第1章 自称眠らない男

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 山間やまあいの町は、すでに日暮れを迎えていた。

 たゆたう宵闇よいやみを払うように、大通りには明かりが煌々こうこうともって、道ばたで祝杯をあげる人々を照らしている。

 この日、大陸一の小国、ピアニッサの各地はどこもかしこもお祭り騒ぎであった。そしてこのタクトの町でも、誰しもが今日この日を祝っていた。


「ピアニッサとフォルデの絆に乾杯!」

「同盟締結おめでとう! これでピアニッサは安泰だね!」


 ピアニッサ公国の長年の夢――強国、フォルデ王国との同盟が結ばれたのである。


 そこここで歓声があがっていた。皆がこの同盟を歓迎しているのは間違いない。

 ミア・セレナードも例にもれず、行きつけの飯屋で祝杯を上げていた。

 普段は閑古鳥が鳴いている飯屋だが、今日ばかりは盛況である。

 何しろド田舎の小さな町、飯屋はここしかない。都市にあるような酒場はなく、酒の提供もこの店のみ。実質的な居酒屋で、老若男女問わず人が集まる。

 だからこそミアはこの飯屋に来たのだ。

 ミアは運良く席に座れたが、店の前には行列ができている。客が帰ったところですぐに席が埋まるため、飯屋のオヤジは上機嫌である。

 しかも、今夜はやたらと羽振りの良い客ばかり。上等な酒がはけていき、オヤジはいつもの不機嫌さからは想像もできないほどの満面の笑みを浮かべていた。


「よかったな、ミア。随分と心強い味方ができてよ」

「はい。本当に」

「これで少しは、楽できるんじゃねえか?」


 顔馴染みのオヤジたちが言い、ミアは曖昧に笑った。


 ピアニッサとフォルデ、この二国には、共通の悩みがある。

 二国はスラー山脈で隔てられている。スラー山脈には多種多様な魔物が生息しており、各国は討伐やその対処に追われている。ただし、山の魔物はそこまでの脅威ではない。

 厄介なのは、二国間の上空を回遊する魔物の存在である。山の魔物よりも獰猛で、強力だ。

 その名を四翼しよくという。

 大きな四つの黒い翼はコウモリのよう、身体はトカゲによく似ているが、頭から尻尾までたてがみのような剛毛が生えている。大きく裂けた口からは牙がのぞいて、手足には鋭い爪があった。からだは馬よりひと回り大きいくらいか。それが、上空から群れをなして襲い掛かってくるのだからおそろしい。

 追い払うことはできても、未だその息の根を止めるに至らず。いつ襲われるかと皆おびえていた。魔物への対処で疲れ切ったところを他国に侵攻されては、なすすべはない。

 特にフォルデ、辺境の騎士団がめっぽう強いことで有名である。ゆえにかの辺境部は常に緊張状態であったが、それも今日までの話だ。

 急な魔物襲来に困っているのはフォルデ側とて同じ。たとえ小国であろうとないよりはましな同盟だろう。


 何より、ピアニッサには他の国にはない不思議な力があった。

 神霊や精霊、魔物――万物に歌を捧げ、干渉する力。それを聖歌せいかと呼んだ。 

 聖歌を歌うものはピアニッサに十二人。彼らをさして歌い手という。

 それは血統によって生じるものではない。ある日突然、聖歌をうたう資格を得るのだ。生まれも、貴賤も、性別も関係なく与えられる――まさに天啓とも言える。その聖歌の旋律は、歌い手の身の内から自然と湧き出てつむがれた。

 歌い手となったものは聖歌機関に集められ、三年間の教育と指導を受ける。その後、各地の神官のもとに預けられて、魔物や外敵から人々を守る任務についた。

 歌によって身体機能を上げるものや、相手を操り支配下に置くもの、はたまた絶対の眠りに誘うもの……その能力は様々である。

 フォルデが一番欲しかったのが、恐らくこの聖歌なのだろう。


 ミアこそは、その聖歌の歌い手である。


「楽どころか、お前さんの仕事が激減したりしてな」

「それは願ってもないことですけどね……」

 

 複雑な心境でそう呟いた時、別のテーブル席がどっとわいた。見れば、若い男女の団体が楽しそうに酒盛りをしている。

 ミアはそっとため息をついた。


「あーあ……ミア。お前さん、またあぶれちまったのかい」


 馴染みのオヤジたちと一緒に乾杯をしていたミアは、その言葉に途端にみじめな気持ちになった。


「――失礼な。あぶれてなんかいませんよ」


 このお祭り騒ぎに乗じて、若い男が意中の女に声をかけているのだ。もしくは、何組かの男女がこの熱気に乗じて繋がりあっているようだった。

 ナンパが成功すれば二人連れだって物陰に行き、そこで熱く楽しい夜を過ごすのだろう。往々にして、そこから恋が始まるというが、ミアには無縁らしかった。


(何がいけなかったのかしら……)


