7

 水飲み場には行商人が連れている馬がずらりと並んでいて、自分たちの馬を繋ぐ場所を確保するのも大変だった。

 交易所はひどく雑然としている。

 そこここに天幕テントが張られ、その中には商品が山積みになっていた。天幕の前でそれぞれの売り物や交換可能な品物が並べられている。

 見たことのない素材の装飾品、虹色に輝く宝石に、細やかな模様で織られた絨毯――。

 多様な商品がそろっていて、見ているだけでも楽しい。中にはミアでも手が出せそうなほど安価な値段がつけられている品もある。あちこちに視線を巡らせていると、ベルが笑った。


「今日はおそらく、この辺で野宿することになるかと。少し時間もありますし、ちょっと見ていきますか?」

「いいんですか?」

「もちろん。団長に引き回されて大変だったでしょう? 好きに見て回っていいですよ。私は近くにいますから、戻る時は声をおかけください」


 ミアはその好意に甘え、ところ狭しと並ぶ天幕の合間をふらりと歩きだした。


(わたしの手持ちで買えそうなもの、ないかな?)


 ローラントからもらってばかりだから、何かお礼がしたかった。もの珍しさにつられて交易所を巡るうち、ミアは


(あっ……)


 とある天幕の前で並べられた原石や水晶。その中の一つに目をみはる。


(嘘みたい……レイ・クォーツがあるなんて)


 それは滅多にお目にかかれない水晶である。うずらの卵くらいの大きさで、午後の日差しを受けてきらめいている。

 レイ・クォーツ。持っているだけで聖歌を打ち消す効果がある。

 ピアニッサの闇市でまれに出回るらしいが、そのすべては聖歌機関に回収されている。

 ミアは一度だけ、聖歌機関の聖堂でレイ・クォーツを見たことがあった。

 内部に虹色の光が閉ざされ、それがゆるやかに渦巻いている。何かの息吹が込められているのか、その水晶に向けて聖歌をうたうと、逆位相の音が発生するようになる。歌い手の力を無力化させる、厄介な水晶だと皆は言うが、ミアはこれが喉から手が出るほど欲しかった。

 これがあれば、自分にも護衛がつくかもしれないのに――何度そう思ったことだろう。

 ミアの聖歌を聞いても眠らない者が始終守ってくれるなら、安全地帯を探し回ったり、逃げたりしないで済む。うたうことだけに集中できるだろうし、詠唱が途切れることもなく、敵だけを眠らせることができる。


(そうしたら、最弱なんて言われなかったのにな……)


 思わずため息がもれた。


「ぼっちゃん、それが気になるのかい?」


 店番をしているのは、派手な化粧をした若い女だった。煙管きせるをくゆらせ、くつくつと笑っている。


「いえ、わたしは……」


 手が出せるようなものではないと言いかけて、レイ・クォーツにつけられた価格に驚いた。

 本来目の玉が飛び出るほど高価な品であるが、露店の隅に無造作に置かれたそれは、こどもの小遣いでも買えるくらい安い。焼き菓子一つ分の値段である。


「親方のお使いで来たのかい? そりゃあ不純物が混じってる。あまりおすすめはしないよ」


 高値で表示されている他の石や水晶はよく手入れされ、てらてらとしている。そのどれもが一点の汚れやヒビもなく透き通り、純然たる宝石や結晶のうつくしさがあった。この商人は、それを至高としているようだ。


(価値を知らないとこんなものなのね。無知って怖い)


 ミアは迷わず水晶を手に取る。


「これ、買います」


 女は鼻で笑った。


「こどものおもちゃとしては、手ごろだったかね? ほら、持っていきな」

 

