2

 ――その夜、騎士団の食堂はにぎわっていた。長テーブルの上にはできたてほやほやの料理が並べられ、食欲をそそる香りが漂っている。

 城塞周辺の哨戒しょうかいと、厳しい訓練を終えた団員達が次々と宿舎に戻ってくる。

 食堂には深刻そうにしている団長と副団長の姿もあり、腹を空かせて入ってきた騎士たちはことごとく動揺していた。


「団長が本部にいるなんて、いつぶりですかね」

「本当、戦場が家みたいな人なのに」

「見ろよ、あの真剣な顔。きっと何か大変なことが起きたんだ……」


 騎士たちはこくりと喉を鳴らした。


「今度の任務、誰が選抜されるんだろうな」


 薬が切れた頃に近寄ると敵味方関係なくひねり潰されると分かっているため、皆怯えている。同時に、間近でその進撃を拝めるのではと興奮していた。特に入団したての下っ端は、ローラントの戦いぶりを話でしか聞いたことがなかった。


 ――軍神、英雄というのは、彼のためにある言葉だ。


 ローラントの強さは団員全員の知るところ、畏怖と崇拝が入り混じったような複雑な表情で、食堂内で黙々とステーキを食らうローラントを見た。


 どんな姿であっても隙がなく、高貴で、氷のような冷たい空気をまとっている。腹が立つほど顔がよく、町を歩けば誰もが振り返るが、その心は万年氷結しており誰も射止められない。


 ……と、思われていた。


 その氷が溶ける瞬間があるらしいことを、最近になって団員達は知ったわけだが。

 つい先日、辺境の町から戻ってきたシド青年がポツリと呟いた。


「やっぱ、守るべきものができると違うのかなあ……」

「何だそれは! 詳しく聞かせてくれ」

「やっぱりあれか、例の子か!」



 わいわいと若い騎士が騒ぐ中、クランは一見淡々と飯を食うローラントにため息をついた。


「見事に目が死んでますね……ちょっと頭冷やしてアム坊と距離を置くって決めたの、他でもないあんたでしょ」

「……仕方なかろう」

「仕方ない、ね。それで半月以上も萎れてるのはどうかと思いますけどねえ」

「萎れてなど……」


 ローラントはフォークを置いてうなだれた。

 好きだと言っても響かないどころか、逃げられたのだ。

 いや、あれはタイミングが悪かったのか。

 どちらにせよ、隠し通しておくつもりだったのに零れた言葉に、ミアムもローラントも動揺していたのは確かだった。

 あの時、湖で好意を口にした後から、ミア厶の態度がぎこちない。それはローラントにも伝染して、どう接すればいいのか躊躇わせる。

 踏み込んでくるなとでも言いたげで、交わされるのは事務的な応酬だ。

 何をするにしても目を伏せて、こちらを見ようとはしない。


(気持ち悪いと、思われたのだろうな……)


 いい年をした成人男子が、少年に対して好きだとか、自分のためだけに歌って欲しいとか。

 守ってもらっている手前、拒絶することもはばかられただろうし、さぞや怖かっただろう。

 ――避けられたとしても仕方ないのだ。

 ミアムに会いたい。

 毎朝律儀にネクタイを結びに来るが、それ以外はローラントに時間ができた時に鍛錬に付き合うくらいだ。

 ここに来るまでは、手を伸ばせば届く距離にミアムがいたのに。今となってはこんなにも遠い。

 騎士団の職務中もミアムはどこで何をしているだろうかと、そんなことばかり考えてしまう。

 城のきれいな女達に可愛がられて喜んでいるのだろうか。それとも、町中の娘とふれあっているのだろうか。はたまた、騎士団の誰かと――考えると胸のうちが焼けただれそうになる。