 グラスを傾けつつ、ミアは頬杖をついた。

 手持ちの中で一番上等な服をひっぱり出し、長い亜麻色の髪をゆるくハーフアップにして輝石の飾りで留め、普段はしない化粧をした。自分の中で最高のおしゃれをして出てきた成果か、道行く人は皆振り返ったし、透き通るような翠色の瞳は篝火の下できらめいて、視線を交わすものを惑わせていたことだろう。

 我ながら、結構いけると思った。ひとりと言わず、二、三人くらいから声はかかるという自信がミアにはあった。

 女であれば誰でもいいと豪語する色男も、勝負ごとで負けたことがないとうそぶく兵士も、ちらりとミアに意味深な視線を送ってくるだけで、結局近寄ってこない。


 店に入ってからも、若い男はミアを避けるようにして席につくものだからいただけない。話しかけてくるのは妻子持ちのオヤジ連中くらいである。

 つい、ため息がもれた。

 それを見たオヤジ達、お気に入りのおもちゃをいじるかのごとく笑うものだから、ミアはふてくされて酒をあおった。


「野郎ども、腰がひけてらあ」

「……わたしは歌い手ですからね。きっと声をかけてくる勇気がないんですよ。神官さまがうるさいし」


 強がって言ってみたものの、苦いものが込み上げてくる。同じ歌い手でも、数多の異性を虜にし、侍らせているものだっている。

 ミアは内心、がっかりしていた。

 ほんの少しでも期待したのが馬鹿みたいだった。

 声をかけてもらえるほどとびきり美人でもないし、資産があるわけでもない。


 聖歌の力だって、神や魔物をおとなしく眠らせるだけである。攻撃や防衛で有利な力を持つ、序列上位の歌い手達にはかなわないのだ。

 それゆえミアは、都市部から遠く離れた辺境に配属されているらしかった。

 その仕事は、国に近づいてくる魔物を聖歌で眠らせること。歌を聴くと皆眠ってしまうため、任務の時はいつもひとり、夜中の森に分け入って歌うのだ。

 他の歌い手は護衛がついているのだが、ミアにはそれがない。どうせミアの歌を聞けば皆、眠る。傷つけようがなかった。


 全てにおいて可もなく不可もなし、何とも言えないランクで敢えて選ぶような女ではない――そう突きつけられたようで、ミアはため息をついた。


「まあそう落ち込むなって。これだけの人が集まる機会なんてそうそうねえ。どこかの物好きな野郎が来るかもわからねえさ」


 まったく失礼なオヤジである。ミアはふくれっ面のままグラスに口をつける。

 ミアは、普通の恋がしたかった。

 幼なじみからプロポーズされたのだと話す友人は幸せそうで、ミアはうらやましくて仕方なかったのだ。彼女は、ミアも早くいい人を見つければいいのに、と笑った。


(そんなに簡単に見つかれば苦労しない……)


 年頃になれば普通に恋をして、そのまま結婚するのだと思っていたが、現実は非情である。

 肩を寄せ合い歩く男女を横目に見て、ミアは何とも言えない気持ちになった。

 同盟が結ばれたことによって、ミアがお払い箱になるのは間違いない。何しろ、同盟相手には最強の騎士団がついている。


氷槍ひょうそうのアレニウスがいれば、一晩でやってくれるっていうし)


 ミアはつい自嘲した。

 氷槍のアレニウス――フォルデ辺境騎士団を率いる、かの国最強の男である。辺境伯の懐刀とも言われている。

 冷酷無慈悲に敵を討ち、戦地でその姿を見て生きて帰ったものはいないとか。筋骨隆々としたいかにも恐ろしそうな見た目なのだろうとピアニッサの人々は想像しているが、はたして。

 国境沿いに魔物が出現した時、一度だけ辺境騎士団の旗を見たことがあったが、肝心の男の姿は見れずじまいだった。

 そう、とにかくかの辺境騎士団は何事も迅速に解決してしまうのだ。強い。早い。すごい。これだけで説明がつく。

 弱いミアがこの辺境に配置されているのもそれがあるから。強敵は大体、フォルデ側で処理されるからだ。ピアニッサ側に現れるのはフォルデが取りこぼした――それもめったにないわけだが――弱った魔物である。

 歌い手が応援にかけつけたところで、逆に足手まといになるだろう。

 彼ひとりで攻守ともに完結するのであれば、歌い手の――ミアの存在する意味はなくなる。

 だからこそ、このお祭り騒ぎに乗じて恋人を作り、その勢いのまま結婚までこぎつけて、円満に歌い手引退をきめようとしているのだが悲しいほどに男が寄ってこない。やけくそになってひたすら酒をあおる。