 ぞんざいに渡されたそれを腰に下げた小袋にそっと入れると、ミアは小さく礼を言ってそそくさとその場を離れた。

 ――聖歌にかかわることのない者たちからすれば、レイ・クォーツもごみ同然。

 思ってから、ひやりとする。

 それはミアにも言えることだ。

 水晶も歌い手も、その時々によっては価値のないものに成り下がるに違いなかった。



 隣の天幕の品を見ていたベルに声をかけると、彼女はにっこりと笑った。


「欲しいものは買えました?」

「はい」


 皆が寝静まったら、水晶に聖歌を吹き込んでおこう――思いつつ、ミアは頷いた。


「それは何より。私もいいものが買えました。今のうちに、ミアムに渡しておきますね」

「わたしに?」

「はい。この先、きっと必要になるかと思って」


 渡されたのは薬と、光沢のある茶色のベストだ。手触りはつるつるとしており、硬く、それでいてしなやかさもあった。前開きで、胸元の紐できつくしたりゆるくしたり調整できるようになっている。


「これは?」

「薬は痛み止め。とりあえず十回分。そのベストは、バジリスクのうろこを加工して作ったものです。軽くて、それなりに硬い。防御面でも頼りになりますし、胸のふくらみを隠すにはちょうどいいかと。よろしければ使ってください」

「バジリスクの鱗⁉ めったに見かけない貴重な素材ですよ。これ、高かったんじゃ……」


 手持ちを考えたら全然足りなくて、ミアはうなだれた。


「今すぐお支払いできませんが、この先、稼げるようになったら必ずお返しします」


 頭を下げると、ベルは慌てて付け加える。


「それは私が好きで買ったのですから。私からの贈り物だと思って受け取っていただけるとうれしいです。ほら、団長にだって服を買ってもらったじゃないですか。それと同じ」

「はい。ですから、ローラントさまにもいずれ返します。お金は無理でも、ひとつだけ、なんでも言うことを聞くとか!」


 本当は今すぐにでも返したいくらいだ。意気込むミアにベルは困ったように眉尻を下げた。 


「それはきっと、おやめになったほうが……」

「……そうですね」


 冷静になって考えてみれば、なんでもは無理だった。


「とにかく、毎回サラシと板では大変でしょう? これから先、一人一部屋というわけにもいかないでしょうし」


 今回はたまたま宿が空いていたから皆別々の部屋で寝泊まりできたが、この先もそうとは限らない。むしろ、一緒に寝ることのほうが多くなるだろう。野宿で雑魚寝することだってあり得る。

 サラシと板を付けたまま寝るのはむれるし息苦しくて、ともすれば胸が痛くなる。このベストなら好きに緩められる分、からだは楽になりそうだ。

 しかし、この先ローラントの隣で眠るような状況になれば――そう考えるとドキドキした。


「それに、痛み止めは毎月絶対必要ですよね? ――ほら、年頃の女の子ですから」


 ベルはこそっとミアに耳打ちした。


「さしつかえなければ、本当のお年を聞いても?」

「十八です」

「あら、やっぱり私のほうがお姉さんでしたか」


 ベルは緩くうねる髪を耳にかけてふふっと笑った。


「なんだか、妹が出来たみたいでうれしい。うちは男兄弟ばかりでしたから」

「わたしも、お姉さんができたみたいでうれしいです」


 二人で顔を見合わせ、くすぐったくなって笑いあった。

 ベストを売ってくれた行商にひと声かけて天幕を間借りし、ミアはサラシと板をはずしてひと息ついた。

 からだの窮屈さは比べるべくもない。

 行商に礼をして天幕を出ると、ベルが迷うように切り出した。


「ところでミアム。団長と一緒に行動して、困ったことはありませんでしたか?」

「困ったこと?」

「はい。衝動的に暴れ出したり、不機嫌そうになったりしませんでした?」

「……はい」


 町でのことを思い返す。暴漢との戦いはやむなく始まったもので、不機嫌そうだったのは、ミアム少年とのひと時を邪魔されたからだ。衝動的とは違う。


「そうですか。薬の効果が続いているのかしら? ひどい時は団員が怯えて側に近寄りたくないというほどだし……あ、ミアムがいるから自重しているのかも……。でもそろそろ内服していただかないと。クランが邪魔さえしなければ昼には飲んでいただけたのに……」