 こうしている間にも、ローラント以外の誰かと心を通わせていたら。

 そう思うと気が気ではない。

 だが、ローラントには従者の心を縛る権利などないのだ。誰を選び、ついていくか決めるのはミア厶だ。


「おれからすれば、こんなところまで連れてきて、今更避けるって何って感じですけど」

「こんなところ、か」


 ローラントは自嘲した。

 知り合いの一人もいない場所で、世話を焼いてやることもままならず、それどころか気まずくて避けているのだ。


「まったく、何をやっているのだろうな、俺は。結局、ミアムもナイチンゲールもこの手からすり抜けていく」


 目の前にいるミアムを大事にしたくて、ナイチンゲールの話題は出さないようにしているものの、その動向はやはり気になる。

 ナイチンゲールの友人を自称する修道女に部下が会ったというが、もう探さないであげて欲しいと懇願されたとか。

 ピアニッサの友人や町の人々は、ナイチンゲールを縛るための鎖だったと、泣きながら話したらしい。もうミア一人が傷付いてほしくない、と。

 彼女は事情があって、あの町を飛び出したのだ。


「人生、そんなもんですよ。ままならないことのほうが圧倒的に多い」


 今までもそうだったでしょう、とクランはローラントの肩を叩いた。


「一つ言えるとすれば、中途半端なことはせずに、一度真剣に向き合ってみたらどうかと」

「中途半端……本気になったら、俺は何をするか分からんぞ」


 ローラントはため息をつく。


「いまだってなけなしの理性でどうにか抑えているんだが、それを、どうしろと……?」

「そうだった。あんた、常に衝動的ですからね。こっちがびっくりしちゃうくらい。まあ、とりあえず、ちゃんとベルから渡された薬は飲みましょうか」

「……薬は嫌だ」


 無理矢理抑えつけられ、その反動が後からくる。ひどい時には鮮明すぎる幻覚が見えるのだ。だが、あれがないと調子が悪いのもまた事実だった。


「……とりあえず飲みますか? いくらでも付き合いますよ。この間、いい果実酒を手に入れたんです」

「明日、ベルに叱られないか?」


 団員指導は副団長が交互に行っている。明日の早朝はクランの担当だ。クランはグラスに赤みを帯びた琥珀色のプラム酒を注ぐと、ローラントに一杯すすめた。


「忘れたんですか? 団長のお守りをするのがおれの仕事ですよ」


 そうだったな、とローラントは苦笑し、プラム酒をあおった。



 

 二人で一体どれほど飲んだのか、足元には空になった酒瓶が何本も転がっていた。


(さすがに飲みすぎたか……)


 ローラントの頭はかすみがかったようにぼんやりとしていた。足元がふわふわとして、歩くたびに地面が揺れているような、不思議な感覚が脳を伝う。

 なんだか最高に気分が良かった。

 途中でクランは机に突っ伏し、部下たちが協力して部屋まで運んでいく。

 ローラントはどうにか自力で動けた。そのまま部屋に歩いて帰るのが嫌になって、宿舎の庭に出て、古びたベンチに腰かけ、夜空を見上げた。

 数日前にミアムと見た時のように、美しい星の海が広がっている。


「お酒くさい……ローラントさま、どれだけ飲んだんですか?」


 何故か聞き覚えのある声がして顔を向けると、そこには天使がいた。

 亜麻色の髪に、澄んだ翠色の瞳。冷たい風に吹かれて頬と鼻の頭がりんごのように赤くて可愛らしい。

 夜の庭で、透き通るようなうつくしさを持ってたたずんでいる。

 少年、と呼称するにはあまりにも中性的だった。

 それが呆れを含んだ眼差しで、腰に両手をあてて小言を申すのだ。


「あまり皆さんを困らせてはだめですよ。団長を連れて帰れないから、なんとかしてくれって騎士団の方々が――……」

「……」

「こんな時くらい、無視しなくたって……」

「ミアム」


 掠れた声でその名をささやくと、困ったように眉尻を下げた。

 酒の見せる幻覚なのか、何にせよ、目の前に天使がいる。

 名前の通りうまそうだ。


 ――中途半端なことはせずに、真剣に向き合ってみたらどうかと……。


 クランの言葉が脳裏を過り、ローラントはくつくつと笑った。


「……おいで」


 そのまぼろしは素直だった。

 おずおずと近寄ってきたところをつかまえて引き寄せ、その細い腰を抱いた。


「――……なっ」

「温かいな」


 まぼろしのくせに、とローラントはそのうすい腹に頭を預けて笑った。まぼろしの身体がびくりと跳ねたが、腕に力をこめるとおとなしくなる。


「ローラントさま……っそれ、だめ……です。わたしは――迎えにきただけ……っ」


 耳の裏まで真っ赤になっている。長い睫毛は伏せられ、翠色の瞳は潤んでいる。恥じらうさまがローラントを無意識に煽った。


 ミアムの手を取り、軽く引き上げて膝の上に乗せた。ミアムは驚いたように、上目遣いでローラントを見上げた。その腰を抱き寄せて寄りかからせ、抱きしめた。

 なんともやわらかい。ローラントは身体の奥が熱く滾った。

 ミアムは抵抗しなかった。最初はこわばっていたものの、次第に肩の力が抜けていく。そういうところがやたらと現実的で、自分の理想とうす汚れた欲望がそのまま反映されているかのようで、苦いものが込み上げてくる。

