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 ローラントが案内してくれた店は、中心地から外れた通り沿いにあった。

 煉瓦レンガ造りの小洒落こじゃれた外装は朝陽に照らされて、黒猫が描かれた店の看板がさがっている。その近くに本物の野良猫がたむろしていて、にゃーにゃーと鳴いていた。

 朝も早いが、店はしっかり商売をしていた。ただし、客入りはまばらだ。


「空いているな、運がよかった」


 ローラントの声は心なしか弾んでいる。日によっては席の確保もできないほど混み合うようだった。

 建物そのものはこぢんまりとしている。扉を開けると涼しげなベルが鳴り、愛想のいい店主達が客を迎えた。

 二人が通された席は中庭に面しており、ガラス窓の向こうに緑と花にあふれた素敵な庭が見えて、料理を待つ間も飽きそうにない。


「おすすめは何ですか?」


 ローラントにたずねる一方で、ミアは店内に漂う香ばしい香りに鼻をくんくんさせる。


「ここはピッツァがうまい」


 この店の名物である。

 薄い小麦粉の生地にソースを塗りたくり、厚切りベーコンや野菜、さらには大量のチーズをトッピングし、石窯で焼いた料理である。想像するだけで美味しそうで、ミアはよだれが垂れそうになった。

 ローラントはそんなミアを見て吹き出し、店員を呼ぶと慣れた様子で注文した。


 テーブルには手のひらサイズの黒猫の置物があって、その琥珀色の眼と視線が合う。ミアはその可愛らしい置物を指でつつき、ぼんやりと考えた。


(こういうお店、誰と来るんだろう。やっぱり女の子かな?)


 町で口説き口説かれた相手と訪れるのだろうか――そう思うと、喉の辺りがずんとつかえたような心地がする。


 ローラントに選ばれるのは、一体どんな人なのだろうか。きっと、ただものではないだろう。


 この店に来るまですれ違った人たちは、誰も彼も皆ローラントを振り返った。

 ある程度予想していたことではあるが、その人気ぶりはすさまじい。黄色い悲鳴と羨望のまなざしで、うらびれた通りが騒然となる程度には。

 ただし、いざ話しかけるとなると勇気がいるのだろう、皆、ほうっとため息をついて遠巻きに眺めるだけで、突撃はしてこなかった。

 いや、突撃してこられないと言うべきか。

 何と言ってもローラント、町を歩いている時には見えない壁のようなものを張り巡らせていた。安易に話しかけたら許さない気色が漂っていたのだ。そのバリアを突破するには相当の気概がないと無理だろう。

 その神々しくも怜悧なローラントの横にぴたりとくっついて歩いているミアに対して、娘たちから嫉妬の眼差しが飛んできたが、それがみすぼらしい少年だと知るやいなや、皆途端に興味をなくして目を逸らした。

 あのこどもでは、ローラントとどうこうなるはずもなし、警戒するのも馬鹿らしいと思ったのだろう。

 皆が見たいのはこの美青年であり、ミアではないのだから当然である。


(何しろ顔がいい、目の保養! 見るだけならタダだもの)


 じっと見上げていると、ローラントは苦笑した。


「もう少しだから待て」

「はい」


 町中を歩いている間はずっとつんけんしていたのに、ミアの前では溶けている。かと思えば無の境地にあるような虚ろな目をすることもしばしばで、見ていて飽きない。


「この後、どちらに向かいますか?」

「武器屋と衣装店だ」

「武器、ですか」


 道中、ローラントが散々武器を破壊しまくっていたことを思い返し、ミアは頷いた。


「もっと頑丈な武器を調達しなければなりませんね」

「……勘違いしているようだが、武器が必要なのはお前だぞ、ミアム」

「わたし、ですか?」


 ミアはぽかんと口を開ける。


「そう、剣を持つには腕の筋肉が足りないようだし、今ある武器は全て重すぎるだろう」


 それはそうだ。

 全ては騎士団仕様――もとい、ローラント仕様になっている。

 最終的にはその怪力によって武器は粉砕されてしまうわけだが、できるだけ長く持たせるために、重くて固い素材で作られたものを使っている。細身の剣であってもミアは両手で持たなければ扱えなかった。

