6


 宿に戻ると、優秀なローラントの副官たちは既に荷造りと宿への支払いを終えており、いつでも出立できる状態となっていた。

 ベルがもの言いたげにローラントとその従者を見たが、すぐに視線を逸らす。


「どうした?」

「……いえ、見違えるようだと思いまして。よく似合っていますよ、ミアム」

「本当ですか?」

「もちろん。どこからどうみても…………おかわいらしい」


 当然だった。ローラントからの刺すような視線を受けて、ベルは苦笑する。


「旅をするには不向きかと存じますが、替えの服もたくさん用意していただいたようで安心ですね」

 

 その辺は抜かりない。大事な従者だ、濡れて汚れた服をそのまま着せておくなどあり得なかった。


 ミアムを狙ったあやしい連中については引き続き後を追わせ、動きがあればすぐに報告するようにと言いおいてローラント達は町を出た。


 馬をゆっくりと走らせ、草原と林の中を通って街道を進む。このペースでいくと、何事もなければ、辺境伯の居城に着くのは明後日の朝くらいになりそうだった。

 しばらく進んだところで行商人達が市場を開いていた。互いの商品を見て交易し、次の町に入ったところで高く売りさばくのが彼らの商売方法である。

 日がかげってきたこともあって、ローラントたちは一旦この交易所で休憩を挟むことにした。


「馬に水をあげてきます。――行きましょう、ミアム」


 ベルが言うと、ミアムはにっこりと笑ってうなずいた。


「団長はクランとこちらでお待ちください」

「……ああ」


 ローラントは胸の奥がじりじりと焼けるような心地がした。あの笑みを向けてもらうためにあの手この手を尽くしたのに、ベルには一瞬で心を許している。

 今日を共に過ごして心の距離が近づいたと思ったのに、どうあがいてもきれいなお姉さんには勝てないのだ。

 大事な部下に嫉妬するなどどうかしているが、性別の壁が憎い。

 きれいなお兄さんにはなれても、お姉さんにはなれない。いや、この世のどこかにはお姉さんになれる薬なり魔法があるかも……――考えてから、ローラントは思わず目元をおさえた。


(重症だ……)


 男女問わずに視線を集めるミアムは何とも罪深い。

 頭から足の先まですっかりきれいに整えられた少年ミアムは中性的で、こどもながらになんとも言いがたい色香が漂っている。おかげでどこを歩いてもすっかり注目が集まり、ローラントはたびたび苛立ちを抱えていた。


 このままではそのうち変な輩に絡まれると思っていたところ、本当に暴漢が襲ってきたので笑えない。

 肩に担いだ時に胸がやけに固いような気がしたが、狙われている自覚あって、防具でもつけていたのだろう。そんな心配をしなくても望む限り一生守ってやるのに、そう思えども声には出せずにいる。

 たった数日共に過ごしただけで一生はいくら何でも重すぎるか、とローラントなりに考えた結果である。


 春をむかえて芽吹いたばかりの若草の上に腰かけると、隣に座ったクランが口を開いた。


「ところで、どうでしたか。副官二人を追いやってのデートは。おれはベルからどつかれながらの買い物道中でしたけど、そちらは? 襲われたって話でしたけど、お相手は?」

「……恐らく、ミアムを狙っている変態野郎の手下だろう」


 クランから同情の眼差しが向けられる。


「お楽しみ中に邪魔が入るなんて災難でしたね」

「お前な、誤解を招くような言い方はやめろ」

「誤解じゃないでしょ、デートしてたんですから」


 デートではないと言い張ったところで無駄だった。あれは誰が見たってデートである。

 町を巡回している部下たちもばっちり目撃していたし、後で色々と噂になるかもしれない。これまで特定の恋人を作ってこなかったローラントだが、実は少年趣味だった、と。

 とは言え、あらぬ想像をかきたてられるのも、ローラントの心を掴んでいるのも、今のところミアムだけである。

 町中で他の少年を見ても、全くなんとも思わなかったのだから、完全にそっちに目覚めたわけではなさそうだった。

 ほの暗い欲望とミアムへの思慕を隠し通しておくつもりが、実際はどうだ。自分でも異常だと思うほどに甘やかしている。

 一日を思う存分共に過ごして、少年従者への想いをなんとか消化しようとしたものの、連れて歩けば歩くほど、ミアムの可愛さを思い知り、胸のうちが熱くなった。

 衣装店でキュロットを試着した時など、その生足がローラントを惑わせたし、きめ細かくて白雪のようなやわ肌を見せつけられ、頬ずりしたくてたまらなくなったが唇を噛んでどうにか耐えた。生足は破壊力が凄まじく理性がふき飛ぶ危険があるため、結局スラックスを履かせるに至る。

 冷静に考えると、完全に気が狂っていたとしか思えないし、実行せずに済んでよかった。

 辺境伯の懐刀として周囲の期待を背負っている以上、腑抜けている姿を見せられないのだ。騎士団長として、それらしく振る舞わねばならない。

 誰をも寄せ付けない氷をまとって、ミアムを視界に入れても冷静沈着でいられる――と思っていたが、全然そんなことはなかった。内心馬鹿のように浮かれっぱなしで、余計な邪魔が入った時にはぶち切れそうになっていたのだ。

