第12話 人が人の形を成す限り

【この物語の登場人物】


天野太郎あまのたろう = 水道屋さん。節度ある偏屈者。


妻 = 太郎の妻。


娘 = 太郎の娘。



★ ★ ★ ★ ★



 年の瀬。


 太郎は、半年ぶりにこっちの世界に帰って来た。年末年始は愛する家族と、愛するマイホームでゆっくりと過ごすつもりだ。


「パパ―! おかえりー!」


 自宅の扉を開いた途端に、幼い娘が太郎に飛ぶ掛かって来る。抱きついたまま離れようとしない。


「ただいま! おや、少し見ないうちにまた大きくなったか?」


 それから、キッチンから顔を出した妻が、娘を高く抱き上げる太郎に向かってこう言った。


「おかえりなさい、あなた。今ご馳走を作っている最中で手が離せないの。ごめんなさい。お風呂が沸いているからとりあえず入って」


 妻も娘も元気そうで何より。太郎はほっと胸を撫で下ろす。



★ ★ ★ ★ ★



 その晩、妻と半年ぶりに夫婦の営みをする。


 その最中、太郎が、妻の股を開いて、その中心をマジマジと覗き込み、考えこんでいる。


「あなた、どうなさったの? そんなにじっと見ないで。何だか恥ずかしいわ」


「いやね。なぜこんなに隣接しているのかなあ、と思ってね」


「隣接? 何が?」


「オシッコの穴とお尻の穴のその間に挟まれて、赤ちゃんの穴があるだろう。この穴と穴がね、なぜこんなに隣接をしているのか、考えていたんだ。だってもっと離れていた方が絶対に衛生的じゃないか。神様も罪な配置にしてくれたものだよ。僕的には、少なくともこのお尻の穴から、あと30センチは離したほうが良かったと考えている」


「およしになって!」


「だって、ウンコの出る穴だぜ? その数センチ先に生命の誕生する穴があるのは、どう考えてもおかしいだろう?」


「お願いです、もう見ないで下さい! とても恥ずかしいです!」


「かつてブッダは『人間なんてただの糞袋だ』とうそぶいた。禅語に『人間とは、九つの穴の糞袋である』なんて禅語もある。世にはびこる醜い人間たちを見ていると、確かにそうかもしれないと思う。でも僕は、この十番目の穴だけは、聖なる穴だと信じたい」


「今は営みに集中してください!」



★ ★ ★ ★ ★



 夫婦の営みを終え、二人でベットに横たわり天井を眺めて話をする。


「どうですか、お仕事のほうは?」


「うん。実はね。転職を考えてる」


「え?」


「いつまでも続ける仕事ではないよ、水道屋なんて。危険だし、汚いし、キツいし。おまけに給料は安いときたら、ねえ?」


 太郎が妻の髪を撫でながらそう言うと、妻が太郎の肩に頬を乗せて話始めた。


「私は、立派な仕事だと思いますよ。上下水道は、いまや人々の生活から切っても切り離せない重要なライフライン。決して蔑まれるお仕事ではない。もっと自分の仕事に誇りを持って下さい。思い出して。まだ異世界に転勤する前に、こっちらの世界で大きな地震が続いた時期があったでしょう。あの時あなたは、自衛隊の人たちと協力をして、避難所の仮設水道や仮設トイレの設置に奮闘していた。私は自分の夫を誇らしく思いました」


 太郎は、自分の職業に対する妻の本音を初めて聞いた。


「人間の体の三分のニは水分なんですって。その水を供給するのがあなたの仕事。蛇口をひねれば安全に飲める水が出る環境なんて、よくよく考えたら夢のようじゃない。下水道施設も同じく。これからもっともっと科学が発展をして、人間が宇宙に移住をしたり、人間の体にマイクロチップが入ったり、AIが人類を支配するようなことがあっても、人が人の形を成す限り、人は必ず排泄をする。あなたのお仕事は、人が人の形を成す限り無くなりはしない」


「ありがとう。何だか力が湧いてきたよ」


「兎にも角にも、年末年始はこちらでゆっくりと体を休めて下さいな」


 太郎は妻の優しさに包まれて、溶けるように眠った。



★ ★ ★ ★ ★



 新年の朝。


 家族三人で朝から豪華なおせち料理を前にお正月の宴を始めようとしたその時、太郎の携帯電話が鳴った。


「正月早々誰だろう?……げげ。異世界の市役所の水道課からだ」


 太郎が、慌てて電話に出る。


「……はい。……はい。……はい。分かりました。今すぐ異世界に戻ります」


「パパ、どうしたの?」


「何か、緊急事態かしら?」


「すまない。パリジャポーネ市内の道路に埋設された水道管が凍結で破裂してしまい、道路から噴水をして、街中が水浸しになってるらしい。警察や関係各所も動いているが、専門技術者の助けが必要だとのこと。うちの会社はパリジャポーネ市内の指定工事店だから出動しない訳にはいかない。ごめん。本当にごめんよ。今すぐ異世界に戻らなければならない」


 おせち料理に一口も手を付けぬまま、太郎は妻と娘に対して申し訳の無い顔で、荷物をまとめて、玄関を出ようとする。


「ほら、あなた、胸を張って!」


「パパ、かっこいいぞ!」


 妻と娘が、精一杯の笑顔で太郎を送り出す。


「気を付けて、行ってらっしゃい!」


 仕事が僕を待っている。


 僕を必要としてくれる人たちがいる。


「はい、行ってきます!」


 そう叫んで、太郎は異世界へと走り出した。



★ ★ ★ ★ ★



 終わり。

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異世界水道工事店 Q輔 @73732021

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