ウサギのウララ
此糸桜樺
むぎゅ
「なんでも願いが叶うとしたら、何をお願いする?」
お昼過ぎの公園。太陽が斜めになってきた頃。
まあちゃんがふいに、そんなことを言った。渚は、かくんと首を傾げた。
「えー、なんでも?」
「そう、なんでも」
「うーん」
渚は、ちょっとの間、考え込む。
お願い事かあ。なんだろうな。んーと、んーと、んーと。
「んー、分かんない」
「なんでもだよ、なんでも。お菓子でもおもちゃでも何でも! なぎちゃんは欲しいの無いの?」
渚は難しい顔をして、うんうん唸る。
欲しいおもちゃなんて、たくさんあって、すぐには思い出せないや。
「んー……」
「ふーん、そ」
まあちゃんは、つまらなそうに言った。
「でも、なんで?」
渚が聞くと、まあちゃんは、ふんっと自信満々な顔をした。なんだかすごく楽しそうだ。
「あのね、このぬいぐるみはね、一人につき一つだけ願いを叶えてくれるの。魔法みたいじゃない? だからね、なぎちゃんにあげようと思って」
そう言って差し出されたのは、ふわふわとしたピンクのうさぎ。
黒い目がキラキラした、可愛いうさぎのぬいぐるみだった。
「わあ、ありがとう」
渚が、ぬいぐるみを受け取ると、ぱちっとうさぎと目が合った。とってもきれいな目だった。
「まあちゃんは、いいの?」
「私はもう使っちゃったの。だからもういらない」
まあちゃんは「何個もお願いできればいいのにね」とぶつくさ言いながら、ぴょんっとブランコからとび降りた。
「じゃ、なぎちゃん、またね」
まあちゃんはそう言って、ひらひらと手を振って走っていった。公園に一人取り残された渚は、じいっとそのウサギを見つめた。
「あなたの名前はなあに?」
渚はうさぎに問いかける。もちろん、ぬいぐるみが話すわけがないのは知っている。
だから、ちょっと高い声を出して『私の名前はね』と言ってみる。
ウララ、ウララ。ウサギのウララ。
『私の名前はね、ウサギのウララ』
何度も言う。ウサギのウララ。ウサギのウララ。
ウララの目は、宝石みたいにキラキラしてる。黒くて、綺麗で、ずっと見てられる。渚はぎゅうう、と抱きしめた。もふもふで可愛くて気持ちいい。
渚はすぐにウララが大好きになった。ずっと一緒にいたいと思った。
「よし! かーえろ!」
渚がるんるん気分で公園を出ると、怖そうな男の人が、はっと息をのんだ音がした。そして、渚の顔とウララを交互に見ながら、「願いを叶えるぬいぐるみ……」とびっくりしたように呟いた。
渚は不思議に思って顔をあげて、男の顔をじっと見た。
「おい……それ、お前がどうして持っているんだ?」
「まあちゃんからもらったの」
「まあちゃん? 誰だ?」
「おかっぱのまあちゃん」
「おっかぱの……まあちゃん……?」
「うん、まあちゃん」
渚が力強く頷くと、男は諦めたように「……そうか」と言った。
「そのぬいぐるみ、おじさんに貸してくれ」
「なんで? これは、わたしのウララだよ」
「それは特別なぬいぐるみなんだ。ちょっとばかり、そのぬいぐるみを使いたい。なあに、明日にはすぐ返すさ」
「やだ」
「すぐに返すよ。ちょっとだけでいいんだ。貸してくれないか?」
「やだ」
「どうしてもか?」
「うん」
「はあ……まあ、しょうがないか」
男は面倒くさそうにため息をつくと、ウララを無理やり引っ張った。その拍子に、渚は思わず、どんっとしりもちをつく。
「あ!」
渚が悲鳴をあげると、男はにやりと笑って背を向けた。
「明日には返すからよ、今日のところはもらっていくぜ」
「だめ!」
渚は必死に追いかけた。でも、やっぱり大人の足は速くて、渚には到底追いつけなかった。
悲しかった。悲しかった。
渚は、家で、一人泣いた。
◇
次の日。渚はずっと男を待っていた。今日には返してくれるっていう約束のはずだから。
夕方の公園。もうちょっとで日が沈みそうな頃。
ようやく、男が公園にやってきた。確かにウララを持っていた。だけど、全然ウララじゃなかった。
「ほら、返すよ」
「目……」
受け取ったウララは……ウララの目は、全然キラキラしていなかった。代わりに、不格好な黒いボタンが付いていた。左右大きさがちぐはぐで、顔のバランスとも合ってなくて、すごくすごく不気味だった。
「目、返して」
「それはできない」
「なんで」
「あれは宝石だ。見た目からして、金になりそうな代物だったからなァ。……ああ、まあ、ガキには分かんねえか。じゃ、用事はそれだけだから」
それだけ言って、男はスタスタと歩いていこうとする。
「待って!」
ウララの目を元通りにしてほしかった。ウララの目を返してほしかった。キラキラした目じゃないと、ウララはウララじゃないんだ。
渚は大声で叫んだ。
「ねえ、ウララを返して!」
「返しただろうが」
「目は? ねえ、目は!」
「うるせえな! ガキが」
「ねえ、ウララ!」
そのとき、ウララの不格好な目と、ぱちっと目が合った。
それは、どこまでも感情のない目で、渚を見つめていた。
「ウララ!!」
むくむくとウララが大きくなった。
渚よりも大きくなった。男の何倍も大きくなった。
大きくなったウララは、男を静かに見下ろした。
ふわふわした柔らかい手で、男に手を伸ばし、そして、
ぎゅむ、と握りつぶした。
悲鳴は聞こえなかった。
ただ、ぐちゅ、という音がした。
オレンジ色の空が、赤く染まった地面を照らす。
夕暮れ時の雲は、ほんの少しだけくすんでいて。
ピンク色の影だけが、異様なほどに浮いていた。
怖かった。でも、怖くなかった。だって、ウララは願いを叶えてくれたんだな、と分かったから。
「ウララ!」
ウララはだんだん小さくなって、ついに元通りの大きさになった。
元通りになったウララは、男のポケットをまさぐって、何かを取り出したようだった。そして、おぼつかない足取りで、てくてくと渚のもとに歩いてきた。
小さな手で、差し出されたのは。
キラキラした、ブラックダイアモンドだった。
「目だ!」
渚は夢中になって、ウララの目についている不格好なボタンを引き取った。ブチッという音が気持ち悪く響いた。もう片方の目も、力任せにむんずと掴み、ブチブチと引き離した。眼球のなくなったウララは、もはやただの布とファーと
「わあい、元通りになってよかったね!」
渚は、むぎゅう、とウララを抱きしめた。
「大好きだよ、ウララ!」
ウサギのウララ 此糸桜樺 @Kabazakura
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