第3章 ナイチンゲールは振り向くか
1
フォルデ東方の辺境伯――バレット・フォン・レガートは熊のような男である。ローラントが仕える御仁その人であり、同盟締結の際に護衛を仰せつかった方でもある。
昼下がりの城主の間、窓からはさんさんと日差しが降り注いでいた。赤いビロードの絨毯の先にひざまずいているのは、ピアニッサ聖歌機関の使者を名乗る男だ。
バレットは面白そうに彼を見下ろした。
「――要するに、こういうことか? この俺が十二番目の歌い手を奪い去ったんじゃないか、と」
「……それは曲解です、閣下」
曲解ね、とバレットは皮張りの椅子に背を預けて苦笑した。
相手の男はどうも胡散臭い。
泥がはねてよれた外套は、確かに聖歌機関の紋章が入っているものの、聖職者の格好としておよそ相応しいとは言いがたい。その鋭い眼光は後ろ暗い組織の中で生きるものの気配がする。言葉遣いや仕草は儀礼を重んじているが、男から匂うのは高貴なそれとは無縁のものだった。
「だが、疑っているからこそ貴殿はここまで来た……そうだろう?」
「恐れながら。私の手の者が、辺境の町で辺境騎士団と行動を共にする彼女を見かけておりますので――」
(私の手の者、だと?)
バレットはそのゲジ眉を跳ね上げた。
弱小国ピアニッサの聖歌機関が、このフォルデ辺境にまでその根を広げているとでもいうのか。
――いや、聖歌機関は歌い手を擁する組織だ。一国主よりも強大な力を持っていたとしてもおかしくはない。
バレットは顎を擦りつつ返した。
「そりゃあ面白い話だが、生憎、俺ァ何も把握してねえんだな。仮にうちの奴らが歌い手と一緒にいたとしても、特におかしいとも思わねえが」
何しろフォルデとピアニッサは同盟関係にある。そして、十二番目の歌い手は辺境を担当していたと聞き及ぶ。騎士団と一緒にいたとしても不自然ではない。
ローラントが帰還したのは半月前。その後をくっついていた新顔が、この男の言う歌い手の特徴とほぼ一致している。
短く切られた亜麻色の髪に、澄んだ翠色の瞳。可愛らしい顔立ちの子だったが、女らしい胸のふくらみはなかった。
ローラントはその子をさして新しい従者だと言ったが、果たして。
――まあ、あの目は従者を見るような目じゃなかったが。
辺境騎士団長が少年愛に目覚めたらしいと騎士の間では噂になっているし、なんなら、兵士たちの間でも、あの従者は可愛くて目の保養だなどという話も出ている。
ただし、誰も手出ししようなどとは思わない。
何しろ、相対した敵は必ず討ち取る氷槍のアレニウスが大切にしている相手である。可愛いからといって迂闊に近づけば無事ではすまないと皆分かっていた。
それでもちょっかいを出すようなのは、よほどのガキか鈍いやつだろう。
「歌い手の件に関しては、閣下のあずかり知らぬこと――そうとらえてよろしいでしょうか」
バレットは太い笑みを浮かべる。
「そういうことになるな」
――あくまでも今のところは。
その言葉を飲み込んで、バレットは男にたずねた。
「仮に、歌い手がいたとしたら貴殿は何を望む?」
「無論、ピアニッサにお返ししていただきたい」
「ふーん……」
バレットはにやりとした。
「まあ、確かに歌い手にいなくなられちゃ困るのは確かだな。四翼は相変わらず上空を飛び回ってやがるし、スラー山脈の魔物どもだってうごめいているとくる。歌い手が聖歌で抑えていたからこそ、これまでこっちの被害も少なかった」
魔物のすみかを一人で制圧するその力はなにものにも代えがたい。
確かに十二番目の歌い手は、ピアニッサの守りの要、至宝に違いなかった。
「幸いなことに俺らは同盟関係にある。この辺境で歌ってさえくれれば、双方害はないはずだろうが」
「歌い手はピアニッサの大事な武器です。安易に国外へ流出させるわけにはまいりません」
「歌い手はモノじゃねえって、分かってるか? 戻るか残るか、決めるのはてめえらでも俺らでもねえ。あくまで彼女だ」
バレットのドスのきいた声に男は悪びれる風でもなく肩を竦めた。
「……俺の城で勝手なことをしてみろ。問答無用でてめえの頭ぶちぬいてやるから覚悟しておけ」
◇
草原の広がる街道の果てにそびえ立つ辺境伯の城。そのひざ元に巨大な城塞都市が広がり、一帯は強固な石壁に囲まれていた。
都市には商人や旅人、辺境で暮らす人々が行き交っており、にぎやかだ。
