと自体に、ロマンってのはあるんだって!」


 そう、重要なのはその重みである。

 ごく自然に、かつ親愛を込めて呼ぶ特別な名前。メイド喫茶のような営業ではなく、心の底からおにーさん、ご主人と呼んでくれる天国を求めて何が悪いか。

 そう力説してやれば、何故か途中から女性陣、特に普通名詞で恭一を呼ぶ3人が前のめりになっていた。


「――ッ! わ、私もキョウイチを、そういう特別な呼び方をした方がいい、ということ?」


「考えてみる価値はあるかもしれないわ」


「ふんふん……! あるかもしんないね」


「……ボク、なんにも考えずに呼んでたんですけど、そんな効果が」


「男の人の感覚って、わーっかんないもんッスねぇ」


 気分は怪しい新興宗教の教祖である。

 ただ、適当な洗脳がよくなかったのか、あるいは信者側の一身上の都合によるものか。その視線は早くも自分ではなく、既にロマンを手にしている相棒へと向けられていたが。


「え、えぇと、皆さん? なんか目が怖ぇんだけど、俺のこと――いやなんでもないですハイ」


 こうなっては自分の出る幕などない。何せ連中は超弩級と呼ぶべき恋する乙女。全員が1人の男から寵愛を得るために行動する、青春真っただ中のスーパーピンク脳集団なのだ。

 早速実行だと言わんばかりに部屋を出ていくその背中を止める勇気など、俺に持てるはずもなく、隙間だらけの骸骨ハンドを振ってソファの上から見送った。

 空しい。とても空しい。俺も家族なんだけどなァ。

 そしてそんな気持ちに止めを刺してくる奴も居たりする。


「あ、。今は1人で退屈さん、してる感じ?」


「……そうだよな。ジークだってそう呼ぶんだから、もうそれが俺にとっての最適解なんだよな。うん」


「ど、どうしたんですか? 急に項垂れたりして……」


 リビングの扉を開けて入ってきた、愛しき彼女は俺の反応に驚いたようだった。いや違う、お前が悪いんじゃないんだ。悪いのはスケコマシを中心として歪みに歪んだこの世界全てだ。もっぺん滅びろ。


「いや、なんでもねぇんだ。単に、ちょっと夢を見たかっただけっていうか、な」


「夢――えっとえっと、もしかして今からお昼寝しようとしてたのかな? それなら準備しないと」


 危うく浄化されそうになった。このピュアさ加減が俺には眩しすぎる。だって瞼のない骸骨だもの。

 全く罪な物だと思う。確かに恭一を中心とした玉匣の連中が、俺にとって大切な身内であることは違わないが、求めるべきロマンが同じ場所にある必要などないではないか。

 今はジークルーンという愛すべき女が居る。それだけで骨のボディには過ぎたる幸福でありロマンなのだから。


「クリン、マットレスを整えてくれる?」


「はい、お嬢様。ご主人様、少々お待ちくださいね」


「おう、わざわざ悪ぃ――ってちょっと待ったぁ!」


 羽毛を持つ少女の献身に礼を言おうとして、あまりにも自然すぎるそれに俺はビタリと動きを止めた。


「なぁクリン、お前今なんっつった?」


「へ? 少々お待ちください、と」


「いや違う、その前だ!」


 迫る骸骨の圧力たるや、相当の物だろう。だが、そんなことはこの際どうでもいいと、俺はメイド服を着た素朴な少女に詰め寄った。


「え、えぇっと……ご主人様、です、けど……」


「そりゃあ俺に言ったのか!? いや、そうだよな、俺しか居ねぇもんな!?」


「ご、ごめんなさい、もしかしていけませんでしたか? ジークルーンお嬢様とのご関係から、そうお呼びするべきかなって、思ったのですけれど」


 飾り羽をぺたりと垂れて怯えたように縮こまるクリンを前に、俺は絵の具の如く白い拳を握りしめ、それを虚空に向かって突き上げる。


 ――あぁ、クリンってそういえば羽生えてたな。そうか、もしかしなくても神より遣わされた天使って訳だ。


 先程思ったジークルーンが居るだけの幸せに、それ以上を求めてもいいのだという赦しが得られた気がして、乾き切った眼孔から一筋の水があふれ出る。どういう仕組みかはわからない。

 一方、ご関係とやらに触れられたジークルーンは、顔を真っ赤にしてあわあわと両手を振り回した。


「ちょ、ちょっとクリン! まだ私とダマルさんは、その、そういうのじゃなくて、ええとええと……」


「あっ、えっ!? も、ももももも申し訳ありませんお嬢様!! お2人のご関係はもうずっと先に進まれているものと勘違いを、クリン、勝手なことを致しました! お呼びの仕方はすぐに変えますので――」


 2人しての大混乱は実にやかましい。

 だが、幸福を許された俺はそれすらさざ波程度にしか思えず、静かに彼女らの間へ細い腕を伸ばした。


「いいやそれでいい。否、俺のことは是非とも、是非ッッッともそう呼んでくれたまえ! そう、ご主人様と!」


「……へ? あ、あの、よろしいの、ですか?」


「安心していいぜ。関係がどうこうとか、そう深い意味はねぇんだ。なんせ、俺がそう呼んでほしいってだけだからなッ!」


 グッと拳を握って力説すれば、クリンが目を点にしていた一方、ジークルーンは何か確認するようにブツブツと呟き出す。


「そ、そうだよね、まだ深い意味は持ってないもんね。うん、うん、大丈夫大丈夫……ちゃんと順序を踏んでいけば……きっと」


「は、はいっ、ご主人様!」


「イエスッ! いいねぇ、響きがいい、完璧だ」


 御機嫌になった俺はソファから足を投げ出し、カッカッカと高らかに笑う。

 思えばジークルーンと関係を深めれば、クリンとは主従関係を結ぶことになるわけであり、ならばこんな健気な娘を俺が大切にしない訳もないのだ。

 聞けば色々苦労もしているようだし、使用人とはいえ楽な生活をさせてやろうと、勝手な未来を夢想して下顎骨をカタカタ鳴らしていれば、背後から中性的で訝し気な声が聞こえてきた。


