第4話 元武闘家の家のトイレが時々詰まる(後編)
【この物語の登場人物】
チェンリー = 元武闘家。老人なのに筋肉ムキムキ。
チェンリー夫人 = 同じく元武闘家。いつも笑顔のお婆さん。
★ ★ ★ ★ ★
「二日前の早朝、主人がトイレで倒れているところを、私が発見したのよ」
ご夫人は、チェンリーさんの写真を悲し気に眺めてそう言った。
「お悔み申し上げます。あの、失礼ですが、死因は何だったのですか?」
突然の訃報に冷静さを失い、太郎は、遺族が答えにくいであろう質問を配慮なく率直に尋ねてしまった。
「持病の多い人の突然死だから、具体的にはよく分からないの。私が健康について色々質問をしても、何しろ重度の認知症だったから、この頃は何を聞いてもうわの空たっだし」
「え! たびたび失礼ですが、認知症を患っておられるのは、ご夫人のほうではなかったのですか……」
「おほほ。逆よ、逆。なるほど、二人で私のほうを見ては何やらコソコソと噂をしていると思ったら、主人ったら、私のことを認知症だと天野さんに虚言をしていたのね。天野さん、誤解を解くためにはっきりさせておくわ。大根のヘタや人参のヘタを故意にトイレに流していたのは、実は主人なのです」
「そうだったのですか。僕はてっきり……」
「それでね、困ったことに、主人は死ぬ間際に及んで、どうやらまたトイレに異物を流したみたい。主人が亡くなった日から、トイレの流れが悪いの。水だけなら流れる。汚物と紙が一緒だと便器から水が溢れる」
太郎は、さっそく便器を取り外した。
詰まっていたのは、蓮根の切れ端。
「……また根菜。いやはや、なぜにそこまで根菜にこだわる」
「オホホホ。何だか知らないけれど。本当に変わった人だわねえ」
★ ★ ★ ★ ★
それから、作業道具を片付けながら、太郎はご夫人に素朴な質問をした。
「しかし、なぜチェンリーさんは、ご夫人の隙を見ては、執拗にトイレに異物を流し続けたのでしょうね」
「もう荼毘に付されているから、主人に直接それを尋ねることはできないけれど、でも、私には何となくその理由が分かります。主人がトイレに異物を流し続けた理由、それは恐らく、天野さん、あなたです」
「ぼ、ぼ、ぼ、僕?」
こちらにいらして下さいな。そう言ってご夫人は、太郎を応接間に案内した。
応接間の中央には、大きくて立派な額に縁取られた一人の猛々しい武闘家の写真が飾られていた。
そして、その傍らには、やや小さめの写真が額に飾られている。それは、武闘服を着た若き日のチェンリーさんとご夫人、それから二人の間にその猛々しい武闘家が並んでいる写真だった。三人とも満面の笑みだ。
「息子です。もう何十年も前の話になるけれど、海の向こうで、背中に鱗のある大蛇のような怪物と三人で戦った時に戦死をしたの」
太郎は、生前チェンリーさんが、その怪物との戦いを、自慢げに話していたことを思い出した。
「怪物の捨て身の攻撃から、身を盾にして父と母を守ったことによる、名誉の戦死です。ほら、よく見て、うちの息子、天野さんに瓜二つでしょう」
息子さんの写真を凝視する。う~ん、確かに似ているといえば似ているかもしれないが、でもさすがに瓜二つと言うほど似ていないと思うが、そもそも僕こんなに若くないし、いやでも確かに見方によっては、そっくりだと言えなくもないのかな。
「主人はね、天野さんと初めて逢った時から『息子が生き返ったようだ』と言って、あなたの話を夢中でしていたのよ。あなたの訪問時間が分かると、もう何時間も前から落ち着きがなくてね。ごめんなさいね、天野さん。主人はあなたに逢いたい一心で、あのような奇行を繰り返していたようなの」
「そういうことだったのですね」
「天野さん、失礼ですけど、あなた、ご家族は?」
「妻と、今年で七歳になる一人娘がいます。と言っても、現在単身赴任中でして、随分と顔を見ていませんけどね」
「それは良くないわ、たまには帰っておあげなさいよ。愛は、生きているうちに」
そう言って、ご夫人は、太郎がいつだったか教会で見た宗教画のなかの女神のように微笑んだ。
★ ★ ★ ★ ★
「それでは、本工事の請求書はこれまでと同じく郵送します。振込先は明記してありますので、最寄りの金融機関でお支払い下さい、あ、少額の工事ですので、申し訳ありませんが、振込手数料はご負担下さい」
「承知しました。天野さん、本日はありがとうございました」
太郎は、ご夫人に玄関先まで見送られ、そこで事務的な挨拶をしたのち、あらためてご夫人の顔を真っ直ぐに見た。
「息子さん、それからご主人まで……寂しくなりますね」
「平気よ。寂しくなったら、トイレに根菜を流すから」
ご夫人は、チャーミングに小首をかしげてお道化てみせた。
「いやいやいや、勘弁して下さいよ~」
夫人のブラックジョークを聞いて、太郎は何だか安心をした。
「チェンリー夫人、また来ます。次は水道業者としてではなく、お友達として」
「まあ、嬉しい。いつでもお茶を飲みにいらしてね。おいしいアップルティーを準備して待っているわ」
チェンリー邸を出ると、心地よい風が、太郎の頬を撫でた。今日も雲一つない異世界晴れだ。
あちょ~! あちょ! あちょ! あたっ! あたたたたあ!
太郎は、周囲に誰もいないことを確認すると、道端で何とは無しに武闘家の真似をした。精一杯恰好をつけて、思い付きの武術の形を舞ったのだ。
ゴキッ。
途端に、持病の腰痛が再発した。
あ痛っ! あ痛たたたたあ!
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