 ひとり呟くベルに、ミアは首を傾げた。


「薬? ローラントさまは、どこか悪いのですか?」

「その、不眠症でいらっしゃるので。定期的に薬を飲んでいただいて、無理矢理心身の状態を整えているのです」

「不眠症……」


 やっぱり、とミアは頷いた。

 野宿した時も、床についてはいたがずっと起きていたし、目をつぶっていても物音にすぐに反応した。いつ寝るのだろう、と観察しているとミアのほうが先に眠くなってしまい、結局彼の寝入った姿を見たのは、ピアニッサの飯屋が最後だ。

 全然眠っていないとなると、不調をきたして当たり前である。

 ベルは頬を抑えてため息をつく。


「薬が切れると思考が鈍るのか衝動的になられるし、だるさと頭重感にさいなまれるようでして。症状が酷い時には恐ろしくて誰も近寄れないのですよ」

「……それは、どういう? 衝動のままに、手当たり次第に攻撃でもしかけてくるのですか?」

 

 ベルは苦々しくうなずいた。


「おっしゃる通り。それで、我々も対応に困っていまして……」

 

 魔物も一撃で刺し殺すほどの剛腕が衝動にまかせて襲いかかってくるとなると、恐ろしいことこの上ない。

 ただ、衝動的なのは元の性格もあるのではないか、突然尻を出せと言うくらいだし――そう思ったが、ミアは黙っていた。


「ピアニッサでも、目にとまった飯屋に行きたいだなんておっしゃるから、大事な指輪をなくすことに……」

(じゃああの時も衝動で飯屋に立ち寄って、わたしとおかしな賭けをしたわけね)


 ミアは苦笑した。

 ベルはじっとミアを見つめる。


「そういうわけで、お二人で過ごす間、変に迫られたりしたらさぞや怖かったのではと心配していましたが――杞憂のようですね」


 衣装店で着せ替え人形になったくらいで、特段変なことをされた覚えはない。

 むしろ、常に気にかけてくれていたし、守ってくれていた。

 昼間の戦闘を思い返す。追っ手から守ってくれた時のローラントは、大変頼もしく、かっこよかった。

 買ったばかりの短剣はあえなく砕けたが、あれだけ使いこなせれば恐れるものは何もない。

 もっとも、ミアにあのナイフ格闘技を習得できるとは思えないが。

 ミアはふふっと笑った。


「ローラントさまはずっとお優しかったですよ」

「……そう言っていただけると、きっとあの方も喜ばれます。これから先、どれくらいご一緒できるか分かりませんが、団長の一面だけを見て苦手意識を持たないで差し上げてください」

「苦手だなんて、そんな……」


 ミアム少年に対して甘くてやさしいローラント。ミアに向けられた思いではないと分かっているが、向けられたその想いは、長年に渡って神官から貶められてきたミアにとって、くすぐったくて、心地よいものだ。願わくばこのまま、無垢な少年のふりをして浸かっていたいと思う程度には。


(いっそ、苦手で、嫌いになれたらよかった……)


 噂通りの冷酷無慈悲な男だったら――。

 どうせ対象外だと分かっている。変に意識すれば、苦しくなるだけだ。

 ――それでも、与えられるやさしさに愚かにも期待を寄せてしまうのを止められない。

 ベルは懐から薬の小瓶を取り出した。


「もしもこの先、団長の様子が変だと思ったらこの薬をお渡ししてください。根本的な解決にならないのが大変心苦しいですが、今はこれしか方法がなくて」

「眠れるようになるのが、一番いいんですよね」

「それはもちろん――」


 色々手は尽くしているのですが――ベルは苦い笑みを浮かべた。


「ミアムは、何かいい方法をご存知ですか?」

「……」


 ベルの真剣な眼差しを前にして、ミアは口をつぐんだ。

 ローラントが望むのならば、密かに聖歌で眠らせることもできるが、そうなると自分の正体を明かすことになる。

 いくらローラントがミアム少年を気に入っているとはいえ、ナイチンゲールを許すはずがなかった。ローラントから敵意を向けられる、その覚悟がミアにはないのだ。


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