第5話 勇者の家のキッチン水栓が壊れた(前編)
【この物語の登場人物】
ジョル = 甲斐性なしのヘッポコ勇者。
マギ = 勇者ジョルの女房。遊び人のパートで家計を支える。
バビロ = ジョルとマギの息子。高校生。賢者系の大学を志望。
★ ★ ★ ★ ★
支店のすぐ近所に住んでいる、勇者のジョルから調査の依頼があった。
「やべえよ。自宅のキッチン水栓が壊れちまってさ。修理対応できるか一度見て欲しいんだよ。長らく使っている器具だから取り替えも検討したい。訪問する時は、ついでに水栓のカタログを持って来てくれよな」
依頼内容は、上記の通り。
天野太郎は、さっそく勇者のジョルさんと電話で訪問時間の調整をする。
「悪いけど、平日は難しいな。妻は、夕方まで『遊び人』のパートをしているし。高校生の息子は、夜遅くまで学習塾だ。自分も、ここのところ洞窟を探検したり怪物と戦ったり宝箱を探したりで、何かと忙しくてさ。平日は家に誰もいないんだ。土・日のどちらかで訪問してくれねえか」
「かしこまりました。では、今週の土曜日の朝9時過ぎに、ご自宅にお伺い致します」
――――
ハレルヤ水道工事店パリジャポーネ支店から目と鼻の先、三丁目の武器屋の角を曲がったところにある青色のトタン屋根の住宅に、勇者のジョルは住んでいる。
この界隈は、別名『勇者ニュータウン』とも呼ばれている。
今から三十年程前に起きた『第一次冒険革命』の頃に、このパリジャポーネに全国から大勢の勇者志望の若者が殺到をした。その対策として、政府が早急な建売住宅の建設・販売を斡旋したことによって出来た住宅街である。
かつてはモダンと呼ばれた街並みも今はすっかり廃れ、街の風紀は年々悪くなりつつある。
「おはようございます、ジョルさん。ハレルヤ水道工事店の天野です。いや~会社からこれだけ近いと、移動時間が短くて助かりますよ」
「おお、よく来たな、天野さん。今日は本当は休日だったのだろう? 無理な日時をお願いをしてしまって悪かったな。さ、さ、汚ねえところだけど、遠慮なく入ってくれ」
勇者のジョルに、リビングダイニングキッチンに案内をされる。
すると、リビングのテーブルで、一人の物静かな若者が、羽ペンをインク瓶に浸しながら、書物とノートに向かい、カリカリと熱心に勉強をしている。
「天野さん、紹介するよ。一人息子のバビロだ。こいつったら俺に似ず、昔っから勉強の出来るガキでさ。狭い我が家でのリビング学習にもかかわらず、なんと今年の春、公立高校に見事合格をしたのだぜ。エッヘン! 天野さん、うちの息子、自慢じゃないけど、公立ですわ」
「それはそれは、おめでとうございます」
「ほら、バビロ、水道屋さんのお出ましだ。挨拶をしねえか」
「…………」
父の忠告をこれ見よがしに無視をして、バビロは書物を読みふけっている。
「バビロ君は、将来はお父さんのような立派な勇者になるのかな?」
太郎は、勇者のジョルに対し、精一杯の社交辞令をした。
「勇者になんて絶対になりません。僕は、賢者系の大学を志望しています」
バビロは、太郎にも目を合わせることはなく、実にそっけなく答えた。
キッチンには、灰色のスエットの上下を着た寝ぐせだらけの金髪の女性がいた。
大あくびをしながらスエットの後ろに手を突っ込んでボリボリとお尻を搔いている。すっぴんで眉毛が無く、能面の増女(ぞうおんな)のような顔。
太郎は、出来ることなら見ないにこしたことはない女性の側面を垣間見てしまったようで、あたふたとした。
「こいつは、女房のマギだ。壊れた水栓のことについては、こいつに聞いてやってくれ。俺は、家事のことは、こいつに全て任せてるからさ。おい、こら、マギ。今朝は水道屋さんが来るって事前に知らせていただろう。寝巻でお出迎えとはどういうことだ。て言うか、化粧ぐらいしろよ。