 現実ではありえない距離感だ。天使のその柔らかな息遣いまで感じるようで、ローラントの鼓動が高鳴る。

 ミアムを優しくローラントの太腿に跨らせ、その澄んだ瞳を見つめる。

 その奥に、色欲にまみれた男の姿が映っていた。

 ローラントはミアムの背中を撫で、艶やかで滑らかな髪を撫でた。


「だめ、だめです……」


 言いつつも、そのまぼろしは消えなかった。


「何故?」


 どうせ消えるのならせめて、この湧き上がる熱をどうにかしてからにして欲しい――。


「この想いは、まぼろしですら受け止めてくれないのか?」

「――……っ」


 息をのむさまが生々しかった。

 顎に指をかけて、その花びらのような唇に自分のそれをそっと重ねると、甘くとけていきそうになる。

 まるで世界中の音が消えたかのような静けさの中、優しく触れ合う。


「ちょっと待って――」

「……待ては無しだ」


 互いの呼吸を交わし、深く息を吸い込んだ。

 口づけは次第に深くなる。逃げられないようにその頭を抑え、自分が今どこにいるのかも忘れて、ただひたすらミアムを求めた。そのすべてを絡めとろうと、何度も、何度も。

 このまぼろしを反芻できるように、時が止まってしまえばいいのに。

 ――身体が熱い。まぼろしすらも、熱を帯びていく。

 ゆっくりと唇を離せば、ミアムの濡れた瞳がそこにあった。顔を真っ赤にして、ローラントを見つめている。


「今なら、何を言っても許されるだろうか」

「ローラントさま、わたしは――……」


 言いかけたのを遮るように、ローラントはその白い首筋に唇を寄せた。


「好きだ、ミアム」


 はっきり告げると、ミアムは息をのんだ。


「……気持ち悪いだろうが、避けないでほしい。何度も間違いだ、気の迷いだと思おうとしたが、無理だった。お前だけが好きだ。好きで、愛おしくて……気が狂いそうになる」

「……――酔っ払いの告白は無効ですよ」


 信憑性しんぴょうせいがないですからね、とミアムは自嘲するようにつぶやいた。


「酔っていても理性は残っているぞ。記憶をなくしたこともないし」

「……現実との区別もついていないくせに」


 ミアムはローラントの上に乗ったまま、切なげに笑った。


「わたしも好きって言ったら、どうしますか?」

「……部屋に連れ帰って、続きをする」

「続き……は、きっとできないと思います」


 ミアムは顔を赤くしたまま俯いた。


「何故だ」


 想像上ならいくらでもできる、と口走りそうになったが、まぼろし相手でもそれはさすがに言えなかった。

 ミアムは痛みをこらえるような顔で笑った。


「わたしは、ローラントさまにとって対象外だからです。本当のことを知ったら、きっと幻滅します」

「どういう意味だ?」


 まぼろしのいうことにしては難しく、ローラントは顔をしかめた。


 ――よく分からないが、消えないうちに、このやわらかいまぼろしを部屋に持っていくか?


 ミアムを横抱きにして立ち上がると、途端にまぼろしが慌てだす。


「だめです、正気に戻ってください!」

「馬鹿をいうな、俺は正気だ」

「どこが……っ! この酔っ払い……さては、ベルの薬飲んでないですね⁉」


 もう無視するしかない。

 そうしないと、制限時間いっぱいで消えてしまうかもしれない。超人的な脚力をいかんなく発揮し、颯爽と騎士団の宿舎を駆け抜け、一目散に寝室を目指した。


「この脳筋ばかぁ……イノシシ……話を聞きなさいよ……」


 ののしりですら可愛いと思えるのだから、たいがいである。

 まぼろしが消えてしまわないように、優しくベッドにおろす。不思議なことに、ベッドは重みできしむ。ローラントはそこでふと不安になった。


(……まぼろし、だよな?)


