「empathy」 と「sympathy」

 あるところでこんな話を聞いた。


 ”「empathy」と「sympathy」はときに同じ「共感」と訳されるが、中身は大きく異なる。

 「sympathy 」は自己の視点から他者の感情を思いやり、支援すること。「empathy」は他者の視点に立って感情や状況を理解し、ともに解決に向けて行動すること。

 これからの時代は「empathy」が大切になる。”


 筆者はこれを聞いたとき、ある疑問を感じた。本当の意味での「empathy」なんて存在しないのではないか、と感じたのだ。


 人は生まれたときから自己の視点を持つ。自己の視点を通して世界を認識し、自己の視点からみたことをフィードバックして自己の認識を作り上げていく。他者が介入する余地も多くあるが、それでもやはり最終決定権は自分にある。人間誰しも生まれたときから自己中心的なのだ。自己の視点で認識し、他者の介入を経て決定するプロセスの中で、価値観が作られる。かそもそも生まれたときの視点や周りにいる人が違うのだから、自己の認識が全く同じになるということはあり得ない。価値観が人それぞれ違うと言われる所以はここにある。


 つまり、人間は自己の視点から逃れられない。他者の視点を完全に取り入れることはできないのだ。他者の視点に立って考えるのが「empathy」なら、人間は他者の視点には立つことができないので「empathy 」など存在しない。


しかし、「empathy」を求めようとする営みに価値がないとは思わない。完全な「empathy」などないと理解して、よりよい「empathyに限りなく近いもの」を目指していくことで、様々な問題にアプローチできるだろう。このための絶え間ない努力のことを、「真のempathy」というのかもしれない。


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