まったく、てめえってやつは、昼間は遊び人のメイクとファッションでド派手のくせしやがって、バッグステージではこの通り生活感丸出しだ。女房の化けの皮を剥いだら、中から化け物が出て来たってか。ぶはははは」
勇者のジョルは、誰もそんなこと望んではいないし、そんなことをしても誰も得をしないのに、他人の前で、これみよがしに面白がって自分の女房をさげすんだ。
マギは、ジョルが自分に浴びせた罵詈雑言に対し、当然のことながら烈火のごとくに怒った。
「何だい、あんた、さっきから黙って聞いていれば偉そうに。あんたの稼ぎが悪いから、私がパートに出なきゃならないんだよ。私だって好きで遊び人のパートなんてしているんじゃないんだ。
言っておくけど、私はもともと宮殿に勤める侍女だったのだからね。それを旅の途中のあんたに手籠めにされて、散々弄ばれて、気が付いたらこのざまさ。
なんなら、あんたが宮殿の裏の聖なる祠で、私にした淫らな行為の数々を、今ここでこの天野さんに、全部ばらしてやってもいいんだよ」
「……おい、てめえ、朝っぱらから何を言いやがる。慎め。バビロが聞いているじゃねえか」
「うるせえ。こっちはねえ、バビロの学費を稼ぐために、毎日毎晩呑みたくないお酒を呑んで、踊りたくない踊りを踊っているんだ。分かってんのか、このヘッポコ勇者」
「言ったな。言いやがったな。てめえ、一家の大黒柱に向かって、何だその口の利き方は」
参ったなあ……。突然目の前で始まった勇者と遊び人の大喧嘩に、太郎は成す術もなく、ただ立ち尽くしている。
「ふん、この甲斐性無しめ。いつも巨大な怪物ばかり狙っては、ころっと死んでばかりじゃないの。大したレベルもないくせに、一か八か一攫千金を狙うのもほどほどにしな。あんたのようなヘッポコは、近所を這っている粘液状のドロドロした小さい怪物とかを、地道に殺して地道に稼げ、馬鹿野郎」
「男の仕事に口を出すんじゃねえ。こっちは死ぬ気で頑張っているんだ」
「オホホ。ぶっちゃけ、何度死んだら気が済むんだっちゅー話でしょうが。その度に教会でしれっと復活しやがって。復活に掛かる費用だって毎月馬鹿にならないんだからね」
「言わせておけば。もう我慢ならねえ。ぶち殺す」
怒髪天になった勇者のジョルが、腰の剣を鉄の擦れる音を鳴らして抜いた。
「ほら、殺せ。さあ、殺せ。殺せるものなら殺してみろ。あんたのその錆びついた刃こぼれだらけの惨めな剣で、私の尻を三つに割ってみやがれ」
マギがお尻をぺんぺんしながら、ジョルを挑発する。
その時、両親のあまりの醜態に耐え兼ねたバビロが、テーブルを激しく叩いて立ち上がった。
「うるさい! 勉強が出来ないじゃないか!」
ジョルとマギは、息子の一喝で冷静さを取り戻した。
「へん。黙っていれば、かわいい女なのに……」
「ふん。やればできる男なのに……」
やがて二人は、それぞれの捨て台詞を静かに吐いた。
それから、勇者のジョルは、リビングのソファに深く座り、以降は我一切関せずといった態度で新聞を読み始めてしまった。
息子のバビロは、また黙々と書物を読む。
「天野さん、お恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。では、遅ればせながら、壊れたキッチン水栓を見ていただけるかしら。ほら見て、このレバーを上げるとね、水栓の本体から水がチョロチョロと漏れ出すのよ」
女房のマギが、気持ちを切り替えるように、太郎に壊れた水栓の説明を始める。
大丈夫。この家族は、お互いのことを決して嫌いではない。ただし、親しい間柄ゆえに、気が付いたら、いつの間にか素直に歩み寄れない関係になってしまっているだけだ。うん、そうだ。きっと、そうだ。
狭いリビングで不機嫌そうに、でもどこか居心地良さげに点在する三人を眺め、太郎はそう思った。
★ ★ ★ ★ ★
後編へ続く。
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