「物好きな男かどうか知らんが、噂じゃ、辺境伯の護衛で氷槍のアレニウスがピアニッサに来てたって話だ。運がよければ出会って声をかけられるかもしれんぞ」


 ミアは氷の溶けかかったグラスを揺らし、苦笑を浮かべる。


「そんな馬鹿な。こんな、なーんにもない田舎町にあの有名人がとどまっているなんてないでしょう」


 第一、顔も、その特徴すら知らない。あれこそが氷槍のアレニウスだと断定できるものか。

 そもそも、こんな小さな酒場で出会えるわけがない。出会えたところで、超有名な英傑とミアがどうこうなろうなど、おこがましいにもほどがある。

 それに、氷槍のアレニウスは血も涙もないという噂もあるし、一夜の恋に溺れるような人ではないだろう。


「馬鹿なものか。想像するだけならタダだ」

「そうだぞ、飯屋はここだけなんだからな。どんなお偉いさんだって、腹が空きゃあここに立ち寄るだろうさ」


 オヤジ達はからっと笑って、呆れはてるミアの背中を強くたたいた。

 いい夢見ろよミア、そろそろ帰るわ、といって顔見知り達がめいめい散っていくと、空いた前の席に一人の客が通された。 

 この混みようでは知らない者との相席も仕方ない。

 やたらと浮かれた他の客とは違って、相席相手からそこはかとなく冷たい空気を感じた。

 誰が来てもどうせミアに興味を示さないのだから、冷たかろうが熱かろうが関係ないと投げやりになる。

 それでも、どんな相手が来たのかと改めて前を向く。

 客はフードを目深にかぶっている。顔を隠すように下を向いたまま、その者は料理と酒を注文した。


(――男だ)


 ミアは思わず唾を飲み込んだ。

 はらりと落ちた髪は青銀、伏せられた睫毛の下からわずかにのぞいた瞳は、氷のような青さがある。顔のつくりは端正で、きっと通りを歩くだけで婦女子からは黄色い悲鳴があがるに違いない。

 垣間見えたところから判ずるに、結構――いや、かなりいい男である。

 彼の方はミアに目もくれなかった。フードをかぶったまま、黙々と料理を食べている。


(見るだけならタダ! ……眼福ね)


 相手が無関心なのをいいことに、この国宝級の顔を脳裏に刻んでやろうと食い入るように見つめていると、男の薄い唇が開いた。


「……何か?」


 背筋がぞくりとするほど良い声だった。

 まさか話しかけられるとは思っていなかったミアは、一拍遅れて返した。


「あっ……見ない顔だな、と思いまして」

「そうか」

「もしや、楽士の方?」


 祝祭に音楽はつきものだ。美しい音色を奏でるのは、美しい楽士だ。一部例外はあるが大体そういうものである。


「楽士?」


 彼はくっと喉の奥で笑い、頬杖をついた。


「そう、見えたか?」


 節くれた大きな手は無骨で男らしく、楽士というよりも武人に近い。それに、よくよく見ると体つきは逞しく、袖口からのぞいた腕は引き締まっていて、ところどころにひきつれた傷跡が見える。

 音楽を奏でるような人の腕ではない。

 ミアは苦笑を浮かべて返した。


「楽士じゃないなら、傭兵? 行商の護衛か何か?」

「……まあ、そんなところだ」

「こんな何もないところまでご苦労なこと。この町にはろくな宿屋もないし、今夜はゆっくり眠れないかもしれませんね」


 ご愁傷さま、と哀れんでみせれば、男はそっけなく答えた。


「別にかまわん」

「そうですか? 眠れないと休んだ気になれないし、次の日の活動に支障をきたすでしょう? 後から眠気がやってきたら、山越えなんてとてもじゃないけど無理ですよ」

「もとより、眠らずとも支障はない」


 そんな人間いるのだろうか、とミアは首をかしげる。男は続けた。


「何があろうと、俺は絶対に眠らない自信がある」


 これにはミアも絶句した。

 万物にたいして〈絶対の眠り〉を与える歌い手を前にして、眠らない自信があると言い切るとは。

 いくらミアが歌い手序列最下位とはいえ、いち傭兵を眠らせることなど赤子の手をひねるより簡単だった。


(ある種、わたしに対する挑戦よね。引退前にひと歌うたってみようかしら)


 ミアは不適に微笑んで、グラスを口に運んだ。


「絶対眠らないの? その言葉、嘘じゃないですよね?」

「ああ。神に誓って本当だ」


 嘘くさい、と思いつつもミアは言った。


「もしあなたが今日この町で眠ってしまったら、どうしますか?」

「それはありえん。何があって俺を眠らせられるというのだ?」

「もし、と言ったでしょう?」


 花さくようにふわりとミアが笑うと、彼は目をそらし、ぶっきらぼうに返した。


「……そのときは、この指輪をやろう」


 銀細工の美しい、ブルートパーズの指輪だった。それは氷に閉ざされた宝石のごとくきらめいている。吸い寄せられるように手を伸ばしたところで、ミアはぐっと唇を噛んだ。 


「これは、ただの指輪ではありませんね」

「そう、魔力の秘められた貴重な指輪だ。これを賭けてやる」


 どうだ、と言わんばかりに口をつり上げる男に、ミアは引いた。


「そんな大事なもの……と、取り消すなら今のうちですよ?」

「ふんっ、男に二言はない」


 そう言って、男は指輪を外して机の上に置いた。


「よくわからんが、眠らせられるものならやってみるがいい。何を試しても眠らぬ、このローラント・アレニウスを眠らせられるのならな」


 ――ミアは歌った。

 結果、ローラント・アレニウスは一瞬で寝落ちた。

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