 ミアムを前にすると全てが崩れてしまい、自制の利かないただのガキだった。

 何もかもが間違っている、沼にはまってはいけないと思えども抜け出せず、もう引き返せないところまで来たのだと悟ってローラントは虚無になっていた。

 これまでの人生で、こんなにも人を好きになったことがない。それが何故、よりにもよって少年なのかとローラントは頭を抱えていた。

 見知らぬ者からしたら完璧に通報案件、下手をしたら部下の手で辺境伯の御前に連行される。

 それだけは、皆の模範であるべき辺境騎士団長としてあってはならない。何よりも部下に示しがつかない。


「ふんぎりはつきそうですか?」


 クランからたずねられ、ローラントは草の生い茂る地面に視線を落とした。


「無理だ。手放せる気がしない」

「まあ、そんなことだろうと思いましたよ」


 そうかと言って、指輪ナイチンゲールも諦められないのだから手に負えなかった。指輪さえ返ってくれば、人生の契約を結ぼうなどと迫らずに済むのだが、そう都合のいいことなどあるはずがない。

 ため息をつくローラントの横で、クランは水筒を傾けつつ呟いた。


「しかし、アム坊を狙ってくる奴ら、どこの所属なんですかねえ。ピアニッサからフォルデ辺境中心で活動している組織となると、結構な規模でしょう」

「大方、金で動くごろつき集団だろう。やつらの情報網の広さは尋常ではないからな」

「なんとしてでも、あのぼっちゃんを手に入れようと懸賞金でもかけていると?」

「だろうな。正直、ここまで追ってくるとは思わなかった。フォルデに入ってしまえばその変態野郎も諦めるだろうと思ったが、甘かったな」

「確かにかわいいですけど、そんな、必死になって取り戻そうとするほど大層な子ですかねえ」

「どうだろうな……」


 ――俺なら取り戻したいと思うが、とそこまで出かかった言葉を飲み込む。

 ミアムが普通のこどもかと聞かれると違う。

 奉公に出ていたくらいだから多少しっかりしているのは頷けるにしても、道中魔物と遭遇した時の冷静さは異様だった。

 普通はもっと恐れるはずだし、逃げ出そうと背を向けるだろうに、ミアムは一度たりとて魔物に背を向けなかったのだ。ただ距離をじりじりと取って、安全地帯に入ると敵をじっくり観察するかのように見ていた。

 あれは弱者の目ではない。むしろ――。


(狩る側のそれだった気がするが……)


 大体ローラントが速攻で魔物を仕留めていたから、どうしてそのような行動をとっていたのか全く分からないままだが。

 何にせよ、ローラントにとってミアムは特別な子であることは間違いない。


「そういえば、ナイチンゲールのことなんですけど――」


 クランはベル特製の焼き菓子を頬張りながら報告する。


「スラー山脈に駐屯している奴らに命じて行方を追わせてますけど、未だに所在が分かりません。女性の足じゃ、そう遠くまで行けないはずなんですけどね」


 近隣の町や森の中も探しているが痕跡がないとクランはぼやいた。


「で、考えたんです。案外、おれたちの近くにいたりしないか、と。それはベルも同意見でした」

「彼女も山を越えてこちらに来たと? 魔物の巣くうあの山を、一人で?」

「ええ。じゅうぶんあり得るでしょ?」


 クランはあっけらかんと言いきった。

 ミア・セレナードがピアニッサの至宝、聖歌の歌い手だというところまでは掴んでいる。

 その聖歌を発動させることで万物を眠らせる――話を聞く限りでは厄介で最強の歌い手のように思える。ローラントでさえ眠らされたし、無意識下では何をされたとしても抵抗できない。

 しかし彼女の身柄を預かっていた辺境の教会では、最弱、使えない、といった言葉が平気で飛び出してきたというのだからローラントは呆れた。

 ――一時とはいえ相手を絶対に行動不能にさせるその力の一体どこが最弱なのだ?


「まあ、近くにいるかどうかは置いといて。今のところ周囲が凍っちまったとか、魔法の指輪が暴発するような事件は起こってない。市場にあれが出回っている気配もない。大事に持ち歩いてくれている証拠だ」

「そうだな」


 大事に、という言葉を噛みしめてローラントは微笑んだ。

 クランは続ける。


「指輪の被害がないのは幸いですが、何せ手がかりがありません。歌い手がいなくなった――ただそれが心配ですね」

「……ああ、魔物の動きも気になる」

「それですよね。どうやら、この頃ピアニッサ側からうじゃうじゃと魔物が侵入してくるようでして」


 ピアニッサ側から魔物が現れることはめったになかった。

 上空を回遊する四翼は仕方ないにしても地上の魔物が活発になっているのは悪い兆候だ。


「ナイチンゲールは歌い手の務めをはたせていないのか?」

「状況をかんがみるに、そういうことかと」

「……何かあったのだろうか」

「おれが思うに、安易に聖歌を発動できない状況にあるんだと思いますよ」

「発動できない状況……喉でも潰されてしまったのか?」


 飯屋で聞いた歌は美しかった。あの歌声が潰えてしまうのは惜しい。眠らされた屈辱はあるものの、失ってほしくない。眠りの心地よさをこの身に刻んだあの歌を、願わくば、もう一度聞きたいとさえ思うのだ。

 クランは苦笑を浮かべた。


「かもしれませんね。もしくは、悪い男に捕まっちまったのかも」

「捕まった?」

「そう。先を越されちまったんじゃないかってことです。人生契約的なアレで」


 そうだとしたら求婚どころじゃないですね、この際ナイチンゲールは諦めてミアムにしたらどうですか、と面白半分に言われるが、ローラントにその冗談は笑えなかった。

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