鞭
「何ぼーっとしてんだよ恭」
俺は、時雨を見上げた。
思考が……俺にだって、もともとは、プライドくらいあったんだって思考が……滲んでしまっていたのかもしれない。
時雨はあっという間に、不機嫌そうな顔をした。……やばい。
「あ? なんだその顔」
「ごめ、ごめんなさい、時雨さん」
「はい鞭打ちの刑ー。今ので100回追加。今日は200回だ。いけ葉太!」
「は、はいっ」
……ひゃっ、かい、追加って、にひゃ、……200回って、うそだろ。
だからさ、……100回でも死にそうなんだって、死んじゃうよ、ほんとに死んじゃうんだって、……でもあれ? 殺された方がよかったんだっけ?
でも嫌だ、……嫌だ、葉太のやつが持ってくる鞭に、身体が全身で警告してくる。
いやだ。あれはもう、いやだ。1回でさえ、叩かれたくない。
「……ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、時雨さん、ゆ、許してください、鞭打ち、むち、……やめ、やめてください、痛い、いたい、から、やめ、やめて」
あはははははは、と真衣と沙綾がおかしそうに笑った。
うーわ、引くわー、と誠が言う。
「ほんとに日本で一番難しい中学受かったの? 知能低すぎじゃね?」
「ち、知能、ひくいから、むち、……むちは、やめ、やめて、やめてえ」
「いやなに言ってんの」
誠は、容赦なく俺の頬を蹴った。
痛い。俺は、意志に反して呻いてしまう。
「では、みなさん、ご笑覧あれ」
葉太がおどけて、ソファに座る時雨たちに敬礼――そしてこちらをモノでも見るような顔で見下ろして、鞭を。
その手に。持った。鞭を。
痛みを。俺に。与えるだけの。ものを。
思い切り。振り下ろした。
ぎゃあああああ、と俺が叫ぶと、時雨たちは失笑する。
痛みと、悔しさと。もうぐちゃぐちゃで。涙が、溢れる。
なにが。おかしいんだよ。なにが。なにがなにがなにが。鞭で。鞭で。打たれたことも。ないくせに。死んじまえ。……死ね。死ね死ね死ねよ、いますぐ。
そう思うのに、俺の口から出てくるのは、……情けない懇願。
「……いたい、いたい、いたい……いたい……です……やめてください……やめて――ぎゃあっ!」
葉太が振り下ろした鞭が、とびきり痛かった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
鞭は。痛みは。止まらない。やめろ。やめて。……やめて、いたい、いたい、いたいよ、やめて、……やめてください、やめてください、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
沙綾が、時雨に話しかけている。
「ねえ時雨。やっぱ恭って、プライドないんかね」
「なー」
あったよ、だから、あったんだよ……プライド……いたい……いたいよ……ごめんなさい……。
「誠、そろそろ塾じゃね」
「うわ、ほんとだ。やっべ。ちょっと出てくるわー」
「ういー、いってらー。今日は戻ってくんの?」
「悩み中ー。塾のやつらとコンビニ行かなきゃ戻ってくるかな」
「了解ー」
鞭打ちの音。鞭打ちの音。ごめんなさい。ごめんなさい。
「そういや時雨、咲花ってどうしてんの?」
「ああ。咲花は今日、部活の後に塾」
「部活ってなんだっけ?」
「手芸部」
「ぶっ。うそだろ。やめさせれば?」
「それもありかもしれんなー」
「咲花ちゃん、塾、がんばってますよねー」
「まああいつは誠と違って馬鹿だから塾に行かされてるだけだけど」
「そんなあ、時雨先輩、可哀想ですよお、そんな本当のこと言っちゃったら、咲花ちゃんが可哀想ですう」
「ゆーて、うちも勉強できんけど」
「沙綾先輩はいいんですよっ! 沙綾先輩は、突き抜けた美術の才能があるんですから。咲花ちゃんには、何にもないから可哀想なんです!」
「まあうちのバカ妹の咲花がゴミだって結論でOK?」
オッケー、賛成、と、遠い世界で、……盛り上がってるけど、いたいよ……鞭……やめてください……。
……えみか……咲花……あいつが……もうすぐ帰ってくるみたいだ……。
「ああ恭。鞭の回数、ちゃんと数えてる? 数えてないよな。じゃあまだノーカンだから、あと200回ね」
「……し、しぐれさん、ごめんな、さい、かぞえられなくて、ごめんなさい、ゆるして……ください……」
「いや無理。こっちはわざわざお前なんかに時間使ってお仕置きしてやってんのにさ。何だその態度。更に100回追加コースかなこれは」
「――ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、……う、うわあ、うわあ、うわああああん」
限界を超えて、泣き叫んでも。
嘲笑と。更なる痛みが、降ってくるだけ。
何を、どうしたところで。
いつまで経っても。いつまで、いつまで、いつまで経っても。
地獄が。終わってくれない――。
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