 そうであって欲しい。でなければ、もう二度とミアムに顔を向けられない。

 息を吐きつつ、騎士服を脱ぎすてる。黒いインナーシャツが露わになったところでミアムの顔に動揺が走った。


「……――ミアム」


 片手で両手首をおさえ、頬や首筋にキスをしながら、空いた方の手でシャツのボタンを器用に外すと、ベストがあらわれた


「……?」


 無駄にきつく締めているようで苦しそうだ。素早く緩めると、あるはずのないまろやかなふくらみが視界に飛び込んでくる。

 その上あるものを見つけて、ローラントは固まった。


「……⁉」


 ――ブルートパーズの指輪である。

 情報量の多さにローラントの動きが止まったところで、ミアムは暗い顔ですり抜けた。ベッドから降りて壁に背をあずけ、じわじわと扉の方へと移動していく。


「……だから言ったじゃないですか。ローラント・アレニウス」

「ミアム――」

「わたしはあなたの対象外。いくら気持ちがあっても、これ以上はしてあげられません……その、ついてないし。あなた好みの少年ではないので」


 ミアムは自嘲して露わになったふくらみをおさえた。暗がりの部屋の中で浮かぶ白い肌は傷一つなくて、なまめかしい。そこに噛みついて所有印を刻み付けてやりたいという欲望が湧きあがってくるローラントに対して、なんとも不思議なことをのたまっている。


「ごめんなさい。指輪もお返しします」


 ミアムはネックレスから指輪を外して、調度品の上にそっと置いた。


「………………?」


 何が。

 どうして。


 そればかりが頭の中に浮かんできて、咄嗟の言葉も出てこなかった。

 これは現実か?


 ブルートパーズの指輪は、ミア・セレナードに持っていかれたはずだ。

 それをミアムが持っていた。


 予想が正しければ、ミアムは……。

 

 ――ナイチンゲール。


 そうなると、この想いを抑える必要はなくなるのか?

 つまり、何の悩みもなく、合法で求婚できる。


 指輪。返ってくるに越したことはないが、どちらでもいい。


 そんな、願望が詰まった幻覚があっていいのかと頬を何度もたたく。


「クソ……痛っ」


 しっかり痛みはある。夢ではないらしい。

 ミアムは後ろ手で扉を開いた。


「……こんなふうに終わりたくなかったなあ」

「待て、何を言って――」


 呆然とするローラントにミアムは苦々しく笑った。


「お願い、今は何も言わないで……」

「……」

「あなたから否定されたら、わたし……」

 

 ミアムは泣き笑いを浮かべた。

 ローラントは愕然とした。

 何があってミアムを否定すると思うのか。ずっと求めていたその人かもしれないのに。


「ローラントさまが、ナイチンゲールを許せないでいるのは知っています。……つらく苦しい思いをさせて、申し訳ありませんでした。どうか、この先あなたに安息が訪れますように……ローラントさまが幸せになることを、お祈り申し上げます」


 まるで別れの挨拶だった。その潤んだ瞳から涙をこぼし、ミアムは静かに部屋から出て行く。

 ローラントは動揺と困惑で、引き留める言葉すら出てこなかった。


「……何、どういう……何故⁉」


 飲みすぎたせいか、それとも不眠の影響か、こういう時に限って身体がいうことをきかない。

 今のは全て本当の話なのか?

 そうだとしたら、すぐにミアムをつかまえなければならない――。


 急いで脱ぎ捨てた服を着て外に出ると、その姿はもうない。

 巡回していた衛兵にミアムが通らなかったかたずねると、部屋に戻るところを見たと言う。


「つまり、ちゃんと部屋で寝ているのか?」


 詰め寄られた兵達はこくこくと頷く。

 ローラントと従者のただならぬ雰囲気は城の皆が知っている。下手なことは言えなかった。


 それならば、とローラントは夜明けを待った。さすがに部屋に押し入るのは気が引ける。まず自分の酔いを覚まし、心身をまともな状態に戻してからミアムと話そうと、ローラントはひたすら水を飲んだ。


 空が白んだころに使用人達の宿舎に向かうと、慌てたふためく従者から手紙を渡される。


『親愛なるローラント様。

 指輪はお返ししたので、命だけはお助けいただきとう存じます。これより先、もう二度と、御前に姿を現すことはいたしません。どうか、勝手をお許しください。 ――ミア・セレナード』


 ――その手紙と指輪を残して、ミアムは城から消えてしまった。

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