 もっとも、今は剣を使っての指南は受けていない。ひたすら足腰の強化である。剣を持つ以前の問題だった。


「……もっと筋肉をつけないとだめですね」


 ぽつりと呟くと、ローラントは低く唸った。


「……筋肉をつけすぎると、身体が重くなる。そう、ムキムキになる必要はない」

「でも、今のままだとひ弱すぎませんか?」

「お前に真正面から敵とぶつかって欲しくない。逃げ足……身軽さを生かす方向でいきたい。そのために必要な武器を選ぶ」

「なるほど」


 歌い手だった頃から、ミアは前衛に出るタイプではなかった。敵から見えない位置で聖歌をうたい眠らせるのだから、逃げ足が速いほうが力を発揮できる。


「お前ひとりが逃げ出すような事態にはさせないつもりだが、万が一ということもある。俊敏さを殺さないような、軽くて扱いやすい短剣ダガーがちょうどいいと思う」

「短剣?」


 ミアはいぶかしんだ。

 ローラントは、辺境伯からもらった宝剣を鈍器のように扱う男である。短剣の扱いに精通しているとは思えない。ただでさえ教えるのが下手なのに、どうやってミアにそれを習得させようというのか。


「でも――」


 口を開きかけた時、料理が運ばれてくる。こんがりと焼けたあつあつのチーズはとろけて、持ち上げるとどこまでも糸を引く。はふはふ言いながら食べているのはミアだけで、ローラントは全然なんともなさそうだ。


 ――どうやら口腔内の粘膜まで強いらしい。


 何だかおかしくなって、ミアがふふっと笑うとローラントは目を細めた。


「短剣では、ローラントさまは専門外ですね。これからはクランかベルに指南をお願いします。団長としてのお仕事もあるし、お忙しいでしょうし」


 ローラントは途端に顔をこわばらせ、テーブルを拳で叩いた。真っ二つに割れてしまったらどうしようかとミアはハラハラしたが、その辺の加減は一応できるらしい。テーブルは無事である。


「駄目だ。俺が責任を持ってお前に教える。他のやつには頼むな」

「……はい」


 ミアは気圧けおされるようにうなずいた。


「ならば、たくさん短剣を買わないといけませんね」


(絶対、手合わせのたびに短剣が砕けるし)


 騎士団の財政事情的には大丈夫なのだろうか。戦いがあるたびに武器を壊していては、大赤字ではないか。

 ミアの考えが顔に出ていたのか、ローラントは苦笑を浮かべた。


「短剣程度なら問題ない。それに普段はこう頻繁に武器が壊れることもないのだ」

「……氷槍を使うからですか?」


 ローラントはうなずいた。氷槍、魔法でできたその槍は壊れたとて無尽蔵に出てくるらしい。敵対者はその猛攻に耐えられず、必ず貫かれて息絶えるという噂である。


「今は何故、あれを出さないのですか?」

「出せないからだ」

「……出せない?」

魔法ブルートパーズの指輪がなければ、氷槍は生成できない」


(――もしかしなくても、この指輪のことね⁉)


 ミアは内心動揺した。慌てふためくあまりにグラスを倒して水をこぼす。テーブルから垂れた水がズボンを濡らし、その冷たさに鳥肌が立った。


「大丈夫か?」

「はい。そのうち乾きますから」


 ――それよりも、指輪は返すべきではないか。

 魔物退治をする上でこれは絶対に必要である。通常武器で手に負える魔物ならばいいが、四翼が現れたときにはさすがにまずい。壊れた武器で、上空から飛来する魔物とやりあうなど危険だ。

 ミアは服の下に隠したそれを密かに握った。


(森で拾ったことにして、さりげなく返せないかな……)


 どう切り出そうか迷っているうちに、ローラントが苦々しくこぼす。


「指輪は、俺を眠らせたナイチンゲールが持って行ったというわけだ。ゆえに何としても捕らえねばならない。そして……けっ――……」

「けっ……?」


 まさか、決闘を申し込まれるのだろうか。そうだとすると助かる見込みはない。

 ミアが怯えるように身をすくませると、ローラントは視線を逸らして思案し、何故か言い直した。


「――責任を取らせる」


(なんで言い直したの。まさか、こどもを怖がらせないための配慮!?)


 ミアは震えあがった。

 今この流れで指輪を見せれば、ローラントはどう思うだろうか。

 出会ってたった数日、森で偶然拾ったこどもの言葉を馬鹿正直に受け取るほど、愚直な男でもなかろう。

 まずもって疑われる。身体を検められたら、もう逃げようもない。ひとを騙して、利用して、遠くの地まで逃げようとした、卑怯でずるい女だと罵られてから、氷槍で貫かれてしまうに違いなかった。


(つまり、どうあがいても死!)