「……あの、ダマルさん? なにか面白いことでもあったんですか?」


「あ、サフ君! お帰りなさい」


「よぉサフェージュ、今の俺は近年稀にみるレベルで機嫌がいいぜ! 何せ――あ」


 くるりと髑髏を回した先。8割方女性に見えるフーリーの少年が、どこかから帰って来たらしい。

 ただ、重要なのはサフェージュが顔を見せた瞬間のクリンの声である。何せ俺は相棒と違い、心の機微という奴にはそれなりに鋭いのだ。

 ゆっくりとソファから立ち上がって中性狐へ近づき、その腕を取った。


「おいお前、ちょっとこっち来い」


「え? え? なんですか、なんなんですか急にぃ?」


 部屋に来て早々の彼が如何に困惑しようと関係ない。俺はサフェージュを問答無用で廊下に引きずり出し、その肩に腕を回して顎を耳に寄せた。

 妙に男っぽくない石鹸の香りがしたが、多分勘違いだろうと意識の外に振り払う。その上で、できるだけ低く小さい声を長い狐耳に向けて発した。


「お前、この場で俺に約束しやがれ。クリンのこたぁ、何があっても絶対に泣かさねぇって」


「は、はい? あの、お話がまるで見えないんですけど、なんなんですか泣かすって――」


 こちらが小声だからか、サフェージュも自然と小声になる。

 ただ、やはり真意は掴みかねているらしく、困惑が顔に貼りついていた。

 無論、俺はその疑問に答えず、脇腹を突いてガチリと白い顎を噛み締める。


「いいから今すぐ誓え。さもねぇと、お前の身体に生えてる毛という毛を全部毟り取る、今この場所で」


「わ、わかりました、わかりましたよ! なんだかわからないけど誓います! 誓いますからちょっと離れてください! 髑髏が怖いんですよぉ!」


「よーし言ったな。これでもし約束を破ったら……そん時は毛だけじゃ済まねぇと思えよォ?」


 若干失礼なことを言われた気がしたが、契約内容と比べれば些細なことである。

 それに俺は心が広く、決してサフェージュのことだって嫌ってはいないので、多少失礼なことを言われようとも、その程度で毛を毟ろうなどとは思わないのだ。

 だから、頼んだぜぇ、と言いながら少年の背をパワハラ上司よろしく、バシバシ叩いて笑っていると、タイミングよくギィとリビングの扉が鳴いた。


「あの、ご主人様? 御寝床が整いましたが――サフ君と何かありましたか……?」


「いーや、別に何にもねぇぜ? 他愛ない世間話をしてただけさ! そんじゃ気分もいいし、俺はちょいと昼寝でもさせてもらうかなぁ! カッカッカ!」


「あははは、は、はは……はぁ。ホントになんなんだろぉ」


 ご主人様、実にいい響きである。ぼやくサフェージュなど霞んで見えるほどに。

 当然、実際にクリンのご主人様になる日が来るかはわからない。だが少なくとも、ジークルーンのことを抜きにしてと思う心が芽生えたのは、間違いなく今日のことだろう。



 ■



 一連のトレーニングを終え、腕をぐるりと回し感触を確かめる。

 まだ肌寒いなかでも、しっかり負荷をかけた体からは汗が滲み、ふぅと息を吐けばその感覚もまた心地よい。


「よし、今日はこんなところにしておこう」


 機甲歩兵と言えど、基礎体力はとても重要である。だから筋トレを含めた訓練を欠かすわけにはいかない。

 そして今日もそのノルマは十分達成したと言っていい。あとは訓練後のお楽しみである風呂を浴び、暖炉の前で一息つく至福の時間だ。

 そう思って軽く伸びをすれば、後ろから声をかけられた。


「……お、お疲れ様。お、お、お兄ぃ、ちゃん」


「あぁ、ありがとうシュー……え? なんて?」


 一瞬、耳がバグったのかと本気で思った。

 涼し気な声はいつも通り高低差が薄い。だが、最後の一言は、違和感そのものを具現化したが如く。

 おかげで僕はポンチョに包まれた姿を二度見してしまったのだが、どうにもこれがいけなかったらしい。


「な、なんでもないっ!」


 そう言い残すと、シューニャは手にしていたタオルをぽーいと投げ捨てて、全速力でガレージのほうへ消えて行ってしまう。

 残された僕にできるのは、冷たい風の中で呆然と立ち尽くすのみ。

 するとその風に乗ったのか、ヒソヒソ声が茂みの向こうから聞こえてきた。


「シューナにげた……」


「言い切れただけでもシューニャは立派だと思うわ……でも割に合わないわね。あの鈍感には効果薄そうだし」


「……だからやめとけって言ったッス」


「これ、意味あるんですか?」


 いつの間にか勢ぞろいしている女性陣。茂みの向こうでぴょんと跳ねる青銀の髪と黒い頭に4つの獣耳。隠れられているようで隠れられていない。となれば、彼女らが何かを企んでいたことは間違いない。

 なんとなく、聞いても教えてもらえそうにはなかったが。

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