中央には尖塔がある。それは城の中でもっとも高く、そこから外敵の動きをいち早く察知するらしかった。
塔の上には、辺境伯の紋章入りの赤い旗が揺れている。
城壁の上には、上背のある守兵たちが立っており、鋭い目で周囲を監視していた。日中、城門は解放されているが夕方になると厳重に閉ざされ、その上から鎖が巻かれた。
――この辺境伯の城に入って三週間が経とうとしている。
ミアはローラントに連れられるがままあちこち歩いては、城の広さに辟易していた。
辺境伯へ報告する際にも、やたら長い階段を何回も上り下りせねばならずに一苦労である。
そもそも、その場に毎回ミアがいる必要があるのかはなはだ疑問だ。衛兵たちからは白い目で見られるし、城内に留まっていたローラントの配下らしい騎士からも珍妙な眼差しを向けられる。
城にはいくつもの部屋があり、今でも一人で歩くとまだ迷う。未だ立ち入っていない場所がいくつかあるようだし、構造を覚えきれていない。
城の一角には辺境騎士団の本部があった。馬舎や食堂、軍事訓練場に、武器庫、団員たちが寝起きする宿舎までそろっている。
ローラント達の本拠点はこの城であるが、他にも辺境各地に駐屯所がある。有事の際にはそれぞれの拠点から迅速に出動するらしかった。
騎士団長、副官クラスともなれば広々とした個室が与えられるが、基本的には二人一部屋。男子寮と女子寮、それぞれに分かれている。
この宿舎は基本的に部外者立ち入り禁止である。
にも拘わらず、ローラントは最初ミアをここに連れ込もうとしていた。団長自らが風紀を乱そうとしたことにベルは戸惑い、クランがどうにか諫めた。
宿舎にはたとえ、身内であっても宿舎には入れない。不純な動機で異性を呼ぶのはもってのほか。友人や恋人と会うのは宿舎の外と決まっているのだ。それを率先して破るやつがありますか、とクランから正論を突きつけられて、ローラントは不機嫌さを隠さずに押し黙った。
ちなみに、城内には辺境伯とその家族、および家臣達が住んでいる。
来客があった時には城の客間を使うのだが、騎士でもなく、客人でもないミアの場合は、城の使用人達の部屋を借りて、どうにか日々を過ごしている。
そこも二人一部屋が普通であるが、ミアの場合はどういうわけか一部屋使わせてくれている。
――おそらく、ベルあたりがうまいこと口を利いてくれたのだろう。
もしくは、騎士団長に対する忖度か。
いずれにせよ、ミアは使用人の中でも程度のいい部屋で過ごしていた。
城の外で宿を取るという手もあったが、そうなったら朝ローラントの元に通うのが大変になるので却下された。呼べばすぐ駆け付けられる距離がいいのだとか。
ネクタイを結ぶのがミアの役目なのは今も変わらないのだし。
城の中庭には、美しい庭園がある。春を迎えて色とりどりの花がほころんで、甘い香りが漂ってくる。その庭園の東屋に腰かけ、ミアはぼんやりと、晴れた空を見上げた。
このところ、四翼の気配がない。ローラントが緊急出撃するようなこともなく、つかの間の平和な時間が流れていた。
だからと言ってミアの相手をずっとしていられるほど騎士団も暇ではない。
外敵への警戒を解くわけにはいかないし、他にも雑務が山のようにある。
顔を合わせる機会は極端に減った。
(また指輪、返しそびれちゃった……)
ミアは、首から下げたブルートパーズの指輪に目を落とした。
そこには氷の魔力が込められている。ローラント自身の力と相性が良く、氷槍を無限に生成できる偉大なる魔法の指輪だ。
(これさえ取り戻せれば、もうナイチンゲールを追いかけなくて済むのよね……)
分かっているが、切り出せないでいる。
やわらかな風がミアの亜麻色の髪をさらった。
(これから、どこに行けばいいのかしら……)
城塞都市には、生活や戦いに必要な設備が全てそろっている。ここで生活すれば、当面の間困ることはなさそうだった。
辺境伯やローラントに頼めば、新しい住まいを用意してくれたり、仕事を紹介してもらえたりするかもしれない。
この国ではローラント達以外の知り合いはいないし、頼るべきつてもない。
ひとまずこの城塞都市で生活の基盤を固めてから、別の場所でも生きていけそうだと思ったら離れればいいかもしれない。ここならば時々ローラント達とも会えるし、賊に怯えて暮らす心配もなさそうだ。
(このまま、ローラントさまと一緒にいていいのかも分からないし……)
湖を発って以降、ローラントの態度がどこかよそよそしい。