 ますます正体を知られるわけにはいかなくなり、ミアは指輪を握る手に力を込めた。

 いずれは返す。だが、今ではない。

 ローラントがミアム少年に対して甘くやさしいうちは、彼に守ってもらえばいい。空気が変わったその時には、世話になったと去れば。

 どうせ短い付き合いになる。信頼を勝ち取るほどの時間も、情を交わす暇もないのだ。

 ミアは最後のピースに手を伸ばした。



 食べ終わる頃には店は満席となり、外には行列と人だかりができていた。この店が単純に人気だからというのもあるだろうが、大半はローラント来店の噂を聞きつけて集まってきたのだろう。


「そろそろ出るか」

「そうですね」


 席を立つと、はす向かいの席に通された三人娘がきゃあきゃあと騒いだ。それから額を寄せ合って話し合い、頬を染めつつローラントに近寄ってくる。


「アレニウスさまぁ」

「これからどちらに行くんですか?」

「あたしもついてっちゃおうかなぁ、なんて」


 この娘たち、心臓が強すぎる。

 ローラントをなびかせる自信があるのだろう。ばっちりと化粧をしていて目を惹くし、三人ともきれいな娘だった。花柄のワンピースは色違いのおそろいで、ハイウエストで絞られたリボンが、彼女たちの腰を細く見せている。

 思えば、店の外でローラントを拝もうとしている婦女子たちも皆おしゃれだし、かわいいし、きれいだった。フォルデほどの大国ともなれば、町娘であっても衣服や美容にお金をかけられるのだろうか。


 泥の落ちきらない服を着てローラントの隣にいるのが恥ずかしくて、騎士団長としての体裁に傷をつけているかもしれないことが申し訳なくなって、ミアは俯いた。


 当のローラントは娘たちに対して何の反応も示さず、側にいるミアのほうがそわそわした。

 娘たちの熱い視線を黙殺するかのように冷ややかな空気をまとっている。


「連れがいる」


 あまりにもそっけないもの言いに、娘たちに動揺が走る。


「連れ? その、おちびちゃんが?」


 ちびとは言うものの、娘たちよりほんの少し小さいだけである。ヒールを履いて、ちゃんと身支度を整えればミアだっておとなの女に見えるのに。言い返したいのをこらえ、ミアは曖昧に笑ってみせる。

 娘たちは腕を組み、値踏みするようにミアを見た。


「迷子なら、案内所まで連れてってあげれば大丈夫ですって。そこに預けておけば迎えが来ますから」

「迷子ではない。私の大切な従者だ」


 娘たちの目つきが険しくなって、ミアはついローラントの胸に身を寄せる。無表情のまま一瞬硬直したミアの主人は、しかしすぐにミアの肩を強く抱いた。この大きな手が自分の味方だと思うと安心するが、敵対した時のことを考えると恐ろしすぎる。

 娘たちは信じられないと呟いて、批難めいた口調でわめいた。


「失礼を承知で言わせてもらいますが、そのおちびちゃんはアレニウスさまにふさわしくありませんわ」

「そうそう。なんだか小汚いし、釣り合わないっていうかぁ――」


 そんなことは、他でもないミア自身がよく分かっていた。本来なら、ミアはローラントの世界に入れない。外から彼を眺めて満足する、有象無象のひとりだ。

 しかし、いざ面と向かって言われると傷付くのは何故だろう。


「……誰を連れて歩くかは他でもない私が決めることだ。それがふさわしいかどうかを、他人にゆだねるつもりはない」


 ミアはどきりとした。

 あまりにも冷たい声音、苛立ちと怒りのほとばしる氷の瞳を前にして、娘たちの喉がひゅっと鳴る。

 ローラントは目を細め、娘たちを見下ろした。


「少なくとも私にとっては、あなた方よりこの従者のほうが大切で、片時も離れず私の側にいるべき者だと考えている」


 そんなことを言われたら、勘違いしてしまいそうになる。

 彼はただ、いたいけなミアム少年を守ろうとしているだけなのに。

 ローラントの低い声がミアの脳内に響いて、下腹がきゅっとなった。


「それをけなすのだから、あなた方には相応の覚悟がおありか?」


 娘たちは震えあがり、ごめんなさいと連呼して店を飛び出していった。


「ありがとうございます、ローラントさま」

「いや。謝るのは俺のほうだ。嫌な絡まれ方をされて、気分が悪かっただろう」

「わたしは大丈夫です」


 ミアは力なくほほ笑んだ。


(あの女の子たち、みんなきれいで可愛かったけど、ローラントさまは全然そそられなかったのかな?)


 あのレベルで興味のかけらも示さなかったところを見るに、ミア本来の姿を見せて見逃して欲しいと懇願したところで、到底相手にされるわけがない。そう考えると何だか胸が苦しくなり、切なくなる。


(……もしかして、女に興味ないのかも。結婚もしてないし、特定の相手もいないし。それで、男の子であるミアムにはやたら甘くて優しい。つまり、女より男が欲しいのよ、多分)


 考えて、ミアは妙に納得した。

 そうなると、ミアは色んな意味で対象外に違いなかった。

 

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