自分の馬にミアを乗せたがったものの、駆けている最中は一言も話さなかった。城に到着してからも、騎士団長の帰還を待ちわびていた人達に囲まれて、対面で話すこともままならなかった。
二人になったとしても深く思案するように遠くを見つめては、悩まし気なため息をついているのだ。視線があうと眉間に皺を刻み、ふいと目を逸らされる。
そうかと思えば、とろけるような眼差しを向けられるのでミアは気後れしていた。
しかし、敢えて何も聞かない。視線の意味を考えるとどうしたらいいか分からないし、眠れる獅子をつついて、痛い目を見たくないというのもある。
ローラントは今まで通り、空いた時間で短剣の扱いを教えてくれているし、一緒に町の中を走ったりもしている。馬に乗れないままでは困るだろうからと、昨日は乗馬の練習もした。
騎士団長の業務もあって忙しいだろうに、無理をして時間を作ってくれているのかと思うと申し訳なくなる。
実際、騎士団長から指導や助言を受けたい者はたくさんいた。ミアと一緒にいるときも、騎士たちが質問や相談をしにきた。何をやるべきか定まっていないミアをかまっている暇などないことは、一目瞭然である。
一緒にいられるとうれしいし満たされるが、同時におそろしくて、苦しくなる。
ローラントは、ミアムを欲しがっているのだろうか、それとも――。
その先を考えると心が震えた。
全てを偽ってまで側にいたいと思う自分がひどく卑怯に思えて、ローラントの純粋な好意を踏みにじっているようで、胸が冷える。
もし彼が、今度こそ真っ直ぐにミアに想いを告げてきたら。ミアムのすべてが欲しいと求めてきたなら。どうすればいいのだろう。
先に進めず、後にも引けない。
――願わくは、何も告げないで欲しい。
そうすれば気づかないふりをして、ローラントの側にいられるだろうから。
(……違う。もっと距離を取るべきだわ――)
愛情はいずれ移ろうものだ。
今はミアム少年が好きだとしても、別の子が現れたらどうだろう。たいして役に立たない従者を疎ましく思ってもおかしくない。
その時傷付くのはミアだ。
それに、ミアこそがナイチンゲールだと知られたら。親愛は一転して、憤怒と憎悪に変わるだろう。
ローラントから嫌われてしまうくらいなら、いてもいなくても同じだと思われているほうがましだった。
――近すぎてもだめ、遠すぎてもだめ。
ただ、ミアにはまだ何の基盤もない。だからローラントの温情が必要なのだ。好意を持って差し伸べてくれる手を振りはらうべきではない。
(でも、自立しないと。いつまでも頼ってばかりはいられないもの)
なんともままならなくて、苦いものが込み上げてくる。
ミアは膝を抱えてため息をついた。
「おーい、ミアム!」
はつらつとした声にミアは振り返る。
クランが手を振っていた。その横には辺境伯の従者がいる。
クランは駆け寄ってくると、爽やかな笑顔を見せて言った。
「お前、部屋の移動をしろってさ!」
「部屋の移動?」
「おう。辺境伯のご命令だ」
よかったな、一番いい部屋になるぞ、と彼はささやいた。
ミアは目をむいた。
「今だってじゅうぶんですよ?」
「団長の従者をないがしろにはできないだろう? 甘んじて受け入れとけよ」
クランは片目をつぶってみせた。
†
辺境伯の城を出て、男は聖歌機関の外套を脱いだ。
体格に合わないそれを都市のゴミ集積場に棄てると、ひと気のない場所で通信をはじめる。
相手はでっぷりとしたピアニッサの神官クズィーである。
「貴様、これまで一度も連絡をよこさないとは何事だ! 小娘はどうなった!」
こんこんと暴言と怒りを吐き出す相手に、男は淡々と伝える。
「ナイチンゲールを見つけた。フォルデ東の辺境伯のひざ元にいるようだ」
「辺境伯だと!?」
神官はうろたえた。そこにはかの氷槍のアレニウスがいる。
「奴らとことをかまえるわけにはいかん……」
「案ずるな。辺境伯はこの件に関与しない。その言質をとった。たとえ騎士団とぶつかっても、おおごとにはなるまい」
「でかした! ならば遠慮はいらん。どんな手を使ってもいい。歌える状態なら手足もいらん。とにかくつかまえて、連れてこい!」
「……承知した」
ナイチンゲールはどんな声で泣くのだろう、想像して、男はにやりと笑った。
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